四
矢を放って助けてくれたのはメグさんだった。矢を咥えていることから、毒矢だったのだろう。
お腹が大きい……そういえば、減った兵士は2名だった。
「いやぁ、メグさん助かりました。ありがとうございます。あの、もう一人はもしかして?」
お腹に目線をやりながら尋ねると、
「その通り、繁殖からは引退したはずだったんだけどな」
そういってニコリと笑った。
「10日以上前からこの辺に2人組でうろついていてな。野営をしたり、街の方と吠え交わしたりしていると思ったら、昨日そのうちの一人が私の所にやってきた。おとなしくしろとか言ってたから本人は私を襲ったつもりだったかもしれないが、まぁなんだ、おいしくいただいた」
やっぱりか。だがそうすると、身重の状態でヌェムに連絡を頼むわけにはいかないな、どうしようか。
「そうですか……、実はさらに20人ほどに追われていまして、しかもウェアウルフも混じっているのでこのあと川を越えて臭いをごまかしてから、森に戻ってしばらく匿っていただこうかと思いやって来たのです。その、メグさんには伝言を頼もうと思ったのですが……」
と言いかけたのだが、
「なに?まだ男が20も来るのか。なら警戒させるわけにいかんな、こっちへ」
メグさんはそう言って、倒れて……おそらく既に死んでいる足元のウェアウルフをひょいっと抱え上げると、肩に担いで歩き出した。
ローザさんもパフたちの父(?)を拾って運んだとか言ってたし、彼女たちは見かけより力があるんだな。そう思いながらついて行くと、他の見張りの人たちだろうか、ラミア族が何人か立っているのが見えた。
「ちょっと待っててくれ」
メグさんはスルスルと他の見張りの人たちの所へ行ってウェアウルフを降ろすと、しばらく話して戻って来た。
「よし、獲物は渡したし、骨の始末も頼んできた。じゃあ、追いかけてもらえるように臭いを付けながら川まで行こう。伝言はレナに頼んできたから、森に戻ってきたら内容を教えてくれ」
「わかりました、お願いします」
うん、レナさんならヌェムが誰かを知ってるから言伝が頼めるな。そもそもヌェムはラミア族の見分けができないみたいだから、伝言は俺の店を知っていれば良いわけだし。
俺は単に追っ手を撒いて森に隠れようと思っていただけなのだが、メグさんの目論見では追っ手を有効利用するつもりらしい。草原と森の境界を行ったり来たりしながら進んで行く。だいぶ暗くなってきた頃、
「先生ー」
「お、パフか?」
ラミア族は繁殖年齢に達するまでの成長は速い。パフはそろそろ4歳になるはずだが、見かけは人間でいうともう16、7歳くらいである。
「わーい、ひさしぶりー」
そう言うと俺の腕に抱きつき、伸び上がるように顔を近づけて頬に「チュッ」と口づけた。
「な、何だ?」
「うん、もうすぐ繁殖に参加するようになったらできなくなるから。あと、予約ー」
「何の予約だ……俺は売約済だぞ」
自分では売約済の自覚はないが、この予約には危険な香りしかしないのでそう言って牽制しておく。
「いいもんっ。だから子どもができたらご飯運んでね」
『確かに繁殖効率上は、その方が確実に複数の子どもを産めるわな』
パフはもうすぐ巣立ちして家を移動するため、場所を決めるために森の縁に来ているのだと言う。何か変な予約をされてしまったが、いろいろな意味で問題が多いので今回の件が落ち着いたらじっくり説得しなければならない。
このあとの予定を話し、ここからはメグさんと交代してパフについてきてもらう。
松明を使うとこちらの位置がもろにわかってしまうため、夜目の利くラミア族の案内は必須だ。
ようやく森の切れ目まで来た。ここから少し上流に行くと、マリリ川から支流が分かれているところがある。支流は渡れるところが何か所かあるので、支流の上流で川を渡った後対岸の岩だらけの荒野を下流に戻り、別の場所で支流をもう一度渡って森に戻ろうというわけだ。森の切れ目でパフは追っ手の様子を見ると言って器用に木に登っていき、後方を窺った。
「えーっと、明かりを持ってるのが今森の向こう側に着いたところくらい」
木から降りてきたパフが報告する。もし、松明を持たずに先行して追いかけている者がいれば別だが、それはそれで先行者の追跡が困難だろうから、まだ少し余裕があるとみて良いだろう。
「ありがとう、じゃあ少し余裕があるみたいだから、魚でも捕まえるか」
考えてみれば、街を出てから何も食べていないのだ。口にしたのは怪我の傷口洗浄用に持ってきていた生理食塩水だけである。
「その辺に魚が浮いてくるはずだから見てて」
河原に降りた俺はそう言って頭くらいの大きさの石を持ち、岸から少し離れたところに有る岩に向かって思いっきり投げつけた。ゴッ、と音がするようではまだまだ。カーンと響くような音がすれば成功である。ぶつけた衝撃が伝わると、岩の下に潜んでいた魚が浮いてくるのだ。ピペルの実を持っていれば、大量に叩き潰し、布に包んで川の中で揉むようにすると同じように魚が浮いてくるらしいのだが、ピペルの実も決して安くはないのでやったことはないし、そもそも今日はピペルの実を持っていない。
5回くらい石を叩きつけていると、魚が2匹浮いた。これでいいだろう。
「パフ、魚は生で食べるか?それとも焼いていいか?」
肉を溶かすようにして食べるラミア族にとっては、焼いてしまうと却って食べにくいだろう。
「私はお昼に食べたから、先生が2匹とも食べていいよ」
うん、食いだめもできるんだったな。
河原で、火打石になるような硬めの石を探す。これにナイフを叩きつけて、飛んだ火花を枯草、特に花の跡が綿のようになっているものに燃え移らせれば火起こしの完成である。この方法で火を起こすとナイフが傷むのだが、そんなことは言っていられない。
一応、河原は低くなっているので火は追っ手から見えないと思うが、ある程度追いかけてもらわないと対岸に渡ったと騙せないのでたき火跡は見つかっても問題ない。
塩味がないのも文字通り味気ないので、魚には気持ち程度に生理食塩水をかけて焼いた。
「パフはこっちで対岸に渡ったことは?」
「んっとね、川まで来たことは何度かあるけど、渡ったことはないよ」
「そうか、まあ危険な動物とかはいなかったはずだからこの先も頼む」
「もちろん」
さらにもう少し上流へ向かい、浅くなっているところでなるべく川の中に入るようにして対岸へ渡る。これで、臭いによる追跡はできなくなるだろう。
対岸は、今までと異なり岩だらけの中にひょろっとした木が疎らに生えている荒野で……。
あれ?こんなに砂だらけだったか?
対岸は前に来た時の記憶と異なり、砂だらけだった。砂が多いのはもっと向こうだと思っていたが、風で流されてきたようで、砂の中に岩が顔を出しているといった感じの場所になってしまっている。パフは「へへー、歩きやすいよ」とか言いながら砂の上を進んで行く。俺は足跡が残るが、風が吹けば消えてしまうのでなるべく風に流された後のある場所を選んで歩いて行く。
だが、それがいけなかったようだ。
「――――ッ」
砂に足を取られ、膝をつく。と、体が砂と共に動いて行くのがわかる、流砂だ。脱出しようとするが、脚が砂に沈み込み、うまく動けない。体がどんどん砂に沈み込んでいく。
「先生ッ」
パフが手を伸ばしてくれるが、体が回ってしまいパフの位置は後ろになっている。
「危ない、来る……な……っ」
声を張り上げようとするが、腹が圧迫され、息を吸えないので声を出せない。体がどんどん沈み込んでいく。
「先生えええぇぇぇぇっ」
パフの叫びを聞きながら、俺は砂に呑み込まれていった。
川の中の岩を叩いたり、胡椒や山椒を揉んだり、バッテリーで感電させて魚を獲るのは日本では違法です




