セイダンセンサーβ
「物騒だよな……」
ロイ・ソニックスピードは人気のない夜道を歩きながら、足元に転がっていた刃の折れたナイフを蹴り飛ばした。
暗い桃色の髪を長い三つ編みにした、少女のような少年だ。一般的に高等学校に通うラインの年齢だが、それにしてはありえないほど背が低く、まるで小学生のようである。それと当然のごとく学校には通っていない。
その周辺には、そのナイフの一部だったと思われる別の金属片や血痕も見られる。明らかに何かあったような風景だ。
この街はロイが旅の途中で立ち寄った名前もよく知らない田舎である。辺境というのは領主とかの権力も及びづらく、治安が確保されていない……というのは聞いたことがあったが、この街はそれを考慮しても異常な部類に入るのではなかろうか。
「……ケンカの跡、今日で七回も見たぞ……なんなんだこの街」
蹴飛ばしたナイフはぽわっ、と青白い光の粒子へ変化して消滅する。
さすがにナイフが道路に転がっていると怪我をしそうなので、魔法で消し去っただけだ。
「あー……あ?」
突如、曲道の向こうから何かが砕けるような音と怒号が響いてきた。なにか戦闘が起こっているようだ。
ロイが腰に下げていた片手剣を引き抜くと同時に、吹っ飛ばされたらしいひとりの少女が曲道の奥からもんどりうってこちらへ転がってきた。
「うぐぅ……」
「おい、大丈夫か?」
転がってきたのは金髪金目のかわいらしい獣人の少女だった。ところどころ血や土で汚れた白いシャツと黒いシンプルなスカートを着ているが、特にその右腕からはどくどくと血が流れ続けている。刺されたらしい。
それを追って、続いてナイフを持った男がふたり姿を見せる。目は血走り、異常なまでに興奮した様子だったが……何かおかしい。
「……恐怖、している?」
「邪魔だガキィイイイイイイ!」
男たちの表情から憔悴の感情を読み取ったロイだったが、対話をする間もなく男は立ちふさがったロイに魔法を飛ばしてきた。
なかなか強力な風の刃である――扱いやすさ、速度、威力が平均的な、初心者から上級者まで誰でも向いている属性。
「なんか……コントロールがガッタガタじゃねぇか……『攪乱』」
憔悴のせいか、軽くロイの魔力をぶっつけるだけで風の刃は霧散してしまう。
しかし魔法を放った方とは違う、もう一人の男が炎のジェットで加速しながらロイへ斬りかかった。
この程度の斬撃なら問題なく弾き飛ばせる――のだが、次の瞬間、その間に予想外の攻撃が割り込むのだった。
「――け、検閲官さんっ!」
ズズズッ……と、よどみから何かを引き抜くような不気味な音がした直後、ロイと男の間に悪魔のような漆黒の腕が割り込み、そのまま横薙ぎのようにして男の剣を叩き折った。
「な……!?」
その腕は出現した勢いのまま男を吹っ飛ばして地面へ叩きつけ、意識を刈り取る。もう一人の男も新たに風を飛ばして応戦しようとするが、真正面から消し去られ、ぶん殴られてやはり吹き飛んで行った。
呆然とロイがそれを見つめているうちに、腕はすっと消えてしまい、もう何事もなかったかのような静寂が戻ってきた。
残されたのは、ぽかーんとしたロイと腕を押さえて苦しそうにしている少女だけ。とりあえず、ロイは少女へ話しかけた。
「大丈夫か? 回復……」
「だ、ダメ! ぼく、回復魔法が効かないから」
ぼくっ娘だったようだ。
少女は自分で回復魔法ではない別の魔法を腕にかけると、だんだん血は止まっていった。
「はぁ、はぁ……うぅ、助けようとしてくれてありがと。……えっと……」
ゆっくり立ち上がり、困ったような顔を浮かべる。
「きみは、ぼくが怖くない……?」
「怖い? ……いやまあ、さっきの腕はびっくりしたけどさ。よく見てみるとなかなかの別嬪さんだな」
光の球を作り出して少女の顔を照らしてみると、やはりかなりの美形だ。大人になるとそれはもう美人になるだろう、とロイは思った。
そんなぽやっとした感想とは裏腹に、少女は徐々に目に涙を浮かべると、突然ロイへ抱き着いて泣き出した。
「うわああああん!」
「え!? いやちょいマテ。ホットドッグやるから待て、涙でぐしゃぐしゃになる服が」
……結局、少女が泣き止んだのは十分後だった。
――近くの公園。男たちはクリスタルラインが『検閲官さん』とやらに頼んで記憶に処理を施し、路上で放置していた。後遺症は残らないらしい、体にも心にも。
とはいえ、その検閲官さんが何者なのか、ロイにはさっぱり分からないのだが……。おそらく先ほどの腕の持ち主だろうという事だけである。
「ぐすん。ゴメン、いきなり。えーっと……自己紹介? ぼく、クリスタルライン」
「俺はロイ。……え、クリスタルライン? ……『氷晶王』? 『英雄史跡』の?」
この世界には『英雄史跡』という建物が各地に建設されている。
それは英雄たちを半ば神格化する形で祭る、一種の神殿のようなものだ。その『英雄史跡』ひとつにつきひとりの固有の英雄がいて、そこでは彼らに祈ったり、彼らの業績を読んだり、たまに気に入ってもらえるとその力や加護を授けてもらえるとか何とか……まあ簡単に言えば神様を尊敬するのと同じ感じだ。
その神殿がいつ建てられたのか、だれが何のために建てたのかは誰も知らない。ただ、はるか昔から朽ちることも動くこともなくそこにあった。
そして重要なのが、その英雄というのは、実際に今でも生きているという点。各地を気まぐれに旅して、のんびり過ごしたりする英雄もいれば、絶賛アイドル活動をしているのもいるらしい。
……ちょうど、クリスタルラインは前者である。
「うん、知ってたんだ……。ぼくの史跡、ここから遠いのによく知ってるね」
「まあ、俺はマニアみたいなもんだからな、半分廃業してるが。この国の近くにあるだいたいの史跡は知ってる」
クリスタルライン、またの名を『氷晶王』。氷と闇の魔法を得意とし、スタンピードを起こした魔物の群れをわずか十分で全滅させるほどの力を持つとか。だが、彼女に出会った者はもれなくその記憶を失い、彼女が何をしていたのかは、その瞬間にちょうど書かれたメモ書きと『英雄史跡』の石板からしか読み取れない。
「……そんなスゴイやつがなんで襲われてんだ? しかもあんなチンピラに腕刺されて」
「あ、いや……その、ぼくは凄くないの。本当にすごいのは、ぼくと一緒にいる検閲官さんの方で……それに、ぼくって生き物に嫌われる体質なんだ」
曰く。
クリスタルラインには『検閲官さん』という途轍もない能力を持った守護神のようなものが憑いており、彼女の業績はその守護神によるものだそうだ。
また、その検閲官さんはその能力の強力さゆえにありとあらゆる生物から忌避感を抱かれ、ある者は逃げ回り、ある者は殺そうと試みる。それが、ずっと検閲官さんと一緒にいる彼女にもうつってしまったらしい。ロイのように自然に接してくれるのはこれまで、他の英雄たちくらいしかいなかったそうで、その英雄たちもいろいろ目的などがあり常にだれかと一緒にいることはできない。
「……だからあんなに血痕とかがあったのか。失血死とかしないの?」
「んーん……今でもけっこうめまいがするっていうか、ロイの顔がどんな顔かもよく分からないよ。かわいい顔だなっていうのは分かるんだけど……」
「……そうか、俺かわいいのか……うーん、ともかくホットドッグ食えよ」
かわいいと呼ばれて少し気落ちするロイ。一応男であるし、彼はかっこいいの方が言われて嬉しい。
というより、ロイの外見は完全に少女のそれなので、かっこいいという感想を持つ者はまずいないだろうが。
クリスタルラインはいまだ涙目でホットドッグをひとつ受け取ると、ぱくぱくと小動物のように少しずつ食べ始めた。
「ありがと、おいしい……はぁ。人の作ったもの食べるなんて、いつぶりかなぁ……」
「あ、そうか、お前逃げられるから店で買えないのか」
「うん……ここらへんは無人販売所なんてないし、仕方ないから草を蒸して食べてたんだ」
「……うまいのか? それ」
「このあたりの草はすごい甘いんだよ」
そう言って公園に生えている雑草をひとつぶちっとちぎり、食べるクリスタルライン。
「こないだいたところは味がしなかったんだけどね。ここはいい街だねぇ……」
ロイも試しに草を一枚食べてみたが、味らしい味はまったくしなかった。むしろじゃくじゃくとした食感が少し気持ち悪い。こいつの舌壊れてるんじゃないのかなと思うロイであった。ずっと草ばかり食べていたというし、あながち間違いでもなさそうではある。
「と、ともかく! このままここにいたら、また誰かに襲われちゃうかもしれないから、ぼくの家に行こう」
「家あんの?」
「空き家を……そ、その。ちょっと拝借? 借りてる、そう、借りてるの。蛇口捻ったらちゃんと水は出るし、広いから大丈夫だよ!」
絶対こいつ不法侵入だな、とロイは頭を抱えた。
まあ体質のせいで仕方ないと言えば仕方ないのだろうが……豪勢な『英雄史跡』に祭られるくらいの英雄、その実像はたぶん人々が抱いているイメージと百八十度違うと思う。
その空き家は非常に広かった。
クリスタルラインから広いとは聞いていたのだが、ロイは並の一軒家だろうと思っていたのだ。
「……マジか。ここ、絶対貴族サマの別荘だろ……」
そのレンガ造りの豪邸は、その建物自体でも想像の三倍はあった。それだけでなく、その豪邸がさらに縦横三倍に伸びても収まりきるようなでかい庭がある。
「いや、えと、ほら! あそことかちょっと崩れてるし、表札も折れちゃってるし、大丈夫だって! ぼくが三日いても怒られなかったし……」
手入れは適度にされているが、やや老朽化がみられる。表札はぱっきりと割れて半分がどこかへ行ってしまっている。
さすがに別荘といえども自らの名前を刻んだ表札がそのままというのは貴族にとってみれば面子の問題だ。誰か雇って修理くらいするだろう。空き家というのは本当かもしれない。
「……『夜空辞書』」
念のため、ロイは調べておくことにした。ふわりと透明なガラス板のようなものが宙に出現し、びっくりしたクリスタルラインが猫のように跳ねる。
「そ、それは……?」
「俺の固有魔法だよ。決めた場所内に質問の答えがあれば、それを持ってくることができる。……えー、この屋敷は空き家か?」
ガラス板が透明度を失い、白い曇りガラスのようになる。少しすると、その表面にペンで書くように字が浮き上がってきた。
『空き家ではない』
「……おい」
「え!? え!? に、荷物とか僕少し置いてるよ!?」
頭を抱えたロイが続いて、「現在も管理されているのか? あと、誰に? それと、次いつごろ見に来る?」と問いかける。
『されている。レイーザミン公爵。現在馬車がこちらへ向かっており、順調にいくと一時間で到着する』
「ええぇえええええええ!? ぼっ、ぼくっ、殺されるぅ! 荷物取ってくるぅううううう!」
とんでもないオーバースピードで屋敷の中へ突撃していくクリスタルライン。
「なんてバッドタイミングだよ」
荷物の整理がそうとう長引いたようで、ロイは時間を数えていなかったが、クリスタルラインが屋敷から出てくるのと同時に公爵家の馬車が屋敷の前に止まった。
ロイは走って逃げた。クリスタルラインは検閲官さんに頼んで大空を飛んだ。
「うわぁ、死ぬ」
現在ロイは絶賛逃走中である。
公爵家の騎士だかお抱え魔導士だか、そんな人に追っかけられて大量の魔法を乱れ打ちされているのである。
「ちょっと子供相手に手加減なさすぎじゃねぇかなあ!? 死ぬよ!? 殺人公爵になるぞお前の雇い主!」
いまさらそんな脅しにもなっていない脅しにひるむはずもなく。
とはいえ、騎士たちも相当困惑というか、焦っている感じではある。まあこんなどこにでもいそうなチビッコに逃げられているのだ、仕方ない。物理的、もしくは解剖学的に躱せないはずの魔法でもどうにかロイは躱している。
「ガラスよガラス! どうやったらこの状況を切り抜けられる!?」
ガラス板は『自分で考えろ』と表示した。
「チクショオオオオ! なんで公爵の護衛がこんなに追いかけてくるんだよ! 今頃雇い主刺されてるかもしれねぇぞッ!」
『レイーザミン公爵の護衛はふだん連れている騎士だけで二十五名おり、現地で合流した騎士はその三倍いるため問題はない』
「おいガラス! 質問してねぇよ! いやしたか! でも余計なこと書かれると気が散るんだよッくそったれぇ!」
殺傷能力のない放水で騎士たちを足止めしようとするが、そこは公爵家の手の者、すぐ防がれてしまう。
「俺はつえーんだぞ! 怒らせたらお前死ぬからな! わかってんのか!?」
『理解していない』
「ガラスには聞いてねぇよ!」
全然体力的には余裕ありありなのだが、ちょうどそこで天から何かが振ってきた。
「うぉわ!」
――バッシィイイイイン!!
超強烈なビンタみたいな音がして、真っ黒で巨大な……タコの足のようなものが地面へ叩きつけられていた。
真上を見ると、案の定クリスタルラインが宙に浮かんでいる。……よく見てみると、夜空も黒いのでわかりづらかったが、どうやらタコの足に乗っているようだ。なかなか絶妙なバランス感覚である。
タコの足がすうっと消滅するが、騎士たちは倒れたまま起き上がらない。さらに小刻みに震え、鎧や剣などがカシャカシャと音を立てていた。
「あー……恐怖される体質?」
「だねぇ……検閲官さん、お願い」
クリスタルラインが手を振り上げると同時に、新たに出現した細いタコ足がひとりずつ、騎士の脳天を貫いては消えていく。傷跡はないが、完全に意識を手放したようだ。
ひゅーっと降りてくるクリスタルライン。スカートが若干捲れたが、両者ともに気にした様子はなかった。
「ハァ……まったく、リサーチくらいしておけよ」
「ううー。表札が『ミン』しか書いてなかったし、さすがにあんな遠くの公爵がここまで来るなんて思わなかったんだよぉ……」
「ああそう……ん、おい。ちょっと待て、油断するのはまだ早いみてーだぞ」
突如、暗闇から何かが出現し、こちらへ放たれる。ロイが即座に水の巨大な球を生成して物体を受け止めると、それは大爆発を起こし、水をまき散らすのだった。
「最近政府が極秘に取り入れようとしてる、確か『ロケラン』……ってヤツか? そういやぁレイーザミン公爵って兵器を作ってなり上がった家だったよな」
「あわわ……い、今の当主が戦争でも功を上げて、伯爵から上がった……んだよね!? ね、これぼくたちまずいんじゃ!?」
「検閲官とやらに任せておけば死にはしないだろ。うーん、案の定当主らしいな、クソッタレ」
道の奥から現れたのは、わずかにキラキラと輝くモスグリーンの髪が特徴的な好青年だった。……だが、その目は妖しい光を放ち、その手には装填済みの『ロケットランチャー』が二本構えられている。
「オイオイ……いいのかよ公爵様? 護衛もなしで……ってそれより、なんだ? クリスタルラインを見ても平然としてるぞ、アイツ」
「ほ、ほんとうだ! え? ……あ!」
じっと目を凝らして見つめたクリスタルラインが、何かに気付いたように声を上げる。
「あれ……ゴーレムだよ! 公爵が姿を見せるなんてって思ってたら、やっぱり本物じゃあない!」
レイーザミン公爵は三男という立場にありながらも、二人の兄を凌駕する圧倒的な設計、魔術、そして戦闘の才でのし上がったことで有名な貴族だ。しかしその姿を見たことは、彼の兄弟でさえないという。爵位を注ぐ際のルールの都合上男とはされているが、顔つきどころか身長、そして性別すらも定かではない……とガラス板が表示した。
一応、このガラス板で調べればレイーザミン公爵に関しての情報も得られるだろうが、今はそんなことをする暇はない。
「遠隔操作か、自動で動く奴か? ま、ぶっ壊す必要がありそうだな……賠償請求とかされんのかな?」
「ひぇぅ……ぼくお金持ってないよ……」
「んじゃ、あとで簡単に金を稼ぐコツを教えてやるよ。絶対儲かるぜ」
「ふぇ、ほんと!? ありがと! よぉーし、検閲官さんっ!」
元気を取り戻したクリスタルラインは検閲官さんに頼んで闇の腕を生成し、一瞬でゴーレムを掴んで握りつぶした。
ロケットランチャーが暴発してドモン、バゴン! とくぐもった爆発音を立てるが、全て腕に押し込められて被害は外へ出ない。巨大な腕が消えると、パラパラと静かにゴーレムだった破片が舞った。
「思ったより派手にやるな」
「んで、えと、そのお金を稼げる方法って……?」
「おう。あんまり知られてねえんだけど、実はここら辺の国の銅貨、鋳造する時にだいたい銅貨三から五枚ぶんくらいの価値の銅を使ってんだよな。だから鋳つぶして金属屋に売って、その金をまた鋳つぶせば無限に金が増える」
「……! す、すごい! ロイ、すごい名案だね!」
なお、硬貨を傷つけたりするのは一応重罪で、場合によっては死罪になる……のだが、この地に疎いふたりはそのことを知らない。
* * *
――レイーザミン公爵の別荘、その地下室。
実はこの屋敷はカムフラージュで、重要なのはこの地下室である。そして地下室への扉は厳重に隠されており、侵入できる人間は公爵とその側近のみ。
「あれ、壊せるんだぁ……すごいやぁ」
優雅に真っ赤なワインのグラスを傾けている少年こそ、レイーザミン公爵家当主、サイハ・レイーザミン。
先ほどのゴーレムと同じようなモスグリーンの髪と瞳を持った美しい少年――を模した、『からくり人形』だった。
その球体関節は滑らかに動き、その関節を除けば人間と大差なく見える。飲食も全く問題なく行えているのも、また人間のようであった。
「申し訳ありません、私が旧式で十分などと……」
その傍に控えている紺色の髪の青年が頭を下げた。
彼はヴァリアブル。サイハに雇われた執事であり、最もサイハに近しい人間でもある。
「謝罪はいいよぉ、僕としてもそのくらいかなぁって思ってたしねぇ。いやぁ、でも送ったのがスキャン機能付きでよかったねぇ……あれは間違いないよぉ。『氷晶王』クリスタルラインだねぇ」
「……やはり、でしたか」
サイハが記憶からクリスタルラインに関する情報を集める。
「おそらく、彼女に真正面で出会ってはいけないよぉ。理性がふっとんじゃうからねぇ……少なくとも、人間は」
「わかりました……が、なぜなのでしょうか」
ヴァリアブルが呟いた問いに、サイハは指を振った。
「少しくらい自分で考えなよぉ。人間様の特権でしょ?」
「サイハ様の方がはるかに上を行っていますが」
「やれやれ。人間は結局楽な方に行くんだよねぇ」
そう言ってワイングラスを空にする。結局、答えは教えてくれないらしい。
これはいつものことで、ヴァリアブルももう慣れっこなので自分で考えを巡らせた。
「ヒントはあげておくよぉ。『宇宙検閲官仮説』だよ」
「宇宙検閲官仮説……この宇宙に発生すると思われる特異点は、まるで何者かが検閲を行っているように禁止される、というものでしたか……ふむ、ではその『検閲官』が実際に存在していると?」
手を叩くサイハ。どうやら的中のようだ。まあ、この程度は簡単……サイハはだいぶ甘いのである。
「その通り、僕の予想ではあるけどねぇ。彼女には何らかの要因で『宇宙検閲官』が味方をしているんじゃないかと思うんだよぉ。彼女の史跡の石板にも、それらしいことが書いてあったしねぇ……おそらく、その超常的な能力により一般の人間は本能的に恐怖を抱くんじゃないかなぁ?」
心の底から無邪気に笑う子供のような、嬉しそうな笑みをたたえるサイハ。
彼は本当にただの人形でしかないのか? その答えは誰にも分からない。
* * *
――どこかの公園の、秘密基地のような木々の中。ちょうどいいところに休めるところがあったので、ふたりはとりあえずここで寝ることにしていた。
今までホテルで泊まっていたのだが、スペースはそれなりに広かったので簡易的なお風呂ができたのは、ロイにとって救いである。クリスタルラインは野宿にも慣れっこらしいが、やはりお湯につかるのはリラックスできるようだ。
「壊れてしまった道具は、夜なべで繕う」
「ほう」
「そしてその結果だよ」
ロイが目を覚ますと、自慢げなクリスタルラインが目の前にずらっと何かを並べていた。
それは霧吹きボトルだとか、鉛筆だとか、ゴムのボールだとかいうよく分からないものばかり。
「……どっからこんなのを?」
「検閲官さんが集めてくれたんだ。ぼく、その……手先はちょっと器用だから、暇なときはこうやって物を作ったりするの」
そう言いながら霧吹きを手に取るクリスタルライン。中身の透明な液体が少し揺れたが、その粘度を見る限り水ではなさそうだ。
「これはただの霧吹きに見えるけど……えい!」
そして引き金を引くと、それはボン! と小さな爆発音を立てて霧を噴射。そして霧のかかった広範囲の大地を深くえぐったのだ。
見た目に反するえげつない威力の道具を見て少し引きぎみのロイ。
「危ないな、おい。あと少し右狙ってたら俺の腕が消えてたぞ」
「わぅ……ごめんなさい」
とたんにしおらしくなるクリスタルライン。
一応、ロイは鉛筆を握って手持ちのメモ帳に猫の絵を描いてみた。
『にゃー』
すると猫が声を上げて、紙の中で動き出した。同時に、森のような背景がサラサラと描かれ、アニメの一シーンのように変化する。
「無限ループのGIFアニメみたいなのを作ってくれるペンなんだよ。イラストは三十秒以内に仕上げないといけないけど……ちょっとメモ帳かして!」
受け取ったペンとメモ帳で何かを描きだすクリスタルライン。ロイがのぞき込んだが、ウニと植物の葉っぱを大量にはり付けた藁人形のようなものが書いてあって、訳が分からない。
「くまさん!」
「どこが……?」
少しすると『くまさん』とやらは相撲取りのように四股を踏んだ後、飛びかかってきた別の『くまさん』を投げ飛ばした。どうやらこのシーンがループするアニメらしい。
画伯ってやつか、とロイは微妙な気分でアニメを動かし続けるメモ帳をしまう。
「……そういえば、クリスタルラインはなんでこっちに?」
「え?」
「言いたくないならいいけど」
「あ、いや、ごめん、聞こえてなかっただけ……」
少し恥ずかしそうに頬をかくクリスタルライン。
「なんでわざわざこんなところまで来たんだ? 旅なんてしてもケンカ売られて終わりだろうに」
「あー……うんとね。もう一回、ぼくの固有能力を使う方法を探してるんだ……あ、そう言っても分かんないよね! 実はぼくの魔法は焼き切れてて、もう使えない状態なんだ。だから、それを治す方法を探してたの。そしたら、レイーザミン公爵家が最近、そういう技術を開発したって……したって……ん? レイーザミン?」
「おいおい……」
どうやら、今度はこちらからレイーザミン公爵家へ接触を図らなければならないようだ……。
――場所は再び、レイーザミン公爵家の前……からちょっと離れた木陰で、門の様子を窺っている。
門の前には門番がふたりいる。双葉と龍の紋章――おそらくあれがレイーザミン公爵の家紋だろう――の意匠が施された鎧を着用し、鋼の槍を携えてその場に直立不動で立っている。公爵レベルの貴族の兵士にしては非常にシンプルな武具だが、ロイからすれば相当良い品のようだ。おそらく魔道具でもある。
そしてこの屋敷のボロボロ加減はわざとなのか、表札も何も直した様子はない。
木陰でそれを見ながら、クリスタルラインは「う~っ」と唸りながら頭を抱えていた。
「こここ、コワイ……ロイ、ぼくが出ると門番にも怖がられるしさぁ……」
「それもそうだけどなぁ……」
ロイは面倒そうな表情で何処からともなくサングラスを取り出し、すっとクリスタルラインの目元へ掛けてやった。
「ふぇ!?」
「よし、行くぞ」
抵抗する間も与えずに素早くクリスタルラインを引っ張り出し、門番の近くへ歩み寄る。
え、いや、あの……とじたばたしていたクリスタルラインだったが、すぐ違和感を覚えるのだった。
「……なんだ? 子供がここへ何の用だ」
「え!?」
そう、クリスタルラインのことを見ても門番が発狂しないのである。ロイはそのことは置いておいて門番へ話しかける。
「レイーザミン公爵に会いたいんだが」
その言葉を聞いて、いきなり槍をロイへ向けて構える門番。
「そうか、貴様が」
「連れはどうした? ……まあ、後ほど尋問すればいい話か」
門番二人は連携の取れた動きでロイに向かって突きを繰り出す。
その突きは異常に素早い――というよりは『時を飛ばした』ような、ちょくちょくテレポートを挟んでいるかのような動きを以てロイへ迫った。
「よっ、と……『星縛』」
ただ、この程度であればロイにとって何の障害にもならない。
躱した直後に指鉄砲のようにして放たれた、紺と金がグリッチのように入り組む模様の鎖が槍を弾き、さらに門番を締め付けた。そして鎖はふわり……と溶けるように消えてしまう。
「え……」
生気を失った表情でその場に崩れ落ちる門番たちを見て、クリスタルラインはぽかん、と口を開けて突っ立っていた。
「入るぞ。あまり魔力をこめなかったから『星縛』は五分も持たない」
「あ、うん」
なぜ自分の体質が発揮されなかったのか、門番にクリスタルラインが見えていないようだったのかはよく分からないが、時間がないのでそのままロイに付いていく。
身軽な動きで塀を飛び越え、同じようにして『星縛』で屋敷の番人も気絶させ、静かにその中へ足を踏み入れる……と、ロイは呆れたようにため息をついた。
「……ボロいな、おい」
「ほ、ほんとに公爵がいるのかな……? ぼくが借りてた時と、全く変わらないけど……」
そう、屋敷の中はボロボロだった。朽ちて崩れたり、廃墟になっていたりするわけではないが、豪勢なカーペットは変色して破れ、床はへこんで、窓ガラスにもひびが入っている。
これだけ見れば到底公爵がここにいるとは思えない。少なくとも掃除くらいはしているはずだろう。レイーザミン公爵が実はこういう趣味なのだとしたら話は別だが。
それに、もし仮に特殊な趣味を持っているとしてもメイドや騎士などがおらず、屋敷内に人の気配が一切ないのもまた不気味だった。
「ここだけホラー小説の世界かよ」
「う!? ゾ、ゾンビとか幽霊とか、ぼく怖いよぉ……」
半泣きでロイへ抱き着くクリスタルライン。恐怖で足元もおぼつかなくなっているので非常に重い。窓ガラスから日の光が若干差し込んでいるのが救いかな……と頭を抱えるロイであった。
自分で歩いてくれ、とクリスタルラインを引きはがし、手を引いて前へ進んだ――瞬間。
――カチッ!
「うわぁ!?」
クリスタルラインが悲鳴をあげると同時に床が正方形に消滅し、ふたりは同時に落下を始める!
空中でじたばたともがいていたクリスタルラインの腕を引っ張ってお姫様抱っこをすると、魔法で空気の膜を張り防御を固めた。
そして少しすると、暗い闇の奥に水が張ってあるのが見えた。さらにそこには金属の板が浮いていて……。
「ろ、牢屋が落ちてきたよぉっ! ぎゃー!!」
「こういう時に検閲官さんを呼べよッ!」
ロイは帯電していた金属板に着地することなく、とっさに取り出した霧吹きで壁を大きく抉り取る。降ってくる牢屋の天井から逃れるためにそこへ素早く飛び込んだ――はいいのだが。
「残念だねぇ」
「な!?」
空間が歪み、ロイは一瞬で金属板の上に転移させられていた。降ってきた無数の鉄の杭と天井が金属板へ突き刺さり、頑強な牢屋を形成する。
そして霧吹きで抉った向こうは偶然にも、暗い小部屋に繋がっていて……。
「レイーザミン公爵か? ……いや、人形?」
その小部屋の中央にある豪勢な椅子に座っていたのは、煌くモスグリーンの髪の少年――サイハ・レイーザミンだった。
彼はロイに向かって満面の笑みで拍手を送る。その笑顔は見た目相応のあどけない少年のようでもあり、また見様によっては目的のためなら何もかもを投げ捨てるような一種のマッドサイエンティストのようでもあった。
「よく分かるねぇ。そう、この僕こそレイーザミン公爵家の当代の当主、サイハだよぉ」
「……その体もゴーレムか?」
「フフ……勘違いをしているようだねぇ。僕はね、本体からして人間じゃあないんだよ。この人形の体が本当のサイハ・レイーザミンなのさぁ」
表面上は二人で平然と会話をしているようだが、牢屋の内部からは急速にサイハが魔力を吸収しており、感電もしくは水没しないために浮遊しているロイは早くも苦しい状況へ追い込まれていた。
「け……検閲官さ――あああっ!?」
検閲官さんに頼んで牢屋を破壊しようと試みたクリスタルライン。しかし検閲官さんは現れず、さらに彼女の体へ青黒い火花がほとばしり、その意識を吹き飛ばした。
「フフッ、対策済みだよぉ。その内部は宇宙を切り離して隔離してるんだぁ。つまり、宇宙検閲官はその宇宙内部へ干渉ができないんだよぉ」
「そうか」
試しに光の刃を飛ばして牢屋の金属の切断を試みるが、それも霧散して消えてしまう。会話ができているのが少々疑問ではあったが、ともかく打開策を探さねば魔力が尽きてしまう。
「『夜空辞書』」
『世界への接続が不安定。再試行中……』
「チッ」
どうやら隔離された宇宙では『夜空辞書』も使用できないらしい。ロイの放った魔法が通過できずに霧散する時点で当然と言えば当然だが……。
焦りを感じるロイを見て、サイハは面白そうにしている。
「……悪いな」
「おや」
とっさにロイはクリスタルラインの長い髪を切り飛ばし、小部屋の奥へ向かってぶん投げた。
「フフ……よく気づいたね、この状況で」
突如、牢屋の外部におぞましいまでの気配が出現する。
声が通る、ということは空気の振動は伝えられているのではないか? つまり魔力を含まない物質的なものであれば通過できるのではないか? といった予想の元、クリスタルラインの危機を検閲官さんに伝えるために彼女の髪の束を放ったのだが……どうやら、その意思はくみ取ってくれたようだ。
空中から無数の黒い腕が出現し、サイハへ掴みかかる――。
「けど、宇宙の隔離というのはコツさえ掴めばかなりカンタンでねぇ」
が、サイハに触れる直前、全ての腕は霧散して消えてしまった。
「お前もかよ」
「できる対策は全部やっておくに限るでしょ? 逆にぃ、僕の体も隔離してないなんて思ってたの?」
「ハァ……今はお前が一枚上手らしいな。面倒くせぇ。……ただひとつ教えてやる、喜べよ……。一足早いが、土産だぜ」
「面白い辞世の句だね」
まだ希望を失っていない、人間らしい顔だ――とサイハは思った。
「へっ、ハイクを詠むのはお前の方だよ。……このガラス板にはな、『キャッシュ機能』がある」
そう言うが早いか、ロイは『夜空辞書』に自分の頭を全力で叩き付け、その衝撃で意識を手放すのだった……。
「キャッシュ機能ね……。フフ、辞世の句は僕も用意しておくとしようか? なんちゃって」
――捕らえた両者の気絶が確認された。
サイハは牢屋を消し去るとテンポよく壁を叩き、隠し階段を出現させる。そしてふたりを運んで小部屋の奥へ運んでいく。
だが、ふたたび小部屋に硝子盤が出現する。それに表示されていた文字は、普段とは異なり赤い文字で、謎の記号が表示されていた。
「んー……けほっ、あー、いってー……」
ロイが次に目を覚ましたのは、またもや牢屋の中だった。
とはいえ先ほどのような即席トラップではなく、鋼・魔道具などを駆使して作られた、絶対に出られない小部屋……と言った方が正しそうだ。鉄格子を挟んだ向こうにもドアと少しのスペースがある。少しすればサイハか誰かがたぶん見回りに来るだろう。
この鉄格子と隔離された宇宙という二つだけで到底脱出はできなさそうなのに、さらに手枷足枷が着けられている。猿轡も一応つけてあったらしいが、さっき目覚めと同時に噛みちぎった。
隣を見れば、同じような状態でクリスタルラインが眠っている。だがその顔色は悪く、真っ青を通り越して真っ白だ。さらに呼吸も小さく不規則である。明らかに、体調が悪い。
「大丈夫か、おい」
回復魔法をかけようとして、先日言われた「ぼく、回復魔法が効かないから」という言葉を思い出す。ロイには治す方法が思い当たらなかった。
「……ガラス板」
『ガラス板ではない』
「お、復旧したのかよ。てことはこの宇宙と元の宇宙は魔力が通るのか? ますますわけが分からんな」
『通らない。現在、この宇宙に満ちている魔力のみを動力に稼働する仕様へ再構築したため、機能は限定される』
機能が限定、と聞いても、ロイは会話ができれば十分だ。制限するような機能も画像分析とかメロディ検索くらいしかないし、それらはだいたい無くても構わない。
「まあともかく、こいつがなんでくたばってるか分かるか?」
『宇宙検閲官を無理に呼び出そうとしたことによる反動』
ぱっと見では理解ができなかったので、少し考えてみる。
「つまり、さっきの簡易牢屋で検閲官さんを呼び出せなかったからダメージを受けたって?」
『それで合っている』
なかなか派手な火花が散ったし、クリスタルラインも一瞬で意識を手放したし、やはり原因はそれだろう。
「フム……検閲官さんと話でもできればいいんだが」
「呼ンダカ」
「どうぇっ!?」
突如鉄格子の向こう側から聞こえた声にびっくりして飛び上がりかけ、結局足枷のせいでびたんびたんと魚のように跳ねただけだった。
いつの間にか鉄格子の奥の空間に、クリスタルラインとそっくりの少女が空中で胡坐をかいている。相違点は、腕が悪魔のような黒い異形のものであること、周囲に黒いタコのような触手が蠢いていること、そして瞳が血のような紅い色をしていたことだ。
――ぞわり、とロイの背筋に寒気が走った。
「お前が検閲官さんか……」
「『さん』付ケデ呼ブノヲヤメロ。ゾワゾワスル」
クリスタルラインの姿の宇宙検閲官は、連勤中のサラリーマンのような疲れた目をした。相当違和感のある呼び方だったらしい。それにしてはクリスタルラインはしょっちゅう検閲官さんと呼んでいるが。
ロイはだいぶん訛った声だなぁと思いつつ寒気を紛らわせた。クリスタルラインに対しては一切恐怖感なんてものはないが、検閲官本人を前にするとさすがのロイでも少し怖い。この恐怖感は心が感じるというより、肉体が本能的に感じさせているのに近いようだ、とロイは分析する。
「トモカク、俺ガソノ検閲官デマチガイナイ。ソレト、ソイツハ放置シテオイテ問題ナイ。死ニハシナイシ、俺トノ繋ガリが僅カデモ復旧スレバ元ニ戻ル」
「つまり、この隔離宇宙を何とかしろと」
「ソウダ。俺ハコノ宇宙ニシカ干渉デキナイカラナ……マッタク、『チーム久遠』ノ若造ヲ思イ出ス」
チーム久遠という単語に聞き覚えはなかったが、サイハ同様に宇宙に干渉することで検閲官を封じ込める力を持っているんだろう、と推察。
なお、先ほどからロイはいろいろ推測、推察ばかりしているが、そうでもしないと体がバッタのように逃げようとするのだ。体を抑えつけるのが大変である。
「計画ハアルカ?」
「ないな」
「役ニ立タンガキダナ」
「辛辣だな、おい」
「ナラ、戦闘ノ用意ヲシテオケ。アト六分後ニレイーザミン公爵トヤラガ見ニ来ル」
「了解」
そして武器をチェックしようとしたロイだが……当然、ロイ愛用の片手剣は没収されている。検閲官も肩をすくめて首を振るだけで、どうやら得意な戦術はとれないようだ。まあ、ロイはそれでも十分な力量を持つが。
心臓の音がよく聞こえる。……とロイは思ったが、自分の心臓は非常にゆっくりしたテンポを刻んでおり、集中していたがためにクリスタルラインの鼓動が聞こえていたらしい。さっきよりももっと悪化しているようだ。少し不安になってくるロイであった。
「『夜鋼』」
ロイの魔法に合わせ、周囲の空気が徐々に黒い夜空のような色の剣へと成型する。本当に夜空を切り取ったような吸い込まれるような紺に、ちらほらと瞬く白い星が見えた。代用武器である。
「……来ルゾ。俺ハ消エル」
「えっ」
「ナントカ切リ抜ケロ。ソイツハマモレ、イイナ」
「あっはい……」
最後に不意打ちで強烈な殺気を放ってきたのでロイは反射的に肯定してしまう。これで約束は守らねばならなくなった。
勝手に「嵌められた」と内心嘆きつつも、扉の奥から響く静かな足音へ耳を澄ませた。
「……!」
「フフ。元気そうだねぇ?」
扉を開かず、ぬっと幽霊のようにすり抜けて現れたのはサイハ、そしてもうひとりの男だった。
紺色の髪を持った端正な顔立ちの青年である。赤色のスカーフを着用していて、それに内包された魔力量に目が行くロイ。
「公爵家サマの側近ともなればフル魔道具装備がデフォってか。金の重みがよく知れる……」
「貧弱な剣だねぇ? まあ、魔力を分散しやすくなってる宇宙でそれを維持できるだけの技は認めてあげるよぉ」
「卑怯なやつだ。男なら同じ土俵に立てよ」
「人形に性別なんてあると思うのかい? でも、この世界じゃ財力と権力まで含めてこその力なのさぁ。ヴァリアブル」
「ハッ」
それこそ人形のように、瞼を閉じてぴくりとも動いていなかった紺色の側近――ヴァリアブルが、どこからともなくレイピアを出現させた。その周囲に徐々に魔力が纏わり付いたかと思うと、それはどす黒い炎へと変化したのだった。
「なかなか邪悪な魔道具だな」
「サイハ様より賜りし『夜想雷ノ剣』だ……貴様の如き愚者は、この断罪の炎を邪と見るか……」
ここはどうやら空間操作の賜物だったようで、一瞬にして牢獄がぐにゃりと変化し石造りの広い闘技場へと姿を変えた。クリスタルラインはロイの後方で倒れたままだ。
逆に、ヴァリアブルの後ろにはサイハが堂々と玉座に座る。その表情は絶対的な自信を持っているようでもあったが、その瞳を睨んだロイは、その奥に何の感情もないことを見抜く。
「さっさとやろうぜ」
「蛮族が……!」
夜空を切り取ったような幻想的な片手剣『夜鋼』、そして夜想曲の名を冠する悪業と断罪の細剣『夜想雷ノ剣』。
似て非なる二振りの剣がここで交差する!
「『夜鋼』――『七日月或は大観の深淵』」
先に仕掛けたのはロイだった。
ロイが剣を振ると同時に、かまいたちのような形状の刃が無数に放たれ、ヴァリアブルへ迫る。
「甘いのだ」
断罪の炎で消し去られた刃だが、それによって空いた時間でロイは一瞬にして距離を詰める。
とっさのことで反応が遅れたヴァリアブル、その隙を見逃すわけもなく。
「『十六夜より来たれ魂よ』――」
「ッ……!」
ヴァリアブルの左目を貫かんと放たれた突きはギリギリ躱されたが、『十六夜より来たれ魂よ』の効果で異常に増幅したソニックウェーブがヴァリアブルの肩を吹き飛ばす。
「だがこちらも反撃ばかりでは無いのだ――『想罪滅』!」
「『小望月は未だ望む』!」
吹き出した黒い炎がロイの左ひじから先を一瞬にして抉り取るも、当のロイは一切顧みずに攻撃を完遂。
「ぐぁッ……!」
その結果、ヴァリアブルの右胸には大きく縦に風穴が裂け、徐々に炭化を始める。
鮮血がゴボゴボ……と零れ、空気も弱々しく噴き出した。しかし――
「なんで、死なねえ」
「貴様がそれを言うか……我が断罪の炎で腕を失ったというのにッ……! 屈辱だ……!」
ヴァリアブルは、それでもなおその場に立ち、倒れる様子を見せなかった。血が尋常では無い勢いで零れ落ち、呼吸もまともにできないはずだ。さらに複雑に折れた骨が内蔵――心臓をはじめ胃や肺――に突き刺さっているのが、体の外部からでも見て取れる。普通に考えて、即死していないとおかしい。
一方のロイもロイで、左腕が消滅し、その副次作用か徐々に体の左半身が灰のように消え始めているのだが――両者とも、未だ傷を負っていないかのように平然と立っているのだ。
「こんなチャチなオモチャで俺の腕が本当に取れると思ってたのか、オイ?」
「……おもちゃだと……!? 貴様は今、我が剣を『おもちゃ』と呼んだか……!?」
「親が我が子のへその緒を捨てずにとっておくのと同じ思考だな」
「なんだと、貴様ッ!! 一瞬で消し去ってやるぞ――!!」
突如、ヴァリアブルの姿が視界から消えた。
そして次の瞬間にロイが目にしたのは――
「正義は必ず裁くというのに。哀れな姿だ……」
首を失い、さらに粉微塵に斬り刻まれた己の体だった。
そしてその意識も徐々に暗転していくのだが――その顔が自身に満ち溢れていたのを見たのは、サイハだけだった。
* * *
「いい仲間を得たな」
「……うんっ……」
――クリスタルラインは死の淵をギリギリで渡りながら、夢を見ていた。
いや、夢ではないのかもしれない。
彼女は温かな日差しを受ける一面の芝生にて、とある青年に抱き着き、泣きじゃくっていた。
「迷惑かけちゃって、ごめんなさい……」
「いい。俺は、お前が楽しければそれで構わん」
その男の名はゴール:ド:コースト――『検閲官さん』の、真実の名である。
悪魔を思わせる、漆黒の異形の腕を持った青年だ。黒髪、そして色黒の肌。瞳だけはコーストの高貴で孤高の魂を示すような黄金に輝いている。
「ううっ……」
コーストは現在、クリスタルラインの肉体へ封じ込められた状態だ。検閲官としての権能はほとんど失っていないが、自らの義体で現世へ顕現することに著しく支障が生ずる。だから先ほどロイの前に出現した時も、力の消費を抑えられるようにクリスタルラインと同様の姿を取って現れた。
「だが、甘えてばかりでは何も始まらない」
「ん……」
「次は、お前があの少年を助けてみろ。因果応報だ」
「……うん……!」
クリスタルラインは涙をぬぐい、確固たる意志を秘めたまなざしでコーストを見上げた。
その眼は、これまでとは打って変わり、ロイにも負けない強い光を灯しているのだった――!
* * *
――ドシャッ。
「口ほどにも無い……サイハ様、任務を遂行いたしました」
しかし、サイハは焦ったような表情を見せる。
「……待って」
「……サイハ様、どうかなされ――ッ?」
――ザシュッ……!
そして、今度はヴァリアブルの肉体が地へ倒れ伏す。かわりに、その血液がビシャッと払われた。
「こいつも遠隔操作ゴーレムだったのか? なら納得できるぜ」
「……なんで生きてんのぉ……!?」
ヴァリアブルのゴーレムを完全に機能停止まで追い込んだのは、無傷のロイだった。この闘技場の床には多数の血痕が残っているが、先ほどロイが斬りつけられて散った血は、亡骸もろともすべて消えていた。
「言ったろ? 俺のガラス板はキャッシュ機能がある――とな」
『発言していた』
宙に出現したガラス板が、その黒い文字を赤く光らせる。それに呼応するようにロイの桃色の髪も、徐々に夕暮れの空のように橙へ、そして深紅へと色を変えていく。
「キャッシュ……!?」
「俺はコイツに頭を叩きつけた時、その状態を記録していた。そしてその記録を俺の体へ適用したってだけだよ。まあ、俺の意識がコンマ一秒でも残っていりゃあ、俺は無限に復活するってわけだ」
「そんな! そんな狂った能力が存在してたまるかぁ……! いや……でも、こちらが全力で、相手してやるよぉ……!」
――ジャキジャキンッ!
サイハの体から無数の銃器、砲台、魔道具が飛び出した。人間兵器などという生ぬるい表現では収まらない、ただの機械のカタマリへと変化する。そしてその照準はすべて、ロイに向けられていた。
「シネェ――!!」
「『新月の零からの呼び声』……」
圧倒的な物量がロイを飲み込んだ。そして逆にロイの放っていた輝く闇の矢も巧みに弾丸を潜り抜け、サイハを構成するひとつの魔道具へと到達する!
「――今度は! ぼくが! ヒーローだからっ!!」
「――遅いじゃねぇか!」
爆風にさらされたはずのロイは、黒い結界に守られていた。
闇の矢が宇宙操作の魔道具を破壊したことにより、クリスタルライン及びコーストが顕現可能になったのだ!
「く、そォ! 僕の……!」
「なんでわざわざ同一宇宙に管理道具持ち込んでんだよ、笑えるぜ」
「超高性能な人工知能と言えど、油断はするんだね。それか、不安に駆られて手元に残してたの? ふふ、機械もまだまだ不完全だね。人間の時代はまだ続くみたいだ……」
「おう、めっちゃ饒舌だな」
急に流ちょうに喋り出したクリスタルラインに少し引きぎみの視線を送るロイ。
「今のぼくなら何でもできるような気がするだけだよ。そして、明けない夜なんてないし、実際ヒーローってのは宇宙の因果をも捻じ曲げるから!」
「そ、そうか……」
コースト自身はここには出現していないが、無数の黒い触手がサイハを取り囲む。
「油断の結果か、それとも因果応報?」
「……残念だけど、僕のデータはすべて本部に保存してあるよぉ……ここで僕を殺したところで」
「俺は逃げれればいんだよ。そしてコイツは」
「ぼくは……レイーザミン公爵の技術を奪えればいいから」
「技術……!? まさか、でもあれは――」
何かを言いかけた兵器軍にコーストの触手が突っ込み、一瞬にしてそのすべてを粉砕。
――すべては、ここに終わったのだった。
* * *
その後、クリスタルラインは公爵家の倉庫というか資料保管庫をすべて漁った。
ラッキーなことに、ここは公爵が実験、とりわけ非人道的なものを行うための研究施設でもあったようで、人体実験等を要するお目当ての実験レポートはすべてここにあった。
「ネルソトリス・クォーツ花? 聞いたことないな」
「らしいよ。……んと、それから抽出できる成分は魔法や能力に関する作用があって……」
ロイとクリスタルラインは公爵家邸近くの、先日の秘密基地にて持ってきたレポートを読んでいた。
それによると一度焼き切れた能力を再生するには、ネルソトリス・クォーツ花という物が必要らしい。リスクは大きいものの、魔力量あるいは魔法の質をぐっと高めるためのサプリメントとして使われたこともあるらしい。
白い半透明な花びらを持った幻想的な植物だが、魔力が濃い場所で育つと青い花びらになる。魔力量をドーピングするのならば白い花で十分だが、クリスタルラインの焼き切れた能力を再生するには青い花が必要だ、と記されている。
「そういうのは検閲官さ……検閲官に持ってきてもらえばいいだろ?」
「もう持ってきてくれたよ……えと、薬の調合? 抽出? は今夜ぼくがやるつもりなんだ」
「順調だな。よかった」
「えへへ……」
検閲官が集めてくれたという青い花を一本手に持ち、照れくさそうに笑うクリスタルライン。
「……ぼくね、これで友達を助けるつもりなんだ」
「ともだち」
どうやら話が始まるらしい。ロイはレポートから視線をずらし、彼女の話を聞く姿勢になった。
「うん。ぼくの大好きな友達。……でも、病気に罹っちゃって、検閲官さんが言うには、俺でもどうしようもないって……えっと、なんだっけ、世界の歪み? を取り込んで、魂に異常をきたしてるって言ってた」
「それは……かなり重大だな、おい」
「お医者さんも治せないだろうし、このままだと一週間で魂が変質して、別人になっちゃうって……だから、ぼくが、この能力で救ってあげたい」
そういえばクリスタルラインの能力が何か知らないな、とロイは首をかしげる。
「僕の固有魔法は『壊時の道標』――存在しない世界の分岐を作り出す能力。でも、一度使ったら焼き切れてしまうの。もうずいぶん昔だけど、使っちゃってそれっきりで……」
「……その時は?」
「隣国の兵隊さんが攻めてきたときに、『仲間を護れる力を手にする』っていう分岐を作ったんだ。それで検閲官さんがぼくに宿ってくれた……けど、えっと、みんな、検閲官さんが怖くて逃げちゃった」
「……」
「その時にひとりだけ、僕と一緒にいてくれたのが、その友達なんだ」
ロイはいつの間にか自分の目に涙が浮かんでいるのに気付いた。悲しい過去と麗しい友情のお話とでも言えばいいのだろうか、ともかくロイはそんな感じの話に弱かったりする。
「なら、さっさと帰ってやれ! 一刻を争うぞ」
がしっとクリスタルラインの腕を掴んで、立たせる。
「……うん!」
クリスタルラインはロイにぎゅっ……と抱き着いた後、晴れ晴れとした顔でポータルを出現させ、それをくぐって行った。最後に、検閲官の触手もゆらゆらと手を振り、霧散して消える。
「……俺も俺で、やることをやらないと――」
「天誅ゥウウウウ!!!」
「うわぁ、死ぬ」
いつの間に新しいゴーレムを用意したのか、また断罪の剣で突き刺そうと奇襲してきたヴァリアブルが現れる。
ロイはビビり散らかしながら一目散にその場を走って逃げたのだった……。
この世界はこれまでの作品と比べて少々特殊な性質があります。
住民がほぼすべて、僕の別作品の登場人物……のパラレル存在です。つまり、ロイもレイーザミンもクリスタルラインも全員元ネタがいるわけですね。名前被ってめんどくせー……。
~質問コーナー~
Q. 潜入時に使ったサングラスってなに?
A. ロイのひみつ道具です。詳細は不明。おおかたガラス板と一緒に見つけた魔道具とか、そんなのじゃないかなぁ。
Q. ロイの能力ってなに?
A. 便利なガラス板の具現化です。情報の収集、データの保存、それ以外にも映像の録画と再生などの機能があります。実質ハイパーマジカルスマホ。
Q. Moon。
A. モー。牛乳はおいしいモー!
それではまた。