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プロローグ

兄は、出来損ないだった。


 少なくとも、父はそう言っていた。


「努力は評価する。だが結果が伴わない」


 それが父の口癖だった。

俺は金持ちの家に生まれた天才、歳は16だ、俺には出来損ないの兄、一家の大黒柱の父、優しい母の4人家族

 広いダイニング。磨き上げられたテーブル。窓の外には整えられた庭。

 俺はその言葉を聞きながら、ナイフとフォークを正確に動かす。


 兄は向かい側で黙っていた。


 俯いて、スープを見つめている。


「お前はどう思う?」


 突然、父が俺に振る。


 俺は少し考えるふりをした。


「結果が出ないなら、やり方を変えるべきかと」


 兄の肩が、わずかに揺れた。


 父は満足そうに頷く。


「そうだ。お前は理解が早い」


 その言葉が心地よかった。


 胸の奥が温かくなる。


 俺は選ばれている。


 そう思えた。




 俺たちの家には、外の世界がなかった。


 学校には通っていない。

 必要ないと父が言った。


「外は雑音が多い」


 代わりに家庭教師が来る。


 数年前まで、その役目をしていたのが――あの人だった。


 俺より少し年上で、いつも落ち着いていた。


 初めて会った日のことを覚えている。


「外を知らないのは、もったいないわ」


 そう言って笑った。


 俺は反発した。


「必要ない」


 彼女は怒らなかった。


「あなたは賢い。でも、世界は問題集じゃない」


 意味が分からなかった。


 でも、その声だけはずっと残っている。


 気づけば、俺は彼女の言葉を待つようになっていた。


 問題が解けたとき、褒められたくて。


 父よりも先に、彼女の視線を探していた。




 兄は違った。


 努力家だった。


 夜遅くまで机に向かっていた。


 でも、いつも俺のほうが早かった。


「すごいな」


 兄は笑って言った。


 悔しさを隠して。


 俺は内心で思っていた。


 当然だろ。


 才能が違う。


 父も言っていた。


「お前は特別だ」


 その言葉が、世界の基準になった。




 ある日、兄が父に反発した。


「俺は俺のやり方でやる」


 静かな声だった。


 だが空気が凍った。


 父は立ち上がる。


「結果が出ない者に選択権はない」


 兄は睨み返した。


 初めて見る目だった。


「結果って何だよ」


 その夜、兄は部屋から出てこなかった。


 翌朝、部屋は空だった。


 机も、服も、何もない。


 まるで最初から存在しなかったように。


「出て行った」


 父はそれだけ言った。


 母は泣いていた。


 俺は、何も言わなかった。


 胸の奥に、わずかな違和感。


 だがすぐに打ち消した。


 弱い者は去る。


 それだけだ。




 数週間後、家庭教師も来なくなった。


「必要なくなった」


 父は言った。


 代わりの教師が来たが、違った。


 正確だが、冷たい。


 俺は気づいていた。


 俺は勉強が好きなのではない。


 あの人に認められたかったのだと。


 だが口には出さない。


 それも“甘え”だ。



 夜、ひとりで廊下を歩く。


 兄の部屋の前で足が止まる。


 開ける。


 空っぽ。


 本当に何もない。


 写真も。


 痕跡も。


「……は?」


 小さく声が漏れる。


 ここまで消す必要があるのか。


 いや、最初から――


 そんなはずはない。


 俺は首を振る。


 考えすぎだ。




 リビングに戻ると、父が書類を読んでいる。


「兄は、どこに行った」


 気づけば聞いていた。


 父は視線を上げない。


「外だ」


「どこに」


「お前には関係ない」


 それで終わり。


 会話が切れる。


 胸の奥がざらつく。


 だが俺はそれ以上言わない。


 言わないほうが正しい。




 俺は選ばれた側だ。


 父に期待されている。


 兄とは違う。


 だから――


 問題ない。


 そう思い込む。




 夜、天井を見つめる。


 静寂。


 ふと、声が聞こえた気がした。


「遅い」


 低く、冷たい声。


 飛び起きる。


 誰もいない。


 時計を見る。


 午前二時。


 夢だ。


 そう結論づける。


 だが胸の奥に、得体の知れない不安が残る。


 遅い?


 何が。



 その数年後。


 父と衝突する。


 俺は外に出たいと言った。


 初めての反抗だった。


 父は冷たく言った。


「出て行け」


 その日、家を出た。


 夜、頭を冷やして戻ると


 家は空だった。


 家具も、写真も、書類も。


 何もかも消えていた。


 兄の部屋と同じように。


 まるで最初から、存在しなかったように。




 膝が震える。


 笑いそうになる。


 俺は、選ばれた側じゃなかったのか?


 声が蘇る。


「遅い」


 どこからだ。


 誰だ。


 分からない。



 俺は走り出した。


 初めて、外へ。


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