第89話 自由と奉仕の命題
『万物は酒である』
―サモヌの賢人 ピタゴルァヌ―
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95の論題に続き、3冊の論文、そして、これらに続く神学者、人文主義者達。
教皇はこれらの流れを止める為に回勅が出された。
95の論題の著者に対し、41の定立がいかに異端であるかを解き、撤回迫る内容である。
しかし、著者は回勅を火に投げ入れた。
彼はこうして破門されたのだ。
彼の名はマーチン・ルザー。
宗教改革の最前線に立つ男である。
そして、ここにもう一人の男がいた。
改革派による教会への非難は教会世界を揺るがし、神聖帝国の存亡に関わる重大な事態だと受け止めた彼は、改革に対して強い行動に出る事を決心する。
研ぎ澄まされた長いアゴは鎧をも貫くとされるこの彼の名は、カロリンガー5世。
神聖帝国の皇帝であり、日の沈まぬ国の統治者でもある彼は、帝国議会にルザーを喚問し、彼の思想を撤回させ、宗教改革の流れを止める事を決意した。
帝国議会が開催される都市ウォームは、かつて、いにしえの勇者達が決闘を行った事で有名な薔薇園が存在する。
帝国の未来を大きく左右するこの議会に、各々の思惑を抱いた諸侯達が集まる事となる。
とある街、元は修道院が大学と連携して建てた建物で、現在はルザーの住まう家となっているこの大きな屋敷・・・
ルザーは議会へ向かう支度をしていた。
「兄さん・・・弁護士のジョナスさんが来ましたよ」
「ザカリよ・・・今、兄さんは集中している・・・」
「兄さん、街に兄さんを応援する人達が集まっているよ。もはや、兄さんは偉人になったんだ」
「ザカリよ・・・」
ルザーは突然、床に頭を付けた!
「いやだよぉ~~!こわいよぉ~~!!」
そして、嘆き始めたのだ!
「帝国議会に行くなんて、道中で絶対狙われるよぉ~~!!」
「に、兄さん?!」
「主よ!なぜ、なぜ私なのですかー!なぜ、この役割が私なのですかー!?私はそんな強い人間では無いです!ただ、世の中に蔓延る不正に疑問を抱いただけなんですー!!95の論題で、わかり合える人と話し合ってみたかっただけなんですー!!」
そう、彼は、望まずに改革者となった男だったのだ・・・
「兄さん・・・」
でも、彼は立ち上がった・・・
「主よ・・・でも私は、信じる道を進みます」
彼は信念だけは曲げない。
そういう男だったのだ。
ひとまず落ち着いた頃合いをはかって、弁護士のジョナスがドアを開けて部屋に顔を出した。
「ルザー。馬車の準備が整っているぞ。他に君に同行する学生達も君が来るのを待ちわびている」
っと言いつつ、ジョナスは部屋に入った。
「ジョナスよ。君の力を頼りにしている・・・厳しい旅になるだろうが、よろしくたのんだ」
2人は握手を交わす。
「サクソンラント選帝侯から、議会が行われる間の安全の保障を行うと、黒の軍団と呼ばれる傭兵隊を雇って、何か起こればすぐに駆け付けるとの事だ」
「傭兵か・・・どんな奴なんだか・・・」
すると、ドアをノックする音がした。
弟がドアを開けると、そこには1人の騎士の姿があった。
「初めましてルザー殿。オレはフリッツ・フォン・ジッヘンハイムだ。議会までの道中の護衛を致したく参上した」
「フリッツ・フォン・ジッヘンハイムだと・・・?」
ジョナスは騎士を睨みつけた。
「おや、オレの事を知っているようで」
「知っているも何も、強盗騎士で名をはせている貴殿を知らぬ者などいない。それが道中の護衛を?誰からか、そうするように言われたのか?」
ジッヘンハイムはジョナスの言葉を聞いて、笑い声をあげた。
「そうだ。そうであるとも。我が主であるワルリッヒ・フォン・ハッテンから頼まれて来たまでだ」
ワルリッヒ・フォン・ハッテン。
それは、魔王の名である。
「噂には聞いていたが、魔王と手を組んでいたのか・・・それも、何を企んでいるというのか?」
すると、ルザーはジョナスを制止し、ジッヘンハイムの前に出た。
「私は教会に立ち向かう者であるが、主の僕である。主に反旗を翻す魔王とは、いかなる理由があろうとも、関わる事すら無い。さあ、出て行け!」
「そうか、それがお前さんの答えか。まあよい。しかとその言葉、受け取ったり」
そう言い、ジッヘンハイムは大人しく出て行ったのだ。
「流石だ。あの強盗騎士を一言で帰すとは・・・」
ジョナスは振り返ると、ルザーは頭を抱えて縮こまって震えていた。
「怖かった・・・怖かったよぉ~~!!助けて聖母様~~~!!」
「こんなに恐れるし、体も強いとは言えない人間だが、不思議な人だよあなたは。信念から逃れる事が出来ないどころか、それに関して貫き通す力がある。だから私はあなたに付いていく事に決めたんだ」
しばらくして、落ち着いたルザーは立ち上がった。
「すまぬな。時間を取らせてしまった。そろそろ出ようではないか」
信念を貫く決意を固めた男の顔は逞しかった。
彼の乗る馬車の周辺には、彼の出発を見送る為に多くの人が集まっていた。
人々は、彼が世の中を良い方へ変えてくれる事を願っていた。
彼もまた、その期待に答えなければならなくなっていた。
望まぬ改革者ではあったが、彼は彼自身の信念によって動き続けるのである。
ルザーと、その仲間達が乗った馬車は、ゆっくりと走り始めた。
そして、彼と共に、歴史は動き始めたのだった。
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