深窓のアマテラス
山奥にある古い立派なお屋敷には深窓の令嬢が住んでいる。彼女は生まれつき白髪で、重度の弱視だ。
そんな天寺寿々には不思議な力があった。
それは、夢で見たものを八ミリフィルムに記録として残すこと。
ただし、見るのは全て悪夢。しかも現実に起こった殺人の犯行現場の夢であった。
夢の中でなら寿々は景色も人の顔も、その目で見ることが出来る、が。
瞳が黄色く、黒目部分がほんのり青い。まるで夜空に見えるはずのない太陽があるかのようなその神秘的な目は、現実にはほとんど何も映してはくれないのだ。
見たことのある景色は凄惨な事件の現場だけ。
人の顔は苦悶と憎悪の表情だけ。
そんな深窓の令嬢こと寿々はこの日、これまで見た中で最も恐ろしい悪夢を見た。
スーパー執事の夜見月路、元刑事の佐野蘇芳と共に、寿々は夢の事件の真相を追う。
薄暗いシアタールーム。一人の少女が膝を抱えて椅子の上に座り、ぼんやりとセピア色の映像を眺めていた。音声はなく、古い映写機の回るカタカタという音だけが響いている。
彼女が瞬きもせずにスクリーンを見つめるその目は不思議な色合いで、瞳が黄色く、黒目の部分がほんのりと青い。まるで夜空に浮かぶはずのない太陽があるかのような、不思議な目だ。
しかし、その不思議な目は持ち主に映像を見せてくれない。
白髪に重度の弱視。彼女は生まれつき、そういう体質なのだ。
「寿々様、休憩いたしましょう」
「うん……」
映写機が止まる。タイミングを見計らって部屋の片隅で待機していた男が静かに主人に声をかけた。
夜見月路。彼は彼女の護衛であり、執事である。長身で目つきが悪く、髪型はオールバック。裏社会のボスであると言えば誰もが納得してしまうような強面だが、実際は怒らせない限り物腰の柔らかな紳士だ。それだけではない。どんな仕事も家事も完璧にこなす、スーパー執事だった。
しかし、見た目の印象が悪い月路を天寺家の当主はあまりよく思わなかったらしい。かといって優秀な人材を他家に取られるのは癪だったのだろう。目が不自由ならば容姿など関係ないことだしと、同じく見目が特殊な末娘の寿々もろとも本邸から森の奥にある別邸へと体よく追い払ったという噂だ。
「……凄惨な夢でしたね。男女の喉に突き刺さったナイフ、ですか。犯人の顔は見えなかったんですね」
「覆面を被っていたから。ただ、声は聞いたの。血が足りないって言ってた。きっと、まだ終わらない」
「男性の声ですか? それとも、女性?」
「それが、曖昧であんまり覚えていなくて」
映写機から映し出される映像に音声はない。だから音や声については寿々の記憶に頼る他ない。だが夢はいつも曖昧で、寿々が覚えていることの方が少なかった。
「……彼を呼びましょうか」
「うん。お願い」
月路の言葉に淡々と返事をする寿々は、よく見ると小刻みに震えていた。……これまで見た中でもトップクラスの悪夢を見てしまったのだから無理もない。月路は手に持っていたブランケットを寿々の肩からかけ、そっとその小さな背中をさすった。
「温かいお茶でも淹れましょう」
「ううん。いらない。その代わり……少し、ギュッてして。その、嫌じゃ、なければ」
「嫌なものですか。光栄ですよ」
「……ありがとう、月路」
月路が小さな身体をブランケットごと抱き締めると、寿々は縋るようにしがみ付いてきた。サラリ、と長く美しい白髪がブランケットの隙間から見える。
彼女はいつも以上に怯えていた。さすがに今回の夢は、フィルムに移した程度では恐怖を消し去れなかったようだ。
寿々は時々、奇妙な夢を見る。目の不自由な彼女が夢の中でだけハッキリと様々なものが見られる、というのは良いことのように思えるが、そうではない。
彼女の見る夢は、その全てが悪夢だからだ。そしてそれは現実に起こった出来事であり、大抵は人が殺される犯行現場だった。
さらに寿々には不思議な力があった。見た夢を八ミリフィルムに記録として残すことが出来るのだ。なぜかダビングは出来ず、亡くなった曾祖父が残した古い映写機でしか見ることが出来ない不思議なフィルムである。
夢は時間の経過とともに薄れゆくもの。起きてすぐに記録に残せるよう、寿々は枕元にフィルムを積み重ねて寝るようにしていた。
悪夢を見た後はすぐにフィルムを胸に抱き、夢の記憶を記録する。そうすることで、少し落ち着くらしい。悪夢は人に話せば怖くなくなるという話と同じで、寿々は記憶を残すことで精神の安定を保っていた。
こうしてフィルムに記録された夢を、寿々は毎回すぐにホームシアターで見ることにしていた。ぼやけてほとんど見ることは出来ないのだが、彼女なりの儀式のような行動なのだろう。
そしてその映像はいつも月路が一緒に見ることにしている。時折、夢で聞いた音声を寿々がブツブツと呟くこともあるため、一言も聞き漏らさぬように。
それから一番近くで、彼女の心のケアを行えるように。
寿々が落ち着いたのを見計らって、月路はいつものように彼に連絡をした。元刑事部捜査第一課所属の佐野蘇芳。能力は高いが組織に馴染めず辞職した、若き青年だ。
「……夜見です。ええ、そうです。今すぐに来てください」
呼んだ理由はもちろん、彼にこの夢の事件を解決してもらうためである。
※
相変わらず映画にでも出て来そうな西洋風の洋館だ、と蘇芳はいつもの感想を抱く。夕日をバックにしたその屋敷は逆光のため手で影を作らないと直視出来なかったが、何度も訪れているのだから立派な建物なのは知っている。
「ちょっと古いデザインだよなぁ。それがまた富豪の持ち家って感じだけど」
再び屋敷に向けて足を動かし始めた蘇芳は、口の中で小さく呟く。天寺家の末娘から呼び出されるのも慣れたものだ。いつものように呼び鈴を三度鳴らし、返事を待たずにお嬢様の部屋へと一直線に向かった。
「寿々お嬢さん? 慣れてきたからってちょっとばかり人使いが荒くないスか? そこの執事には今すぐ来てくれって言われただけで電話切られるし」
部屋に招き入れられた蘇芳は、開口一番で文句を溢す。部屋の中央にあるソファーにゆったりと座る寿々は、その言葉を華麗に聞き流した。
「遅かったですねぇ。待ちくたびれましたよ」
「あのねぇ! 俺にだって仕事があんの! いくらお嬢さんの頼みでも物事には優先順位ってのがあるんスよ!」
蘇芳は毎回、寿々に振り回されがちだ。たった十五歳の少女に手の上で転がされるなんて、と蘇芳も思っているのだが、お金持ちのお嬢様の言うことにはなんだかんだいって逆らえない。
なんといっても報酬がおいしすぎるのだ。その分、持ちかけてくる依頼の難易度も馬鹿高いわけだが。
「私の頼みは優先順位の一番下ってことですか……。悲しいです、シクシク」
「後から来た依頼なんだから後回しになるに決まってんでしょーが! 噓泣きすんのやめてくれますぅ!? 過保護な強面執事が睨んでくるんスから!」
このままでは話が進まない。蘇芳は咳ばらいをして仕切り直す。このお嬢さんは隙あらば人をからかってくるのだから。
案の定つまらなそうに口を尖らせた寿々だったが、時間も遅くなることだしとすぐに切り替えた。まずはこちらを、といつものようにフィルムを差し出す。
「お嬢さんも大変スね。見たくもない悪夢を見るなんて、さ。いつか解放されればいいんスけど……」
「言っても仕方のないことです。どうせ見るんですから、少しでも役立ててもらわないと。それに、佐野さんにとっては得意先がなくなるのは困るんじゃないですか?」
「ったく、心配して言ったってのに。儲かるのは事実っスけど」
フィルムを受け取りながら心配の声をかければ、返ってくるのは冷静な正論。本当に強かな少女だ、と蘇芳は感心する。ただもう少し弱音を吐いてもいいのに、とも思っていた。
「ふふ、ありがとうございます。私も、どうせ見るなら佐野さんのお顔が見てみたいですね」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないスか。男前すぎてひっくり返るかもしれねースよぉ?」
せっかく明るい話題を出してくれたのだからと蘇芳もそれに乗っかることにした。クスクスと笑う寿々は可憐で、つい見惚れてしまう。
「佐野さんは赤く染めた髪が目立つ、とても元刑事とは思えないお姿ですよ」
そんな蘇芳を引き戻すかのように、月路の低い声が響く。蘇芳は肩を揺らした。
「い、いーじゃないスか、もうフリーでやってんだから! 髪の色くらい好きに染めたっていいでしょ!?」
「咎めてなどいないではないですか。お似合いですよ。性格が表れているみたいで」
「それ褒めてます? ねぇ、褒めてます?」
寿々のこととなると急に怖い気配を纏う執事に辟易としながら、蘇芳はフィルム片手にシアタールームへと歩き去って行く。その背後で、寿々は小さな声で呟いた。
「……本当は、見られるものなら月路の顔が一番、見たい」
「……俺の顔など、見ない方がいいですよ」
「何度も言っているでしょ。月路ならどんなに怖い顔だって構わないって。一度でいいから、見たいだけなのに」
でも、夢で月路や蘇芳を見るということは、事件に巻き込まれることを意味する。それをわかっているからこそ、寿々は見たいと願いながら、同時に絶対に夢に出てくるなと願い続けていた。
※
カタカタと回っていた映写機が止まる。全てを見終わった蘇芳は愕然としていた。
「よ、夜見さん……? い、今のって」
「はい」
蘇芳は周囲に寿々の姿がないのを確認してから、月路に掴みかかった。今回の夢は、想像以上に厄介なものだったからだ。
「なん、で……アンタはそんなに冷静でいられるんスか!? だって今回の被害者は……!」
蘇芳はそこで一度言葉を切り、俯いて何も言えなくなる。月路はそんな蘇芳を見下ろし、小さくため息を吐いてから言葉を引き継いだ。
「はい。被害者は天寺家の当主夫妻。……寿々様のご両親です」
寿々様はそのことにお気付きではありません、と続けられ、蘇芳は月路を掴んでいた手を離し、脱力する。
「ま、じかよ……はは、そうか。お嬢さんは両親の顔も見たことがないんだっけ……」
色んな意味で厄介すぎる事件だ。とにもかくにも目下の悩みは、その事実を寿々に伝えるべきか否か。
蘇芳は薄暗いシアタールームで頭を抱えた。