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ピン芸人石岡祐太と腹顔族の復活  作者: 瀬賀 王詞
10/13

10 預言者綾乃の暴走

 綾乃の「裕太神様宣言」によって、裕太の『安息』の日々は終わった。日本へ帰る飛行機の中で、新見社長と綾乃について電話で話した。

「スポーツ新聞のトップ記事になってる。」と社長は言った。

「大見出しは、『石岡裕太は神様です』とか?」

「ビンゴ!」

「ほんまかいな。」

「裕太神様説、もある。危険な新興宗教ではないが、預言者綾乃の影響で信者が急増するだろうと書いてある。」

「そんな宗教、興す気ないで。それより綾乃さんが和田誠也を殺すゆうてた。和田誠也が危ないんや。そやから今、東京に向こうてる。」

「和田誠也にそのことは?」

「今から知らせようと思てるところや。ほな、東京には明け方着くから、迎えに来てんか。」

 和田誠也には、ららかが連絡することにしたが、裕太はすぐにはケータイをららかに渡さない。

「早くした方がいいのでは?」とららかが催促する。

「考えてみたらな、綾乃さんの言うとおり、和田誠也は確かに邪魔なんや。」

「それは、そうかも、しれないけど、殺すなんて、あんまりです。」

「そやな、ららかの元カレやし。邪魔もんでも、正々堂々と勝たなあかんな。でも、あいつ信じへんでえ、きっと。」

「とにかく、電話して、用心するように言わなきゃ。わたしのケータイから、誠也さんの番号、お願いします。」

 ららかが元カレに電話する。いい気分ではないが、裕太はららかのケータイを取り出した。和田誠也を選んで発信すると、ケータイをららかの耳元に当て、キャビンアテンダントにシャンパンのおかわりを告げた。

「もしもし、誠也さん?」

 裕太は聞き耳を立てた。

「ららかさん! きみなのか?」

 誠也の声がでかい。耳は立てなくても聞こえそうだ。

「心配してたんだ。僕の番号、着信拒否にしないでくれよ。元カレじゃないか。」

 誠也が「元カレ」を自覚していることについては、裕太は満足だった。余計な三角関係に悩ませられることはなさそうだ。

「ごめんなさい。悪気はないの。いろいろと面倒だから。誠也さん、テレビでわたしたちのこと話したりするし。」

「そのことは、きみには謝るよ。でも、僕はきみを救いたくて。目立つようなことをしてるのも、きみに会いたいからだよ。あんなふうになってしまっても、僕はきみを愛しているし、なんとかしてあげたいと思ってる。石岡裕太と別れたら、元に戻るかもしれないよ。」

 ジェット音が高くなったので、裕太は聞き耳を立てる。誠也は元カレらしからぬことを言っている。

「気持ちは有り難いけど・・・。そんなこと、しなくていいの。」

「結婚するんやて。」

 裕太が言うと、ららかが見上げてたしなめた。

「裕太さん、静かにして。」

「裕太? 石岡裕太がそこにいるんだね? ああ、当たり前か。まだ、きみは石岡のお腹の上なんだね。結婚? まさか、ららかちゃん、ほんとなの? 嘘だよね。」

「誠也さん、電話したのはね、あなたに危険が近づいているの。」

「なんのことだ? 石岡と結婚なんてやめたほうがいい、ららかちゃん!」

「ねえ、聞いて。テレビで旅館の女将の綾乃さんを見たでしょ?」

「見たよ。石岡を神様だなんて、とんでもないことを言う大馬鹿だよ。」

「その人がね、あなたを殺すって言ったの。だから、逃げて。」

「預言者と言っておきながら、殺人者じゃないか。僕が邪魔だから、そいつを使って殺そうとしてるんだな? 石岡!」

「アホかお前! ほんならなんで逃げろって電話するんや。」と裕太は怒鳴った。

「逃げろって電話した記録を残して、わたしは殺人教唆などしていませんと、裁判で言うつもりだろうが。」

「そんなことするかいな。お前じゃあるまいし。わしはな、そんなにケツの穴、小そうないわい。」

 キャビンアテンダントが顔をしかめて裕太を注意する。裕太は照れ笑いをしながらシャンパンをもう一杯頼んだ。

「とにかく、誠也さん、注意してください。わたしたちも、綾乃さんという人、あまりよく知らないんです。突然テレビ出演したかと思うと、あなたを殺すって電話で言ったんです。わたしたちがお願いしたんじゃないの。信じてください。わたしたちも今日本に向かってるの。明け方には着く。マンションはかわってないわね?」

「ああ、きみが三回来た、マンションにいるよ。ららかちゃん、『わたしたち』って言い方、ショックだよ。わかった、とにかく気をつける。連絡ありがとう。ららかちゃん、また、会えるね?」

「たぶん・・・。」

 ららかは電話を切った。

「なんや、今の。『きみが三回来たマンション』やて。そんな言い方する必要あんのかいな。ほんま、嫌みなやつやで。ごめん、ららか、元カレの悪口言うて。」

「いいの。確かに、今の言い方、よくないわ。ストーカーじみてきてる。」

「そやろ?」

「でも、前は優しくていい人だった。」

「ららかにふられて、本性出したんや。ららかに言いたくなかったんやけど、あいつ、週刊誌に、ららかとのことを書いとるで。」

 裕太は手元の週刊誌を指さした。

「俺らのこともいろいろな。目撃したときの絵まで描いて公表しとる。預言者綾乃の言うとおり、邪魔もんには違いないんや。」

「でも、痩せても枯れても、わたしの元カレです。殺させはしません。わたしが説得すれば、わかってくれるかも。」

「説得ねえ。まあ、会ってみんことには、どう流れるかわからんね。」

 

 成田国際空港では藤堂が待っていた。

「社長が動くとマスコミが付いてくるんですよ。」と藤堂は言った。

 リムジンではなく、藤堂の自家用車に乗り込んだ。

「リムジンは目を引きますからね。」

「しかし藤堂、ミニクーパーは、狭すぎやん。」

「裕太さんたち、荷物をあんまり持ち歩かない主義だから助かります。ボストンバッグ一つですから。」

「主義やあらへん。下着は使い捨てやし、服は店で買い換えるさかい。わしが着たもんやからちゅーて、高く買い取ってくれる。ほんま、売れるっちゅうんは違うで。」

「今度は神様ですもんね。すいません、神様をミニクーパーなんかに押し込んじゃって。ららかさん、窮屈でしょうけど、我慢してください。」

「わたしたちをマスコミから守ってくれてる、藤堂さんのアイデアですもん。ありがとうございます。」

「社長は、信頼できる友達をふたり、事務所に入れました。」

「聞いとるで。」

「そのふたりに、石岡のマンションを見張らしてます。まだ、変わったことはないようです。ただ、さっきラジオで言ってたんですが、順天堂大学病院で患者が一人刺し殺されたそうです。」

「順天堂大学病院?」

「和田誠也が入院していた病院です。もしかしたら、綾乃っていう預言者の仕業かもしれません。」

「なんでや。もうとっくに和田誠也は退院しとんのやろ?」

「恐怖心を煽るため、ですかね。」

「そんなん、必要あんのかいな。」

「ケータイでニュース見たら、警備員も負傷してるらしいです。たぶん、和田の住所でも調べたんですかね。」

「それはあるやろな。居所わからんと殺されへんもん。しかし、患者さん殺すかなあ、あの綾乃さんが・・・。」

「怖いですね。大量殺人とか、言ってましたし。」とららかが言う。

「和田のマンションには、少しですけど、マスコミも張り付いてますよ。」と藤堂。

「綾乃さんも、簡単には侵入でけんやろ。」

 裕太は、隠れ宿の女将綾乃と、預言者綾乃のイメージが結びつかない。


 千葉にある新見社長の自宅に着いた。

「千葉は、わたしの実家なんですよ。」と社長は言った。「まだ、ここまではマスコミもかぎつけていませんから。」

「ええやん、庶民的な家で。」

「ららかさん、久しぶり。神様をこんな汚い家に申し訳ないけど、マスコミ対策ですから、裕太さん、許してください。」

「妙に慇懃やな。まさか、ほんまに神様なんて思うてんのかいな。シャレやろ? 社長。」

 裕太は炬燵に入って暖まる。ららかの本体はソファに横たわった。

「ららか、リラックスしすぎやで。」

「ごめなさい、ちょっと疲れて。」

「いいですよ、ららかさん、ゆっくりしてください。それより裕太さん、あの綾乃っていう預言者・・・。」

「聞いた。順天堂大学病院やろ。」

「富樫陰陽師に聞いてみたんですが、九州を担当している陰陽師がひとり、亡くなったそうです。その孫が、あの綾乃ではないかと。」

「陰陽師って、腹顔族復活のため、全国に散らばってる人たちやろ。その孫いうたら、預言者いうのも、わからんでもないの。」

「陰陽師の血筋だったら、預言者を名乗っても不思議はないし、腹顔族の腹王である裕太さんの障壁を取り除くためには何でもするだろうと、富樫陰陽師は言ってました。」

「そうかいな? 預言者って、そんな役回りかいな。」

「預言者は、神と直接接触・交流・対話し、直に聞いた神の言葉を人々に伝え広める者のこと、らしいです。裕太さんを神様と言いましたからね、裕太さんの深層心理と対話して、それを実行してるんでしょう。」

「神の言葉を広めるだけやろ。殺人とかを、実行しとんのやで。神さんの言葉を聞くんやったら、俺の言うこと、聞いてほしいわ。」

「たぶん・・・。」とららかが言った。「裕太さんが心の奥で思ってることを、裕太さんの代わりに実行するんだわ。」

「そう言われると、きついなあ。俺が本気で和田誠也を殺そう、そう思うてるってことやろ? そんなに憎んでないけどなあ。」

「裕太さん、本心ですか?」

「ららかまで、疑うんかい。」

「わたしと誠也さんが、どんなふうに付き合っていたか、裕太さん知りませんよね。」

「ええやんか、そんなん知らんでも。」

「聞きたくないんですか?」

「何をや?」

「誠也さんとの・・・。」

「ららか、どうしたんや。女の子が言うことやないで。そらあ、あいつは、顔のある本体と、いいことしたやろ。俺は、のっぺらぼうのららか相手や。でも、不満はあらへん。ららかみたいな元女優さんと、いいことできるやなんて夢みたいなことやし。ららかとチュウはでけへんけど、腹顔人の宿命やさかい。」

「わたし、誠也さんのマンションで何回も・・・。」

「いわんでええ! 誠也とはいいことしてるくせに、なんで俺には復活祭まで待て、言うねん、ららか。あんまりちゃうか。だんだん腹立ってきたわ!」

「いいこと、してないわよ。何回も、料理を作ってあげたわ。」

「なんや、はめたんか。」

「裕太さん、怒りを抑えてるでしょ。」と社長が言った。

「そりゃあ、多少の嫉妬はあるがな。でも、ほんとに怒りというまではないで。」

「おっと、もう八時か。裕太さん、和田誠也のマンションが見えるアパートを借りています。もう少し休んでから、そっちへ移動しましょう。」

「誠也のマンションて、どこ?」

「新宿です。」

 ららかが答えた。


 裕太は、愛読書の『坊っちゃん』を思い出した。

 夏目漱石が好きだといえば周囲が驚く。しかし裕太が読了したのはこの一冊だけ。『我が輩は猫である』はわずか三ページで挫折した。新幹線で移動しているとき、番組出演前など、本を手にして、読書に親しむ姿を世間に示す。芸人がステータスをアップさせるには、博識ぶるのが効果的だ。ららかのおかげでクイズ番組で活躍、田原総一郎など知識人との対談もこなせる。一見、裕太は馬鹿丸出しだから、疑われないようにするためにも、勤勉な姿をアピールする必要性があった。

 ららかも読書をするので、裕太にはそれが苦痛なときがあった。難しい本は退屈で仕方がない。決まって居眠りをしている。裕太の本は『坊っちゃん』だけだ。もう百回以上は読んでいる。不思議と飽きない。飽きないから、裕太は夏目漱石を尊敬している。

 新宿と言えば、ハイアットリージェンシー東京を思い出す。ららかと合体したホテルだ。裕太は、新宿にもこんなアパートがまだあるのかと驚愕するような場所にいた。ハイアットリージェンシー東京が西南の空に見える。

「神様、度々すまんね。このアパートが、一番和田誠也のマンションに近いし、部屋も見えるんですよ。」

「社長、神様はもうええがな。わざと言うてんのかいな。」

 六畳一間のぼろアパート。窓には双眼鏡がふたつある。新見社長が雇った社員がひとりいた。

「裕太さん、この人、天野さん。昔からの知り合い。空手もやってたから、頼りになるよ。」

 紹介された天野が笑わずに頭を下げる。

「よろしゅう頼んますわ。」と裕太は言った。

「もうひとりは、佐田っていいます。外で見回り中です。佐田も、元自衛官で頼りになりますよ。ナイフの扱いがうまい。」

「頼りになりそうでっけど。相手は綾乃さん。元旅館の女将さんやで。美人演歌歌手みたいに物腰は柔らかいし。現れたからいうて、いきなり攻撃しないようにお願いしますわ。しかし、こうして双眼鏡で他人のアパート見てると、刑事みたいでわくわくしまんな。それと、俺、『坊っちゃん』、思い出すわ。坊っちゃんと山嵐が、赤シャツを見張るねん。そんで、出てきた赤シャツに生卵を投げつけて・・・。あのシーンが、俺、大好きや。」

「裕太さんが読む本て、『坊っちゃん』だけですもんね。」

「ららか、それは言わんといて。」

 社長と藤堂が笑った。

 見張りは天野と佐田、藤堂に任せ、裕太たちは駐車場のキャンピングカーに寝ることにした。新見社長は二段ベッドの方で鼾をかいている。

「しかし、あの誠也をなんで俺らが守らなあかんのやろ。なんか、納得いかんのやけど。」

「綾乃さん、たくさんの人が死ぬようなことを言ってました。それは、やっぱりよくないこと。腹顔族の復活祭まであと一週間。それまで、騒ぎを起こさない方がいいと思います。綾乃さんは、裕太さんを神格化させて、腹顔族を社会に認知させようとしているのかもしれません。それも方法のひとつですが、少し強引すぎるような気がします。」

「そやな。」

「預言者だから、大胆なこと、できるのかもしれませんが。」

「俺、神様やのに、先が見えんし、何にもできんがな。」と言って裕太は笑った。


 佐田は午前四時から近所を見回った。時々は和田誠也のマンションにも寄り、誠也が外出するときはガードした。五時過ぎ、誠也がマンションから出てきた。佐田は後をつけると、誠也はコンビニに入った。自転車に乗った新聞配達員が誠也のマンションに向かっていた。誠也がマンションの玄関に帰ったとき、新聞配達員は玄関ホールのポストに新聞を投函していた。マンションの外にいた佐田は、寒さに震えながらまだ明けぬ空を見上げてから、マンションに消える誠也の背中を見送る。しかし、その誠也が、前のめりに倒れた。佐田は最初、誠也がこけたのだろうと思った。玄関ホールのエントランスに近寄り、ガラス越しに見ると、血に染まった大理石の床が光った。新聞配達員の姿は見えなかった。佐田は天野にケータイで連絡する。

「社長! 和田が、刺されました。」

 天野は新見に連絡、裕太とららかも飛び起きた。新見社長は、佐田に電話して、詳しい経緯を聞きながら小走りに歩いた。

「裕太さん、早く!」

 ららか本体が先を行く。

「待ってえな。そんなに急ぐとこけるでえ。」

「まだ、新聞配達員はマンションにいるみたいや。」と社長が叫ぶ。

「そうかいな、そんなら急ごう!」

 マンションの場所をよく知るららかの本体は、裕太たちを置き去りに、いち早くマンションに着いた。

「ららか、大丈夫かいな、本体。目が見えんはずやけど、どんどん行きよる・・・。」

「わかります、なんとか。裕太さんも急いで。足、遅すぎ!」

 マンションの前には佐田がいた。事件はまだ世間に知られた様子はない。

「誠也さん!」

 倒れた誠也に駆け寄る。裕太は誠也を抱き起こした。

「まだ死んでへん!」と裕太は言った。

 誠也はうっすらと目を開ける。

「なんだ、おまえ、石岡か・・・。」

「大丈夫? 誠也さん!」

「ららかちゃん・・・。声はきみだけど、目に映っているのは石岡の馬鹿面なんだよ。死ぬ前に、もう一度、きみを見せてくれ。」

 裕太は仕方なく、お腹を見せた。

「ららかちゃん・・・。やっぱり、お腹にいたんだね。」

「気をつけてって言ったのに・・・。」

「まさかと思ってた。でも、昨日は外に出ないで、人の少ない明け方に買い物に・・・。それなのに、刺された。あいつは、綾乃はどこに?」

「いないわ。」

「しゃべらんほうがええ。社長! 救急車呼んだんやな?」

 佐田と外で話していた新見社長が玄関ホールに入ってきた。

「まだです。」と社長はささやいた。

「なんでや!」

「裕太さん・・・。刺されたら、もう、仕方ない。」

「なに言うてんねん!」

「ららかちゃん、助けてくれ・・・。もう、きみたちを追い詰めないから。本当の姿を見たから・・・。」と誠也は息も絶え絶えに言った。

「新見社長、救急車、呼んで!」とららかが叫んだ。

「わかりました。佐田に指示してきます。佐田の話では、まだ新聞配達員は外に出てません。」

 社長が外に出たときだった。佐田が社長に寄りかかる。

「佐田、どうした?」

 佐田の顔は蒼白だった。社長が倒れてくる佐田を抱き留めると、佐田の背中にナイフの柄が見えた。

「佐田!」

「新聞配達員が・・・近づいてきて、ナイフを出したら・・・やられた。」

「しっかりしろ、今、救急車を呼ぶ!」

 新見社長はケータイで警察に電話をしながら、玄関ホールに戻ってきた。その背後には、新聞配達員の姿が見えた。

「社長、危ない!」と裕太は叫んだ。

 新見社長は、突然口を大きく開いた。急に歩くのをやめ、頭から大理石に落ちた。鈍い音がホールに響いた。

「社長!」

 裕太の発した言葉を新聞配達員が遮った。カーキ色の帽子を深くかぶり、薄暗い顔から眼光だけが見えた。

「綾乃さん、か?」と裕太は言った。

 新聞配達員は一歩、二歩、近づいた。

「神様、またお会いできましたね。」

 帽子を取ると、長い髪がふりほどかれた。

「綾乃さん・・・。」

 裕太はため息まじりに言った。ららかは絶句し、厳しい視線を投げつけた。

「これはあんまりやで、綾乃さん。」

「復活祭などと、悠長なことでは腹顔族の再生はあり得ません。」

「綾乃さんは、ほんとに預言者なんか?」

「神様、わたしと一緒に来てください。邪魔者を殺し、服従させれば、腹顔族は簡単に日本を制服できるのです。」

「綾乃さん、あなた、裕太さんのお腹に張り付くつもりね?」

 ららかが訊ねる。

「ららか様が、譲ってくださるのなら。」

「あなたのやり方では、たとえ腹顔族が復活しても、いずれ人間の反撃に遭う。人間から憎悪を取り除くことが、腹顔族の悲願なのよ。私たちは、人間に憎まれ、滅ぼされた。やっと、千年の歳月を経て復活できる・・・。今度は、人間の憎悪を買わないように、するべきなの。現代は、昔の野蛮な時代と違う。少し変わったものでも受け入れてくれる。だから、私たちが生きる道もある。」

「ないわ! 結局は、今の社会でも、腹顔族は嫌われ、憎まれる。国政に出て支配するなんて、不可能よ。」

「確かに難しい。だから、腹顔族がみんな一緒になって、知恵を出し合って、どんなに時間がかかっても、やるのよ。」

「話し合いは、無意味だと思いますわ、ららか様!」

 綾乃が飛んだ。ららか本体は、宙返りを二回繰り返し、綾乃の攻撃をかわす。

「おいおい、ほんまか。ふたりとも、やめんかい!」

 神様が叫ぶが、お嬢様と預言者は聞く耳を持たない。マンションの住人が玄関に現れ、悲鳴を上げる。

「これ、映画の撮影ですう。気にせんといて。」

 ららかの本体と綾乃は、拳を唸らせる。回し蹴り、跳び蹴り、足払いなど、多彩な技を相互に繰り出す。

「うわー、すごい。ほんとに、映画みたい。この死体も、まじ、本物みたい。」

 住人はそう言って外に消えた。

「助かったがな、そや、今のうちに救急車呼ぼ。社長、大丈夫かいな、息、しとるか。そっちの、誰やったかな。大丈夫か?」

 マンションに老人が入ってくる。

「映画の撮影ですねん。」

 裕太が言うと、老人は杖で社長を突っついた。

「なんば言うとね。この人、死んどるばい。」

「うそやろ? 社長! 社長・・・。」

 裕太は新見社長の体を揺する。社長の体には生気が残っていない。

「ほんまかいな・・・。なんでこないなことになるねん。」

「玄関の人も駄目やね。この、イケメンは、まだ大丈夫たい。」

 老人は、杖で誠也の体を突っつく。

「そんな、おじいちゃん、杖で突っついてわかるわけないやろ。」

 裕太のお腹からららかの激しい息づかいが聞こえる。広い玄関ロビーを所狭しと立ち回るふたりの女。勝負は互角と見えた。

「いい加減やめんね!」

 老人が怒鳴った。その声量の迫力に、ららか本体は、振り上げた拳を下ろした。綾乃は老人を見つめた。

「綾乃、わしがわかるとね? 裕太さん、綾乃は、預言者じゃなかとよ。」

 老人は言った。

「おじいちゃん、なんて言った? もう一回頼むで。なんで俺の名前、知っとんの?」 

 老人は杖の先をを裕太に向けて言った。

「神様を知らんもんはおらんばいね。」

「あなたは・・・。」と綾乃が言った。

 ららか本体と綾乃は、組み合っていた手をほどいた。老人は杖をゆっくり回転させながら、裕太の前に立ち、裕太のお腹をじっと見た。

「裕太さん、お嬢さんを見たかばい。」

 裕太は、老人が陰陽師だとわかった。シャツをめくり、ららかを見せた。

「腹にくっついてもべっぴんばい。」

「ありがとう、ございます。」とららかは礼を言った。

「今回の件は、わしがおさめますばい。」

「あなたも、陰陽師の方ですか?」とららかが訊ねた。

「ことばでおわかりでしょうが、九州は博多の陰陽師、寺脇と申す者。綾乃の祖父は湯布院の陰陽師ですばい。」

「寺脇さん・・・。綾乃さんが預言者じゃないって、ほんまでっか?」

 裕太が訊ねると、寺脇陰陽師は外に向かって何事かつぶやいた。

「今、外からマンションに入りようする人がおったけん、足止めしたばい。この娘はくさ、湯布院の陰陽師、椎名の孫娘たい。椎名は変わった陰陽師でくさ、腹顔族復活に命ばかけとったが、孫娘ば預言者にするいうてくさ、お前は預言者やから預言者やから言うて、言い聞かせてきたとばい。」

 綾乃はうなだれている。

「じゃあ、ただの人でっか?」

「この子は霊感があってくさ、器量もよかし腕っぷしも強かけん、椎名はこの子の親より見込んじょったとばい。人殺しも仕事人ちゅう感じでくさ、上手やけんね。」

「じゃあ、陰陽師?」

「そうじゃなかごたーね。まだ、そげんまで成長しとらんばい。」

「寺脇さん、わたしは、預言者なんです。」と綾乃が言う。

「そげん教えられてきたけん、そう信じるとばい。霊力もあるけん、錯覚するのも無理はなか。ばってん、あんたは、別の役割があったとよ。あん男を担いでくさ、わしの後についてこんね。」

 寺脇陰陽師は、マンションのエレベーターのボタンを杖で押した。

「はよ、せんね。人が来るばい。ついでやけん、その死体も上げるばい。」

 裕太は社長を抱き上げた。ららか本体は佐田を、綾乃は誠也の遺体を担いだ。八階の誠也のマンションに全員入ってから、裕太は玄関に戻り、床にこびりついた血を拭いた。

「神様がこんなことしててええんかいな。」と裕太はぶつぶつ言った。

 マンションを出入りする人が急に増えた。空を見ると、大分明るくなっている。


 誠也の部屋は3LDK、十二畳ほどのリビングに三人の遺体が寝かされている。新見社長の死に顔を見て、裕太は肩を落とした。アパートにいる天野に連絡を入れる。事務所に帰った藤堂にも電話した。

「裕太さん、お嬢さんはもうお帰りなせい。あとは、わしの仕事やけん。」

「仕事?」

「腹顔族の復活が、わしら陰陽師の仕事ばい。まあ、そのへんにいる陰陽師とはわけがちがうばってんか。」

 寺脇陰陽師は、ウイスキーのボトルを手にとって、誠也が使いかけのグラスに注いだ。

「高い酒は、舌がしびれるばい。綾乃、その男をあっちの部屋のベッドに寝かせるとばい。」

「わたし、嫌。和田と腹顔人なんて。」

「綾乃、言うとおりにせんね。預言者やいうんなら、先がわかっとろうが。」

 綾乃は言うとおりに誠也を抱きかかえた。

「寺脇さん、この、和田誠也、腹顔族な?」

「そうくさ。ユウチーゾウカ家ちゅう、名門の出身ばい。」

「ほんまでっかあ。それ、びっくりですわ。そんで、こっちの、ふたりは?」

「死んどるばってん、なんとかしちみるばい。綾乃の霊力ば、少し借りんといかんばいね。」

「助かりまっか?」

「裕太さん、自分で言うのもくさ、あればってん、わしゃあ、大した陰陽師さんばい。北海道で富樫に会うたら、わしのこと聞いてみてくれんね。」

「社長のこと、よろしゅう頼んます。復活祭で、また、会えまんな。」

「裕太さん、ええ酒、仰山頼むばい。お嬢さん、ご機嫌よう。」

「寺脇さん、よろしくお願いします。」

 玄関を出ると、綾乃が後ろから声をかけた。

「ご無礼を、お許しください。」

 裕太は振り返り、涙を流す綾乃を見て言った。

「由布岳で、あんたに助けられた。命の恩人や。預言者やいうて、こないな顛末になってしもうたけど、あんたは俺を神様いうて、腹顔族の復活のためにしたことや。やり方はまちごうとったけど、志は一緒なんや。寺脇陰陽師の言うとおりにして、やり直してくれへんか。ららかもなんか言ってやり。」

「ららか様、お許しください。」と綾乃は繰り返した。

「もしかしたら、今度は、同じような立場で会うことになるわね。また、やりましょう。いい練習相手になるわ。」

「はい・・・。わたくしの方こそ、よろしくお願いいたします。」

「ようし。これで仲直りや。社長も生き返るいうことやし。あとは寺脇陰陽師に任せて、ららか、復活祭までつかの間の『安息』の日々を楽しもか。綾乃さん、ほな。」

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