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無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


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第二十五話 敵の大将軍が、俺の作戦を見抜いたつもりになった

公国大将軍ドルフは地図を叩いた。

「中央の石橋は餌だ。

敵は我々を湿地に閉じ込める気だろう」

幕僚が感嘆すると、ドルフは南の浅瀬を指した。

見抜いたと思った瞬間、人は別の道を安全だと決めつける。

一方、シリウスは水位標を見つめていた。

上流では二日前から雨が続いている。

浅瀬はまだ渡れるが、荷車が通るには底が柔らかすぎた。

「増水するまで待ちますか」とリュカ。

「雨は命令できない。

水位が上がらなければ、こちらが退く計画も必要です」

ドルフの幕舎には、帝国側の橋の配置が描かれていた。

参謀は中央の石橋を指し、「敵がここに兵を集めています」

と報告した。

ドルフは笑った。

「正面に兵を見せるのは古い手だ。

南から回る」

若い参謀だけが黙っていた。

前日の雨で浅瀬が深くなったという斥候の報告を持っていたからだ。

「その報告は誰が確認した」

とドルフは尋ねた。

「二人です。

地元の案内人も危険だと」

「案内人は帝国の者だろう」

疑いはもっともだった。

だがドルフは、疑わしい情報を調べ直すのではなく、聞かなかったことにした。

帝国側では、シリウスが南岸の見張りを増やしていた。

浅瀬を通れる可能性はある。

だからこそ、通れる場合と通れない場合の両方に備える。

夜明け、川霧の中に公国軍の先鋒が姿を見せた。

シリウスは弓兵に射撃を禁じた。

まだ渡河していない相手を挑発するより、水位と隊列の動きを確かめたかった。

ドルフは遠眼鏡を下ろした。

「やはり敵は怯えている」

参謀は何も言わなかった。

目の前の静けさが、罠なのか慎重さなのか、彼にはまだ分からなかった。

ドルフの若い参謀は濡れた地図を広げた。

「浅瀬の深さを、今朝もう一度測らせてください」

「昨日も測っただろう」

「昨夜、上流で雨が降りました。

ここでは降っていません。

ですが水は下ってきます」

ドルフは窓の外の晴天を見た。

敵の中央橋への誘導を見抜いたという自負が、部下の忠告を小さく聞こえさせた。

「一個小隊だけ先に渡す。

通れれば続け」

その命令は慎重に見えた。

しかし渡河の途中で後続を止める伝令を配置していなかった。

先頭の成功が、そのまま全軍への許可として伝わった。

対岸ではシリウスが水位標を見ていた。

朝より指二本分高い。

彼は敵が渡ること自体を止めようとはしなかった。

渡河中に矢を浴びせれば、逃げ場のない兵が流される。

代わりに自軍の防衛線を後ろへ下げ、敵が上がってきた場所で止める準備をした。

「敵を助けるつもりですか」

と若い弓兵が尋ねる。

「こちらの兵を濁流へ追わせないためだ。

敵を溺れさせれば、勝った後の川にも死体が残る」

浅瀬で荷車が傾いた。

ドルフはようやく進軍停止を命じたが、最後尾まで届くのに時間がかかった。

参謀は口を結んだまま命令を書き直した。

責める言葉より、戻ってこられない兵の名を数える方が先だった。

ドルフは本陣の天幕で、敵の配置図を眺めていた。

中央の石橋だけが通れる。

左右は湿地。

誰が見ても誘導の形だ。

「これほど露骨な罠にかかるものか」

彼は北軍団に迂回を命じた。

老参謀が水位の報告を差し出す。

「昨夜の雨で浅瀬が深くなっています。

先遣隊を先に出すべきです」

「斥候の報告を待てば、敵は逃げる」

ドルフは答えた。

彼には急ぐ理由があった。

公国の評議会は遠征の費用を問題にし、早い勝利を求めていた。

敗北だけでなく、成果のない長期戦も許されない。

そのころシリウスは、橋の向こうに設けた観測所で敵の動きを待っていた。

リュカが問いかける。

「奴らが浅瀬を渡れば、側面に回り込まれるぞ」

「渡れるなら、こちらの配置を変える。

渡れないと決めつける方が危険です」

彼は予備隊を動かさず、退路の標識だけを増やした。

見張りには、水位が目印の赤線を越えたら鐘を二度鳴らすよう命じる。

最初に渡った敵の軽騎兵は無事だった。

ドルフの本陣に歓声が上がる。

だが続く荷車は車輪を泥に取られた。

前の車を押すため後続が止まり、岸辺に長い列ができる。

隊列の後ろでは、なぜ止まったのか誰も分からなかった。

「馬を下ろせ。

荷を軽くしろ」

現場の隊長は叫んだが、命令は後ろへ届かない。

川の水は刻々と増していた。

老参謀は再びドルフに進言した。

「いまなら引き返せます。

前進より、隊列を解く方が損害は少ない」

ドルフは一度口を開き、閉じた。

退却を命じれば、敵の罠を見抜いたという自分の宣言が嘘になる。

彼は自尊心のために、あと一刻を浪費した。


やがて浅瀬から負傷兵が運ばれてきた。

転倒した荷車の下敷きになった若者だった。

ドルフはその泥だらけの顔を見て、ようやく撤収を命じた。

一方のシリウスは、追撃を求める士官を制した。

「水に流される者へ矢を放つな。

敵が退けば、こちらも退く」

勝利の好機に見える場所ほど、兵は命令を忘れやすい。

シリウスは橋の上流に救助用の縄を準備させた。

敵兵を助けるためでもあり、味方が川へ落ちたときのためでもあった。

ドルフが敵の策を見抜いたつもりでいた間に、シリウスは策が外れた場合の準備を終えていた。

ドルフは騎兵と軽歩兵を先に渡し、主力を後から続かせた。

先遣隊は渡れたが、荷車が浅瀬の中央で立ち往生する。

そこへ上流から濁った水が押し寄せた。

シリウスは敵兵を水中で攻撃させず、対岸の高地に見張りを置いた。

ドルフは突破できない苛立ちを参謀にぶつけた。

「敵は天候まで読んだというのか」

「いいえ」

と老参謀は答えた。

「敵は外れた場合の道まで用意しているのです」

ドルフは初めて、自分が相手の策を一つ見抜いただけで勝った気になっていたと悟った。

ドルフの老参謀は、撤退命令が末端へ届くまで自ら川岸に立った。

引き返した兵が次々と戻り、泥の上に座り込む。

勝利を急いだ一刻が、彼らには何年にも思えた。

ドルフの幕舎へ、泥まみれの伝令が転がり込んだ。

予定していた渡河地点は、前夜の雨で馬の腹まで沈むという。

老参謀が示した別路は遠回りだった。

「回れば帝国軍に逃げられる」

とドルフは言った。

「進めば後続の糧秣が来ません」

ドルフは地図に引いた直線を指でなぞった。

軍議では一本の線に見えた道を、いま何千人もの兵が歩いている。

引き返す命令は敗北に等しいと思っていた。

そのとき、幕舎の外から水を求める兵士の声がした。

ドルフは初めて、軍旗の向こうではなく兵の列を見た。

退却を決めても、全隊へ届くまでに半日かかる。

彼が失ったのは判断力だけでなく、判断するための時間だった。

ドルフは前線から戻った伝令を叱責しかけ、口を閉じた。

泥まみれの兵は、命令どおりに進めなかった理由を三つ挙げた。

橋幅が狭いこと、車列が詰まっていること、川岸の地面が予想より柔らかいこと。

地図の上では一本の矢で済む進軍が、現場では何百もの足取りに分かれる。

老参謀は署名された撤退命令を受け取っても、その場を動かなかった。

「閣下。

前衛の兵は、まだ勝てると信じています。

急に引かせれば敗走になります」

ドルフはしばらく黙ったあと、命令書を書き直した。

後衛の位置、負傷者を乗せる荷車、先に撤収する部隊。

敵の罠を見抜いたと誇った朝には、考えもしなかった項目ばかりだった。

「俺は軍を率いているつもりで、軍の先頭だけを見ていた」

その告白を聞いた参謀は一礼した。

遅すぎた決断でも、今から救える命はある。

しかし命令書を運ぶ騎兵が天幕を出た直後、中央軍団から火急の報告が届いた。

石橋の手前に負傷兵を乗せた車が滞留し、後退する歩兵と衝突しかけているという。

ドルフは撤退命令の末尾に追記した。

「橋の通行は負傷者を先に。

軍旗は最後に渡れ」

勝利の報告より先に、誰を生かして戻すかを命じたのは初めてだった。

ドルフの参謀は、浅瀬に送った斥候からの報告を二通並べた。


午前の報告は「通行可能」、午後の報告は「荷車の車軸まで沈む」

ドルフは最初の一通だけを信じた自分に気づいた。

「敵の罠を見抜いたつもりで、川を見ていなかった」

命令を訂正するには、すでに動き始めた兵を止めねばならない。

それでも彼は伝令を走らせた。

ドルフの副官は、南の浅瀬を指した。

「橋が罠なら、ここを渡りましょう」

「シリウスはそう考える我々を待っているのかもしれん」

「では北へ?」

ドルフは答えられなかった。

どの道を選んでも、相手に読まれている気がした。


その夜、斥候が濡れた靴を持ち帰った。

浅瀬の底には、足を取る細かな泥が堆積していたという。

副官は言った。

「地図の上では、どこも平らに見えます」

ドルフは地図を畳んだ。

敵の知恵を疑うあまり、川そのものを調べるのを忘れていた。

「明朝、工兵を先に出せ。

戦う前に、地面を確かめる」

ドルフは工兵の報告を受け、南の浅瀬への進軍を止めた。

副官が安堵すると、彼は首を振る。

「正しい訂正でも、遅ければ代償は出る」

すでに浅瀬へ進んだ荷車二台は引き返せず、馬を失っていた。

ドルフは自ら損失を軍記に書き込んだ。

敵の罠を見抜くことより、誤った命令を認めることのほうが難しいと知った。


挿絵(By みてみん)

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