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アリーの馬鹿な鎧

作者: 桔梗ノ雨
掲載日:2026/03/13

「お前、俺より頭いいなら、せめて馬鹿なふりをして俺を立ててくれれば可愛げもあるのに」

そういわれて振られた、あの日からだろうか。


それとも。


「そうやっていつも私のこと馬鹿にしてたんでしょ。あんたと話してるとほんと腹立つわ」

親友だと思っていた子に絶交された、あの日からだろうか。


私はずっと、馬鹿な鎧を被って喋っている。


この学校を選んだ基準は、彼や彼女がいないこと。

そして、試験の順位が名前入りで貼りだされないこと。

学校の資料にも書いていない細かいことだから、わざわざ知り合いの先輩に聞いて確認をした。


馬鹿な鎧はあくまで、喋っている時だけ。

試験の手を抜くつもりはないから。


だから。


「えー? 十回手早く混ぜて、こっちのをゆーっくり入れて……なんだっけ?」

十回手早く混ぜて、薬品をゆっくり入れる。粘度が増すまで混ぜて、それから……

もちろん、手順は全部覚えている。

でも、喋っている時の私はお馬鹿なアリー。

口頭の指示は全部覚えられない、そういうことにしている。

だって、そうすると。


「もー仕方ないな。貸して。手伝ってあげる」

周りが優しくしてくれる。


「俺も全部覚えてないけど、アリーよりは先まで覚えてるからセーフかな」

周りが安心してくれる。


私が賢くなければ敵認定されることはない。


でも、同じ班のノエルは私が馬鹿なふりをするたびに不思議そうな顔をしてこちらを見ている。


その顔で見られるたび、鎧の下まで見透かされている気がして、アリーの胸は少しだけざわつくのだ。



ある日のホームルームで担任がさらりと言った。

「次の中間試験から、試験結果と順位を名前入りで掲示することになりました」


教室のあちこちから小さなどよめきが起こる。


「え、ほんと?」

「うわ、最悪じゃん」


アリーは笑ってみせた。

「えー、やだぁ」


誰かが笑う。

「アリーはいいんだよ。気にしなくて」


みんなが笑っているのを見ながら、アリーの胸の奥に小さな重たいものが落ちた。


掲示。


順位。


名前。


昔の教室の壁を思い出す。

貼りだされた紙と人だかり。


「お前、俺より頭いいなら、――」

「そうやっていつも私のこと馬鹿にしてたんでしょ。あんたと話してると――」


思い出したくもない声まで、勝手に蘇る。


――ふと、視線を感じた。


ノエルが静かにこちらを見ていた。


いつものあの、不思議そうな顔で。

彼女は今回も何も言わなかった。


ただ、少しだけ首を傾げただけだった。



試験当日。


問題用紙をめくる。

最初の問題を読んだ瞬間、答えが浮かぶ。


いつも通り。

いつも通りにペンを動かせば、それでいい。


でも、今回の試験は、やっぱり少しくらい間違えた方がいいのかもしれない。


そうするつもりだった。


でも。

答案用紙の前で手が止まる。


分かっている問題の答えを、わざと間違えて書く。

そんなことをしたことは、ない。


馬鹿な喋り方はできる。

でも、馬鹿な答えを書くことはどうしてかできず、しばらく悩んだアリーは結局、答えが浮かんだ通りにひたすらペンを動かしたのだった。


試験結果の掲示の日。

廊下の掲示板の前には人だかりができていた。


「うわ、緊張する」

「今回、難しかったね」


アリーは人混みの一番後ろで静かに立ち止まる。

本当は、見たくない。

でも、見ないわけにもいかない。


誰かの声が聞こえた。

「え?」


別の声も。

「アリー?」


ざわめきが少し大きくなる。

「え、あのアリー?」

「嘘でしょ?」


胸がひゅっと縮む。

アリーは人だかりの隙間からちらりと掲示板を見た。


紙の一番上。

そこに、自分の名前があった。

それを確認すると、アリーはその場をそっと離れた。



アリーは小走りに校舎を出て、中庭に向かった。


この時間の中庭にはあちこちに人がいる。

ベンチで本を読んでいる人、芝生に寝転がっている人、友達と笑いあっている人。


その中を下を向いたまま足早に通り過ぎて、隅の方へ行く。

植え込みの陰になっている小さなスペース。

ベンチも何もない、あまり人の来ない場所。


そこにしゃがみこんだ。


掲示板のざわめきが、まだ耳の中に残っている。


こんな風になることくらい、想像できていたのに。

せめてもう少し点数を落としていれば。

なんでわざと間違えることくらいできなかったんだろう。


膝に額を押し付けてじっとしていると、足音が近づいてきた。


ゆっくりした静かな足音。

誰かが近くで立ち止まった気配がした。


「……見つけた」

ノエルの声だった。


アリーはゆっくりと顔を上げる。

「なんで……」


「なんとなく」

ノエルは立ったままこちらを見ている。

いつものあの、不思議そうな顔で。


アリーは思わず視線を逸らした。


「……ごめん」


「何が?」


「……だましてた、のかも。馬鹿なふりして」


少し間が空く。

風で植え込みの葉がかさりと揺れた。


ノエルはちらりと葉に視線を動かすと静かに言った。

「……別に」


アリーが視線をノエルに戻す。

ノエルはそのまま静かな声で続けた。


「分かってたし」


「え……?」


ノエルはアリーを見て首を傾げる。

「アリーは馬鹿じゃないってこと」


アリーは思わず目を見開き、それからへにゃりと眉を下げた。

「でも、みんなは……どう思うかな」


アリーのこぼした小さな呟きに、ノエルは片眉を上げる。



教室のドアを開けるとクラスメイトの視線が刺さった。

ざわついていた教室が一瞬で静かになる。


アリーが下を向いたまま教室の中に入って自分の席の前に立った時、冷たい声が降り注いだ。


「本当は頭、良かったんじゃん」

「うちらのこと、馬鹿にしてたんでしょ」

「馬鹿なふり、楽しかった?」


アリーは顔を上げることができず、黙って自分の机を見る。

「みんなのこと、馬鹿になんてしてないよ」

小さく絞り出した声は、机に落ちた。

みんなに届く前に机の模様に吸い込まれてしまったみたいに感じた。


あちこちから聞こえてくる声に耳を塞いでしまおうとしたとき、教室の入り口から声がした。


「みんなはなんで、気がつかなかったの?」

ノエルの静かな声が通った。


「どういうことだよ」

誰かの苛立った声がする。


ノエルは教室の中に一歩、踏み込む。

「前の実験の時。最初の薬品に次の薬品をゆっくりと注ぐ。アリーが覚えていたのはそこまで」


確かに、と頷いたのは授業でアリーの手助けをした女子生徒。


ノエルはゆっくりと歩きながら続ける。

「この実験、先生が危険性を伝え忘れていた」


「……は?」

動揺する教室。


「次の薬品、勢いよく入れると、爆ぜる。そうなればガラス、割れたかも」

教室全体が息をのむ。


「……俺、もしかして助かったのかも」

誰かがぽつりと言う。


ノエルはアリーの机の前に立つ。


「それに、ノート。席から見えたけど、あれは、勉強ができない人のノートじゃない」


アリーは思わず顔を上げてノエルを見た。

ノエルはアリーを一瞬見つめてから、ふい、と目を逸らした。


「そもそもあなたたちは、誰かが馬鹿なふりをしてくれていないと、安心できないの?」

そう、ノエルは静かに問いかける。


教室の空気が止まった。

誰かの息をのむ音も、手を握りしめる音までもが聞こえるような静寂。


そのまま何秒、何分経ったのだろう。

「……授業、始まる」

ノエルが呟いて動き出すと、のろのろと教室の空気も動き出した。


次の授業はいつもよりもとても静かだった。

アリーは何も喋らなかったし、みんなも異様なほどに静かだった。

先生も教室の妙な空気には気がついたのだろうが、何も言わず淡々と授業を進めた。


放課後、アリーは自分の席から動かなかった。

座ったまま、視線の先にあるのは自分のノート。

一ページずつゆっくりとめくっていく。


――と、影が落ちた。

顔を上げると数人のクラスメイトがアリーのノートを覗き込んでいた。

思わず息が止まりそうになる。


「……ねぇ、アリー」

一人がノートから目を離さずに言う。

その声に怒りの音はない。


それでも、止まりそうになった息では小さな音しか出せなかった。

「……う、ん」


「今度さ、勉強教えてよ」

アリーの顔を見ながら言う。

笑顔で。


「あ、私も!」

「このノート、すごいね」


次々と押し寄せてくる賛辞にアリーは目を白黒させた。

そんなアリーを見て、一人がぽつりと言う。


「……ごめんね」


アリーはそっとノートの縁をなぞりながら、頭を下げる。

「私こそ……ごめんなさい」


ふと、視線を感じてそちらを見る。


ノエルが静かにこちらを見ていた。

僅かに目が合ってほんの一瞬、彼女の口角が動いたような気がした。

でも、ノエルはすぐに手元の本に目を落とした。



あの日からクラスの空気は少し変わった。


「アリー、この問題分かる?」

誰かがそう聞くのはもう珍しい光景ではない。


全員が受け入れてくれたわけではないかもしれない。

それでも、アリーにお馬鹿な鎧を被ることを求める生徒はいなかった。


学校からの帰り道。

アリーは少し前にノエルの背中を見つけて思わず声をかけた。


「ノエル」


彼女は足を止めるとゆっくりと振り返った。

何事かの首を傾げる彼女に、アリーは頭を下げる。


「遅くなったけど……あの日、助けてくれてありがとう」

言ってからアリーが顔を上げるとノエルと目が合った。

あの、見透かすような目を見ても、今はもう胸がざわつくこともない。


それに気づいて、アリーは思わず胸に手を当てながら思い切って聞いてみた。

「なんでいつもこっちを見て不思議そうな顔をしてたのか、聞いてもいい?」


ノエルはきょとんとしたような顔で瞬きをする。

「……なんで、矛盾したことしてるのかな、って思ってた」


「矛盾?」


「発言の内容と口調がなんか、違うなって」


ノエルは言いながら、長い髪を耳にかける。


「あとは、ノート。もったいないと思ってた。みんなも、アリーも」


「……ノエルの席から見えてるなんて知らなかった」


風がアリーとノエルの髪を撫でる。


「私ね、馬鹿でいなきゃならないって思ってたの」


うん、とノエルが言う。


「そうじゃないと、嫌われるって思ってから」


全部は無理だから、喋る時だけ馬鹿な鎧を被った。


「でも、そうじゃないのかもしれない」


「……私は」

ノエルが言う。


「私は、今のアリー、好き」

アリーは思わず目をまん丸くする。


「前より、楽しそうだから」

ノエルの口角がほんの僅か、上がった気がした。


「……帰ろうか」

どちらともなく言って、二人並んで歩く。

空は薄いオレンジ色に染まっている。


少しだけ体が軽くなった気がして、アリーは微笑んだ。

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