地縛霊になった先輩と枯れたJKの初恋延長戦
中学の3年間で人生のどん底に突き落とされた黒崎芽衣は、進学先の高校で一つ上の先輩に恋をした。頑張り屋の彼女は先輩との距離を少しずつ縮めていき、先輩の心を見事に掴むことに成功する。そんな矢先、先輩は地縛霊になってしまったのだ。
一目惚れなんて、ドラマや小説の中だけの絵空事だと思っていた――
部活動に明け暮れた中学校の3年間。
クラスメイトたちが恋バナにうつつを抜かしているのを横目に見ながら、私は黙々とトランペットを吹き続けた。でも、万全の体制で挑んだ3年最後のコンクールで、私は大した結果を残せずに、引退することになった。
高校でリベンジしようと挑んだ高校受験にも失敗し、私は一人、地域最弱と言われる青葉高校に入学することになってしまった。
私、黒崎芽衣は、16歳にして人生のどん底に突き落とされてしまったのです。
ところがそんな私に、
突然、その瞬間はやってきた――
「ねえきみ、ハンカチ落としたよ?」
廊下で声をかけられて振り向くと、思わず息を呑むほどに美しいイケメン男子が、花柄模様のハンカチを手に微笑んでいた。
くっきりとした二重の目、綺麗に整った眉毛、唇が薄くて肌がきれい。顔立ちがはっきりとしているけれど、どこか中性的な印象のある、まさに私の理想とするイケメン男子。
こんな先輩、この学校にいたんだ!
私は感動に打ち震えた。
けれど――
「あ、ありがとうございます」
そう言ってハンカチを受け取ったのは、私の隣を歩いていた同級生の女子だった。
はい、そうですぅー!
花柄のハンカチなんて私は持ち歩いていませんよーッ!
それなのに、恋愛ドラマのヒロインばりに、頬を赤らめ立ち尽くしていた私の何と間抜けなことよ。
所詮、枯れた女の私に、ロマンチックな展開などあるわけないのだよ、ワトソン君。
しかし、現実は小説より奇なりという。
この時、すでに私は、
恋に落ちていたのだ――
宝積寺黎、青葉高校2年1組出席番号28番。
12月25日生まれ、17歳。
血液型はO型。
身長172cm、体重56kg。
写真部に所属。
以上、私の調査メモより抜粋――
ふむふむ。
我ながら秀逸なリサーチ能力だと思わないかね、ワトソン君?
トランペットの練習に勤しむ傍ら、シャーロック・ホームズシリーズを全巻読破するほどには読書趣味を続けていたことが役に立った。
メモ帳をパタンと閉じると、私は先輩の後ろ姿を追って、駅前通りをいそいそと進んでいく。
この先には古びた喫茶店があって、青葉高校のOBである店のオーナーが学生向けにドリンクバーを安く提供している。先輩はそこの常連客だったのだ。
先輩は毎日のように気の合う仲間とこの喫茶店に来ては、互いに作品を見せ合ったり、勉強会をしたりしている。
写真部といえば幽霊部員の集まりのようなものというイメージがあったけれど、どうやらそれは私の偏見だったみたい。全国の写真部の皆さんごめんなさい。
それにしても先輩はどの角度から眺めてもかっこいい。笑うときに白い歯が見えるところも、大きなえくぼも、炭酸を飲み過ぎでゲップが出そうになって慌てて口を押さえる仕草までも、何もかもがかっこいい。
私はその様子を遠く離れた席からジッと観察する。
初めはそれだけで満足だった。
マウスピースをただ咥えて音を出していたあの頃のように、遠くから眺めているだけで十分に満ち足りた気分に浸ることができた。
でも、私は欲深い女。日を追うごとに物足りなさを感じるようになってくる。
もっと上手くなりたい。もっと近づきたい。
そして今日、勇気を振り絞り先輩の隣の席に座ったのだ。
そこで気付いたことがある。
どうやら私は存在感というものが薄いらしい。
先輩も、先輩の友達も、誰一人として私を気にとめる様子が見られないのである。
なーんだ。
こんなことなら、初めから隣に来れば良かったな。ホッ……
ちがーう! そうじゃないでしょ?
私は頭を抱えてふさぎ込んだ。
「そういえば、レイ。2組の古河に告白されたんだって?」
「え、マジ? いいなぁ。俺、あの子ちょっと良いなって思っていたのによ!」
突然、目の前の二人が先輩を相手に恋バナを始めた。
先輩が告白されたですって? そんなァー……
サーッと血の気が引くとともに目の前が真っ暗なり、私は気を失った――
「あの古河をフッたのか? もったいねぇーな!」
「確かにもったいねぇーな!」
――と思ったら、すぐに復活。
どうやら先輩はその告白を断ってくれたらしい。
「ということは、レンには他に好きな子がいるのか?」
「いるのか?」
すると、先輩は少し考え込むような仕草をする。
「うーん。一応、気になっている相手は……いるかな」
他に好きな子がいるんかーい!
崖下に転落しそうになってようやく掴んだ木の枝が、ポキッと折れて結局落ちてしまったような気分ですよッ!
再び頭を抱えてふさぎ込んだ私の耳に、カメラのシャッター音が聞こえた。
視線を上げると、先輩のカメラのレンズがこちらに向けられていた。
えっ、……もしや先輩、いま私を撮りました?
「飲み物入れてくるわ」
「じゃ、俺もー」
友達が二人とも席を立つ。
一人残された先輩は私の隣でカメラのモニターをじっと見ている。
えっと……そこに写っているのは私……なんですよね?
一体、先輩はそんなに私の画像を見つめて……何を?
嗚呼ああゝゞ――――ッ!
私は天にも昇る気分で空高く両手を突き上げた、
その日を境に、私の生活は一転した。
ショッピングセンターや美術館など、先輩が行くところにはどこにでも付いていった。
先輩は人気者だから、なかなか二人きりにはなれないけれど、それでも私は十分に幸せだった。
うれしい。うれしい。
この幸せな時間がずっと続きますように――
北国に雪の知らせが届いたころ、先輩は死んでしまった。
小さな葬儀場には、高校の関係者が大勢参列していた。
すすり泣く声が聞こえる一方で、ヒソヒソ話も聞こえてくる。
深夜3時過ぎ、歩道橋の階段脇から道路へ飛び出した先輩は、大型トラックにはねられて即死だったらしい。
高校生がそんな時刻に一人家を出て道路に飛び出した。その状況からあれは事故ではなくて自殺だったのではないかと囁かれている。
でも、私は絶対に信じない。
だって、その前日も先輩はいつもの喫茶店で、次の写真コンテストに出す作品について真剣に話し合っていたのだ。
そんな先輩が自ら死を選ぶなんて、とても考えられない。
月明かりの下で、私はふらふらと行く当てもなく歩いている。
ふと気付くと国道に出ていた。
片側二車線の夜間でも車通りの激しい道路だ。
時折、大型トラックが脇を通過すると激しく地面が揺さぶられる。
こんな恐ろしい物に、……先輩は轢かれてしまったのか。
「……!?」
前方の人影が目に留まった。
それは月明かりの中、ぼんやりと青白く光っている。
頭を垂れたその人影の足もとに、花束や飲み物やお菓子の袋が置かれている。
そこは歩道橋の階段下。
「先輩……?」
私が声を掛けると、青白いその人はゆっくりと振り向く。
「ああ、やっぱり、先輩ですね?」
でも先輩は私の顔を見ても何の反応も示さない。
つい興奮気味に声をかけてしまった自分が急に恥ずかしくなる。
先輩はもうこの世の人ではないんだ。
ようやく二人きりになれたのが死後だなんて悲話でしかない状況なのに。
「きみは誰?」
先輩の顔が涙でにじんで見える。
幽霊になると生前の記憶が曖昧になるというのは本当らしい。
「ご、ごめん。俺たち、生前に知り合いだったのかな?」
「はい。私はいつも先輩のそばに居ました。喫茶店でも……」
すると突然、先輩は私の両肩をガッと掴んだ。
「あれはきみだったのか!」
先輩の顔がグイッと近寄ってくる。
「はっ、はい! わ、私のこと思い出してくれたんですか?」
「ちゃんときみのこと見られて本当に良かった。きみ、めっちゃ可愛いじゃん!」
めっちゃ可愛いじゃん。
めっちゃ可愛いじゃん。
めっちゃ可愛いじゃん。
先輩の声が私の頭でリフレイン。
「あれ? それでは、先輩は今まで私の顔をちゃんと見ていなかったってことになるのでは?」
「だって、俺には霊を肉眼で見る力なんてなかったし……」
んん?
「あ、……きみはまだ、自分が霊体になっていることに気付いていないのかい?」
あっ……
急に身体がふわりと浮いた。
ぽっかり空洞だったところに記憶が流れ込んでくる。
私は高校生活をちゃんと楽しみにしていたんだ。
自分が死んだことも気付かずに、高校に通っていたほどに――
「浮遊霊になってまで叶えたいと思っていた、きみの願いは成就されたんだね? 良かった。本当に良かった!」
先輩は自分のことのように喜んでくれている。
弱々しく寂しそうな笑顔。
ああ、先輩がどんどん遠くなっていく。
「神様、私はまだそっちには行けないです! 私はこの程度で満足するような女じゃないんだからァァァーッ!」
月に向かって、私は叫んだ。
神様もこんな私に愛想を尽かしたのだろう。私は先輩の傍らに舞い戻った。
「驚いた。せっかく天国に行けるチャンスを自ら捨ててしまうなんて……」
「先輩! 私に付き合ってください!」
「えっ?」
先輩はお月様のように目をまん丸に見開いた。
先輩は地縛霊。
そして私は浮遊霊。
なら、やるべきことはただ一つ。そうだろ、ワトソン君?