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ピン芸人石岡祐太と腹顔族の復活  作者: 瀬賀 王詞
1/13

1 ピン芸人石岡裕太と人気女優仁科ららか

腹顔族。

それは、はるか昔、日本は蝦夷のあたりに住んでいた風貌奇怪な種族。

男の腹に女の顔がはりつき、女の顔はのっぺらぼうという、男女が交わると姿かたちが一変する人間。

発端は流行の病か、あるいは陰陽師の仕業か、この奇怪の人間は時を経て建国するまでに勢力を伸ばす。

時の王【腹王】は、建国悲願達成のため兵力を整え、蝦夷の大勢力と一戦を交える日々。この奇怪な生物の存在は許すまじきと一致団結した大勢力に、6世紀末ついに滅ぼされてしまう。


だが、時の陰陽師たちはあきらめていなかった。

腹顔族復活と、腹顔国建国の野望を言い伝え、その機会を虎視眈々とねらっていたのである。


そして、そのときが今。


 ここで質問。


人間の体に、人間の顔が張り付くとしたら、どこがもっとも適切だと思いますか?


 人間の顔が体のどこかに張り付く?

 その必然性も、質問の意図するところもまったく不明だが、とりあえず回答してみる。


 顔・・・意味がない。頭・・・一見して化け物とばれる。背中・・・むずがゆい。おしり・・・座れないし、割れた顔は怖い。張り付いた顔もくさくてたまらないだろう。性器の上・・・道徳的に問題がある。

 

 結論は、お腹、腹部だ。北海道富良野の『へそ祭り』しかり。『ど根性ガエル』しかり。ぴょん吉はお腹に貼りついているからこそ画面にその姿を現すことができるし、いざというときヒロシを牽引できる。『へそ祭り』は、背中にも顔は描けるが、二段腹、三段腹に描かれた顔だからこそおもしろい。

 祭りやアニメでお腹に顔が張り付く事態は理解できるとしても、現実に起こった場合、人間はどのように行動するのだろうか。

 例えば、売れない芸人、石岡裕太の場合・・・。


 この世から消滅してもいい職業のひとつに、『芸人』というものがある。昨今は年収がいいとかで、芸人を目指す身の程知らずが多くなった。全盛期にいくら儲かったなどとテレビで芸人が言うものだから、自分はおもしろいと勘違いしてきた青少年がこぞって芸人になりたがる。テレビをつけると必ず芸人が映るご時世だ。

 石岡裕太。岐阜県下呂市出身。数日前、二十七歳の誕生日を牛丼屋で祝った。『芸人年鑑』では、最もおもしろくない芸人と紹介されている。売れている芸人を師匠にすれば、まだ芸人として大成する可能性は広がるが、誰も相手にしてくれない。さんまに弟子入りを願い出て断られたのは五年前。ランクを落として弟子入りを志願するが、スギちゃんにまで断られた。理由はただひとつ、おもしろくない。芸だけでなく、人間がおもしろくない。同期の芸人仲間に大きく水をあけられ、飲み会に誘われても行こうとしない。

 ピン芸人も、元々は相方がいて、たまたまピンで売れたり、ケンカ別れしてやむなくピンになったりと、はじめから一人でやろうとする者はいない。

「あいつ、関西出身でもないのに大阪弁使うやろ。それ、やめっちゅうのにやめへん。どうかしとるでえ。」

 こんな理由で嫌われている。落語家であれば一人は当然だが、石岡裕太は落語家になる気は毛頭ない。

「売れない理由ですか。なんでですかね。まあ、ひとつには、人間嫌いなんですよ。」

 地元岐阜新聞のインタビューではこう答えている。芸人が人間嫌いで人付き合いが悪かったら話にならない。芸人などやめたほうがいい。プロダクションの社長もマネージャーにならないかと諭すが、本人は芸人になることは諦めない。最近は、腹話術の芸を身につけようと努力だけはするから、社長も石岡をおいそれとは首にできない。

 石岡裕太の唯一の話し相手は、マネージャーの藤堂。藤堂にしても、なかば憐憫の情で石岡に仕事をもってくる。

「あのおもしろくなさが、おもしろく思うときがくるかもしれん。」

 そう信じている藤堂は、石岡の舞台で客席が沈黙しても、まだ許せる段階と社長に報告している。

「腹話術な、今度やってみようと思うんや。」

 藤堂のおごりで屋台で飲んだとき、石岡裕太は言った。

「やってみればいい、この際なんでも。諦めがつくまでな。」

 藤堂は、裕太の腹話術を見せてもらった。人形からはまったく声が出ない。裕太の口もはっきり動いて見える。

 しかし、笑いとは不思議なもの。何度か舞台を重ねていくうちに、腹話術になっていない滑稽さが、ほんのわずかだが、客に受けるようになった。それまで真顔だった客が、笑顔に変わっただけでも大きな変化だった。

「どや、藤堂はん。」

 裕太は自慢げだったが、くたびれた人形の顔のおもしろさが、一役買っていると藤堂は思った。いずれにしても、裕太を首にしなくてもすむかもしれないと藤堂は安心した。

 プロの腹話術師から指南を受けて、人形とのやりとりを習得すると、ようやく芸らしくなった。

「でも、売れんなあ。あと一年もすれば、自分で気づくやろ。」

 社長と藤堂は、あと一年で見切りをつけようと話し合った。


 線路沿いのアパートに、電車の車輪の音が響く。コンビニのバイトから帰った裕太は、ポストに入っていたハガキの差出人を見た。

「仁科、ららか・・・。だれ? これ・・・。」

 四畳半の部屋の壁に寄りかかり、裕太はテレビを付けた。コマーシャルが流れる。

「仁科ららかいえば、こいつやんか。」

 コマーシャル出演数が十を超える人気急上昇の女優、仁科ららか。十分に一回は、彼女の端正な顔がテレビ画面に現れる。

「俺もタレントやけど、まだそんなにテレビ出てへんしな。なんで俺にハガキなんかくれるんやろ。」

 裕太には、懐疑的に物事を見る思考回路はない。

「これ、ケータイの番号やろな。」

 ハガキの裏には、十一桁の数字が書かれているだけだった。裕太はさっそくかけてみる。相手はすぐに出たが、若い女優らしからぬ濁声が返ってきた。

「仁科ららかさんのケータイちゃうの?」と裕太は訊いた。

「マネージャーですが・・・。」

 仁科ららかのマネージャーは老婆らしき声質の持ち主だった。もしかしたら本当に老婆なのかもしれない。

「石岡裕太さん?」とマネージャーは言った。

「そうや。ハガキが、届いてまんのや。」

「おめでとうございます。あなた、ららかさんの恋人に当選したんですよ。」

「ほんまでっか? 応募した覚え、ないけどな。」

「公募はしてません。今からすぐに来てください。どうせヒマでしょう。」

「ヒマちゃうがな。俺、芸人やで。腹話術の練習せなあかんし。」

「腹話術? ちょうどいいかもしれませんね。」

「えっ? なんですか?」

「練習なんかしなくても、そのうち売れるようになりますから、とにかく、仁科ららかが待ってます。早く来なさい。」

 ららかが待ってる・・・。マネージャーの言葉に、裕太の心臓は早鐘を打ち始めた。裕太は、特に仁科ららかのファンというわけではないが、あれほどの美女から告白されたら、満更でもない。テレビには、シャンプーのコマーシャルで髪を洗うららかが映し出された。

「こんなんが、俺の恋人?」

 裕太は、ららかの胸のふくらみに生唾を飲み込んだ。

 すぐにユニクロで買ったジャケットに着替える。薬局で買ったサングラスをつけた。時計は午後十時十五分を指している。芸人に夜も昼もない。裕太は玄関を勢いよく飛び出した。

「待てよ。どこに来いって言ったっけ。あのマネージャー・・・。」

 駅に向かう途中で立ち止まった。ケータイがなったので着信を見ると、ショートメールが入っている。

【ハイアット・リージェンシー東京】

 文字はそれだけだった。アイフォンの地図アプリで検索する。新宿駅から歩いて九分。

「おいおい、いきなり結婚式やなんて、参るやんかあ。」

 電車の飛び乗ると、数少ない脳細胞で想像をふくらませた。

「ひょっとして、ドッキリかもわからんな。」

 十一時前にはハイアット・リージェンシー東京に着いた。テレビカメラを探す。もうすでにドッキリカメラが自分をねらっているかもしれない。裕太はグラサンをかけ直した。

 四階のロビーに上がる。豪華なたたずまいに多少ビビる裕太だが、ユニクロのジャケットの襟を立てて進んだ。電話で話したマネージャーを探す。裕太のイメージは、ムーミンに出てくるミーのような人物だった。

「おらへんな。」

 裕太は、依然カメラを意識して、勿体をつけてソファに腰を下ろした。ソファの柔らかさを楽しんでいると、ホテルマンが近寄ってきた。

「失礼ですが、石岡裕太様では?」

 裕太は、仕掛け人だと見抜いた。

「せや。あんた、だれ?」

「こちらへどうぞ。」

 ホテルマンは頭を下げ、向かう方向を右手で示した。案内に従い、裕太は歩き出す。エレベーターに乗り、上昇する。

「エレベーターで上昇中。」

 裕太は高い声で言ってみたが、ホテルマンは笑わなかった。

「はい、確かに、上昇しています。」と言った。

「俺と一緒や。今までは売れない芸人やったけど、今日からは違う。あの、仁科ららかの恋人やで。人気も上昇、給料も上昇、エレベーターも上昇や。」

「おめでとうございます。どうぞ、こちらへ。」

 エレベーターを降りると客室の扉が左右に見えた。突き当たりの窓からは東京の街の灯がかすかに見える。足音も聞こえず、客室からの生活音もなく、無音の中を裕太は歩いた。

「こちらでお待ちです。」

 ホテルマンは振り返り、頭を下げた。ノックを二回したあと、「ご案内いたしました。」と、扉の奥に向かって言った。返事はなく、数分たってからようやく扉が開いた。

 ホテルマンはもう一度裕太に頭を下げ、立ち去った。

 扉の空き具合は、ほんのわずかだった。

「どうぞ。」

 声は、部屋の奥から聞こえた。鍵を開けてから、すぐに部屋に戻ったのだろう。

「あの声や。」  

 裕太は、用心しながら扉を開けると、部屋に足を踏み入れた。途中でこけて見せた。

「なにしてるの、あなた。」

 こけた姿勢で見上げると、想像していたとおりの老婆が立っていた。

「いや、一応、芸人やから・・・。」

「テレビ番組じゃありません。こっちにお入り。」

 初対面のはずだが、すでに先生と生徒という力関係ができていた。

「なにか飲みますか?」

 老婆は、そう言いながらブランデーをコップ二つに注いでいる。

「あんたがマネージャーさん? あっ、わてもそれで。そうかあ、ドッキリちゃうんかあ。残念やなあ。テレビがどっかに仕込んであって、あのホテルマンも仕掛け人、思てましたがな。自分、アホやなあ。」

「岐阜出身ってわかって聞くと、あなたの関西弁、少しおかしい。」

「マネージャーさん、それきついわあ。あれ? ドッキリじゃないっていうことは、仁科ららかの恋人になれるっていうのは? ほんまでっか?」

 マネージャーは裕太にグラスを渡した。ソファに深く腰を鎮めると、足組をして裕太を見上げた。

「本当だと思いますか? あの仁科ららかと、売れない芸人が。まあ、あなた、顔はいける方ですから、ららかさん、そんなに嫌がらないと思うわ。」

「ほんまに、マジなんですか?」

 裕太は、冗談のノリでホテルまできたが、ららかと恋人になる話が現実味を帯びてくると、にわかに背中がかゆくなった。

「それは、ららかちゃんが、俺を好きになって?」

「そんなことは百パーセントありません。あなたは、当選したんですよ。」

「そや、当選したんや。しかし、ららかちゃんも恋人を占いで決めるなんて、ちょっとやっぱり変わったお人ですか。俺、彼女のことよう知らんから。」

 裕太は、ブランデーを一口飲んで顔をしかめた。

「それで、ららかちゃんには、いつ会えまっか?」

 裕太は、窓際に置かれた一人がけのソファに腰を下ろした。

「あっちで寝てます。」

 マネージャーは、隣室の扉を指さした。

「えっ! ほんまでっか? マジですかあ。」

 裕太は思わず腰を上げた。

「ちょっと、見てもいいですかあ?」

 マネージャーは、返事をしないでテレビを付けた。

「でも、やっぱ、怖いなあ。本物がいるわけないですやん。部屋に入ったら、なんかやばい人でもいるんちゃいますかあ。いきなりブスリ、なんて。」

 裕太は、隣部屋のドアノブを握る。回すと軽い音がした。寝室のベッドには、ほのかにオレンジ色の照明が当たり、ベッドの上には、人の体を形どった線が浮かび上がっている。マネージャーを信じてよさそうだ。ただ、顔を見るまではと、裕太は忍び足でベッドの横に立った。若い女には間違いないが、枕に深く埋まった顔はよく見えない。女に合わせて、裕太も顔を横向きにしてみるが、はたして仁科ららかなのか、よくわからない。

「テレビの顔とふだんの顔とは違うかもわからんからなあ。しかしこれはほんまもんかもしれんで。ええ匂いがするわあ。」

 裕太はなんども女の髪の匂いを嗅いだ。

「むかし、ドッキリで寝込みを襲うコーナーがあったな。あれ、練習しとこ。」

 裕太は、ドアまで戻り、右手をマイクにしてしゃべりだした。

「はい、ここが、あの仁科ららかちゃんの部屋でーす。そや、ケータイのカメラで撮っとこ。今午前五時。仁科ららかの寝込みを襲っていまーす。ららかちゃんの寝顔ってどんなかな。あーっと、枕に顔がうまってわかりづらいですねえ。でも見てください、ほら、きれいな髪でんなあ。ちょっと触ってみましょう。ああ、いいですねえ。匂いも・・・。あああ、サイコフスキー。最高に好きって意味のギャグでおま。さて、そろそろ潜ってみまひょうかね。横からがいいですか、下からがいいですか。わかりました、下からでんな。もう、あんたも好きねえ。では、御希望にお応えして下から。頭からいきまっせ。暗いなあ。はい、ここでペンライト。でもペンライトはないんで、ケータイの光で・・・おっと、脚が見えてきましたでえ。真っ白でんなあ、ぴちぴちですなあ。これはたまらん。一気に腰のあたりまで行きまひょ。もぞもぞっと。あれ? これは何ですの? 手が見えてきましたが・・・これは縄でんな。どうやら、縄で両手を縛られてまっせ。これ、どういうことですの?」

「あんた、なにしてんの?」

 掛け布団から顔を出すと、マネージャーが立っている。

「いや、ほんまもんの仁科ららかさんかなって、思うて。」

「早く降りなさい。もうそんな気起こして。このエロ芸人。」

「実は、ドッキリの練習やっといたんや。知らんかな? アイドルの寝起きを襲うやつ。自分もDVDしか見たことないけど。」

「根っからのアホですね。ほんとにこの人が・・・。」

「それで、この縄はなに? なんで縛ってんの?」

「誘拐したんですよ。目を覚ましたら暴れますからね。」

「誘拐? あんた、マネージャーやろ? あれ、なんか、ねむなった。目がぼやけて。マネージャーちゃうんか。そう言えば、名刺ももろてへん。」

「マネージャーの、ものマネージャー、です。」

「悔しいけど、おもろい。でも、それ、てっぱんやろ。ていうか、殺さんといて。頼むわ。こんな俺でも親がおるねん。田舎で朝から晩まで畑仕事に精だして、俺が出世するの楽しみにしとる親が。ああ、もうあかん。意識が遠なる。酒になんか入れたんか?」

「慣れないブランデー飲んで悪酔いしたんですね。安心しなさい。殺しはしません。あなたは合格したんですよ。仁科ららかの恋人に。そして、もし本物の腹顔族腹王なら・・・。じゃ、おやすみ。」

 裕太はなにか言おうとしたが、言えなかった。おもしろいギャグを言おうとして思いつかず、そのまま仁科ららかの横で眠ってしまった。

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