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脈流(RW1)  作者: 智路
第1部 雛のはばたき
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第2章 超人類の歴史

第1話 超人類の反逆

「卑弥呼さん、ここの地上に誰か住み始めたようですね」

「そうね。空海さんちょっとみてくる?」

「いえ、何か問題があればチロさんが連絡をくれるでしょう」

「わしで役に立つことはあるか?」

 そういうのは大国主であった。彼らはチロが23番目のアミノ酸を含むDNAから産み出した超人類の一部であった。彼らはチロに反逆することもなく、地下の三角山に住んでいる。今は、空海、卑弥呼、大国主だけがここにいるようだが、他の十数人は出掛けているようであった。超人類に共通するのは受感部が異常に発達し、不老となったことと、現代でいうところの超能力を持っていることであった(但し、瞬間移動は誰も出来ない。と同時に結界も張れない)。

彼らは脈を探す能力にも長けていた。最も優れた能力を持つものは空海で、脈流の中では大きな山を揺るがすほどの念動力を発揮した。もし空海が核の知識を持っていれば、核爆発を起こすことも可能かもしれなかった。卑弥呼は、動物の精神に作用する能力を持っていた。読心術はできないが、動物に強力な暗示をかけて思い通りに操ることができた。大国主は、分子レベルで生命体を操作することができた。病気を治すことも、病気に侵させることもできた。

 彼らが名乗る名前は、彼らがこの地球の歴史に強く関与したときの名前でチロは最初彼らをコード名で呼んでいた。そもそも、チロが彼らを生み出したのは7万年ほど前で、そのころは太平洋の中央に存在するムーという比較的大きな島々に住んでいた。この島では現在の人類の祖先も住んでいて、その人々は地球上の各大陸に転在させていたが、超人類たちを転在させることはなかった。というのは、チロも超人類のことをよく把握できないため、彼らの振る舞いが通常の人類に大きな影響を与えるのを恐れたためであった。

 超人類の反逆が始まったのは、今から2万年ほど前であった。彼らの主張は、自分たちも大きな大陸に住みたいという些細なものであったが、自分たちがチロの実験体ではないかとの疑念が芽生えたのが実情のようである。一人、二人とこの島を抜け出す超人類をチロは止めなかった。チロはこれも実験観察の一つと考えたのである。こうしてみると反逆者というレッテルは一方的過ぎるようで、主体を誰におくかで正悪は決まっていくようにみえる。この主体と正悪の関係は、いつの時代でも存在し多くの悲劇を生むようである。

 やがて超人類の去るものが去った後、島に残った十数人の超人類を日本に連れてきてからチロはムーの島々を海底に沈めた。日本列島を選んだのは、大陸に散った他の超人類との軋轢による影響を受けないためであった。超人類は繁殖能力を持っていないが、現在の人類の祖先の人口増加は著しかった。そのせいもあって大陸での争いが増えていくようになる。これに加担する超人類もいて人類の社会は争いによって混沌となっていく。

 そもそも、チロが超人類に望んだのは、自分を元の世界に戻す方法を考える手伝いをして欲しかったからであるが、知よりも力だけが発達しある意味チロにとって超人類は魅力の少ない存在になっていた。


第2話 三国時代と魏志倭人伝

 暫くの間日本列島は穏やかで、チロも自分の望みに向けた作業に没頭することができたのだが、3世紀の中ごろに海をはさんではいるが、中国に不穏な動きがみられた。チロは時々、世界の様子をそれとなく監視していたが、日本列島に重大な影響が出ると判断したのはこれが初めてのことであった。

 そもそもは、始皇帝が不老不死の霊薬を探すため徐福という人物を日本方面に派遣したという噂が始まりであった。中国の3世紀は魏呉蜀という三国が覇権を争っていたが、諸葛亮孔明は近いうちに蜀が滅びることを知っていた。

「劉備よ、蜀が滅びるとわしらの住まう土地が失せてしまうぞ」

「どうすればよい、孔明」

同じ超人類である関羽と張飛はただ黙って二人の会話を聞いていた。中国にも二十人近い超人類が渡っていて、この4人が1つの勢力を張っていたのである。実質的なNO.1は孔明であり、劉備・関羽・張飛と続く。

「徐福という人物を知っているか?」

「ああ、噂ではな」

「その徐福が向かったという倭という国から魏国に使者がやってきたらしい。まだ、はっきりとはしないが、徐福のことは噂ではなく、本当なのかもしれぬ。そして倭という国にわしらの同類が住まっている可能性がある。徐福はそこで不老不死の霊薬ではなく、わしらの同類をみつけたのだ」

「で、どうしろと」

 孔明の考えによると、倭の国は魏国より遥かに弱いはずだからここに移り住もうというのである。実際に弱いかどうかの確証は孔明にもなかったが、魏国と争えば必ず負けるのはわかっていたから仕方がなかったともいえる。

「近いうちに倭の国の地図が手に入るはずだ。その前に劉備・関羽・張飛は死んだことにしなくてはならぬ」

「なに……」

「まあ、聞け。死んだことにして3人には朝鮮半島に蜀の兵を移してもらう。わしは、長安の北で仲達と遊びながら時間稼ぎをしておるわ」

 孔明は魏国の首都に密偵を送りこんでいる。孔明の密偵陣は魏国の情報をつぶさに孔明に報告していた。また、司馬懿仲達も超人類としてはレベルの高い方であったが、孔明ほどではなかった。こうして、蜀は自滅の道を選び矛先を日本列島へとかえたのであった。

ほどなく、密偵から倭の国の地図を得て、孔明も朝鮮半島へと向かった。孔明は神武と名を変え、劉備は天照、関羽は月読、張飛はスサノオウと名を変えた。これが神武の東征の始まりである。

 ところが、孔明の得た地図というより日本列島の倭の国への行程は、チロの仕組んだ迷路であった。つまり、自分の国より強国である敵かもしれない国に真正直に首都の位置を教えるはずはないのだ。現代に残る魏志倭人伝の行程はこうして記されたのであった。


第3話 大和朝廷

 チロにとって以外だったのは、倭の国に興味を示すのは魏国だと思っていたのが、蜀国が引っかかったことであった。このときのチロはどちらでも大差ないと思っていたが、現代の日本と中国の関係を見ると、むしろ蜀国が釣れて孔明を得たことが良かったのかもしれないと思っている。このときから現代まで陰で日本を支配するのは孔明たちとなり、チロらは隠れた存在とならなければならなかった。しかし、それは今の時代でも同じで、首都つまり本拠は白神山系の奥地にあり、勢力範囲は八幡平や出羽の山々であった。主要な産業は狩猟であり、副業として山岳に畑をこしらえていた。決して目立つ平野部には稲作などの耕地を持つことは無かった。

 倭の国の使者が魏の使者を伴ってきたとき、案内役は北に南に進路を変えて、副首都である八幡平に案内している。彼らは北海道を1周もしてきて、魏の使者はあまりの遠さに測量がいい加減になっていた。そして、その情報を孔明は掴んだのである。

チロの次なる策は朝鮮半島に近い出雲に大国主を派遣することであった。その地はチロらの勢力範囲ではなかったが、普通の人類は生活していた。チロが大国主に与えた命令はできるなら戦闘をせずに降伏し、大国主は何食わぬ顔で本拠地に戻るというものであった。また、関西以南の各地に超人類の幾人かを派遣して意地悪な罠をはるという陽動作戦も行われた。元々、負けることが前提の戦闘であるから被害は少なく、敵には苦戦の末占領を果たしたと思わせればよかったのである。

チロは敵がどこまで東進してくるのか予測できなかったが、孔明は自分が得た地図が真っ赤なにせものであることと、長期の戦闘で兵が疲弊していること、自分らが住まうに足りる領土を得たこともあって大和に政権を樹立して領土の安定化の作業に移ったようであった。これが大和朝廷の基盤となる。孔明らは、4人が代わる代わる親となり子となり孫となり政権を支えていった。さすがに全員が不老で何百年も生きていると巷の人々に怪しまれる恐れがある。孔明が聖徳太子と名乗ったとき、隋に「日出づる処の天子……」と国書を送った。慌てたのは孔明で、書簡を記述した文官が誤って孔明の言葉を書き写してしまったのだ。これではまるで中国を挑発しているようなものである。それ故、孔明たちは国政の表舞台から姿を消すことになる。

「のう、孔明これからどうする?」と劉備が尋ねると、

「富だな。これからは富を貯蓄することにしよう。国土の大きさや国力では中国に太刀打ちできん」

と、飛鳥時代には鉱山脈の発見に努め、奈良時代に入ると荘園整備をするようになっていった。政権から直接退いたといっても権力者を陰で操っているのは孔明たちである。その方針が現代にも受け継がれて、孔明らは政財界を支配するようになっていく。

 ところが、美濃以北に勢力を拡げようとしても上手くいかなかった。もちろんチロが邪魔をしているのであるが、孔明たちは気が付かない。よって孔明たちは実力行使に出るようになる。


第4話 蝦夷

 飛鳥時代に孔明は、奈良に都を建築して自分たちの政権を安定させていく。都には日本で初めて条坊制を用いた藤原京を建立し、その中枢を朝廷と呼んだ。条坊制も朝廷も中国のそれを真似たものであるが、これには孔明の中国への思慕が窺がえる。多くの人は自分がどこからきたのか知りたがり、知っている者はそこへ帰りたいと願うもののようである。尚、条坊制とは現代の都市計画のようなものである。

 7世紀半ばになるといよいよ北伐が始まった。もちろん、軍は人類のみで構成されていた(今後、超人類ではない現代の祖先となる人類を単に人類と呼ぶこととする)。この軍の侵攻は素早く、8世紀初頭には現在の秋田県と宮城県に至っている。これにはチロも些か驚いた。朝廷軍の侵攻が早過ぎて、自分たちの軍の編成が間に合わなかったのだ。それでも朝廷軍の侵攻は秋田県と宮城県の平野部に限られており、チロは絶対防衛圏として秋田県側を八幡平、宮城県側を栗駒山と定めることにした。

 北伐の成功に呼応するように孔明は平城京に遷都した。現代の歴史区分では奈良時代に入ったことになる。しかし、8世紀後半になると絶対防衛圏のために朝廷軍と蝦夷軍の抗争は激しくなっていく。この抗争に拍車をかけたのが蝦夷の地では金が採掘されているという情報が朝廷側に流れたことだった。本来、北伐とは朝廷側からみた正義の戦いであり、蝦夷にとっては至極迷惑なことであった。これに金鉱山が絡んできたものだから正義の戦いも名目となりはて、とにかく蝦夷の地を占領することが朝廷の第一の目的となったのであった(孔明にとって金はさほど大事なものではないが、人を支配するためには非常に有効であることを知っていたのである)。

 このときの抗争に孔明らは直接参加していない。もちろんチロもチロに従う超人類も参加していない。チロはアラハバキ神として蝦夷の族長たちに僅かな神託を与えただけであった。アラハバキという語の意味は、アラはこの世界を意味し、ハバキは“はばたき”つまり超越を意味した。蝦夷にとってのアラハバキの神は単純に“この世界を超越する存在”を意味するだけであったが、それだけで神としては十分だったのである。

 超人類にとっては、個の能力が軍事力の優劣を決定し、現代では兵器の優劣が軍事力の優劣に直結するが、この当時の軍事力は人の数であった。故に蝦夷軍は、徐々に劣勢となっていく。蝦夷軍に有利なのは地の利だけであったが、それも坂上田村麻呂によって胆沢城という朝廷側の拠点が蝦夷の地の喉元に建設されるに至っては降伏もやむを得なかった。

 この後も朝廷と蝦夷の抗争は断続的に続くが、奥州藤原氏の出現によって朝廷は蝦夷の全領土を支配することを諦めた。奥州北部は奥州藤原氏の管轄として朝廷と蝦夷の抗争は幕を閉じたのであった。奥州藤原氏は藤原摂関家の一族のものが初代となり、蝦夷の豪族の娘が正妻となる形で興されたのであった。

 ところが、平安末期にこの奥州藤原氏が滅ぼされかけてしまう。歴史上は滅んだかたちになったが、このとき初めてチロは孔明と接触している。孔明とて自分を生んだのがチロであることは知っており、おそらく孔明の生殺与奪の能力をチロが持っていることも知っている。他の超人類と同じように孔明も不老ではあるが、不死ではない。チロが持ってきた和議の条件は「チロに従うものたちに干渉しないこと。今の宮城県の一部と北東北には必要以上に干渉しないこと。奥州藤原氏の係累を残すこと」であった。この条件をのめば日本の支配権は孔明に委ねるというもので孔明にとっては望外の条件であった。また、奥州藤原氏の子孫が、藤部財閥を興すことになる。尚、平安末期はまだ後のことである。


第5話 チロの憂い

 時は少し遡るが、日本の飛鳥時代に中国では隋が滅びて唐が興ったことを知ったチロはその情勢を探るために小角を中国に送った。小角は後に役の行者とか役の小角と呼ばれることになるが、超人類の一人でその能力はメタモルフォーゼにあった。メタモルフォーゼは昆虫などでは、さなぎから成虫にかえる過程などで見られるが、哺乳類では難しいとされる。メタモルフォーゼのメカニズムを考えてみると変身するためには、全ての細胞が万能細胞となり、新たなスタック器官を必要とする。小角は己の意思でこれを行えた。故に、鳥と化したり獣と化したりすることができ、中国へは鳥と化して飛んでいったのであった。

 ここで、街中で超人類同士がすれ違ったら気が付くかという命題を考えてみたい。ほとんどのケースでは気が付かない。気が付くのは超人類がその能力を発揮したときだけで、常に能力を発揮した状態であれば必然的に気付かれるが、日常は人類と同じ姿態なので気付かれないという理屈である。但し、超人類を感知する能力を持った超人類が存在すれば、その限りではないが、筆者はチロ以外にその存在を知らない。それでも、小角が変身するところを人に見られたことが数度あって伝説となっていったようである。数年の調査を終えて帰ってきた小角はチロに特別な動きはみられないと報告していた。

 平安時代となって平安京に遷都して間もなく、チロは空海と最澄を京に送り込んだ。名目は僧の修行ということであったが、能力を僅かに発揮した空海と最澄は頭角をあらわし遣唐使に選ばれることになった。修行せずとも元々能力の高い空海と最澄は中国で密偵として行動することになる。チロが知りたいのは中国に住む超人類たちの動向であったが、空海と最澄はそれには失敗して日本に帰ることになった。それぞれが、真言宗・天台宗の開祖となり、結果としては日本の都の情勢をチロに送ることになる。

 空海が念の能力者だとすれば、最澄は理の能力者であった。最澄を産んだときチロは、この人物が自分を元の世界に帰してくれるのではないかと喜んだという。ところが、最澄は現代のスーパーコンピュータを凌駕するほどの能力を有していたが、飛躍的な発想に乏しかった。そこにある情報を分析、判断する能力は抜群だったが、ただそれだけのことであったのだ。

 平安時代も末期になって平清盛を棟梁とする平家が朝廷を牛耳るようになってきていた。平清盛は孔明とは無関係の人で、最初孔明は平清盛を懐柔しようと考えたが、“平氏にあらずんば人にあらず”的な考えを持つ平清盛を好きになれなかった。そこでもう一方の勢力である源氏に白羽の矢をたてたが、平氏と源氏では勢力が大人と子供以上に離れていた。そこで、孔明は苦肉の策として張飛を源氏に加担させることにした。伊豆に住まう源氏の棟梁の源頼朝の末弟である義経の家来として張飛を送り込んだ。名を弁慶と言う。張飛の能力は全身を鋼の毛で覆い、身長は136cmもあり、瞬発力にも優れていた。いわゆる典型的な肉体強化型の超人類であった。結果、源氏は平氏を打倒し鎌倉幕府を興すことになる。

 その前に義経は頼朝から追放同然に奥州藤原氏を頼っていくが、このとき同行していた弁慶は張飛ではない。ところが、空海や最澄が都に残した諜報網は張飛の存在を掴んだ。

「人ならざる者が源氏に加担しておりまする」これを聞いたチロは憂いた。故に、チロは孔明を諭すために接触したのであった。孔明はチロから和議の条件を聞く前に「人類に過ぎたる加担はまかりならん」と叱責を受けていたのであった。こうして日本では超人類同士の争いは無くなり、人類へ直接的な加担もなくなるようになった。


第6話 元寇

 鎌倉幕府を築いた源頼朝であったが、その死後、頼朝の嫡流は断絶し、北条義時の嫡流が鎌倉幕府の支配者となった。時は、北条時宗が執権のころ、モンゴル帝国(元)から2度にわたって侵攻を受けた。世に言う文永の役 (1274年)と弘安の役(1281年)である。

 モンゴル帝国は超人類の一人であるチンギス・ハンが築いた帝国でその版図は、西は東ヨーロッパ、トルコ、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島までに及ぶことになる。チンギス・ハンは超人類の中でも総合能力が3本指に入り、特にカリスマ性に富んでいた。チロにもカリスマ性の説明は難しく、実体のない能力であるが、統率力に優れ、能力レベルの低い者(超人類を含めて)ならば容易に配下とすることができた。チンギス・ハンが戦闘や外交を受け持ち、内政は耶律楚材という体制で帝国は運営されていて、超人類である耶律楚材の能力は、全体把握能力と他の人の潜在能力を見抜くものであった。つまり、どんなに複雑で巨大な帝国でも単純化して考えることができ、適材適所に人を配することができたのである。チンギス・ハンに従う他の超人類は四駿四狗と呼ばれたムカリ、ボオルチュ、チラウン、ボロクル、ジェベ、ジェルメ、スブタイ、クビライの8人であったが、彼らの能力は戦闘や兵站にのみあった。

 チロは大陸の不穏な動きを察し、日蓮を金王朝に密偵として派遣している。中国の地勢などに詳しい空海や最澄を派遣すればいいようなものだが、中国に住む超人類に空海や最澄を覚えている者がいては些か拙いとの配慮であった。日蓮は帰国後、北条時宗に面会し断固としてモンゴル帝国に屈してはいけないと進言することになる。日蓮の念能力は空海ほどではなかったが、弁がたち説得能力に優れていた。もっとも孔明に比べると説得能力も格段に落ちるのだが。

 はたしてモンゴル帝国から降伏勧告の書状が時宗のもとに届くことになるが、時宗は書状を持ってきた使者を斬り捨て決戦の覚悟を示した。このようにして文永の役はおこるが、モンゴル帝国の軍船は全て嵐にのまれることになる。これはチロの仕業であったが、孔明を「人類に過ぎたる加担はまかりならん」と叱責したことに反するようである。しかし、チロは先を見通していた。というのは、チンギス・ハンとその配下だけでは近いうちに他の超人類たちの反発を受け破綻するだろうという予測があったのである。つまり、過ぎたることをしでかしたのは、チンギス・ハンであり、チロは非難されるようなことはしていないという言い分であった。見ようによってはチロの勝手が過ぎるようでもあるが、強き者の言い分はまかり通るものらしい。

 確かにチロの予測通りに、各地の超人類たちは連合しチンギス・ハンに版図を縮小して草原に戻れと勧告することになる。連合の代表がモーセであったことからチンギス・ハンは、手を引くしかなかった。モーセも3本の指に数えられる超人類で、世界中の宗教の8割近くの信者に影響を及ぼしていた。

 しかし、チロはやり過ぎたのかもしれなく、チンギス・ハンやモーセに日本の存在を強く印象づけることとなった。これを契機に世界各国は、日本に使者や密偵を送り込むようになる。


第7話 鎖国

 日本に派遣された密偵の代表格にマルコポーロがいた。彼の能力は情報収集能力で5感が異常に発達していた。また、人混みに溶け込むことが達者で存在感を消すことにも長けていた。また、偽文の名人で誰が読んでも嘘であることがわかるのだが、その中に真実を潜り込ませることができた。史実としてマルコポーロは日本にきたことはないが、実は堂々と入国していたのである。彼を派遣したのはモーセだったが、彼でもチロや日本の超人類のことを突き止めることはできなかった。このことが、モーセによりいっそうの疑惑を抱かせることになる。日本に超人類がいないはずはないとモーセは思っていたのである。

 一方、チロは次々と送り込まれる密偵に辟易していた。ほとんどの隠蔽工作は孔明に託していたが、孔明の能力を上回る密偵が派遣されたならば、万事休すとなりかねない。チロが脅威と感じたのは、キリスト教徒の増加であった。キリスト教そのものに脅威を感じたのではなく、陰に構築されつつあるキリスト教徒の情報網であった。

 最初に日本にやってきたのはフランシスコ・ザビエルで、その後続々と宣教師が来日した。フランシスコ・ザビエルは超人類ではないが、その布教活動は精力的で次々と信者を増やしていった。故に孔明はキリスト教徒の弾圧を始めるのだが、ほとんど効果はなかった。チロはフランシスコ・ザビエルがモーセに派遣されたことに気付いていたが、今もって謎なのは一向宗を陰で糸をひいているのが誰なのかわからなかったことである。このキリスト教徒と一向宗に手を焼いた孔明は鎖国の模索を始めることになる。

 結果として徳川幕府は鎖国を行うことになる。長崎の出島だけが海外との貿易接点となり、日本の人類は世界の文明と異なる道を歩むこととなる。孔明はもとよりチロもこのときの鎖国の判断が、正しかったのか今もってわからないままである。しかし、日本を外国の脅威から300年もの間守ったという事実は残り、後に明治維新を経て日本は列強に凄まじい勢いで追いつくことになる。

 17世紀のヨーロッパでは、飢饉、戦争、内乱が相次ぎ混乱の時代となったが、科学革命により科学の進歩が急ピッチで行われるようになる。科学の進歩は20世紀初頭まで加速度的に続くが、その後停滞期を迎えることになる。いずれにしても日本は300年の間、西洋の科学とはほとんど無縁となっていく。

 北米に超人類NO.1のラーが移転したことで、ヨーロッパの支配権はモーセが握ることになった。モーセは相変わらずエルサレムの地を動いていない。超人類のほとんどが大きな組織に属することを好まず、小集団が集散離合を繰り返している。その中でも大きな集団が、ラーやモーセを中心としたものであって、彼らの集団が一枚岩となることはなかった。モンゴル帝国が瓦解した後、チンギス・ハンは陰でロシアや中国の超人類に影響を与え続けている。自分の傘下にはできないが、少なくともラーやモーセよりは自分を選ぶものと信じている。第4勢力としてインドでは創造のブラフマー、繁栄のヴィシュヌ、破壊のシヴァが、支配権を持っていたが、見かけ上はラーやモーセの勢力圏にある人類の植民地政策によりインドはモーセに支配されることになる。インドの3人はしたたかで、争うよりも機を見て繁栄することを選択したのであった。


第8話 明治維新

 100億年以上この世界に存在するチロにとっては300年という歳月は瞬きするも同然の時間であったが、それでもチロは久し振りに得た自由な時間を自分の望みのために使っていた。孔明にとっても鎖国は望むものであった。というのは、孔明の超人類としての能力は、上から数えて20番目くらいだったからである。上位の超人類と争えば傷ついたり、最悪死に至ったりすることも考えられた。劉備、関羽、張飛の4人で日本を陰から支配しているのであるが、このグループは世界からみれば実力的に十数番目に位置していた。それでも孔明が安穏としていられるのはチロの庇護を受けているからである。

 突然であったが、鎖国の終わりを告げる警笛が鳴り響いた。アメリカ合衆国からの使者であるペリーが大統領からの国書を携えて開国を迫ってきたのであった。もちろん大統領はラーの傀儡で、ラーやモーセはベールに包まれていた日本という国を暴く決断をしたのであった。ラーとモーセは不可侵の約束をし、残った世界、つまりアジアなどを支配下におくことを約定の1つとしていた。これには人類がおこした産業革命による市場の拡大を名目としていた。1つにはチンギス・ハンへの牽制、1つには日本を支配下におくことが重要な目的であった。インドの三神はおとなしくラーらに従ったので大きな争いはなかったが、清国はアヘン戦争を皮切りに過酷な運命を辿ることになる。チンギス・ハンもラーやモーセと結託したかったが、許されずにチンギス・ハンの影響下にあるロシアの利益はそれほどではなかった。また、チンギス・ハンの影響下にある清国を侵されるという杭の頭を叩かれるはめとなっていた。

 日本では、孔明らの傀儡であった徳川幕府に反旗を翻す諸藩が増加していた。孔明らは幕府と朝廷を抑えておけば安泰であると考えていたため諸藩に直接影響を与えることは難しかった。朝廷はもともと孔明らの支配下にあったため、1つの策として国家権力を幕府から朝廷に移すことを孔明は思い立つ。つまり尊王思想を広めることが、急務となった。同時に攘夷の思想も広めることになるが、後に孔明は攘夷を諦め開国の道を選ぶことになる。

 当初の孔明の策の進展は思わしくなかったため、孔明自身がのりだすことになるが、これはチロの許可をとっていた。またいらぬ叱責を受けてはたまらないからである。こうして、孔明はある人物と入れ替わることになる。彼が修業のために土佐から千葉道場にやってくる道中のことであった。つまり、坂本龍馬が活躍を始めるのはここからである。諸藩の大名に面会することも幕府の重役に知己を得ることも孔明にとっては造作も無いことであった。問題は、血気にはやった若者たちであった。孔明は赤壁の戦い以来ともいえる大論陣をふるうことになる。

 孔明の論陣を受けたのは、西郷隆盛と桂小五郎であった。かれらは人類としては1つ頭の抜き出た存在で、孔明も少々手を焼くことになるが、倒幕後に薩摩と長州が政権をとるというシナリオをエサに説得は成功した。これは実際には孔明の詭弁で、明治政府も孔明らの傀儡となっていく。故に明治政府に孔明が加わることはできなかった。陰で政府を操るのであるから坂本龍馬は若くして姿を消さねばならなかった。


第9話 富国強兵

 これは孔明の勇み足ともいえた。列強ラーやモーセに負けまいとする孔明のプライドだったのであろうか、孔明は西洋の文明を搾り取るように吸収していった。チロにとってはどうでいいことだったが、後に文明開化と呼ばれる孔明の方針が争いの火種を生み出し、数十年後、日本にとっては空前の対外国との大戦争をうむことになる。

 日本は島国で鎖国政策にみられるように対外国との接触を極力抑えることができていた。これが独自の文明や文化をうみだし、精神の部分で他の外国の追随を許さないほどの進化を遂げていたのだ。この進化にはチロも気付かず、21世紀に桃九と出会うことによって「なるほどそうことなのかもしれない」と思うようになる。

 それが海外から科学技術を導入したことによって進化は妨げられることになる。しかし、これも新しい風を入れたという意味では有益なことだったのかもしれない。科学の根幹をなす論理というものが、日本の精神の骨格を強く支配していた感性と融合することになり、世界に類をみない思考能力を有するものが、肉体構造的にも思考的にもうまれていくようになる(その代表は桃九であろう)。しかし、それはまだ先の話で明治維新以降100年以上にわたって科学主義による合理性や論理性が優位に立ち、日本には馴染みの薄い民主主義や資本主義が国家の基盤を形成するようになっていく。

 日本人は勤勉であるという考え方もあるが、実は日本人のもっとも優れた資質は感性にあった。つまり何かを学ぶとき、重要なポイントを感性により掴むことができたのだ。それ故、西洋の技術を取り入れる速度は凄まじく、短い期間に列強からも脅威とみられるようになる。日本が西洋から取り入れたのは科学技術だけではなく、植民地政策という日本がやってはいけないことも取り入れてしまった。日本の勢いは凄まじく、孔明の政府に対する影響力は徐々に箍が外れていくことになる。ラーやモーセほどの能力を有していれば政府を傀儡とすることも可能であったかもしれないが、孔明には文明開化以降の政府を傀儡とすることに限界がきていた。唯一、チロとの約束で北東北には、必要以上の影響を与えないことが、精一杯の孔明の働きとなっていく。チロは成り行きを見守るばかりで介入してくることはなかった。ラーやモーセと接触するのはまだ早いと考えていたのである。

 日本は、日清戦争や日露戦争で勝利をおさめ、列強の仲間入りをしたつもりになっていた。ところが、ラーやモーセからみれば「日本はこの程度の国だったのか」という評価となり、日本を支配下におくことは容易であると考えるようになる。

 そうとは知らず、日本は軍事力の強化を進めるようになる。この頃には、孔明らは身をチロの元に寄せるようになっていた。チロも何か考えがあるのか、孔明らを三角山に受け入れて、空海らと同居させるようにした。

 日本では蒸気機関車が走り、電話による通信網の整備が開始され、あたかも時の流れが速くなったような時代を迎えていた。日本の人類は便利さに酔いしれ、精神文化よりも物質による恩恵に価値を見出していく。大衆の望みは果てしなくなり、まさに夢見る人類と化していた。対外戦争には勝ち続け、日本中に歓喜の叫びが木霊していた。もっとも、それは中流階級以上の人々が中心だったのだが、日本政府はこの大衆に煽られるように破滅への道を辿っていく。


第10話 太平洋戦争

 孔明らの傀儡であった日本政府は、孔明の影響を受けることがなくなったため、糸の切れた凧のように暴走を始めた。際立った指導者もおらず、大衆に煽られるように政策が進められるようになる。一見民意を反映した善政のようにも見えるが、実態は欲しいものをねだる子供のような国になっていった。隣国を植民地にしたいと望み、我も列強の1つであると思い違いをするようになっていったのである。ついには米国と戦闘状態に入ることになるが、戦況が圧倒的に優位なときにはさほど気にならなかった徴兵制度も戦況が著しく悪化するにつれて、悲しみの対象となっていく。赤い紙が届くということは大切な人を失うに等しく、日本の人類は自分たちの過ちに気が付き始めたのであった。

 結果、太平洋戦争は無条件降伏というかたちで幕を閉じるが、このときチロは初めてラーと接触している。驚いたのはラーで、まさかチロが日本を支配しているとは思わなかったのだ。せっかく戦争に勝って日本を支配できると思っていたラーは落胆したが、チロは、

「日本を支配しているのはわたしではありませんが、ラーが日本を完全に支配することは許しません。但し、モーセとチンギス・ハンを日本に干渉させないという条件ならば、ラーが日本を緩く支配することを認めましょう」

 ラーは緩い支配とはどういうことかと悩んだが、少なくとも日本を支配する権利を得たと考えることにした。モーセとチンギス・ハンにはチロが介入していることを伝え、チロが日本にいるかぎり日本は特別な国となっていく。ラーが支配権を得たとしてもチロの不興をかうことはできない。緩い支配とはそういうことかと一人納得するラーであった。

 チロの力をもってすれば太平洋戦争で日本が勝利をおさめることは容易であったが、チロはそうはしなかった。チロが日本の人類に求めたのは物質よりも精神を重んじる性質であったからで、物質のことであればチロはどの人類よりも知識が豊富なのである。チロが知りたかったのは、桃の精が分割した精神(人類に宿っている精神)の現在の性質であったのだ。

 部分が集まり全体となるときに創発現象を起こすことは知っていた。これを集合的創発と呼ぶとして、精神分割や細胞分裂によって起こる現象を分割的創発と呼ぶことにしたが、分割的創発は集合的創発よりも不明な部分が多い。つまり、集合的創発も不明な点が多いが、分割的創発はそれ以上だということである。それの披験体として日本の人類が有望であると考えたチロは、物質文化に傾倒していく日本の人類を精神文化へと戻すために戦争に勝利を与えなかったのである。

 戦後、日本の人類の復興は凄まじく速くチロの思惑とは離れたかたちとなっていく。唯一、残ったのは根性論であり、この根性と呼ぶ精神力が復興を早めたともいえた。もちろん、ラーの傀儡である米国政府の緩い支配も大きい影響を与えた。

 根性論(精神論)とは、物質的な劣勢を精神の力で跳ね返せるとする論であるが、そもそも根性とは仏教用語である機根を由来とする言葉で、「その人間が持って生まれた性質」を意味するようである。この後、日本を支配するのは物質や合理性、論理性であるが、意図しなくとも日本人は精神文化に目覚めるものを輩出するようである。


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