第1-2話 紋章の中の娘
第1-2話 紋章の中の娘
やがて、咲が桃九を訪ねてきた。咲は今年16歳になったばかりのようである。
「ご覧になって頂きたいのは、これなのですが……」
それは、15cm四方ほどの一枚の紙であった。その紙に描かれている図形を見て、桃九は言った。
「これは、脈の基本概念を学ぶときの抽象図形ではないか。いや、少し違うな。これがどうしたのかな?そして、優はどこにいるのかな?」
「優は、この紙の中におります。わたくしは幼いときから、よく微かに自分に話しかける声に気づいておりました。しかし、何を言っているのかはわかりませんでした。12歳のころにようやく、その声の主を探し出したのです。御神体の傍にひっそりとたてかけられたこの紙が、声の主だったのです。そのころ、この紙は一面の額に納められておりました。そのせいもあって、優は微かな声しか発せなかったと後で言っていました」
「なに?優がこの中だと?精神だけが囚われたのか?それとも生身のままか?」
「そのことについては後ほどお話致します。続きを話してよろしいでしょうか?」
「うむ」
「わたしは、額の中の微かに声を発する紙に興味があって、慎重に額から紋章、この紙ですね、を取り出しました。何しろ200年も前の紙なのですから額から外した途端にボロボロになるかもしれませんでした。ところが、額からこの紋章を取り出すと、紋章は生き返ったように、張りのある紙になったのです。そしてようやく、優のはっきりとした声を聞いたのです」
「ようやく、見つけてくれましたね。わたくしは、この紋章の中で200年余りを過ごしてきました。そして、多くの経験も重ねてきました。もし桃九様のお役に立つのならその経験をお伝えしたいのです」
優が言うには200年の間、優の声が届く者はいなかったそうである。つまり、優が紋章に閉じ込められてから初めて接触した人間は咲ということになる。
「それでは、優が精神だけが囚われたのか?れとも生身のままか?という件ですが、優本人にもよくわからないそうです。神社に残る記録には、急な病で亡くなったとしかありませんが、人の噂によると神隠しにあったとか、気がふれたとかいうものもあり、はっきりとした経緯はよくわかりません。優本人によると、突然にこの紙の中に取り込まれたということです。
「誰かサエさんをここに連れてきてくれないか?」
サエは時間さえ共有していれば、肉体を持たない精神体を見ることも会話をすることもできる。
「お呼びですか?」
「うむ、この紙の中を見てくれないか」
先入観を与えないため、サエには一切の事情は説明していない。
「あら、まあ。可愛い娘さんだこと。それにここにいる娘さんと瓜二つだわ」
「そうか、見えるか!で、勝智朗兄との違いを感じないか」
「もちろん、違いますとも。勝智朗さんは、むさいおじさんでこの娘さんは可愛いですもの」
「そうではなくて、紙の中の娘が肉体を持っているのか?知りたいのだ」
「断言はできませんが、持っていると思いますよ。だって、色が勝智朗さんと比べて相当濃いですから。勝智朗さんは透けたように見えて、この娘さんはまるで生きた人形さんみたいですもの」