2 ふたりの合体
目が覚めたということは、殺されずに生きているということだ。裕太を起こしたのは仁科ららかだった。
「ねえ、起きてください。ねえ。」
目を開けると暗がりにららかの白い顔が浮かび上がった。起きようとしたが体が動かない。
「よかったあ、生きてるがな。あんた、ほんとに仁科ららか?」
「そうですけど、あなた、だれ?」
掛け布団はなく、ふたりをベッドに縛り付けている縄が見えた。
「石岡裕太。売れない芸人。二七歳。このまえ誕生日やった。七月五日。俺たち、縄で縛られとるな。あっ、俺、岐阜県出身。関西弁やけど。えー、ほんまもんの仁科ららかかいな。やばそうな状況やけど、仁科ららかと同じベッドに寝んのて、わるないなあ。」
「そんな、まくしたてないで。確かに芸人かも。石岡? えーっと、岐阜? 三七歳?」
「二七歳。裕太って呼んで。俺も、ららかって呼んでええかな?」
「それは、やめてください。」
「ほなら、自分も裕太って呼び捨てやめて。石岡様って呼んで。」
「石岡さん、あなた、大丈夫ですか? 頭、少しいかれてらっしゃいますか?」
「きれいなお人やのに、きついなあ。仁科ららかと同じベッドやから興奮してんのやがな。テンション上がってまんがな。あんたこそ、けっこう落ち着いてはるね。」
「昔から、あんまり動じない方なので。あの人も、まったく知らない人じゃないんです。」
「マネージャーの、ものマネージャーの人? あいつ、何者?」
「母の、知り合いの方、なんですけど。母が、いろんな相談でお世話に、なっているらしく。わたしが女優に、なれたのも、あの人のおかげだって、母は、言うんです、けどね。」
裕太もららかも、縄をほどこうと手足に力を入れた。筋肉が不自然に律動している。
「それ聞いて安心やわ。」裕太は体中の力を抜いた。「殺されることはないやろ。いくらなんでも。」
「陰陽師だそうです。百歳は優に超えてるとか。昔、刑務所に入ったこともあるらしいです。」
「そりゃ、しゃれにならんがな。殺されんでも、なにされるかわからんわ。」
裕太は真剣に縄をほどこうともがいた。ららかは抵抗をやめ、深呼吸をした。
「大凶の予兆があったから、除霊すると言われてここに来たんです。これも、そのためだとは思うんですが。」
「大凶? なにそれ。」
「女優生命を脅かす、重大な出来事だそうです。」
「冷静に考えたら、俺、関係ないやんな。あのばあさん、仁科ららかの恋人に選ばれたなんてけったいなハガキ寄こしてからに。せや、気を失う前になんや言うとったで。フクオウ・・・とかなんとか。」
「フクオウ? なんでしょうか。確かに、石岡さんは関係ないと思いますが。彼氏なら、ほかにいるし。」
「えっ? いんの?」
「あっ、やばい。マスコミには内緒にしてください。」
「誰? やっぱイケメン? しゃべったら黙っとく。」
「週刊誌に話して、有名になる気ですね。」
「そんなこと、せえへん。」
「なぜ、顔を引きつらせながら否定するんですか?」
「いや、その手があるかって・・・。」
「本当にやめてくださいね。仲を疑われますから。彼にも悪いし。」
裕太とららかは息を潜めた。リビングから物音がした。それは足音だった。ふたりはドアノブを見つめた。ゆっくりと左に回転した。裕太は生唾を飲み込んだ。
「うるさいですよ。」
老婆は部屋に入るなり、ため息まじりに言った。
「まだ一時。祈祷までまだ時間はあります。薬の分量、間違えたね。こんなに早く目が覚めるなんて、わたしも歳だわ。」
「ばあさん、すまんの。もう少し小声で話しますんで。それでね、ららかはんに告白したんだけども、彼氏がおるゆうて、ふられましてん。俺もストーカーとかしとないし、男らしく諦めよう思うんやけど。そういうことやから、縄、ほどいてくれへんかな?」
「わたしも、そうしたいところですが、神様が決めたことですから。石岡裕太・・・ちょっと役不足の感がしますけどね。」
「そう言われると、なんや、ここにもう少しいたい気もしてくるやん。その大役、俺が見事やってのけましょう、みたいな。」
「神経は太いようですから、適役と言えばそうかもしれません。」
「富樫さん、ご祈祷には、石岡さんて方も必要なんですか?」
ららかは丁寧な口調で訊いた。
「お嬢様、説明は祈祷が終わってからいたしますね。でないと、たぶん、信じてもらえないと思いますし。」
「ばあさん、富樫っていうんやね。陰陽師っていうのは、ほんまでっか?」
「そう思っていただいて結構。お嬢様、もう、ついでですから、やってしまいますね。」
陰陽師の富樫ばあさんは、半ば投げやり口調でそう言うとリビングに戻った。
「なんや、いい加減やなあ。ついでですから、やっちゃいます、なんて。」
「きっと、簡単なご祈祷なんでしょう。でも、石岡さんが必要なわけがわかりません。それが、ちょっと怖いですね。」
「ららかちゃんは、ご祈祷は初めてやの?」
「いえ、二回目です。一回、ご祈祷をしてもらってから、タレントとして売れ始めました。」
「そりゃあ、確かに恩人やわ。」
「でもね、石岡さん、売れたのは、わたしの実力だって、あったはずなんです。」
「そういうことに、こだわる人なんやね。」
富樫ばあさんはハンカチをふたつ、両手につまんで入ってきた。
「ふたりとも、もうしばらく寝てもらいますよ。いつまでも寝るつもりはなさそうだから。」
「それは、もしかして、クロロなんとか、いうやつ?」
富樫ばあさんはハンカチをふたりの顔にかぶせた。
「あんなので気絶なんていうのは、ドラマだけの話。安心しなさい。この薬は、気持ちよく眠れますから。目が覚めたらご祈祷は終わっています。お嬢様、ごめんなさいね。これ、石岡さん、顔を振っても無駄ですよ。諦めて大きく深呼吸をしなさい。アロマみたいに、いい香りがするでしょう。そうそう。ふたりとも、いい子ですねえ。はいはい、おやすみ。おやすみ。」
富樫陰陽師が子守歌を歌っているのが聞こえた。裕太も、ららかも、息を止めてはいたが、限界に達すると逆に大きく息を吸い込んだ。喉にメントールが入り込んだような刺激を感じたあと、甘い香りが鼻孔にしみこんだ。海の上で仰向けに漂っているような心地よさが訪れると、その心地よさにいつまでも浸っていたいと思うようになる。裕太は、一度合法ドラッグに手を出したことがある。そのときの感覚を思い出した。
「青少年の健全育成にドラッグはあかんて。あの陰陽師、警察に逮捕してもらわな。」
意識が遠のく前に、ららかの手を握ろうともくろんだ裕太だったが、ららかに冷たくあしらわれた。
「彼氏が、いますから。」
ららかの声がかすかに聞こえた。