第7話 光穿弓の脅威
日向side
「魂狩」
俺はレリエルが言った言葉をオウム返しのようにそのまま繰り返す。
頭は張り裂けんばかりに痛みが生じ、胸は引き裂けんばかりに鼓動が脈打つ。それほど【魂狩】という名前が俺の中に革命を起こしていた。
ここまで体が反応してしまっていると、最早俺はあの"魂狩"というものを知っていると思うようになっていた。だけど、どこで知ったのかは分からない。
少なくとも、"魂狩"に関する【記憶】がないからだ。
「キレイ…」
そのときレリエルが持つ弓。いや、アーチェリーの形状をした"魂狩"【恍閃弓】を見て呟く知恵理の声に俺は意識を連れ戻す。
いつもなら誰より先に俺の異変に気がつくはずの知恵理。確かに、あの知恵理が俺を忘れて見惚れるくらいにあのアーチェリーは美しく見える。
レリエルの不気味で暗い格好と相反する神聖な魅力。俺はそれをあの弓に感じたのだ。
「…魂狩。いったい何なんだそれは」
「それはお教えできませんね。知りたくばあなた自らが思い出してはください」
鳴り響く声。かすれかすれだが辺りが静かすぎて俺達にもはっきり聞こえた。
「…レリエルさん、でしたか?すみませんレリエルさん。それはどういうことなんですか?その弓とヒナ君が何か関係あるんですか?」
「えぇ。大有りですよ知恵理。この弓とは直接な繋がりはありませんが日向はこの"魂狩"と密接な関係を持っています」
はっきりと告げられたその言葉。だけどさっきほど動揺は起こらなかった。おそらく頭があれを知っていると認知したんだと思う。
まだ頭には鈍い痛みが残っているが胸の鼓動は治まっていた。だが、滲んでくる頭の痛みで気分が悪い…俺はそれを我慢しつつレリエルに問いかけた。
「いつつ…。レリエル。はぁ…はぁ…なんでお前が、そんなことを…はぁ…知ってるんだ?俺は…"記憶喪失"なんかじゃない…はぁ…はぁ…だけど、お前はなんでそれを知っている?…俺は、お前を知らない。俺は、魂狩を知らない。矛盾じゃないか…」
「いいえ。間違ってなどいません。あなたの持つ記憶は確かにあなたのものです。ですが、必ずしもそれが正しい記憶だとは限らないということです」
「な…に…」
頭に入ってきたその情報に、俺は再び張り裂けんばかりの痛みが頭の中で生じる。
【正しい記憶】その言葉に確かに俺の頭が反応した。でも、魂狩のことは認めてもそれだけは認めたくない。なぜならこれを認めると、これまでの俺を――俺の築いてきた物を否定することに繋がるから。
真備と凪の2人と初めて出会い、本当の友達になるまでの寂しい記憶。
中等部への入学式のとき、知恵理に手を出した奴らとの間にあった"あの事件"の辛い記憶。
"あの人"が――俺と知恵理の前から姿を消し、光となって"空"の向こうの遠い世界に行ってしまった悲しい記憶。
俺がとっさに浮かんできたのはなぜかそんなネガティブな記憶ばかりだった。だが、それは=としてポジティブな記憶へと繋がる道でもあった。
真備と一緒に保健の教科書を見て、青い春を感じたあのときや。
それを凪に見つかって追い回された挙げ句、関節を2・3本はずされかけたこと。
輝喜と一緒に真備を女子更衣室に閉じ込めたときにお互いイヤらしく顔を見合わせた瞬間や。
休日、知恵理に無理やり叩き起こされて買い物に連れ回され、実は最高の幸せを噛みしめたあの瞬間。
確かに、俺は普通とはちょっと辛い記憶を持っているかもしれない。だがそれと同じくらい笑顔溢れる記憶もたくさん持っている。
だからレリエルの言葉に俺はそれらの記憶を――
完全否定された気がした。だから認めない。俺は絶対にレリエルの言葉を認めたくなかった。
「…日向。あなたは今、何を思っているのかは俺には分かりません。ですが、あなたの記憶は偽りです。それに俺達は、あなたに正しい記憶を思い出して頂かないといけませんから――」
そこまで呟くとレリエルは一旦言葉を止め、ゆっくりと右手に持ったアーチェリーの弓を構えていく。ちょうど矢先が俺の方を向いた頃合い、レリエルの動きが止まる。
そしてじっくり狙いを定めるように弓の弦を引いていく――ただし、俺へと向ける矢はセットせずに。だけどまるでそこに矢があるかのように。
俺達はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ふふふ…残念ですが、どうやらおしゃべりの時間はここまでのようですね」
「…どういうことだ?」
悪ふざけとしか思えないその動作。だがそのとき事態は一変する。俺達にとって最悪な方へ――
――…ザンッ!!!!!!
その音はまるで何かを貫いたような音だった。
そして、その音と一緒にアーチェリーの――恍閃弓の矢が現れた。まるで神々が放つ絶対に外れることのないと言われる、神聖なる輝き“サジタリウスの矢”のような――
光り輝く【光の矢】が。
「な…なんだ!?」
俺は光り輝くその矢を見て思わず呟く。だけど仕方なかった。皇后しく可憐に輝く光――光閃く"恍閃"まさにそれだった。
俺は戦慄する。
「…すみません」
「え?」
レリエルが何かを呟いたような気がした。だけど俺にはそれを聞き取れなかった――そして、聞き取れる余裕もなかった…。
――パチンッ!!ザンッ!!
レリエルの声に少しだけ弓にセットされた光の矢から意識を手放したその刹那、レリエルが矢を持つ指を鳴らす。
物静かなその夜。その音は予想以上に響きわたるのだった…。
――ザンッ!!!!
「…くっ…!?」
本能的に顔を右にそらす俺。だけど少しだけ行動が遅かったようで矢は僅かに俺の左頬をかすめ遙か彼方へと飛んでいった。
頬に痛みが走る。
「きゃっ!!」
知恵理が思わず両手で口元を塞ぎ、驚きと焦り混じりの瞳が見開く。
だが俺はおそらくそれ以上に焦りを感じていた。愕然としてしまったのだ。
唐突に訪れた命の危険に。
――ツゥー…
俺の頬に出来た傷から血が一滴流れる。
頭の痛みより遥かに軽いはずの頬の痛み。だが、頭のそれ以上に衝撃すぎる頬のその痛みは頭の痛みを完全に消してしまっていた。
それほど衝撃だったのだ。
『『………』』
沈黙の時間が流れる…いや、時間が止まったと言った方がいいかもしれない。とても居心地の悪い嫌な空気だった。
風が俺の頬に当たり、頬から滴る血の流動の方向を変える。いつの間にか口元まで流れてきた流血。俺は知らず知らずにそれをペロリと口に含んだ。
「…知ってる味だ」
血の鉄臭い味だがどこかで舐めたことのあるようなその味に俺は驚愕した。
「…その身のこなし。そして舌に触れた血の味。…どうやら頭ではなく体の方はしっかり覚えているみたいですね?」
おそらくフードの下では、きっとほくそ笑んでいるであろうレリエルのかすれかすれな声に俺は、はっとした。
「な…何なんだ今のは。俺はいったい何を…?」
「日向。どうやらまだ、あなたは目覚め切れていないようですね…」
再び響くかすれかすれで無機質な変声機の声。その声の主を俺は睨みつける。俺はここに来てやっと理解したのだ。
あそこにいる【レリエル】――夜の天使という名前を持つ、あの人物は敵なのだということに。
「てめー何すんだよ!?」
俺はこの嫌な空気を打ち破るように言葉を放った。無機質な声ではない。俺のその声が辺りに響き渡った。
だがレリエルは慌てることはない。いや、むしろこの状況を望んでいる?そう思えるほど冷静に、ゆっくり落ち着いた風に口を開いた。
「何って…あなたの記憶を戻すお手伝いを…」
さも当然のようにそう答えるレリエル。俺は耳を疑った。
そりゃ弓に――恍閃弓に光り輝いていて、変わっているとはいえ矢をセットし、それを相手に向かって放つ。これを攻撃以外に言い方があるだろうか?
俺はレリエルの言葉に唇を噛み締める。そう、もうこれはお遊びではすまなくなっていたのだ。
「ヒナ君。血が…」
「…問題nothingだ知恵理。こんなの舐めとけば治る。それより――」
――バキッ!!!!
「…少し離れてろ」
「ヒナ君…気をつけてね」
俺は今にも涙を流してしまいそうな知恵理に少しだけ軽くほほえむとゆっくりと近くの木から折り取った枝を構えた。
「日向。まさかそんなもので俺の"恍閃弓"の攻撃を止められるなんて思ってはいませんよね?」
「問題nothing。お前にはこれで十分だ…」
挑発にも似たレリエルの言葉に俺は棒切れを持つ手に力を入れながら、強がりだと分かる言葉で返す。
だが実際問題、さっきの矢の威力を見て戦力の差は一目瞭然だった。
でも、最低でも知恵理だけでも逃がさなければ。その思いが俺を突き動かす。幸いレリエルの瞳には俺しか写ってない。これは…チャンスだ。
「はぁあああ!!!!」
レリエルと俺がいる道路は一本道。幸いなのか最悪なのか、人が住む家がないこの道に俺達を邪魔するものはいない。
俺は手に持った棒切れを振り上げながら一気にレリエルへと駆け出した。
「なるほど。俺に矢を構えさせる時間を与えない作戦ですね。なかなか筋が通った作戦です」
レリエルは鬼気迫る勢いで駆ける俺に対して、至って冷静にそう思案する。だが確かにレリエルの言うとおり俺はそのことを踏まえて先制攻撃を仕掛けていっていた。だけど――
「…ですが、サジタリウスの矢は決して外れません」
――パチンッ!!ザンッ!!
気がついたときには、俺が持っていた棒切れは根元からボッキリと打ち砕かれ、右手からポタポタと血が滴り落ちていた。俺はただただ、呆然としてしまうしかなかった。
「…ウソ…だろ」
「嘘ではありません。それが現実です。俺が恍閃弓に矢をセットしてから放つまでに要する最速の時間は…約3秒」
――パチンッ!!ザンッ!!
「くっ…!?」
そのときさらにレリエルの手から矢が放たれ、俺の肩を射抜く。刺さったままの光の矢、その痛みに耐えきれず、思わず俺は両膝を地面へとつけていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
痛みのせいか息使いが荒い。いつの間にかあの頭の痛みも戻ってきている。
まさしく絶体絶命のこの状況に俺は為すすべがなかった。
「……」
「そう睨まないでください日向…と、言っても無理でしょうね」
最後の抵抗とばかりに睨みつける俺にレリエルは構うことなく4本目の矢を構える。
どことなく寂しげに矢を構えるレリエル。フードのせいもあり、俺はレリエルの顔を見ることはできない。
だけど俺はこのとき直感的にこう思ってしまった。こいつは…もしかしたら…。
「俺だってこんなことしたくありませんでしたよ…」
たぶん、俺が聞くであろう最後の言葉――それはレリエルの本音なのかもしれない…そんな言葉。
その言葉に俺は確信をする。こいつは、レリエルは…本当は心優しい奴なのかもしれないと。奴の哀愁漂う姿に俺はついそう思ってしまった――
そして俺はゆっくりと瞳を閉じていった。
――パチンッ!!
闇夜に響く指を鳴らす音。その音に俺は自分の死すら覚悟した。
心残りといえば知恵理。あいつはうまく逃げ切れたのだろうか?レリエルもたぶん知恵理には手を出さないと思うからその辺は大丈夫か…。
死を前にした意識の中、俺はそんなことを思っていた。だが――
――あれ?俺って…死んだよな。じゃあ、なんで痛みを感じるんだ?
いくら待っても矢は俺の元には飛んでこない。一瞬だけ、死ぬ瞬間は痛みがないのか…とか思ったがどうやらそれも違うみたいだ。
だから俺はもう一生開くはずがないと思ったまぶたを開く。人通りがなくほぼ真っ暗なこの道、射し込む光は皆無に等しかった。
だがそこには――
「知恵理?」
俺の目の前には両手を広げて立つ知恵理…。
なんで?なんて言葉が出そうになる。だがその言葉が俺の口から出ることはなかった。
なぜなら俺がそう呟こうとした。そのとき――
――ドサッ!!
知恵理は俺の上に倒れ込んできた。俺は反射的に知恵理を抱きしめる。
「お、おい!!知恵理!!」
倒れ込んできた知恵理。その顔は俺のいる位置からは確認できない。だが俺は知恵理の肩を抱いたとき違和感を感じた。
――ネチャ…
その聞き慣れない音に俺は右肩に触れた手を見る。日は完全に沈みきった暗闇な上、さっきも言ったがここは人通りが少ない道路、外灯もほぼない。
だが俺はその「ネチャ…」としたものが何だったのかは分かった。黒く…ねっとりとした生暖かい液体…。
そう、それは紛れもない知恵理自身の流れ滴る【血】だった。
「う…う…う…うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
俺がまともに自我を保てたのはそこまでだった。
`
日「うわあぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
凪「うっさいわね!?あんた何叫んでんのよ!?」
日「いや〜叫び声って案外出しにくくてな〜叫び声の練習してたんだ」
知「ヒドい…ヒナ君。私が矢で射抜かれただけじゃあ叫んでくれないんだ…」
日「いや。それ以前に射抜かれたのになんで知恵理がここにいるんだよ?」
知「もう…ヒナ君たらノリ悪いんだから…それにここは別次元の空間なんだからそんなの気にしちゃめっ!!」
日「俺にはお前が何を言ってるのか分からないよ…」
凪「別次元の空間って…知恵理。あんたいつから電波になったのよ…」
作「さて、知恵理がなんかぶっ壊れてきたところで次回予告。次回は――
知恵理に刺さる一本の矢。それに日向の理性は完全に崩壊する。
知恵理を射抜いたことで焦るレリエル。心が乱れた日向はここからどうなるか?
次回【桜散り心乱れ】」
日「問題nothingだぜ!!」
凪「あたし的にこの作品で一番キャラが分からないのは知恵理と輝喜なのよね…」
日「諦めろ。相手はド天然とニコニコ眼帯だ。あいつらには常識なんて通じない」
凪「それもそうね…」
知&輝『『なんで〜?』』
次回に続く!!