第二十一話 夢食みジャック
※麻里子が応募した短編漫画のストーリー
井上美希は不眠症で悩んでいた。社会人二年目の二十四歳、慣れないことばかりで疲れているはずなのにあまり寝れない。寝たとしても疲労はほとんどとれていない。
会社からの帰りの電車でうとうとするも最寄り駅近くになり、後輩の田村真由美に起こされる。
「美希さん、もうすぐ着きますよ」
電車のアナウンスが最寄り駅の名を告げている。
「あっごめん、ごめん」
「最近どうしたんですか?」
「なんかよく眠れなくてね」
「不眠症ですか、先輩」
「うん、よく思い出せないんだけど嫌な夢をみてるみたいで……」
「じゃあ、おまじないを教えてあげます先輩。夢食みさん悪い夢をを食べてくださいって夢の中で言ってください。そうしたら夢食みさんが悪夢を食べてくれるんですよ」
真由美が言ったのは最近流行りの都市伝説の一つだった。悪夢を見たらその夢食みという妖魔を呼び出せばその悪夢を食べてくれるというものだ。
自宅マンションに戻った美希は適当に食事を済ませ、シャワーをあびてベッドに潜り込んだ。眠くて眠くて仕方がなかった。
古い畳の匂いで美希は意識を取り戻した。
あれっ自宅マンションのベッドで寝ていたはずなのに。
美希は周囲を見渡す。
どうやら古いアパートの一室のようだった。湿り気のあるカビ臭い空気が鼻の粘膜を刺激する。
この匂いを嗅いだことがある。
子供の時、母親と一緒に住んでいたアパートの匂いだ。
美希は母子家庭の家に育った。
母親は仕事で家に帰るのはいつも日付がかわる直前であった。
美希は学校から帰ってきたら、殆ど一人で過ごした。
まさかと思い、美希はバスルームに向かう。
狭いバスルームには鏡が置かれている。このアパートには洗面台なんていう便利なものはなかった。
鏡に写る自分の姿を見て、美希は驚愕の声をあげる。自分の体を自分の手でべたべたとさわる。
鏡に写る美希の姿は小学生低学年の姿であった。
どうしてこんな姿になっているのか。
疑問が頭をかけめぐるが、もちろん答えなど出ない。
がちゃがちゃがちゃがちゃと誰かがドアノブをひねる音がする。乱暴にひねっているようで金属音がアパートに響いている。
言いようのない恐怖が美希の体を支配する。
チェーンロックはしていただろうか。
まったく記憶にない。
恐怖に支配される重い体を引きずりながら、美希は玄関に向かう。
玄関からはがちゃがちゃと激しい音が鳴り響いている。
玄関の扉を見るとチェーンロックはなされていない。
美希は慌ててチェーンロックをかける。手が震えてうまくかけられない。どうにかしてロックをかけるがその瞬間、がちゃりという鈍い音がして玄関の扉が開かれた。
チェーンロックがあるおかけで僅かな隙間が開くだけだ。
その僅かな隙間から何者かが覗いている。
黒い剛毛に覆われた猿のような顔をしていた。金色の瞳で隙間からこちらを見ている。
黒い猿はにやりと笑ったように見えた。
下品な笑い方だった。
長い舌をだし、猿は唇をべろりとなめた。
「み、美希ちゃん……おじさんは、あ、会いたかったよ……」
猿の喉は言語を発するに向いていないようだ。無理矢理に人の言葉を喋っているように聞こえる。
ふしくれだった指を伸ばして猿はチェーンを千切る。鎖はばらばらと玄関の土間に落ちる。
猿は天井まで背が届くほどの巨体であった。
巨猿のあまりの禍々しさに美希は腰を抜かす。
体にまったく力が入らない。
蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。この場合猿ではあるが。
猿はふしくれだった指で美希の服をびりびりと破く。服は簡単に破かれ、美希は下着だけの姿になる。その途端、美希は大人の姿に戻った。
理由はまったくわからない。
美希はパンティーだけの姿で胸はあらわになっている。
「み、美希ちゃん……おじさんの子供を産んでくれる体に……なったんだね」
美希はその声を聞いて思い出した。
当時、母親が交際していた相手の声に似ている。
さらに嫌な記憶を思い出した。
母親が不在のときにこの男に乱暴を受けたのだ。幼い美希にはその行為の意味はわからなかった。ただただ早く終わってほしいとだけ思った。
べたべたと吐き気がするほどの臭い匂いを放つ舌が美希の体を這う。美希は逃げ出したいが体にまったく力が入らない。
臭い唾液で美希の体はべたべたにされた。
嫌だ、またこの男に犯されるのは嫌だ。
必死に抵抗を試みるがやはり美希の体は動かない。
「こ、この夢幻の世界では想いの力が、す、すべてだ。お、俺が美希ちゃんを想う力のほうがつ、強いのだ」
猿の理屈はよくわからないものだった。
ただこのままでは黒い猿に犯されて、孕まされる。
「ゆ、ゆ、夢食みさん……悪い夢を食べて下さい……」
藁にもすがる気持ちで美希は真由美に教えて貰ったおまじないを唱える。
「やあ、呼んだかい」
酒ヤケした女の声がした。
魔女が被る三角帽子を被った背の高い女が傍らに立っていた。黒いウェーブのかかった黒髪に絵の具のような白い肌をしている。
大きく胸元の開いたドレスからは豊かな実りが今にもこぼれ落ちそうだ。
右手にはカボチャのランタンを持っている。
「アタシは夢食みジャック・オー・ランタンさ。さあ悪い夢魔をいただくとするか」
夢食みジャックと名乗った大柄の女はふーとランタンに息を吹きかける。
炎が一気に舞い、その炎は巨大な大鎌に変化する。西洋の死神がもつ大鎌に酷似している。
「さあ、夢刈刈るよ」
ぐるりと炎の大鎌を回す。炎が後を追い、円を描く。
巨猿が耳を覆いたくなるような咆哮をあげ、襲いかかる。
夢食みジャックは不敵な笑みを浮かべ、迎え撃つ。
夢食みジャックのもつ炎の大鎌は巨大な猿の両腕両足を切り裂く。巨大な猿は悲鳴を上げようとしたがすかさず夢食みジャックは首をはねた。
畳の上にバラバラになった死体が落ちる。
夢食みジャックは豊かな胸の谷間からスキットルを取り出す。スキットルの飲み口を猿の死体につけると一瞬にして中に吸い込まれた。
「濃厚な欲望の匂いがする。こいつは玄人好みの良い酒になるよ」
きひひっと秀麗な顔に似合わない笑い方を夢食みジャックは浮かべた。
「いい酒の材料が手に入ったよ。もうあんたはこいつに会うことはないさね」
夢食みジャックは白い手で美希のまぶたを撫でる。
次の瞬間、美希は意識を失った。
美希はこの日見た夢を思い出せない。
子供の時のことも忘れてしまった。
ただカボチャをみるたびにランタンを思い出すのであった。




