二話 好きになっちゃいそうです
「え〜っ!!じゃあ、あの学園の中で人気ナンバー2のエルバート様ってリーシア様の婚約者様なんですかっ!?」
「そういうことになるわね」
「……………………」
授業の合間の休み時間にわたしと幼馴染のユーミア、そして新しくお友達になったアリアの三人で楽しくお喋りに花を咲かせていたとき、アリアが突然声を大きくしてそう言った。
わたしがそれに頷いていると、隣のユーリエは仏頂面で小さく呟いた。「知らない人なんていないわよ」と。
確かに世間様からは「政略結婚の見本」とまで言われているのだから、知らない人は少ないと思う。
けれど、アリアは学園に通う前は庶民として生活していたらしく、ある日突然彼女のお父様を名乗るリッター男爵様がお迎えに上がってこの貴族学園に通うことになったそうだ。
そんな彼女が、社交界での噂話を知るはずもない。
(まぁ、エルバート様が学園人気の次席だったのはわたしも初めて知ったけど)
アリアは本当に素直な子みたいで、よく「リーシア様起きてますかー?」「その顔で寝てるわけじゃないなんてビックリです」「本当に寝てるみたいな顔ですね」とわたしの目を覗き込むようにして言ってくる。
普通思っていても皆口にしないので、何度もそう言われてわたしは改めて自分がぼんやりした顔をしているのだと自覚したばかりだ。
分かっていたつもりだったけど、休み時間のたびにそう言われるのだからよっぽどなのだろう。
何度かユーリエがアリアに対して怒っていたが、それを諌めれば今度はわたしが怒られた。
曰く「余裕こきすぎ!」らしい。
でも、怒ってばかりのユーリエはすごい疲れているように見える。
「でも〜、婚約者なのに今の今までどうして入学したばかりのリーシア様に一度も顔を見に来られないんですか?」
「……それは」
「リーシア様の婚約者様って薄情なんですねっ!」
どう言ったものかとわたしが逡巡していると、アリアは大きな声でそう断言した。
「だってっ婚約者なら一度は様子を見に来ますよね?それなのに一切そんなことがないということは……。……リーシア様ってもしかして婚約者様から想われていないんですか?」
「……そんなこと、ないわよ」
彼が一度も顔を見に来ないことはなんとなく予想できていた。一度お昼の時間に一緒に昼食はどうかとお誘いはしたけれど、結局受けてはくださらなかった。
(…………まぁ、わかっていたことよね)
昔からピクニックや舞台の公演にお誘いしても「忙しい」「興味ない」「時間の無駄だ」と断られ続けてきた。もちろん目を一切合わせることなく。
(でも、想われてない、なんて思わないわ。彼なりにわたしのことは想っている、はずよ)
結局その日のアリアとの会話はそれで終わった。
アリアは「アタシはリーシア様の味方ですよっ!」と言っていたけど、そこまで心配されるようなことではないと思う。
「…………アレは心配じゃないわよ」
そう、隣で嘆くように呟いた幼馴染の言葉の意味を、わたしはよく理解できなかった。
「本当にっ、リーシア様の婚約者様って酷い人ですね!」
怒ったようにそう言うアリアは、ここ最近わたしの婚約者エルバート様の悪口ばかりを言う。
「そんなことないわ。エルバート様はとても素敵な人よ」
彼女を宥めるようにそう言えば、アリアは更に怒った。
「リーシア様は優しすぎると思いますっ!もっと婚約者様を怒るべきですよ!!」
わたしに怒るように促す彼女に、隣にいたユーリエは何度か苦言をこぼしたが、どちらもわたしのことを想って言ってくれているのでわたしはどうしたらいいか悩んでしまった。
けれど、そんな状況はそれから少しずつ改変していく。
「………………まぁ、顔はいいですけどね!」
散々わたしの婚約者の悪口を言ったあと、彼女はその言葉で締めくくった。
最近ではこの調子が続いている。
やれ顔がいいだの、やれ人望はあるだの。
彼のいいところを、少しずつではあるが認めてくれている彼女にわたしは嬉しさを感じていた。
そんなわたしを冷めた目で眺めている幼馴染に気が付かないまま。
「………………それで〜、エルバート様ったら…………」
「あら、彼にはそんな一面があるのね。知らなかったわ」
「………………」
最初こそはエルバート様を悪く言っていた彼女も偶然彼と関わる機会があったらしく、少しずつその態度を改めていった。
彼女から見た彼の姿をこうして教えてくれて、わたしはそれまで知らなかった彼の姿を彼女を通してみることができた。
アリアはいつの間にか彼のことをわたしの「婚約者様」から「エルバート様」と呼び替えていて、彼と関わったときの様子を事細かに教えてくれた。
困っていたところをたまたま通りがかったエルバート様が助けてくれただの、悩みごとをしていたら優しく相談に乗ってくれただの。
彼がわたしの前では決して見せてくださらない一面を、彼女は毎度楽しそうに口にしていた。
それが嬉しくて笑って頷き返していたら、ユーリアが呆れたようにため息をついていた。
その時は聞いてもはぐらかされたけど、後に彼女はこう言った。
「リーシア、アンタいくら何でも余裕こきすぎよ」
「余裕?」
わたしが聞き返せば彼女はすぐに頷き返してくれた。
「そうよ。いくらあの子がアンタのお友達で、エルバート様がアンタの婚約者だからって……。このまま放っておいたらどうなるかぐらいわかるでしょ」
「…………まさか、二人が裏切るとでも言うの?」
まぁそうね、と呆れ混じりに頷く彼女にわたしはどこか安堵を覚えてすぐにそれを否定した。
「そんなこと、あるはず無いわよ。エルバート様とは昔からの婚約関係だし。それに、その婚約だって簡単に蔑ろにできるものではないわ。アリアもそれはわかってくれてるわ」
「……だから、それが余裕こいてるって言ってるんだってば」
(だって、ありえないもの)
アリアは今でこそエルバート様のことばかり褒めているけれど、最初はわたしの「味方」と言っていたもの。
エルバート様との関係だって、そんなに悪いものでもない。
何より、この婚約自体両親が、王家が決めたことなのだから、そう簡単に反故などできない。
万が一、なんて起こるはずもないのだもの。
「…………アタシ、エルバート様のこと好きになっちゃいそうです〜」
入学してから半年、そろそろ冬が始まるという頃にアリアがそんなことを言った。
「あら、いいじゃない?」
「え……?」
わたしが彼女の言葉を肯定すれば、彼女はその丸い瞳をさらに丸くした。
「…………いいんですか?」
「エルバート様を好きな方が増えるのは悪いことではないもの」
「………………」
わたしが本心から頷き返せば、彼女は少し戸惑ったように顔を伏せた。
相変わらず、隣では仏頂面をしたユーリエもいたけれど彼女はもう何も言わなかった。
この会話が、後々の卒業パーティの騒ぎに大きく繋がるものだとはわたしも彼女も予想していなかったのである。