第4-10話 幻影の存在
第4-10話 幻影の存在
「今日は3回目の講座となるが、特別にゲスト講師をお迎えしている」
そして、壇上に上がってきたのは利助であった。
「利助さんだ」
「利助さんが何を話すのだ」
「確かに利助さんは論理感性融合法の研究チームのメンバーの一人だが……」
このような声があちこちから聞こえた。これは利助の影の薄さを物語っており、壇上に上がった利助は赤面するばかりであった。
(わたしも何か成果を残す必要があるのだろうか。いや、焦ってはいけない)
「いや、講師はわたしではない。ガウスさんだ」
「ガウスです。前回の講義で意識とは存在そのものであるとの発言があったと聞きました。そこで、存在とは何かについて話したいと思っています」
「あ~、やはり」とか「道理で」という声があちこちで飛び交ったが、利助は反応しなかった。利助は誰かと自分を比べることの無意味さを知ってはいたのである。
「存在は空間に依存します。存在は次元には依存していません。では、存在と時間の関係はどうなのでしょうか?」
「存在は時間にも依存すると思います。そうでなければ時間の共有性の説明がつきません」
「そうですね。そうですが、時間が2種類あることを知っていますか?」
「絶対時間と相対時間ですか?」
「そうです。では、存在はどちらの時間に依存しているのでしょうか?」
ここで皆が沈黙した。絶対時間は学びとしては知っているが、誰も絶対時間と相対時間を意識したことはないし、絶対時間を観測したこともない。
「相対時間は次元の1つに数えられます。依って、存在が相対時間に依存することはありえません。消去法になりますが、依存するのは絶対時間になります。絶対時間は神の子が源根子を投入した回数と桃の精から教えられました。つまり、何回目という整数が絶対時間の目盛りになります」
「ならば、われらが死した後に精神体となったとき、その何回目かに存在するということですか?」
「それを確かめた者は誰もいません。わたしは精神体として皆さんと同じ絶対時間に存在しているようですが、今が何回目なのか知っていませんし、何回目の回数が増え続けていることも事実のようです」
「確かめる術はないのですか」
「今はありません。しかし、桃九さんはそれさえも超えたところを見据えているようです」
「死した後は必ず精神体になるのですか?」
「それもわたしには保証できません。そもそも、わたしたちが存在するこの世界も存在も幻影であるという主張もあるのです」
「やはり空者だ」
「われらは空者に騙されていたのだ」
「東雲さんも同じなのか?」
ガウスは次元について講義を続けることが難しくなった。何を騙されていたのか?何が同じなのか?わからないが、いつの時代でも多くの人は”実”や”保証”というものに依るものであるらしい。これを責めることは誰にもできない。絶対性が否定されるこの世界では、何かを基準に持たなければ人は生きていけないのだ。その基準を共有する人が多いほどその共有圏では安心の度合いが高いようである。しかし、その基準こそが幻影であることに誰も気がつきたくないものでもあるようだ。その幻影を超えたところに真の理が存在することをまだ誰も知らない。




