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花は根に 鳥は故巣に  作者: 輝血鬼灯
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6.天望花鶏

 桜魔を部屋の外に引きずり出した紐は、花鶏の扇の柄についている飾り紐だった。

 退魔師はそれぞれが独特の能力を持つ。肉体を直接呪力で強化する者もいれば、道具を介してその呪力を発揮する者もいる。そして熟練であれば、呪力を衝撃波のような形で撃ちだすこともできる。

 花鶏は「扇」という道具を介して攻撃する型の退魔師だ。

 量を持ち歩けるように極限まで薄く作られた紙の扇は、花鶏の呪力を通した時にまるで剃刀のような切れ味と鋼のような硬度を得る。

 その扇の柄に結ばれた紐は呪力によって伸縮し、鞭のように扱える。

 退魔師として呪力で桜魔と戦う時の花鶏は、普段のおっとりとした姿からは想像もできないほどに神々しく――強い。

 瘴気で体が作られた桜魔の肉体は呪力の大きさに反応するから、質量も何もかも無視して、最終的には呪力の大きさに状況が左右される。人間より頭二つ分も背が高く、胴回りは大人が二人がかりで腕を回せるような太さの肉塊が、花鶏のような可憐な少女の力で庭まで引きずられたのはそのためだった。

「ぐぎゃぁあああ! お、おのれぇえええ!!」

 肉塊の桜魔が喚く。魅亜が戸を開け放ったことにより結界が破れ、庭にいた花鶏にも室内の異変が感じ取れたのだ。屋敷を回り込んで駆け付けたのでは間に合わないと判断し、庭園から襖を突き破って扇を投げ、飾り紐で桜魔の体を捕らえた。

 笹谷家の庭園は広く、少々派手な戦い方をしても構わないだろう。すでに魅亜の部屋を半壊させてしまっているので、これ以上屋敷に損害を与えるのは遠慮したい。外でなら思い切りやれる。

 魅亜のことは兄が身を挺して守るだろう。自分はただこの化け物を倒せばいい。

 人型ではない桜魔は弱い分狡猾だ。しかしこうして真正面から向き合えば、その狡猾さも使いようがない。

「う、うう」

 潰れた肉塊の隙間から、まるで呻くような声が漏れる。

「綺麗な体、欲しい、欲しい……」

 桜魔は強くなればなるほど人に似て、更に強くなればなるほど美しい姿を得る。

 自分の力を増すために人間を殺して喰らう桜魔は多い。けれどこの桜魔は一足飛びに美しい肉体を得ようと、直接魅亜の身体を奪おうとした。

 その視線は今、自分を紐によって庭園に引きずり出した花鶏へと向けられていた。

 月明かりの下、扇を構える銀髪の乙女は魅亜にも負けず劣らず美しい。その美しさに、醜い桜魔は嫉妬する。

「寄越せ、そのカラダァァアアアアアアア!!」

「……」

 桜魔が先程のように衝撃波を放ってきた。それを、花鶏は扇の一閃で霧散させる。スパァン! と小気味よい音が真夜中の庭園に響いた。

 呪力がある程度ある者ならば、こういった戦い方もできるのだ。

 花鶏は無言のまま、無表情で扇を振るう。

 呪力を通した扇はまるで刀のようにすっぱりと、桜魔の伸ばした肉の触手を斬りおとした。

 地に落ちた触手とその切り口である肉塊の両方から、赤黒い血がぼたぼたと零れ落ちた。

「ギャァアアアアア!!」

 先程よりも一層甲高く恐ろしい悲鳴が上がる。

 低級の桜魔には、花栄国でも指折りの退魔師である花鶏の恐ろしさがわかるのだろう。術者の身体から離れた分呪力の弱まった紐を振りほどき、桜魔は笹谷の屋敷から逃げ出そうとした。

 しかしそれは、花鶏が許さない。

 桜魔が外側の結界に触れるよりも早く宙を舞い、更に触手を斬りおとす。

「ギャァアアアア!!」

 戦っている時は戦意が高揚し、花鶏はまるで殺戮人形のように無慈悲に刃を振るう。呪力の強さに人間としての意識が引きずられ、一度切り替わればもう戦いが終わるまで止めることはできない。

 桜魔は人間の情念と瘴気が結びついて生まれるが、いわゆる人の幽霊などとは根本的に違う存在だ。

 実体のない幽霊と違って肉体を持つ桜魔に対しては、幽霊を宥めるようにお経や線香など効きはしない。だからその肉体を徹底的に叩きのめし、存在を滅するしかない。

 そのためには、何より強さと残酷さが必要なのだ。

「――化け物!」

 だが、一つの声がそんな花鶏の意識を現実に引き戻した。

「花鶏!」

 交喙が魅亜の自室の隣の部屋から襖を開けてこちらの様子を窺っている。開け放たれたその襖の向こうに、非常時用の結界に避難した魅亜の姿が見えた。

 先程の言葉は彼女のものだ。

 その恐怖に染まった目は、桜魔ではなく花鶏の方へと向けられている。

「あ、あなた何なの?! どうしてそんな気持ち悪い化け物と平然と渡り合えるの?!」

「私は……」

 がたがたと震えながら錯乱間際の様子でそう問いかける魅亜の言葉に、花鶏は一瞬戦意を喪失した。

 退魔師は異形の桜魔と戦い、それを殺す者。決して只人に歓迎されるような存在ではない。それでも魅亜の正直すぎる反応は、花鶏の心に翳を落とす。

 桜魔はその隙を見逃さなかった。

「きゃっ!」

 しなった触手に弾き飛ばされ、花鶏は盛大に転げながら庭の茂みに突っ込んだ。交喙が呼ぶ声が聞こえるが、頭がくらくらとして立ち上がれない。闇の中で星が散る。

「花鶏! ……くそっ!」

 交喙は矢をつがえると、座敷から庭の桜魔に向けて放った。まったく効かないわけではないが、相手が悪い。肉の塊のような桜魔には、矢での攻撃はほとんど効き目がなかった。

 呪力のある者ならば同じ武器でももっと深手を与えられただろう。あるいはこの桜魔が人型であったならば、薄い身を矢で貫くこともできただろう。

「お兄様!」

 花鶏は叫ぶ。あのままでは交喙が危ない。

 けれど交喙はいくら呪力が弱くても退魔師だ。そこで依頼人を置いて逃げるような性格はしていない。

 彼はじりじりとこちらに迫る桜魔の肉体に矢を射てもほとんど効き目がないと知ると、目標を変えた。鏃の突き刺さりそうもない肉ではなく、唯一さらけだされたその眼に狙いを絞る。

 一射目はわずかにそれたが、二射目は見事に桜魔の目を射た。

「ォオオオオオオオオオオ!!」

 桜魔がこの日最大の叫び声を上げる。もがき苦しみ、その歩みが止まった。

「今だ! 花鶏!」

 交喙が叫ぶ。その声に応え、花鶏はまだ痛みの残る身体を叱咤して立ち上がった。

 一呼吸で手にした扇に呪力を通す。

 例え誰に畏れられようと、忌み嫌われようと、これが退魔師としての彼女の力。

「ハッ!!」

 気合一閃、花鶏は手にした扇で桜魔の胴体を真っ二つに斬り裂いた。

 沈黙の一瞬後に、上半身が下半身からずれるようにして地に落ちた。その斜めの傷口から溢れ出た血は即座に、白っぽい桜の花びらへと変わる。断末魔さえ発する余裕を与えずに、花鶏は桜魔を両断したのだ。

 桜魔は死ぬと、その死体が桜の花びらとなって消える。

 それは幻想的な光景。そして残酷な光景。

 あれだけ醜くおぞましく、また自らも己の姿の醜さに嘆いていた桜魔の死に際の姿ばかりが、こんなにも儚く美しい。

 そして庭園にはただ、花鶏一人が残される。

 桜魔の死体が消えてもそれまでに流された血は消えない。噴出した大量の返り血を浴びて立つ、まるで幽玄の鬼のような花鶏の姿だけが庭にぽつんと佇む。

 結界の中でまた魅亜が息を呑むのがわかった。桜魔の死体の向こう側にいた、血まみれの花鶏の姿にまた恐怖を覚えたのだろう。しかしその唇から悲鳴が発されることはなかった。

「花鶏!」

 それよりも早く、交喙が弓を放り出して妹のもとに駆けつけたからだ。彼は裸足の足が傷つくのも構わず、砂利の敷き詰められた庭を走る。

「無事か」

 花鶏はぼんやりとしていた。戦いが終わり、高めた呪力を元通りに落ち着かせる。戦闘中の高揚感が薄れるまでは、戦いに関する感覚までも鈍化する。だから今は痛みも何も感じていなかった。

 けれど、交喙は部屋の中から花鶏が桜魔の触手に弾き飛ばされて茂みに突っ込んだところを見ていた。彼女自身に自覚がなくとも、相当身体を痛めているだろうことも予想がついた。

 だから、妹に駆け寄り手を差し伸べる。

 間一髪、崩れ落ちる花鶏の身体を、交喙がその腕の中に抱き留めた。

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