第三十六話 恋泉耶雲の将来
十一月末日、妹の敦子の協力により、どうにか締め切り内に原稿は完成にこぎつけた。しかも冬のコミックカーニバルで頒布する新刊もほぼ完成した。
新刊のタイトルは「夢食みジャックの子守唄」である。夢幻の世界に迷い込んだ少年がジャックの道案内で現世に戻るというストーリーだ。その際、少年はジャックの手ほどきで少年から大人へと成長するというシナリオだ。
「うへへっ……エナジードリンクの飲み過ぎで脳が熱いぜ……」
椅子に座り、天井を見上げながら敦子は呆然と同じ言葉を繰り返している。
麻里子さんはと言えば、ソファーで目を開けて寝ている。我が彼女ながらちょっと怖い。
僕はそんな麻里子さんに毛布をかけてあげる。
三日間にも及ぶ徹夜作業で戦士たちのヒットポイントは尽きかけていた。
僕はリビングに布団をひいて、敦子を寝かせた。
ぶつぶつと意味不明の言葉をつぶやいていた敦子も布団に入ると一秒後にはいびきをかいて眠ってしまった。
僕は彼女らを寝かしつけたあと、原稿を入れた封筒を鞄にいれ、麻里子さんの家を出た。
近鉄奈良駅から難波に向かう。
改札を出たところで竹河不由美とおちあった。
僕たちは地下鉄に乗り換え、肥後橋にむかう。
時刻はすでに十三時になろうとしている。
受け付けで大阪創明社の編集部桜井海咲さんにアポイントメントをとってもらう。
「完熟メロンとあんたの妹はどう?」
竹河不由美が二人を気遣う言葉をかけてくる。
「家で寝てるよ。地震があっても起きないんじゃないかな」
僕は苦笑する。
「あんたも大変だね」
竹河不由美は切れ長の瞳を細める。本当にこいつ美人だな。その笑顔を見ながら、彼女とつきあうことができたかも知れないと度々思ってしまう。
麻里子さんと別れて竹河不由美とつきあうなんてのは今はまったく考えられないけど、ほんのちょっとだけ惜しいことをしたのかも知れない。
「まあね」
と僕は短く答える。
竹河不由美と他愛もない話をしているとアポイントメントがとれたということで僕たちは編集部に案内された。
会議室の一角でパーテーションで区切られた空間に僕たちは入る。椅子に座って待っていると桜井海咲さんが入ってきた。
「お待たせして申し訳ない」
開口一番謝られたので、僕は良いですよと返事をした。
「さっそくですが原稿を確認させていただきます」
桜井海咲さんはふむふむと頷きながら原稿を読んでいく。十五分ほど彼女は熟読した。
「素晴らしい出来ですね。コマの端々まで書き込まれています。正直これほどのクオリティに仕上がるとはおもってもいませんでした」
桜井海咲さんはにこりとほほ笑む。
「それでは……」
僕は恐る恐る確認する。
「ええ、これでいきましょう。本誌ができるのが楽しみですね」
麻里子さんたちが頑張った成果が認められた。自分の事のようにうれしい。
「今回、竹河先生が原作を書かれたとか」
ちらりと桜井海咲さんは竹河不由美の秀麗な顔を見る。
「ええ、そうですよ」
竹河不由美はにこやかに答える。美人同士のやりとりは絵になるな。
「そうでしたか。ペルソナ・プリンセスナイトはきっと野平先生と竹河先生の代表作になるでしょう」
桜井海咲さんの言葉に僕たちは大きく頷く。
これからの予定を確認したあと、僕たちは大阪創明社が入るビルを後にした。
一つの締め切りが終れば次の締め切りが始まるのだ。連載作家の宿命ともいえよう。
だが今日一日ぐらいは麻里子さんと敦子は休んでいてもらおう。
お腹の空いた僕たちは大阪創明社近くのカフェでお昼を食べることにした。腕時計を見るともう十四時を半分ほど過ぎていた。どうりでお腹が空くはずだ。
僕はロコモコ丼を竹河不由美はカルボナーラを注文した。セットでドリンクをつくというので僕はカフェオレ、彼女は紅茶を頼んだ。
料理はすぐに運ばれてきて僕たちの前に置かれる。
「お腹空いたわね、食べましょうか」
竹河不由美はお手拭きで手を拭く。
僕たちはいただきますと言い、料理を食べる。このロコモコ丼のソースうまいな。ハンバーグも肉汁たっぷりでご飯によく合う。
「ねえ、あんたに話たい事があるんだけど」
竹河不由美は紙ナプキンで口をふく。パスタを半分ほど食べていた。
何だろうか。
もしかして告白か。
僕には麻里子さんがいるから断らないと。はーでもこれで恋泉耶雲の人間関係がおかしくなるのは嫌だな。
僕は妙な緊張をしてしまう。
「なんか勘違いしているみたいだけど」
竹河不由美は一度言葉を区切る。
「このままペルソナ・プリンセスナイトがうまくいったとしたらこれよりもっと忙しくなると思うのよね。その分収入は増えると思うけどね。そこで将来的には恋泉耶雲を法人化したらどうかしら?」
なんだ仕事の話か。緊張して損したな。
法人化の話は僕も前々から考えていたことだ。どうやら節税対策にもなるらしい。
「それで私、考えたのよね。あんたが社長になって皆をまとめて欲しいの」
それはまさに青天の霹靂の言葉だった。陰キャオタクの僕が社長だって。冗談はよしてくれよ。
それこそコミュニケーション能力の高い竹河不由美がやればいいじゃないか。
僕がそう言うと竹河不由美は首を左右にふった。
「私たちは創作に専念したいの。この話はね完熟メロンも猫ちゃんも阿良又君も賛成なのよ」
僕の知らないところで根回しは終わっていたということか。
しかし社長だなんて僕はそんな器じゃないんだけどな。
「まあ恋泉耶雲がどこまで大きくなるかは分からないけど完熟メロンの才能は本物よ。あの子の好きなものに妥協しない姿勢だけは尊敬してるのよ。まあわがままなところはあるけどね」
ふふっと竹河不由美は綺麗な笑みを浮かべる。
「要するにあんたにはこれからも私らのわがままの世話をしてほしいって話なのよ。よろしくね社長さん」
どうやら外堀は完全に埋められたようだ。
まだまだ先の話とはいえ、真剣にかんがえないといけないな。




