エピローグ
俺はゲルツルード、ママサの薬師だ。
前世では青山と言う名前だった。俺が10歳くらいのころから自分の中で声が聞こえるようになり、あるとき一体化して自分が青山正則だと分かるようになった。その声や記憶から、いろいろなことをやって来た。
壊血病の対応、狂犬病のワクチン作り、ダイナマイト作り。
狂犬病のワクチンは、今ではマナドで組織的に確かな効果のあるものが作られている。
ダイナマイトは……一度爆風による消火に使ったが、その後は封印している。
イノシシ牧場は今でこそ順調だが、最初は苦労した。柵を飛び越えるわ穴を掘って逃げるわで、捕まえてきてくれたカルボ師匠には何度も生け捕りしてきてもらうことになった。ウサギ肉のミンチをイノシシの腸に詰めたママサミートは牧場名物になっている。ソーセージより先にフランクフルトができたわけだが、フランクフルトと命名しても意味がないし、ママサミートと名付けたら流行ってしまった。どの世界でも地名で呼ばれる運命の食べ物なんだな。
「ルッツ」
「ヌェムか、どうした」
「ラクローたちが来ましたよ」
「お爺ちゃーん」
部屋に入って来たのは息子のラクローと孫のキルク。ラクローは若いころ船に乗って磁石や使えそうな植物を探しに行かせた。あちこち渡り歩いて落ち着かず、キルクは「多分俺の子だから」と言って連れてきた。髪の色とかだいぶ違うし、母親に会ったことはないが大丈夫かと思ったこともある。ま、人生そんなものだな。しかし、ラクローのおかげで加工しやすい強力な磁石が手に入って、モーターの完成に近づいたのだから、それで良かったのだろう。
その発電所……あれは大変だった。発電機の仕組みも良く知らず、磁石もない状態から始めたんだった。電線から煙は出るわ、火傷するわ、電柱に巣を作られるわ。ヌーハで磁石の話を聞いてからようやく回転するものができるまで15年かかり、発電と言える段階に達したのはほんの10年前だ。実験でうまくいったから設置して見たら振動で崖から落ちて壊れたこともあった。そのくせ使い道はまだ街灯ぐらいなのだから、次の世代に期待するしかないか。
「もう?」
「あぁ、ラクローも元気でな」
「お爺ちゃん、またねっ」
手を振って牧場の方に向かう息子たちを見送る。
そろそろ落ち着いて牧場を管理させようと呼んだのだ。イノシシの扱いは俺よりはるかにうまいからしっかりやってくれるだろう。
電柱の巣と言えば、ハッピーも不思議な奴だった。鍾乳洞から脱出するのに手懐けたハルピュイアのはずだったが、電柱に居座り、家の屋上に引っ越した。ラミアと違って見分けがつかないから名前で呼んでいて、1羽だと思っていたらいつのまにかハッピーと呼ぶと返事をするのが3羽もいるのはどうやって増えた?
薬草ハーブ園も大きくなった。アルコール消毒や塩析、鹸化など知識で強引に進めることができたものと異なり、薬草成分の分析ができなかったので薬効が良くわからなかったものもあるが、経験と伝承でなんとか乗り切った。
評議員としてもいろいろやった、もちろん失敗も多かった。
学校を作ったのは……どちらかと言うと失敗だったなぁ。色々な種族が一緒に学んだら、どんな種族も受け入れられる社会になるんじゃないかと思ったんだが、そんな考え方の馴染む先生が、教師が足りなかった。人材なんてそうそう都合よく見つからないものだ。
直接の教え子が少しは世の中に出たが、ママサ以外では知識の使いどころがなかった。最初の数人は教師として残る期待をかけたのにもかかわらず、余所に出て行ってしまうことになったくらいにはもてはやされたものだが。結局、識字率が少し上がって、街での生活が多少便利になったかなと言う程度だ。
アルさんは最初ヌーハの森に居座っていたが、何回かイーグルの避けかたやイノシシの狩りかたを聞きに来ているうちに戻るのが面倒になったのかママサの森に居ついてしまった。それに伴いヌーハの人たちも移住して来たが、どうしても川の近くが良かったようで、橋の近くに農地を切り拓いて住み始めた。ママサと少々離れているので閉鎖社会になるのではないかと心配したが、それなりに産物の流通に合わせて交流があるようだ。
声は、青山正則の意識がいつのまにか聞こえるようになり、青山正則として行動できるようになった後、50歳を過ぎたころから意識できなくなった。最近は記憶はまだ大丈夫だが、知っているはずの薬の知識がすぐには出てこない。ゲルツルードとして生きたのは10歳までと50歳を過ぎてからと考えると、30年ぐらいか。声が聞こえていなければ30歳くらいでレナさんあたりにパクリとやられていたと思うので、青山正則として生きた分があるだけ面白い人生だったと言えるだろう。
「ヌェム」
表に移動し、家の外で森の方を見ているヌェムに声をかける。
「本当に行くのですか」
「ああ、今まで世話になったな、ありがとう」
「いいえ、こちらこそありがとうございました、寂しくなりますね」
「なに、ラクローたちが賑やかにしてくれるさ」
「そうなると良いですね」
「今度生まれ変わったら、こんな怪しい男に引っかかるんじゃないぞ」
「えぇ、今度はしっかり尻に敷いて見せます」
「言ってろ」
俺はよいしょっとモーター付き自転車に跨った。モーターの大きな電動自転車である。タイヤは、ヌーハの北の海岸にゴムが採れる植物が生えているのを見つけて試作してみたものだ。ママサの森まではしっかりコンクリートで舗装済である。
「ルッツーッ」
俺は振り返らずに手だけを振ると、森に向かった。
「やぁ、パフと……ルッティとルーディか」
パフは、相変わらず若くて美しい。
「ルッツ先生、本当にいいのですか」
「あぁ、人間はイノシシの餌にもせずに埋めてしまうんだ、勿体ないだろう?」
「それ言ってたの、私のお母さんですよ」
「そうだったか、筋っぽくておいしくないと思うが」
「そんなことはありません、きっと」
「殖える役に立てなくて済まんな」
「いえ、もう十分役立ってもらいました」
俺は座り込み、体を預けてきたパフをしっかり抱きしめた。
「パフ、今までありがとう。それでは頼む」
「はい……先生、ありがとうございました」
パフは口づけの後、俺の首に優しく歯を立てた。




