死ねない理由じゃなくて生きたい理由を。
祖母が私がいてくれて嬉しいと言った。これじゃ死ねないな、と思った。今まで自分は生きてきたわけだけどそれは能動態で表現するのはおかしいと思う。それは自分が積極的に生きようとしたわけではなかったからだ。かと言って受動態で「生かされてきた」というのもおかしいだろう。だから能動態と受動態の中間の中動態が最適だと思う。話を戻そう。自分は何か生きる理由が欲しいと思う。死ねない理由じゃなくて。
人は不安になるとき(少なくとも僕は)「自分はなぜ生きるんだい?」と自分に問いかける。すると自分の身に不安が押し寄せてくる。だから「自分はどのように生きよう」とwhy?じゃなくhow?を問うといい気がすると常々思う。
明るい文章を書きたい。誰かのためになるものを書きたい。だけどそんなことは僕には出来ない。一緒に生きようよ、なんて言える気がしない。死にたくないが生きられない。この気持ち、わかってくれるかい?