5 田原総一郎氏とテレビで生対談
残暑が残るある日、富樫陰陽師から手紙が届いた。
【貴殿の御活躍は、こちらの皆も祝福し候。】
多忙だろうから、北海道へは復活祭当日にくればよい、とある。
裕太は、ビートたけしとの対談、さんまとの対談を実現。売れてる芸人石岡裕太は、お笑い界の双璧に後塵を拝する存在となった。事務所社長の新見は、将来の政界進出を見越して、田原総一郎氏との対談を企画していた。
汐留の高層マンションで、裕太は朝風呂を浴びていた。
「ららかちゃん、目を開けても、ええっていうのに。」
「ぜったい嫌です。まだ、結婚してないんですから。」
ららかは、裕太の入浴中アイマスクを付けている。
「けっこう固いんやなあ。俺には、金も、名誉もある。ないんは女だけなんや。キャバクラ行こう思ても、ららかちゃん、おるしなあ。」
「もう少し我慢してくださいな。復活祭のあと、結婚式を挙げることになってますから。」
「腹顔族の王と后が誕生するわけや。」
あの日以来、和田誠也をテレビで見なくなった。気になっていた裕太だったが、ららかの気持ちを考えて、話題にはしなかった。
フジテレビの第四スタジオで、裕太は田原総一郎氏と対談した。対談の前に、裕太は政治ネタの腹話術を披露。スタッフの拍手を浴びて田原氏に対座した。
「今、最も勢いのある人物といえば、この人かもしれません。今日は、第三のピン芸人といわれる、石岡裕太さんとの対談です。石岡さん、こんばんは。今日は対談を楽しみにしていました。」
「こちらこそ、よろしゅう頼んます。」
「さっきは、日本の防衛力に関するネタで、腹話術を見せていただきました。しかし見事ですねえ。人形さんが実に女らしいお声で、裕太さんのハスキーな関西弁とのギャップが、なんともいえない芸風を作り出していますねえ。しかも、わたし、じっと見てましたが、裕太さんの唇が微動だにしない。いや、見事な芸だと思います。そして、トーク番組やクイズ番組で引っ張りだこ、超売れっ子芸人で、けっこう稼いだでしょう。」
「いやいや、そんなことあらしまへん。」
「今回は、わたしとのテレビ対談ということで、政治、国政について、裕太さんと激論を戦わしたいと思います。二時間という長時間ですが、どうぞ、お手柔らかに。」
「ここでCMでっか? はい、どうぞ。」
対談では、日本の防衛について議論が白熱した。裕太は、北朝鮮への対応について、経済制裁ではなく、逆に経済協力を積極的に推進する懐柔策が有効だと主張した。ただし、核開発につながる技術提供や資源提供はしない。飴と鞭を使い分け、北朝鮮の挑発に動じない、大人の政策が必要だと力説した。
「思い切った政策だと思いますね。経済協力を推進するというのは。」
田原氏はしきりにうなずいた。
「いい感触ですね。」
CM中にららかがお腹からささやいた。
「ららかちゃん、大したもんやわ。いくらなんぼ、大卒いうても、こんだけちゃんとしたこという若者はおらんで。すごい人を、俺、お腹に囲ってんのやなあ。ららかちゃんがおったら、総理大臣にもなれそうな気がするわ。」
田原氏とスタッフが、一枚の紙を囲んで神妙な顔つきで話し合っている。時々裕太を見る。
「なんや、なんかあったんかな。」
「事件でもあったんでしょうか・・・。」
「あと三十分も対談や。もう、わし疲れたわ。家に帰りたい。」
ケータイにメールの着信がある。見ると新見社長からだった。
【至急逃げるべし】
意味不明の文字が並んでいる。
「どうしたんや、社長。まさか、脱税しとったんが、ばれたんかな。」
田原氏がスタッフの輪から離れ、まもなくスタッフも持ち場に戻った。
「これ終わったら、社長に連絡するわ。」
田原氏が席に着いた。田原氏は、困惑した表情を見せた。
「はい、長いCM、見ていただきました。第三のピン芸人、石岡裕太さんとの対談を続けます。裕太さん、ここから少し、話題を変えたいと思うんですが・・・。」
「かましまへん。次はなんについて話しまひょ。日本経済を活性化させる、画期的なアイデアがありまっせ。」
「それは、興味深い。是非、お伺いしたいところなんですが、先ほど、わたし宛に一枚のファックスが届きまして、その内容について、スタッフに相談してたところなんです。」
「なるほど、そうでっか。なんや大事件でも起こったんかなんて、思いましたわ。」
「ある意味、大事件かもしれません。あなたにとって・・・。」
「俺? 俺がどうかしたん?」
ケータイのバイブが震える。新見社長から電話だった。裕太は、ケータイを握りしめた。
「このファックス、匿名さんからなんですが、とても興味深い内容なんです。題名がありまして、【石岡裕太の異常な秘密】と、書いてあるんです。」
「なんですか、それ。」
「番組の趣旨と違うんですが、あまりにも興味深いので、この問題について議論しようと思うわけです。いかがですか、裕太さん。」
「ちょっと、見せてんか、そのファックス。」
「見せたら、ノーって言いますよね。」
「テレビで、個人情報の暴露はあかんがな、暴露は。田原さんのすることとちゃいまっせえ。」
「テレビは、視聴率を稼いでなんぼですよ。ここに、仁科ららか、という名前もあるんです。」
裕太には真相がわかった。
「まさか、誠也さんが・・・。」とららかがつぶやいた。
新見社長からのメールは、このことを警告していたのだ。
「田原さん、ひとつお聞きしますけど、ファックスに書かれたこと、田原さんはどう思います?」
「普通だったら、信じませんね。」
「でしょう? 馬鹿馬鹿しい話でんがな。」
「ということは、ここに書かれていることがどんなことか、裕太さんは想像がつくわけですね。」
「言いたくはないですけどね。視聴率アップに協力しますわ。あれでしょ? 仁科ららかのことでんな。」
「えー、仁科ららかさんと言えば、ほぼ一年前に女優デビュー。ドラマ、舞台、CMで大活躍、大人気の女優さんでした。その彼女が、半年ほど前から病気療養で突然の引退。なぜか彼女に関する報道を、まったく耳にすることがありませんでした。仁科ららかさんに関する情報が、ここに今、わたしの手にあるファックスに、断片的ではありますが、書かれているわけです。」
「やめまひょ、田原さん。女優仁科ららかの名誉を傷つけることになりまんがな。」
「確かに。しかし、真実を明らかにするのがジャーナリストの役目でして。」
「報道のためやったら、彼女が傷ついてもええと、こない言いはりまんのかい。視聴者の皆さん、これがテレビの怖さでっせ。」
「いや、わたしは、ただ・・・。」
「仁科ららかの名誉を傷つける、とんでもないことでっせ。そんなこと、天下のフジテレビがしたらあかん。俺、このファックスを送ったやつ、知ってま。ここでしゃべってもかましまへん。報道の自由やて言うたら。でも、そいつにも名誉がありますがな。だから、言えまへん。取引しまひょ、田原さん。ここで番組はおしまい。そのファックスは俺に渡してください。もし続けはるなら、有名な俳優の名前、俺も、この場で言いますよ。それから、名誉毀損でフジテレビと田原さんを訴えますよ。」
「その、今、出てきました俳優さんが、このファックスの送り主だと、裕太さんは主張するわけですが、例えばの話、その俳優さんは、仁科ららかさんの恋人だった人ですか?」
「例えばの話で言うと、ふられた腹いせ、そういうことでんがな。」
「そのへんのところは、なんとなくわかりました。このファックスが、ここにある理由ですね。ただ、気になるのは、ららかさんの消息なんですよ。裕太さんは、ららかさんの名誉と言いますが、肝心の、ららかさんの安否の方はどうです?」
「そりゃあ、元気にしてまっせ。」
「確かに、ららかさんらしい人を見たという情報は入っています。えー、フライデーが、東京駅に裕太さんと一緒にいるところをスクープした、ということです。」
「さすがに、フライデーやな。見逃さへんね。」
「これが、まあ、単なるスキャンダル、ということではなくて、ららかさんの存在の仕方が興味深いんですよ。」
「スキャンダルじゃあらへんがな。ただの三角関係のもつれですやん。彼女の存在の仕方って、それなんですか。俺、もう帰りますわ。視聴者の皆さん、すんまへんけど、番組に途中ですけど失礼しますう。」
裕太は立ち上がって、カメラに向かって頭を下げた。
「わかりました、石岡裕太さん、最後のお願いです。お腹、見せてください。」
裕太は絶句した。
「裕太さん、カメラに向かって、お腹を見せること、できますか?」
「なんで? 腹を見せる必要がありますの?」
「確かに、その必要はないかもしれません。公衆の面前で、石岡裕太のお腹を丸出ししたところで、何の意味もない。こんなことを促す田原総一郎は、いったいどうしたんだと、世間からお叱りを受けるでしょう。しかしですよ、例えばの話ですが、裕太さんのお腹にですよ、実際は有り得ないことですが、もしかすると、万が一、仁科ららか・・・あの、彗星のごとく現れて流星のごとく消えた、仁科ららかさんの、顔が、張り付いているとしたら・・・。」
「芸人魂から言わせてもらいますと、お腹を見せるなんてなんでもありゃしまへん。それで皆様に笑っていただけるんなら、喜んでお見せしまひょ。こんなことやったら、富良野のへそ祭りみたいに、けったいな顔を描いてきたのになあ、もう。惜しいことしたわ。」
裕太はTシャツに手を掛けた。
「いきまっせ。カメラはん。」
裕太は、お腹にカメラのピントが合わせられたのを確認してから、シャツを一気に脱いだ。
「これが、石岡裕太のお腹でんがな。少しメタボでごめんなさい。」
お腹をさすりながら裕太は、お腹を揺らしてその平凡さをアピールした。
「なんで人の顔がここに張り付きますの? 大丈夫でっか? 田原はん。」
裕太のお腹にららかの顔はない。
「これは、裕太さん。大変失礼しました。」と田原氏は頭を下げた。「実は、わたしはですね、このファックスとは別に、ファックスの送り主から、手紙を預かっていたんです。ここには、並々ならぬ覚悟が書かれていました。だから、わたしは・・・。」
「わかってくれれば、それでええ。ほな、俺は失礼しま。」
裕太は席を立った。カメラはスタジオを出る裕太の背中を映した。
「今、抗議の電話が鳴り止まない状態となっているようです。番組を代表いたしまして、わたくしから視聴者の皆さんにお詫びを申し上げます。ただですね、かなり確かな人物からの、信憑性の高い情報でしたので、わたし、田原総一郎は、真実を確かめたい一心で、裕太さんに、お腹を見せてと、こういった訳でして。それでは、テレビで生対談は、このへんで失礼します。次回がもしありましたら、お楽しみに。」