プロローグ
ヘビはかわいい。
そんなことを言うと、ほとんどの人は引く。
ごく稀に、まぁ趣味は人それぞれ、と言う感じで話を聞いてくれる人もいるが、実際に飼っているヘビを見に来ることはない。
家族も同様だ。
飼育室である私の部屋には決して入ってこないし、餌……これが冷凍されたヒヨコやピンクマウスと呼ばれる子供のネズミを冷凍したものなんだが……を解凍、温めるために電子レンジを使用するのだが、不経済にも専用電子レンジの購入を命じられた。
人間に異常が出るほど不純物やましてや毒を含んだものをヘビたちに与えるわけがないのだから、家族用の電子レンジを共用しても何ら問題はないはずだ。
理不尽である。
また、飼育そのものについても世の中への不満は多い。
うちでは比較的よく飼育されているパイソン系の他、アダー2種とヒメハブという3種類の毒蛇も飼育している。なお、この毒蛇3種類いずれも、
「こいつがツチノコだ」
と言うと、3人に2人は信じるのではないかという形態をしている。
まぁ、見に来る人間は滅多にいないし、いたとしたら正体を知っているので言ったことはないのだが。
しかし、これらは毒があるということで人に危害を加える恐れのある「特定動物」と言うものに指定されており、飼育には届け出が必要なのだ。
そのこと自体には不満はない。毒があって人に害を及ぼす可能性があるのは事実だし、無秩序に飼育を認めたら飼育している人、されているヘビどちらにとっても不幸な結果になるのは目に見えている。
問題は、この届け出、1種類につき3万円以上かかるのである。しかも、飼育個体にはマイクロチップを埋め込まなければならないのだが、これには専用の道具が必要で、獣医に頼むしかない。透明なアクリルパイプを使って自分で埋め込んでいる強者もいるが、獣医に頼むとしても毒蛇の保定ができる獣医がそんなにいる訳もなく(私の知る限り東京に1軒、近畿に1軒あるだけ)はるばる探して獣医に頼むと交通費もばかにならない。そのため3種類だと、飼うための申請だけで諸経費込み10万円以上必要と言うことになる。
しかもこれが、5年更新。
もう、申請に金がかかるようにしてなるべく特定動物は飼育させないようにしているとしか思えない。
もちろん他に、しっかりした容器で飼育している証明(画像可)も必要である。
これに餌代、冷暖房費なんかを考えたら相当の金額になるが、趣味なんてそんなものだろう。
というわけで、一般人には理解されない趣味ってわけだ。
彼女?
もう結構いい歳だが、親はとっくにそんな者を連れてくるのをあきらめているようだ。
だいたい、話が合う女性などまずいない。
友人はいないわけではない。マイナーな世界なので同じ趣味を持つ仲間との結びつきは意外に強く、いろいろな話で盛り上がりもする。
例えば、何らかのイベントで集合をかけるとき
「次黒17時中野」
これだけで、全員が質問もなく理解して集合できるくらいなのだ。偶に「D?8?」なんて聞かれるが。
その中に夫婦でヘビ好き、なんていう奇跡の夫婦が2組もいる。
どちらも大学の理学部や農学部の研究室で出会ったというパターンであり、薬学部の俺にはまず無理な出会いだ。
そもそも、娘がヘビを飼いたいと言い出したら、普通の親ならどうするか。
あっさり「いいよ」なんていう親はあまりいない。
「自分の家に住むようになってから飼いなさい」あたりだろう。
もし、ヘビの飼育に理解を示す女性に出会ったとしたら、
その親は知り合いか、知り合いの知り合いであると断言できるレベルである
さて、その日俺は、部屋でかわいいヘビたちに餌をやっていた。
ピンクマウスを温め、容器のふたを開けてピンセットで顔の前に差し出す。と、パクッと食べてくれるときは機嫌と健康状態が良いときである。
パフアダーが餌を飲み込むのを確認し、よしよしとふたを閉めようとしたとき……
グラッ と来た。地震だ、かなり大きい。
と、簡易温室の上から乾燥中の流木が落下してきた。このままではパフアダーの容器に当たり、驚かせてしまう。
俺はとっさに、パフアダーの容器を抱えて落下コースから外した。
木は無事にフローリングに落ちた。
だが、抱えた容器はまだ蓋が開いており、それを抱え込んだものだから、蓋のすぐ上に俺の首が来る形になってしまった。
急に容器が動いて何事かと思ったのだろう。パフアダーはもっとも近い「発熱体」つまり俺の首に攻撃を仕掛けたのだ。
パシッという衝撃を首に受けて、俺はパフアダーに攻撃を受けたのを悟った。
手を首に当てると、2ヶ所、小さな穴が開いているのがわかる。
やばい、この種類は毒の量が多く、死亡例が多いことで有名なのだ。
毒蛇に咬まれれば、「咬まれたところから心臓に近い側」を縛るという鉄則があるが、さすがに首を縛る訳にはいかない。
“飼育していた毒蛇に咬まれ男性死亡”
そんな新聞記事が目に浮かぶ。
今までの例から見て、いかにも危ない飼い方をしていたイメージで記事が作られるに違いない。
他の同好の士に迷惑をかけてしまうなぁ。
まぁ毒の量にもよるが、今からでは血清は間に合いそうもない。
毒蛇を飼育しているのだし、万一の時にはそれぞれ引き取り手も決めてあるから、この連中が路頭に迷って飢え死にすることはないだろう。
私は持っていたアダーのケースをそっと棚に戻し、棚の側面にもたれかかって座り込んだ。
次第に意識が薄れていく。神経毒も含まれているためか、幸い痛みはあまり感じない。
ああ、目の前が暗くなってきた。
……あ、やべー、ハードディスクを……
「惜しいのぅ」
「……ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」
……ん?……