11 腹顔族の遺跡
北海道富良野は、ドラマ『北の国から』で有名になった。腹に顔を描いて町を練り歩く「へそ祭り」は、ドラマのワンシーンに登場し、広く全国に知られるようになった。
「へそ祭り」は、富良野が北海道のへその辺りに位置するとして始まった。しかし実際は、腹顔族縁の地であり、聖なるエルサレムでありメッカであった。
九世紀末、日本の表舞台では、源氏と平家が覇権を争っていた。蝦夷の地にはアイヌ民族が移住し、アイヌ文化を花開かせる。北方から遅れて移住してきた腹顔族は、アイヌ民族の居住地を避けるように定住、現在の富良野の地に落ち着いた。十世紀に和人が蝦夷に侵入。アイヌ民族の居住地を次々と奪い、追い払うか、服従させた。やがて和人は富良野の地にやってくる。この地を捨てようという王族の意見に対し、腹顔族の王、腹王は和人との戦を決意。裕太とららかが夢で見た、壮絶な戦いが繰り広げられた。腹顔族ではこの戦いを、当時の言語で『ベルイーサアの戦い』と呼んでいる。
腹顔族の生き残りは樺太へ移住。千年後の復活を誓いながら、長い時間を過ごしてきた。「へそ祭り」は、富良野が北海道のへそあたりに位置することから始まった祭りとされるが、実は、腹顔族が存在した名残なのだ。
十二月二十五日、クリスマス。キリスト誕生の日であるにもかかわらず、イブ以上の華やかさはない。祭りが終わった後の寂しさが少し残る札幌空港に、自家用機が一機着陸した。自家用機に黒いリムジンが横付けし、小雪のなか、ふたりの影が動いた。
「寒いなあ、北海道は。運転手さん、もっと暖房きかせてえな。」
「いいっしょ、このリムジン。富良野にたった一台だべさ。」
リムジンは検査官のチェックを受けると空港を出た。
「これ、誰のリムジンな? 富良野の金持ちの?」
「町長だべさ。」
「町長? 誰な、町長。」
「富樫町長だべさ。こないだの、選挙でな。現職を負かしてさ。富良野初の女性町長だべ。あんたを迎えに行ってけろって。」
「それって、まさか・・・。」とららかが言った。
富良野まで六時間。裕太はシャンパンをしたたか飲んでぐっすり寝込んだ。目を覚ますと、富良野プリンスホテルに着いたところだった。玄関には大勢の人が出迎えた。吹奏楽の音楽が聞こえてきた。裕太を歓迎する垂れ幕がホテルの窓から落とされた。
裕太を出迎えたのは懐かしい富樫陰陽師だった。
「富樫町長いうからまさかと思うたけど、どないしたん、この展開は。」
「詳しい話は中でしましょう。」
袈裟を着て異様な空気をまき散らしていた陰陽師から、清潔なスーツ姿の熟女に変身した富樫陰陽師の姿に驚く。
「いろいろと大変でしたね。連絡もせずにごめんなさい。」
言葉遣いまで変わっているから、裕太は少し面食らう。ららかはまだ一言も言葉を発せず、独り言も言わない。
スイートルームに通され、裕太はまず窓からの景色を見た。
「これが、ホームタウンなんやなあ。」
お腹を全開にしてららかにも見せる。
「きれいですね、雪化粧・・・。」
「それより富樫、町長・・・。なんや、言いにくいな。富良野の町長になったんかいな。」
「鶏口となるも牛後となるなかれ。」
ソファに腰を下ろした富樫町長は、そう言いながら時計を見た。
「大きな組織の中で人の下になっているよりも、小さな組織でも、その長であるほうがよい。」
「さすが、お嬢様。」
「そりゃあ、俺はアホや。そんなことわざ知らんけど、なんで富樫陰陽師が町長になったかわかったわ。」
「神様ですもんね。」と富樫町長は笑って言った。
「ちゃうわ。預言者がニセモンやったさかい。」
ノックの音がする。ボーイがコーヒーを運んだ。ボーイが去ってから、富樫町長は丁寧な口調で言った。
「明後日はいよいよ腹顔族復活祭。裕太さんは、腹顔族の王、首長、ある意味、神様なんです。全国で、十五人の陰陽師が腹顔族を復活させようと努力しましたが、実際は、あまりうまくいきませんでした。」
裕太とららかは寺脇陰陽師を思い出す。御祈祷は成功したのだろうか。
「何人の腹顔族が復活したのか、わたくしも把握しておりません。今夜の復活祭で、はっきりするでしょう。復活祭後は、連日会議を開き、今後の腹顔族の在り方を話し合います。以前お話したように、わたしは国政に腹顔族を登場させたいと考えています。裕太さんは、わたしの願うとおり、著名になっていただきました。」
「著名? ああ、有名ちゅう意味やな。なりすぎやがな。【石岡を探せゲーム】、あんときは日本中が石岡派と反石岡派に分かれて、由布岳に追い込まれて大変やった。流星群まで降って死にそうになったで。和田誠也にはお腹のららかのことをマスコミに言いふらされるし、預言者綾乃には神様宣言されて、殺人事件まで起こしよった。あっという間の半年やったわ。」
「綾乃さんの事件には驚きました。しかし、おかげで、石岡裕太のカリスマ性を高めてくれました。お腹に女優仁科ららかの顔があるという疑惑も、流星群が由布岳に落ちた奇跡も、結局は、腹顔族復活の追い風になってくれたんです。」
「そうかあ?」
「良くも悪くも、認知度が大切です。好感度を上げる方法はいくらでもあります。選挙対策は、これからまた考えましょう。」
「富樫町長、俺、この富良野でららかと静かに暮らしたいんやけど。」
「しばらくは、そうなさっても結構です。裕太様自ら国政に出なくとも、まずは他の者を出してから、という方法もあります。今夜、集まった腹顔族の中から首長を選ぶ選挙を行いますが、これは、形だけで、裕太様が選ばれます。自ずと国政に出るのは裕太様という流れになるでしょうが、裕太様にお考えがあれば、当選後のあいさつで述べてください。これまではわたしが取り仕切らせていただきましたが、選挙後は、裕太様のご意思で腹顔族が動いて参ります。」
「ほんまかいな。うれしいような、怖いような。でも、まあ、ららかがおるからな。」
ららかは裕太を見上げてほほ笑んだ。
「腹王が復活してこそ、腹顔族ここにあり、と言えるのです。当選後のあいさつの後に、お嬢様との結婚を宣言していただきたいと思います。」
「結婚式はいつな?」
「明後日の、復活祭の後になります。明後日は、腹顔族歴では正月にあたります。結婚式の日取りは、お二人でお決めください。他の腹顔族は、お二人の結婚後、挙式することになっております。」
「俺が王になったら、腹王って名乗ってええの?」
「はい。それから、今、城の建設を計画しています。明日にでも建設地を視察してください。」
「町長やと、いろいろとやりやすいの。」
「完成まで、この部屋をお使いください。」
「腹王になったら、関西弁、やめたほうがええかな?」
「腹顔族語がありますが、習得するまでにはかなり時間がかかります。わたしたちもみな、勉強しなければなりません。」
「そや、寺脇陰陽師がよろしく言うとったで。」
「そうですか・・・。」
「和田誠也と綾乃を腹顔族にするいうて、御祈祷したんや。」
「なかなか、強力な存在になりそうですね。」
富樫町長は、ため息まじりに言った。
「どないしたん?」
「裕太様に、素直に従ってくれるといいんですが・・・。」
「腹顔族になっても意識は変わらんのかいな。」
「腹顔族としてのアイデンティティに目覚めれば、問題ないのですが・・・。裕太様にしてもお嬢様にしても、夢で腹顔族の歴史を見ることで、アイデンティティに目覚めたからこそ、お腹に顔が張り付くという、人間から見たら異常な事態を受け入れることができたのです。言ってみれば、お二人とも、心根が素直だからこそ、問題なく腹顔族に目覚めたわけです。」
「和田誠也、性格悪いしなあ。どないな腹顔族に変身するやろ。」
十二月二十七日。腹顔族復活祭当日。
ホテルには、断続的にタクシーが横付けされた。復活した腹顔人が全国から集まってくる。裕太は、ロビーで出迎えた。裕太とららかに慇懃にあいさつをしていく。
「俺が誰か、よくわかってんやな。しかし女の顔のカモフラージュ、みんな滅茶苦茶やなあ。作り物て一発でわかるがな。まずこれから改革せなあかんな。おっと、ららか、お待ちかねやで。」
一台のタクシーから降りてきたのは、和田誠也と綾乃だった。続いて、懐かしい顔の男がふたり。裕太は、Tシャツのお腹の部分が丸くカットされた、腹顔族用Tシャツを着ていた。復活祭に合わせて作られたものだった。
「誠也さん、生きてる!」とららかが嬉しそうに言った。
「残念やけど、寺脇陰陽師、御祈祷が成功したみたいやな。」
ロビーに二組の腹顔人が入ってきた。
「裕太さん!」と新見社長が駆け寄ってきた。
「よかったあ、生きとるわ、社長!」
「いやあ、わたしも腹顔人になれるとは思ってなかった。」
「なんやて? 腹顔人?」
新見社長は、お腹を見せた。佐田の顔が張り付いている。
「ども・・・。」と佐田は不機嫌そうな顔で言った。
「わたしは腹顔族の王族といっても、お腹に顔を持つことはできないと聞いてました。一度死んだのがよかったんですかね、こうやって、腹顔人になれたんですよ。」
「でも社長。男やないか。」
「佐田ですか? 確かに、男に見えますが、彼は、元は女で、性転換してたんですよ。しかし、彼女、無口で。」
「そやったんか。この腹顔族用シャツに着替えてくれんか。復活祭は夜中の十二時や。それまでゆっくりしなはれ。」
誠也と綾乃はソファに座っている。
「和田誠也さん、久しぶり。腹顔族になった気分はどうやな?」
「裕太さん、いや、腹王様・・・。」と誠也は頭を深々と下げた。
「そんな、そこまでせんでも。頭、上げてえな。」
裕太とららか本体もソファに腰を下ろした。
「これまでのご無礼、お許しください。ららか様、あなた様の恋人などと、とんでもなく身の程知らずでございました。」
「いいんですよ。人間時代のいい思い出が、あなたと作れて、楽しかったわ。」
「そう言っていただけると、少しはホッといたします。」
「綾乃さんも元気そうね。」
「ららか様、その節は・・・。お陰様で、同じ目線でお話ができる身分になりました。誠に光栄です。ありがとうございました。」
「ふたり、似合うとるで。いい腹顔族カップルや。」
「有り難きお言葉。腹王様、わたくしは、こうなって初めてわかりました。わたくしが、あれほど腹王様とららか様の秘密を暴こうとしたのは、わたしも同じ腹顔族の再来だったからなのだと。東京駅のトイレでお二人を見たとき、わたしは、自分自身の真の姿を見たような気がしました。しかし、人間の目からは、到底受け入れならない事実です。自己否定から、おふたりを攻撃する行動に出ました。本当に、申し訳ありません。ここにいる綾乃に刺され、人間の和田誠也は死にましたが、腹顔族ユウチーゾウカ家の末裔がここに復活しました。王を守る立場として、王家に仕えて参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
「よう言うた。さすがに、ユウチーゾウカ家。頼むでえ。昨日の敵は今日の友。絆を深めて、腹顔族のため力を合わせようぞ。そんで、寺脇陰陽師は?」
「わたしたちが合体した翌日、別れたきりです。」
「復活祭までには来るやろ。ふたりとも、ゆっくり休んでや。」
裕太はふたりをエレベーターまで送った。
「よかったわ。誠也さん、すっかり腹顔族に目覚めてんがな。」
「裕太さんも現金な人、誠也さんて、さんづけして。」
「え? ずうっと俺、誠也さんて言うてたがな。」
「うそ。誠也のやつ、とか、あいつとか言ってたわ。」
突然エレベーターの扉が開いた。まだそこには誠也と綾乃がいる。
「なんや、おったんかい。」
「すみません。ボーとしてまして、ボタン押すの忘れてました。それで、ボタン押したら、開くを押しちゃって。」と誠也は言った。
「あるある、そういうことって。」
「それじゃあ、失礼いたします。」
エレベーターの扉が閉まる。
「ららかが余計なこと言うさかい。」
「まさか、こんなことでへそなんか曲げませんよ。裕太さんも、腹王になるんだから、もっと堂々と、王様らしくしてください。誠也って、呼び捨てでいいと思いますよ。」
「そやな。でもなあ、あない丁寧な言い方されると、誠也さんて言いたくなるわ。王様の威厳なんかあとでついてくるもんや。威張ったってしゃあない。六時から富良野町のお偉方と夕食会いうてたな。」
五時過ぎ、ボーイが燕尾服を持ってきた。Yシャツもお腹にきれいな穴が空いている。
「誂えもんや、これ。ららかの顔の位置もぴったしやな。」
「裕太さん、髪のセットしたいので。」
「はいはい、化粧台に行きまひょ。これが暇で仕様がないのやがな。」
ケータイでゲームをするが、両腕を上げっぱなしなのがきつい。
夕食会は六時から、ホテルの中広間で開催された。富良野の名士が三十名集まった。
「そういえば富樫町長、みなさんに腹顔族のこと、ばらしてええの?」
「ここにいる皆さんは、富良野の歴史にも精通されている方々で、腹顔族の存在は、伝説になっていました。」
「裕太さん、初めまして、黒板と申します。すんません、話に割って入って。富良野で農場を経営してるもんです。いやあ、光栄ですなあ。あの裕太さんが、腹顔族の腹王の生まれ変わりとは、びっくらこきまろですわ。わたし、こう見えても歴史民族の研究をしてましてな、札幌大学に講師に招かれることも、たまにあるんですわ。」
「わしは、盛口です。北海道大学の准教授をしております。裕太さんにぜひご報告したいのは、腹顔族の遺跡のことなんです。」
裕太とららかに矢継ぎ早に話しかける。。握手を求める人もいる。
「みなさん、焦らなくてもよろしいです。明日から会議を開きますので。面談の日程も会議でお渡しします。」
富樫町長の言葉に一同は照れ笑いをする。夕食会が始まり、町長あいさつ、名士がそれぞれ自己紹介をした。自己紹介は簡潔にと申し合わせたが、たっぷり十分する者もいて、進行役の副町長が再度注意する始末だった。裕太は、ひとことあいさつをと言われた。
「みなさんのように、わたしたち腹顔族を支援してくださる方々がおるいうのを知って、とても、安心しました。腹顔族の聖地であるこの富良野が、益々発展するように、皆さんの力をお借りしたいと思っております。みなさん、どうぞよろしゅう頼んます。」
「よろしくお願いいたします。」とららかも後に続いて言った。わずか三十名の盛大な拍手に包まれた。
自室に帰ってから、裕太は富樫町長に言った。
「大丈夫かいな。あの名士さんたち、年寄りばっかりやで。」
「ああ見えても、みなさん、しっかりされてますよ。お金も、知恵もあります。何よりも、腹顔族を受け入れ、支援してくれる方々です。大切にしないといけません。わたしが町長選で勝ったのも、あの方々があってこそ、なんですから。」
「そやな、わかったわ。そう言えば、北海道大学の教授が、腹顔族の遺跡がどうのこうの言うてたで。」
「そのことは、わたしが早くに裕太さんに言うべきでした。」
「どういうことや?」