第4-5話 心と精神
第4-5話 心と精神
「今日は2回目の講座であるが、講座と言うより共に考えてみたい」
「何をですか?」
「心と精神についてじゃ」
「心と精神は違うものなのですか?」
「それがわからん。そこで思いつくままの発言をしてみよ」
「心は情が通っていて、精神は通っていないような気がします」
「うむ。そんな感じだ」
「チロさんを精神体と呼んでいますが、心は持っていないんですか?」
「いや、持っておるじゃろ。しかし、感情はどうなんじゃろ、喜怒哀楽を強く示したことがないからよくわからん」
「感情は肉体から発しているということですか?」
「今日は質問ではなく、思ったことを述べよ。質問されても答えることができん」
「感情がなければ心とはいえませんから、精神との違いはそこだと思います」
「では、感情とは何じゃ?」
「理性を欠いた強い意思表示だと思います」
「おっ、いい線がでてきたぞ。では、感性と理性の違いは何じゃ」
「感性はセンサーのようなもので、理性はその情報を処理する部分だと思います」
「感性と感情の違いはわかるとして、理性と論理の関係はどうじゃ」
「論理は理性を働かせる1つの手段に過ぎません」
「では、理性を働かせる別の手段はあるのか?」
「思いつきません」
「いい線までいったのじゃが……。では意識とは何じゃ?」
「意識とは、われわれの存在そのものだと思います」
「では、肉体を持つ意味はなんじゃ?精神体だけではいけないのか?」
「それは人が時間を共有するためだと思います」
「確かに。いわれてみればそうじゃ。いい線がでてくるものじゃ。では、意思はどこが発するのだ」
「それは精神からだと思います」
「実はのう。意思と欲は同じものではないかと考え続けているじゃ。結論はでていないが、そうとしか考えられんのじゃ」
「チロさんも欲を持っているのですか?」
「そのようだ」
「わたしは感情が欲の源なのだと思っていました」
「そのようにも見えるが、それだと説明のつかないことが多い。例えば、寂しいとか悲しいとかいう感情は欲に結びつき難い。喜怒も似たように直接は欲に結びつかん。この中で喜怒哀楽が欲に結びついたものはおるか?」
誰も反応しなかった。
「では、喜怒哀楽を感じるものはおるか?」
皆が手を上げていた。このとき、きょろきょろと回りの様子を窺っていたショウが、脱兎の如く部屋を飛び出していった。
「し、しまった。この歳になっても配慮が足らぬ」
東雲が今日の講座のテーマを心と精神にしたのは、桃九の一言とショウのためでもあった。東雲は300歳に近づこうとしているが、それでも人の心というものがわからず、誰かのためにと思ったことが配慮を欠く結果となってしまった。




