13 本当の復活祭
白い霧が渦巻いていた。前方にはかすかに富樫町長の足が見える。裕太は、転びそうになったららかの本体を支えた。
「地面が見えんから歩きにくいわ。大丈夫かいな。」
しばらくすると、上から水滴が落ちてきた。鍾乳洞のつるつるした岩肌が見える。
「富樫町長、ちょっと待ってえな。」
「道は一本ですから。」
声が岩肌に跳ね返る。水の流れる音が聞こえた。
「川はないのに水の音。水脈でも通っとんのかいな。」
裕太の左右にららかと綾乃の本体が寄り添う。広い通路で、ほぼ真っ直ぐだが、時々左右に折れる。
「しかし綾乃さんの本体、よう動いてるな。顔の方はどないしてるやろ。もしかしたら、今頃復活祭はえらい騒ぎになってんのやろか。」
「心配ですね。」
「富樫町長、なんでそんなに急ぐねんな?」
「罠が仕掛けてありますから、解除してるんですよ。」
「さよか。ピラミッドと一緒やな。」
「あと少しですから。」
「どのくらいや? 息が上がってきたがな。」
「一キロほど・・・。」
「あと少しや、ないやないか。」
十数メートルごとに一段下がる通路で、登りがないのは助かった。徐々に天井が高くなり、幅も広くなってきた。視界もはっきり見え、地下とは思えない清澄な空気に満ちていた。富樫町長の姿が見えた。
「着きましたよ。」
富樫町長は右に消えた。後に続くと、裕太とららかの視界には、山頂からの眺望が広がった。
「なんや! これ?」
ファンタジー映画でよく見るユートピアの風景。見下ろすと、地中とは思えない明るさの中、広大な草原と森、遠くに湖が見える。鳥のさえずりさえ聞こえる。
「これが鍾乳洞かいな。」
「きれい!」とららかは驚きの声を挙げた。
「行きましょう。」
富樫町長は山道を降り始める。
「地上と変わらんがな。富良野とは思えん気候やな。山に登ったんちゃうのに、下山すんのかいな。」
「暖かいですねえ。風もさわやか。」
「ユートピアやで、これ。」
なだらかな山道は、低い樹木を両側に従え、一本道が湖の方へと続く。天井は高く、雲のような塊が漂っている。鳥が一羽、綾乃の本体に留まった。
「インコや、これ。地下で見る動物やないで。」
「腹顔族は、どんな民族だったんでしょうね。」
「たいへん高い文明を持っていました。」と富樫町長が答えた。
「おっ! 城が見えてきたで。あれが・・・。」
「腹顔城です。ここから見ると、まだきれいですね。」
湖畔近くに、高くそびえるお城は、日本風でも西洋風でもない。
「遺跡やないで、これ。誰にも知られたくないわけや。」
「復活祭をどこで開催するか、迷いました。」
富樫町長は歩くスピードを緩めずに言った。
「ここで開催したかったのですが、ご覧のように、やはり裏切りがございました。万が一を考えて、富良野プリンスホテルを会場にして正解でした。」
「心配やな、復活祭。」
「腹顔人のみなさん、大丈夫かしら。」とららかが言う。
「綾乃さんも、本体だけここやしな。」
「恐らく、残念ですが・・・。悲惨な状況でしょう。」
「そんな、まさか、殺されはせんやろ。」
川が見えた。岸に舟が付けられている。
「舟を使いましょう。」
綾乃の本体が櫓を漕いだ。舟は滑るように水面を走る。梅の花が湖畔の岸に見える。裕太は花見をしたくなった。
「ええとこや、俺、気に入ったわ。遺跡いうから、泥臭いとこや思うてたんや。」
「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな。腹王様がいなくても、梅の花は千年も変わらず咲いていました。気に入っていただけて、うれしいです。」
富樫町長は、道真公の歌を朗詠した。
湖は大きくもなく小さくもない。水は澄み渡り、湖底には魚の姿も見える。
「人はいさ、こころも知らず、ふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける。」
ららかも和歌を吟じた。
「ファンタジー映画の主役になった気分や。ららか、ここで静かに暮らそか。」
「そうしたいですね。」
腹顔城が眼前に近づいた。裕太は、城を下から上に見上げる。
「大きな城やな。確かに、少しガタがきとるけど、千年もたったやようには見えんで。」
「中は大変きれいですよ。」と富樫町長が言った。
船着き場に舟を寄せる。城は、ほぼ大理石で作られ、通路も整然としている。遺跡という形容はまったく的外れとしか言いようがない。
「元は、やはり砂に埋もれていたんですよ。陰陽師連中で、長い年月をかけて少しずつ、発掘しました。」
富樫町長は、城の玄関ホールに案内した。
「ガラスがありません。塵芥がまったくない、きれいな空気ですし、気温もほぼ二十四度に保たれています。必要ないわけです。」
裕太は青い絨毯の前に立った。
「どうぞ、腹王様。お嬢様。ご入城ください。」
「青の絨毯、すてきですね。」とららかが言った。
裕太は、緊張した面持ちで、右足を踏みしめた。絨毯は、柔らかな弾力を足裏に返した。
「なんちゅう絨毯や。」
「きれいな空気を吸っていますから、弾力が違いますでしょう。」
富樫町長が誇らしげに言う。
「床、壁、天井、階段、棚まで、すべて大理石です。大理石にしては、色合いがあたたかで、まるで絵を見ているようです。」
城に入る。大理石張りの広い空間に、絨毯と観葉植物で彩りを添えてある。
「どこかの美術館みたいやな。こらまた、リビングいうてええのかな。この部屋広いわあ。」
ソファとテーブルが中央と四隅に置いてある。
「家具屋さんみたいや。あかんなあ、アホやから表現が乏しいわ。あれ、ららかの本体がおらんで。どこに行ったん?」
「隣の部屋よ。」
ピアノが流れてきた。裕太が行くと、ららかの本体が、黒いピアノの前で体を揺らしている。
「優雅でええなあ。ここから見る湖もきれいや。」
「腹王様、シャンパンをお持ちしましょうか。」
富樫町長が言うと、綾乃の本体は隣の部屋に消えた。
「そんなん、あんの。すばらしいやないか。天国やで、ここ。」
「食料などの物資は、一年分は確保してあります。あちらの森には、山菜などもありますし、キノコも栽培してます。あちらの平地には、田畑もございますので。」
「ええやないか、野良仕事、嫌いやないで。」
裕太は、綾乃の本体が持ってきたシャンパンを飲んだ。ららかにも飲ませる。
「腹王様、いいご気分になられましたところで、こちらへどうぞ。」
裕太は、富樫町長の前に出て、城内を見て回った。大ホールには、玉座があった。
「どうぞ、お座りください。さあ、お嬢様も。」と富樫町長が言う。
玉座も大理石だが、冷ややかではなく、温かみがあって座り心地がよい。体に合わせて石を彫ってある。
「びっくりや、体にぴったりはまるわ。」
「裕太様が腹王の生まれ変わりである証でございましょう。」
「いい眺めですね。」とららかが言う。
玉座からも、湖の湖面が見える。梅の花びらがひらりと舞い、水面に落ちている。
「あちらの岸には、櫻並木が植わっていますから、もうしばらくしますと、こちらもきれいです。」
「なんともいえんわい。半年前まで、売れない芸人やった俺が、腹顔族いう、今まで知らんかった種族の王様やなんて・・・。ららかのようなきれいな嫁までもろて。」
「でも、ふつうの夫婦ではありませんが・・・。これでよかったんですか。裕太さん。」
「腹王て言うてや。悔いはないで。選択肢はなかったわけや。元々腹顔族だったわけやから。腹顔族の腹王として、民族の再興に全力を尽くすでえ。芸人石岡裕太、人間の名前は今日で捨てるわ。関西弁は、そのままやけど。」
「では、腹王様、末永くよろしくお願いいたします。」
「ららか姫。こちらこそ、よろしく頼むで。」
裕太は、ららか本体の顔につけられた目鼻を取り、のっぺらぼうにした。
「これが、本当の腹顔族や。」
のっぺらぼうに、裕太はキスをする。
「俺らの結婚式はこれでええ。なあ、ららか。」
裕太はお腹のららかに言った。
「ええ。」
ららかは、自分ののっぺらぼうを見ながら言った。
玉座が急に下降した。裕太とららか本体は一瞬宙に浮かぶ。
「なんや、これ! 地震や。」
王と王妃の玉座とも、十数メートルほど落ちて止まった。見上げると、四角い天窓が見える。その窓から、富樫町長が顔を出した。
「大丈夫ですか。」
「町長、地震か? そっちはどうや?」
裕太は、仰け反っているららか本体を抱き上げた。
「大丈夫です。地震ではありません。」
「なら、なんや、これ。」
「玉座は、少しずつ上昇しています。あと一時間ほどで、元の位置まで上がるでしょう。」
「なんで、こないな造りやねん。」
「わたしは、地上に戻ります。腹王は、永久にここでお過ごしください。」
「なに? 今、なに言うた? 永久に、ここにいろ? 富樫町長、まさか、あんた・・・。」
「地上のことは、わたしにお任せください。」
「任すがな。なんで、こんな、手の込んだことするねん。」
富樫町長の顔が、別人に見える。
「はっきり言いますと、わたしのしたいようにやらせてください。腹王様の、いいなりでは、わたしは嫌なんです。」
「ああ、わかったわ! よくある話や。信頼しとったのに。」
「富樫さん!」とららかが叫ぶ。
「お嬢様、お許しを。」
「陰陽師の裏切りは、大罪よ。わかってるはずよ。」
「ひとつご報告を忘れておりました。わたしは、陰陽師を辞めたのです。ひとりの、人間になりました。」
「本当に? 人間に戻れば、あなたの霊魂は再生しないわ。生まれ変わりはできないのよ。」
「そんなことは、わたしが一番存じております。わたしは、ただの人間になって、長生きする方を選びました。人間の医学の進歩には驚きます。悪くなった臓器を取り替えれば、いくらでも長生きできる時代がきます。魂が再生するより、そちらの方が、わたしは幸せだと考えるのです。」
「腹顔族への忠誠は、どうしたの?」とららかが問い詰める。
「富良野での復活祭の結果が示すとおり、腹顔族の再興は夢でございましょう。人間界で腹顔族が生きていくことは、やはり無理でございます。腹王様とお嬢様は、ここでゆっくりとお過ごしください。それが、おふたりのためでございます。」
富樫町長の顔が消えた。
「待て、待たんかい、富樫町長!」
ららかは泣き出した。天国から地獄へ突き落とされるとは思わなかった。裕太とららかを合体させた、富樫陰陽師。腹顔族再興のため尽力してきた人物が、まさかの裏切り。
「綾乃さんの本体! どこにおんのや? 聞こえるかあ!」
綾乃の本体に顔はないし、耳もない。おそらく聞こえないだろうと思いながらも、裕太は叫ばずにはいられなかった。
「やっぱり無理やわ。一時間したら元に戻る、言うてたな。それからでも、富良野に戻って説得してみるわ。」
「説得は、いいわ。」とららかが言う。
「なんでや。」
「裏切りは、裏切りです。腹王にこんな仕打ちも許されません。すぐに殺すべきです。」
「まあ、そやけど。裏切りは即殺す、みたいなのもあかんで。話を聞いてみようや、ららか、もう少し寛容になりいな。意外と気性が荒いねんな。」
「だって、あの人まで裏切るなんて、悔しくて・・・。」
ららかはまた泣き出す。裕太も泣きたくなったが、ぐっとこらえた。ららかを慰める言葉もなく、裕太は玉座で腕組みをした。どうしたものかと目をつむる。物音で目を覚ますと、目の前にはロープがぶら下がっていた。見上げると、あと数メートルのところまで玉座は上昇していた。
「なんや? このロープ。」と裕太はロープを引きながら叫んだ。
「腹王様!」
「おう! 綾乃さんやないか。顔、どうしたんや?」
「元に戻ったんです。」
「ほんまか? そんなこと、あるんか。」
「ロープ、つかまってください!」
裕太とららか本体は、ロープをよじ登った。
「よっしゃ。ほな、富樫町長を追うで。」と裕太は綾乃に言った。
「その必要はありません。」
裕太とららかの背後から、綾乃は言った。その声があまりにも落ち着いていたので、裕太は、綾乃がなにかを知っていると思った。
「もうすでに、腹山の外でしょう。それに、なにを言っても無駄です。」
「知ってんのやな。そや、復活祭はどないなった?」
「和田誠也は、人間と連絡を取っていました。彼は、裏切りました。彼が連絡したのは、由布岳でおふたりを追い詰めた、反石岡派のリーダー、大友幸四郎。」
「・・・あいつか。思い出したわ。あいつ、行方不明て聞いてたで。」
「大友幸四郎は、代議士と官僚を動かし、自衛隊を引き連れて、ホテルを攻撃したんです。」
「ホテルを攻撃?」
「腹顔人も、陰陽師も、みんな殺されました・・・。」
裕太は、言葉を失った。ららかの涙がお腹をつたって流れる。
「嘘やろ・・・。」
陸上自衛隊の第一空挺団が、富良野プリンスホテルの屋上から侵入。腹顔人と陰陽師たちは、小銃で次々に撃たれた。
「寺脇さん、あの人が死ぬやなんて。新見社長・・・。せっかく生き返ったのに。
裕太もさすがに涙を禁じ得なかった。
「和田誠也は?」
「殺されました。大友の味方であるにもかかわらず、腹顔人という理由で。背後から、大友に撃たれました。日本政府は、腹顔人抹殺を画策していたようです。和田が死んで、わたしは元に戻りました。」
「綾乃さん、無事でよかった・・・。」とららかが涙交じりに言う。
「ららか様、ありがとうございます。腹王様、前に申し上げたように、わたしは預言者です。」
「寺脇陰陽師が、それは違うて、言うてた。」
「腹王様は、どちらを信じますか。」
「・・・そやな。綾乃さんは、俺にようしてくれたわ。由布岳では、抜け穴を教えてくれたし、富良野のホテルでは逃げろって言ってくれた。和田誠也を殺そうとしたんも、俺のためやったしな。今となれば、そのほうがよかったんや。同胞を大勢、亡くしてしもた・・・。」
「富樫陰陽師は、恐らく、最初から金目的だったのでしょう。大友とも、つながっていたのかもしれません。」
裕太は、有名になって金を稼げと言った、富樫陰陽師の言葉を思い出した。
「がっかりやな。腹顔族復活の資金にするって、思うてたがな。」
「しかし腹王様、これもシナリオどおりです。」
「シナリオどおり? 誰のや? 綾乃さんのか?」
「腹顔族の、ご先祖の・・・。」
綾乃は、そう言って目をつむり、呪文を唱えた。大理石の床と壁、天井が動き出す。見えていた部屋が消え、新たな部屋が現れる。
「どないなっとんねん。同じ城には見えんわ。」
「こちらへどうぞ。」と綾乃が言う。
「綾乃さん、やっぱり預言者かも。なあ、ららか。」
「ええ。とにかく、仲間がいてくれるのはうれしい。」
「腹王いうても、家来がおらな、様にならんで。」
綾乃が案内したのは、腹顔族の図書館だという。
「ここに、腹顔族の歴史が記録したあります。過去だけではなく、未来も。」
「図書館? 本なんてあらへんがな。」
綾乃が床を指さした。
「よく見てください。大理石に文字が書いてあります。」
裕太は跪いて目を床に近づけた。確かに、文字らしい刻みが見える。
「くさび形文字みたい。」とららかが言う。
「なんやそれ。」
「富樫陰陽師が、これを読んでいたかはわかりません。この部分、見てください。」
「見てもわからんがな。なんて書いてあんの?」
「ここには、未来が書いてあります。わたしも、完全に読めるわけではありません。いくつかの文字を調べました。『謀反』という言葉がありました。『裏切り』を、ご先祖は予想していたようです。」
「ほんまか、それ。」
「歴史というのは、人間も腹顔族も、裏切り合い、殺し合いの歴史といってもいい。ご先祖様は、未来も同じだと考えたんだわ。」
「ららか、歴史も詳しいな。」
「裏切りによって、物事がはっきりしてくる。歴史が動く。」
「社会の授業かいな。ららか、もうええわ。綾乃さん、他になんか、書いたるか?」
「復活祭のことが、書いてあります。場所が、書いてありますね。『湖上』。湖の上です。」
「湖の上やて?」
「復活祭は、湖で開催しないといけません。」と綾乃は言った。
「舟の乗れ、いうことかいな。」
「わたしが、わかります。腹王様も、ららか様も、この城に来たときから、いろんな力が少しずつ、ついてきています。」
「超能力みたいな?」
「それ以上です。腹王様は、神様ですから。」
「ほんまに、俺って、神様かいな?」
「神様です。こちらの大理石に書いてあります。『腹王は神となり、人間の世に平和をもたらす』と。」
「信じられへんな。俺、そろそろ関西弁やめるわ。威厳があらへんし。でも、いつ、どうやって神様になるんやろ?」
「まずは、この城で、力を蓄えるということでしょう。腹顔語を身につければ、この図書館に刻まれている、腹顔族の叡智を身につけることができます。きっと、この図書館に、神様になるための方法が書いてあるのでしょう。」
「まじで? 嫌やわ、そんなの。ららか、頼むで。」
「腹王殿!」
「腹王様、ららか様、とりあえず、復活祭をいたしましょう。湖の方へ。」
綾乃が促す。湖に出ると、穏やかに水面が揺れている。
「綾乃さん、俺、まだ力はついてへんと思うわ。そんな感じ、せえへんもん。」
「復活祭は今日執り行う予定になっていますから、大丈夫だと思うんです。歩いてみてください。」
「歩く? 湖を? 無理やて。ほら、水が揺れてるがな。」
「腹王殿は、金槌でしたもんね。」
「なんで、ららか、知っとんの。俺、そんなこと、言うた?」
「わたしがやってみます。」
ららか本体は、躊躇なく湖に入った。水しぶきを上げて、本体は溺れた。
「言うたとおりや。のっぺらぼうで口がなくてよかったがな。」
「おかしい。自信あったのに。」
「こっちは別な意味でおかしかったわ。今の溺れ方・・・。」
ららか本体が裕太をどつく。
「あれ? ららか、もう一回どついてみ。思いっきり。」
本体は、裕太の胸にパンチを入れた。
「それはパンチやがな。でも、痛くないわ。ぜんぜん、痛みを感じんわ。」
「パワーが、ついてきてるんです。」と綾乃が言った。
「いけそうやな。俺、やってみるわ。」
裕太は、ららか本体のように一気に飛び込まず、少しずつ右足を水に浸けてみる。
「腹王殿、男らしく、一気にいきましょう。」とららかが言う。
「俺が溺れたら、ららかも溺れるで。」
湖に体重を移動させる。水の抵抗は弱く、水しぶきが派手に舞い上がる。裕太は水を飲み、激しくはき出した。
「綾乃さん、俺、ほんまに腹王か? ほんまに神様になる男かいな。こんなみっともない姿、芸人石岡裕太、そのまんまやで。」
「わかりました。衣装ですよ、衣装。」
「衣装? そんなもん、どこにあんの?」
「裸になるんです。」
「裸が衣装? ええやろ、濡れたついでや。ららかの本体も脱がすで。」
「それ、綾乃さんお願いします。」
裕太は、裸になり、ららか本体と腕を組んだ。
「腹王殿、あんまりじろじろ見ないでください。」
「ええやないか、さっき結婚したばっかりやろ。」
「おふたり、いちゃつかないでくださいませ。」と綾乃が言った。「左足から、湖に入ってください。」
言われたとおりにする。今度は浮いた。歩きにくいが、沈まない。足下には、確かに水の感触がふわりと波打つ。
「水がきれいやから、楽しいわあ。」と裕太が言った。
「ほんとう!」
振り返ると、裸になった綾乃がいる。
「腹王様、あんまり見ないでください。」
「綾乃さんも裸かいな。色が白くて、綾乃さんもきれいやなあ。こら、まさに天国。俺ってやっぱ神さんかも。ららか、どつかんでええで。」
湖の中央にたどり着く。
「ここが、この鍾乳洞の中心のようです。」と綾乃が言った。
「三人だけで、復活祭かいな。地味やなあ。シチュエーションは、最高やけど。」
「呪文を唱えますので、おふたりとも、手をつないで、目を閉じてください。」
静寂のなかに、綾乃の呪文が流れていく。呪文はつぶやくような声だが、遠くの森の木々を震わせ、上空の雲の流れを速めた。
呪文は長かった。マグマで作られた太陽は、いつまでも明るく、時の流れを感じさせない。裕太もららかも、眠っていた。綾乃の呪文は声にならず、音なき呪文となった。それは、腹顔族の先祖へと届いていた。呪文に木々の枝がざわめきだし、力を得た木々は、土から根っこが這い出すと、大股で歩き出した。歩きながら、木々は少しずつ腹顔人に変身していく。森の木は、すべて腹顔人となり、湖に向かって歩き出した。
裕太とららかの耳に、綾乃がつぶやいていた呪文が再び聞こえる。しかし、それは、綾乃の口からではなく、遠くから少しずつ聞こえてきた。木から蘇った腹顔人たちが、列を作って歌いながら行進している。
裕太とららかは目を開いた。綾乃も、山に目をやる。
「これが、復活祭・・・。」
裕太は目を大きく開いて言った。
「ご先祖そのものが、蘇る・・・。」
一万人を越える腹顔人が、湖を囲んだ。呪文を歌いながら、喜びに満ちた顔を裕太とららかに向けている。裕太とららかは、腹顔人たちに手を振る。大きな拍手と、腹王の名を呼ぶ声がする。梅の花が浮かんでいた湖面には、腹顔人たちの笑顔が映っていた。
腹王は、湖面をスケートでもするかのように滑り、声援に応えた。後にららか本体も続き、手を振る。腹王の家臣が湖に入り、腹王にマントを羽織らせた。同じく、侍女たちがららか本体にドレスを着せる。
湖がせり上がり、腹王とららか本体が宙に浮かんだ。
腹王は威厳を込めて宣言した。
「我、腹顔族の王、腹王なり。ここに、腹顔族の復活を宣言する。」
腹顔人たちが歓声を挙げる。花火が打ち上がる。
「腹顔族の諸君、千年ぶりの再会である。今宵は正月、大いに盛り上がろうぞう!」
ららかは、凛々しく変身した裕太を見上げて言った。
「裕太さん、腹王らしいわ。かっこいい。関西弁、抜けたわね。」
顔付きまで変わった腹王は、ららか本体の肩を抱き寄せて言った。
「羅々加姫、我は腹王なり。裕太殿よりいただいたこの肉体と精神は、腹顔族再興のため、粉骨砕身、精進するものなり。」
(おわり)
最後までお読みくださりありがとうございました。
瀬木 遊馬