第9話 真一郎と旅立ち
そして今、シンはクーネと共に洞窟の入り口に立っている。
二人ともローブに身を包み、旅装束姿だ。
「はぁ、どうしてこうなった・・・」
天を仰ぎつつ、シンが疲れた様に呟く。
天気は快晴。
雲一つない空に、太陽が燦々と輝いている。
絶好の旅立ち日和と言える。
しかし、シンの気持ちは暗く沈んでいた。
「何よ!このあたしが一緒に行ってあげようっていうのに、もっと喜びなさいよね!」
シンの呟きを受けて、フードの奥からシンを睨みながらクーネが不満そうに声を上げた。
結局、シンはあの後リディルに説得され、クーネが一緒に旅に行くことを了承してしまった。
クーネ自身も最初は渋っていたが、リディルのブレスを数発食らったら大人しく旅への同行を申し出てきた。
-----人間形態でもブレスの威力は変わらないんだな。
その時の凄惨な光景を思い出しつつ、シンは腰に差した剣に目をやる。
クーネを連れて行くお礼と言って、リディルが自分の宝物庫の中から出してきた剣だ。
片刃で反りのある長剣。
まるで日本刀のような形をしている。
魔導師セオドア・ログナルが製作に関わった一振りとのことで、かなり強力な魔導剣らしい。
ドラゴンが守っていた古代魔導帝国の剣。価値は計り知れないだろう。
しかし、そんな超レアアイテムな剣を見ながらも、シンの表情はどこか苦々し気だ。
-----つまり、結局のところ迷惑料ってことだよな。
目を隣に戻すと、まだ不満顔のクーネがシンを睨み付けていた。
-----このじゃじゃ馬に世の中を教えてやってくれ、ということだろ?俺は自分のことでも手一杯なのに、リディルの奴もいい性格してるよ。
こうなってくると、リディルのシンに対する恭しい態度は、最初からこれが目的だったのではないかという気すらしてくる。
もちろん、シンが神人であるからという理由も嘘ではないのであろうが、上手くリディルに乗せられた気がするシンだった。
「な、なによ?あたしの顔に何かついてるわけ?」
シンに静かに見つめられ、クーネが戸惑ったように言う。
「いや、なんでもないさ。・・・まあ、魔法もいくつか教えて貰ったし、対価は先払いで貰ってしまっているからな」
「対価?何の話よ?」
「気にすんな」
シンは答えつつ、自分の手に目を落とす。
リディルからは、魔導剣や各種情報を受け取った以外にも、魔法技術の手解きを受けていた。
魔法。
現代日本で育ったシンにとっては当然未知の技術だ。
しかし、今のシンにはゴーレムの身体と制御コアのサポートがあるため、素人の状態からでも比較的苦労せずに魔法の習得が可能だった。
結果、今のシンは幾つか魔法が使える様になっている。
特にその中でも、目玉は“人化の魔法”だ。
リディルが使用した魔法と同じで、人の姿になれる魔法だった。
正確には、リディルが使用したのは竜魔法であり、シンに教えたのは人間が使えるようにした機能制限版の人族用の魔法とのことではあったが。
シンは既に魔法によって変化した自分の手を見つめる。普通の人間の手だ。
-----これで人間の街に行ってもこそこそする必要は無くなったな。コンシールローブは使用前に早くもお役御免って訳だ。・・・デザインが気に入っているから使うけど。
着ているコンシールローブのフードを脱いで、顔を太陽に晒す。
変身した時に鏡で確認したが、その顔は前世の面影を残しつつ、より精悍にした感じの外見だった。
身体には筋肉もだいぶついている。
前世の外見は平々凡々としたものだったので、自分の願望が反映されたのかもしれない。
そんなことを考えつつ確かめる様に人の姿となった身体を動かすシンに、クーネが声を掛けてくる。
「シン、ちょっと勘違いしてるようだけど、シンが習ったのは魔法なんかじゃないわよ?」
突然意味の分からないことを言うクーネ。
「は?どう見たって魔法だろ、これ」
人の姿に変わるような技術が、魔法以外のなんだというのか。
訝しげな表情でシンがクーネに問い返す。
「正確にはシンが使ってるのは魔術よ。魔法じゃないわ」
「魔法と魔術?違いがあるのか?」
シンのいた世界では同じ意味合いで使っていたはずだ。
もちろんどちらにせよ実在はしなかったが。
「魔法は神様の力を借りて行使するもの、魔術は魔素を使って魔法を再現したものよ。魔術はあくまで魔法の下位互換技術だから、威力精度共に魔法には及ばないわ。だから、お母さまやあたしが使っているのは竜魔法、竜神カグヤ様のお力を借りてる魔法よ。でもシンはどの神様の加護も受けてないから、魔法は使えないわね」
クーネの説明によると、神との契約をして加護を受けないと魔法は使えないとのことだった。
故に神の魔法は神聖魔法とも呼ばれるらしい。
ちなみに魔法には他にも精霊や悪魔等の力を借りたものも存在するのだが、説明が煩雑になるのを嫌ったクーネは意図的に省いている。
「神の加護ねぇ・・・、ほぼ同じことが出来るなら俺は魔術だけで問題はないけどな。それにしても、カグヤとはね。月にでも住んでるのか、その竜神は?」
シンの言葉にクーネが意外そうな表情をして答える。
「異世界の人間なのによく知ってるわね。そうよ、カグヤ様の本殿は月にあるわ。私たち真竜種以外は近づくことすら難しい場所にね」
「マジかよ・・・」
月に住むカグヤ。竹取物語そのものだ。
-----俺が知らなかっただけで、こっちの世界に異世界人が来ている様に、元の世界にも異世界人はいたのかもしれないな。それで異世界の情報が昔話のように残っているとか?
シンは今更ながら元の世界も意外にファンタジーだった可能性に気付く。
-----もしかしてあっちの世界の神の話は、こういう神が実在する世界から来た異世界人が広めたのかもな。これから会いに行くブリギットにしたって、あっちの世界に同じ名前の神がいたし。
ケルト神話の一柱を思い出しながら一人納得するシン。
「魔法と言えば、クーネ。リディルがお前の力を制限するって言ってたけど、あれはどうなったんだ?」
ふと出発前にリディルが言っていたことを思い出す。
リディルがクーネを追い出す時はいつもすることとのことだったが、クーネが下界で無茶をしないように力に制限を加えるらしい。
「ぐっ・・・、されたわよ。今のあたしは一部を除いて竜魔法を使えないわ。竜の姿にも戻れないし。あと、魔術も威力を大幅に制限されてる。精々、人間の上級魔導師程度ね」
クーネが忌々し気に答える。
上級魔導師というのがどの程度のものなのかシンにはわからなかったが、クーネの表情から察するにだいぶ力を制限されているのは確かなようだった。
「まあ、ドラゴンブレスなんて街で使ったら大変な騒ぎになるだろうしな。良かったんじゃないか?」
「そんなことしたことないわよ!・・・最近は!」
「・・・昔はあったのかよ」
呆れながらクーネを見つめるシン。
「う、うるさいわねっ!さ、ぐずぐずしてないで出発するわよ!」
図星なのか誤魔化すようにクーネが歩き出そうとする。
引きこもりだった割に、妙に積極的だ。
「まあ待てよ。まずどこに向かうか決めないと。リディルが言っていた通り、バンフェンっていう街に行くか?」
バンフェン。
このグラウコム山脈から一番近い街だ。
とはいっても、馬車で一週間以上はかかる行程らしかったが。
そもそも、このグラウコム山脈は、人の世界では神域として近づかないことが暗黙の了解となっているらしい。
下手に近づくと竜に殺される、と昔からの言い伝えに残っているとのことだ。
実際、魔導帝国プロイスヘイムが滅んだのちに群雄割拠の時代となった際、このグラウコム山脈一帯を支配下に置こうと画策した国々もあったらしい。
しかし、それらの国が送り込んだ軍隊は、悉く全滅したとのことだ。
ドラゴンの怒りによって。
-----あのドラゴンブレスだ。人間なんて何万人いても勝てやしないだろうな。
その軍隊を消し飛ばした張本人であろうリディルのブレスを思い浮かべる。
「お母様がそうしろって言ってるんだもの。その通りにしておかないと、後が怖いわ。・・・バンフェンに向かいましょう」
かすかに身体を震わせつつクーネが言う。さっさと出発しないとまたブレスを食らうと思っているのだろう。
-----こんなに怖がりつつも、最終的には母親の傍が良いって帰ってくるんだから、母娘ってのは分からないな・・・、いや、うちの姉と妹も実家を出ようとはしてなかったし、そういうものなのか?
クーネを見ながらシンは思う。
もちろん、シンの姉と妹はまだ20代であったし千歳超えのクーネとは事情が違ってくる。
それに姉妹の名誉のために付け加えておくと、実家を出なかったのは虚弱なシンを心配してという理由もあった。
「ほらっ、シン!置いていくわよ!」
いつまでも動かないシンに業を煮やした様にクーネが声を掛けてくる。
「了解。じゃあ、バンフェンに向けて出発だ」
ユーレリア山という目的地に着くならば、その行程は自由だ。
このゴーレムの身体なら最短距離を行くことも可能であろうが、旅である以上、近くの街に寄りつつ異世界観光するのもいいかもしれない。
ゴーレムの身体に、人間の魂。
これからこの世界で何をすることになるのかは、予想も出来ない。
だが、この世界の神の思惑が何であれ、それに従う義理もないのだ。
-----どうせ当面の目的は無いんだ。異世界生活、存分に楽しませて貰おう。
シンは力強く、二度目の人生の第一歩を踏み出した。
★★★★★★
洞窟の中、リディルが一人佇んでいる。
そこは石でできた応接セットが置かれた部屋、シンがリディルから説明を受けた部屋だ。
シンとクーネを送り出してからもう丸1日以上が経過した。
リディルはまるで瞑想するかの如く静かに目を閉じている。
と、そこに女性の声が響く。
「ご苦労様でした、リディルマーサ」
「いえ、これが私に与えられた使命ですので」
驚く様子もなく、その声に答えるリディル。
女性の声はそんなリディルに気遣わし気に問いかける。
「辛い役目を負わせましたね。貴方の娘が心配でしょう?」
「心配でないと言ったら嘘になります。ですが、あの子を産んだ時から覚悟はしておりました」
「貴方の強さに感謝を、リディルマーサ。・・・クーネは、あの最も新しき竜は、この旅を通じて世界を覆う歪みに気付くことになります。そして、その歪みに飲み込まれる自らの運命に」
「そして、シン様もその運命に深く関わっていくことになるのですね」
「そうです。シンもまた自らの身体の秘密を通じて、自らの魂がこの世界へと召喚された理由を理解するでしょう。それはあの子にとって決して楽しいことではないかもしれませんが」
「ふふふ、そうですね。シン様は神々を一切敬ってはおりません。自らの運命が決まっていると聞いたら、きっと反発されるでしょうね」
「しかしそれでも、我々はあの者に託すしかない」
「・・・限界が近いのですね」
「ええ、リディルマーサ、最も神に近い竜よ。貴方には聞こえていますね、この世界のあげる声なき悲鳴が」
「はい。あの子たちなら成し遂げてくれると信じています」
「祈りましょう、始祖の神々に」
一瞬の沈黙、そしてリディルは答える。
「はい・・・ヘルムヴィーゲ様」