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Because you give it

きっと彼女は戻れない

「セイ、帰ったよ」


がちゃりと玄関の扉が閉まる音と、呼びかける聞き慣れた声が薄く開けた部屋の扉越しに聞こえる。

どうやらふーちゃんが訪ねてきたようだった。

私は今すぐにでも返事を返したいのを堪え、じっと息を殺す。

ふーちゃんは私の返事があるまでは決して入っては来ないのだ。それを確かめるために今日も、限界まで返事はしない。

ふーちゃんの声の残響が空気に溶け込んでなくなる頃合を見計らってようやく私は小さな声で声帯を震わせた。


「お帰り」


大丈夫。まだ生きているよ。呼吸をしているよ。

ふーちゃんが溜息を吐く音と、ビニールと布が擦れる音がする。

少しの間を置いて、私より重く長い間隔の足音が近づいてきた。


「セイ、入るよ」


遠慮がちに囁く声が扉を開ける。簡単に予想がつくふーちゃんの動作を先回りするように、私はベットから剥ぎ取ったシーツを被り扉の前に立ちはだかった。


「ばぁ」


ふーちゃんの侵入から一拍置いて、抑揚のない声を上げる。

シーツの布面積が足りないせいで蒼白い脚の踝までが剥きだしになってしまうのがほんの少し恥ずかしかった。

はぁ、と呆れたような溜息が聞こえる。


「セイ、何やってるんだ」


予想通り白いシーツが剥ぎ取られていくのを、特に何の抵抗もせずされるがままにする。

当たり前だが剥ぎ取られた後にはシーツを持って顔を顰めてみせる、私の幼馴染であるふーちゃんの姿が見えた。今日は一旦家に帰ってからきたらしく私服のパーカー姿だった。長袖のふーちゃんの格好を見ることで外はもう秋だということを思い知らされている気分だ。


「盗られた」


ぼんやりとふーちゃんを見上げながら呟く。黒曜石のようなその瞳には何の表情も浮かんでいない私の顔が映りこんでいた。


「まぁ、盗ったからな」


かくり、と首を傾けて見せるとふーちゃんの表情が僅かに曇る。そこそこ整った顔のふーちゃんがその表情になると妙な綺麗さがある。眼球が小刻みに動いたところを見ると、また私の言動に意味を見出そうとしているのだろうか。無駄なのに。

ふーちゃんが立てていそうな予想をあえて避けるべく、私はかなり惚けて見せた。


「あれ、ふーちゃん?」

「今頃かよ」


溜息を吐きながらも、律儀にふーちゃんは突っ込んでくれる。

嬉しくて頬がにやけそうになるのを押さえながら今度は逆方向に首を傾けてみた。


「セイに逢いにきた」

「うん」

「変なの」


本格的に頬が緩みそうになったので、ぼそりと返事するだけに留めるとそのままふーちゃんに背を向けた。

からくり人形のような仕草でベットに上がり、ぺたんと座り込んでから、これ見よがしに何かを探すように辺りを見回してみる。


「シーツ、消えた」

「……」


ふわり、と無言のまま頭の上にシーツが被せられる。


「みゃー」


少し、吃驚した。

暫らくもぞもぞと蠢いて位置を調整していると、だんだんと眠くなってきた。ふーちゃんが来る前に飲んだ睡眠薬がようやく効き始めたらしい。もぞもぞするのをやめる。


「シーツ、セイ、ある」


眠たげな声を上げてみれば、ふーちゃんがそっと足音を立てないようにして部屋を出て行くのがわかった。


 ♀♂


とろとろと温かい泥のようなまどろみの中でふーちゃんのことを考えてみる。

閉じた世界の胎内の暗闇は居心地は何とも気持ちが良く、どこまでも溶け込んでいけるような気さえした。


「うわ」


リビングで上がった微かな悲鳴を、夢現ながら鼓膜は捕らえる。

どうやらふーちゃんがリビングでの惨状を発見したようだった。

昨日ふーちゃんが帰った後、見つけた絵の具であの苛立たしい白色を塗り潰したのだ。黒の上に紅を塗りたくってみたが、ふーちゃんは気付いてくれるだろうか。

掃除をふーちゃんにさせるのは心苦しい限りではあったが、私は壊れてる可哀想な幼馴染の筈なのでふーちゃんを手伝うことは出来ないのだ。

ただただ安寧の胎内で心を痛めるばかりである。

ごめんね、ふーちゃん。


 ♀♂


再び目を覚ますと、何かを炒めているような良い匂いが部屋に漂ってきていた。それにつられるようにして状態を起こし、目を擦りながらリビングの方へと向かう。

勿論、ぺたんぺたんと自らも苛立たしくなるような遅々とした歩みでふーちゃんに私が近づいてくることをアピールするのも忘れないようにしながら。

かちゃかちゃと陶器が触れ合う微かな音がする。

私はそっと扉を開くと顔を覗かせた。

腕まくりをしたふーちゃんが、私に気付いて笑いかける。


「ごはん」

「そうだよ」

「セイ、食べる」

「そう、だから席に着け」

「わかった」


ぺたんぺたんと大人しく席に向かって着席する。

何を思っているのかふーちゃんは私のほうを凝視しているようだった。何だろう。ワンピースのことでも気付いたのだろうか。


「今日はチャーハンだぞ、セイ」


二人分のチャーハンを運んできたふーちゃんが片方を私のほうへと置く。私はぱちぱちとわざとらしく手を叩いて見せた。


「おいしそう」

「良かった」

「ふーちゃん、じーにあす」

「何で英語なんだよ」


可笑しそうに笑いながらふーちゃんが突っ込む。

「うぉ?」


かくりと傾げた視界に、在りし日の面影を見てしまったのは私の錯覚だったのだろう。


 ♀♂


ふーちゃんは視線を落としたままチャーハンを黙々と口に運んでいる。

先に食べ終わってしまった私は、そんなふーちゃんに気付かれないようにそっと顔をテーブルに伏せ瞼を閉じた。いわゆる狸寝入りである。

しばらくしてからようやくふーちゃんも食べ終わったらしく、食器が動く音が止まった。気遣わしげに私を見やる視線が身体の表面を通過する。

私が眠ってしまったと判断したのだろう、そっと身体が優しく持ち上げられた。少年にしては薄い、しかしちゃんとした厚みのある彼の胸がしっかりと抱きとめてくれる。

部屋に入るとふーちゃんはベットの上に私を横たえた。

僅かな間を置いてから躊躇うようにふーちゃんの指が私の黒髪を掬い上げる。


「ごめん、セイ」


苦しそうな言葉が零れ落ちてくる。

まるでそれは血の滲むような声だった。


「裏切って壊して貶めて、赦されるとは思ってないけど、思わないけど、せめて、せめて、昔のような笑顔を見せて欲しいと願うのは、僕のエゴなのかな」


ふーちゃんの願いはエゴなんかじゃないよ。

思わずそう言い返しそうになって、寸でのところで私は人形に徹し直した。ふーちゃんから見てみれば眠っている人がいきなり喋り出したら吃驚するだろう。ましてや、今の言葉は懺悔だ。私が聞いていたことにしてはいけない言葉の類なのは誰の目にだって明らかでもある。

閉じた瞼の奥でそっと眼球を動かした。

ふーちゃんの願いは決してエゴなんかではない。赦されるもなにも、ふーちゃんは悪いところなどないのだ。そう、実際ふーちゃんがどう思っていようと、この状況を作り出しているは私に違いないのだ。

それに、ふーちゃんが何を気にしているのかなんて私はよくわかっている。痛いほどにわかりきっている。

いけないのは私だ。悪いのは私だ。ふーちゃんに負担を強いて、ふーちゃんを罪悪感で縛って、ふーちゃんの良心に縋って、呼吸をし続ける私が悪の根源なのだ。

私の心の壊れた傷なんてもうとっくに癒えている。嘘をついてこうしてふーちゃんの弱みに漬込んでいるのは私のエゴでしかないのだ。

暗い眼差しで瞼越しのふーちゃんを想像する。

ぴったりのタイミングで骨ばった大きな手が頬を撫でた。


「また後で片付けしにくるから」


少し声が掠れている。

そしてふーちゃんは立ち上がり私の部屋から出て行ったようだった。

足音が遠ざかるのを聞き届けてから、私は暗闇の中で目を開いた。


玄関のほうからがちゃりと扉を閉める音が聞こえた。

宵闇が漂う部屋の中で私はそっと腕を空に伸ばす。

続いて聞こえた鍵をかける音は、まるでふーちゃんを現在に閉じ込める音に聞こえた。








    ごめんね、ふーちゃん

     でもこれが、私なりの×××なんだ

この小さな物語の残骸が少しでも多くの目に触れることを祈って

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