第1-7話 論理感性融合法の基礎講座
第1-7話 論理感性融合法の基礎講座
「正常な転送機は、装置に収まる→転送先に転送する→転送先で実体化する、という手順で機能すると考えるが、1つには”装置に収まる”の条件が特定過ぎると考えられる。正常な転送機なら、もっと多くの人がこの紋章に取り込まれているはずだ。1つには”転送先に転送する”の転送先の条件が取り込まれた人(今のところ優しかいないが)の意志で決定されている。装置は補助的な役割しか果たしていないように見える。1つには”転送先で実体化する”が全く機能していない、優が生きてここにいること自体が奇跡みたいなものだ」
「なるほど、確かにそう考えると全ての辻褄が合いますね。では、この故障している転送機を修復するということですか。しかし、これは平面の紙ですよ……」
「故障しているのか開発途中のものだったのかはわからないが、いずれにしても正常に機能していないことは確かだ。それに、平面が2次元だとか、物質世界が3次元だとか言っているのはわれわれだけだ。形状性質論によれば平面も次数を持つ。そして、物質世界と虚数世界との座標変換を考えているとき、気がついたことがある」
「確か、形状性質論の次数は情報だけが扱えるのでは?」
「うむ。確かにそうだ。いや、そうだった。わたしは大きな思い違いをしていたのだ。次元とはこうあらねばならぬという固定概念に縛られていたのだ。わたしたちは、実数を自由に取り扱える。それと同じで次元も定義の仕方とその定義が現実に添っているか試すことによって自由に取り扱えるはずなのだ」
「見通しがたっているのですね」
「いや、まだだ。しかし、困難な問題にあたるとき、自由な発想と確固たる信念が必要なのだ。それと同時に諦めるという潔さも必要だ。大事なことは、発想を発起して試して駄目なら諦めるというサイクルをいかに早く、回数を多く行うかということだ」
「なるほど。勉強になりました。桃九さんとわれわれの違いはそこにあるのですね。われわれは1つのことに固執し過ぎているのかもしれません」
「今検討中なのだが、われわれの技術陣営の能力の底上げのために、東雲さんに定期的な講座を開いてもらおうかと思っている。論理感性融合法の基礎講座になるが、そこには仏教の教えも多々含まれている。例えば、ナカマの言った固執は執着と同じものなのだ。この執着が技術開発の速度を阻害している。ナカマの言った固執しているという認識は正しいのだ。しかし、これを振り払うことは個人では難しい。他人に止めろと言われても納得がいかないだろう。如何にして振り払うかというのが、基礎講座の1科目となる」
「どうすれば振り払えるのですか?」
「それは、基礎講座で学べといいたいところだが、少しだけ披露してみようか。基本的な考え方の1つに”論理は思考の中間プロセスである”というものがある。知っていると思うが、論理と理性は異なるもので、理性は感性に含有される。論理は中間プロセスであるから、新しい思考を発起できない。われわれが発想と呼んでいるものもその1つだ。論理が発起できる思考は継続される論理展開の中だけである。つまり、新規の思考発起は感性によってだけできることになる。しかし、感性が暴走すれば結果は予測できず、その良否も判断できなくなる。ここに問題を抱えているため、基礎講座は見切り発車となるのだ。ついでだから言っておくけど、感性と感情も異なるものだよ」