ガイコツ男はトレンドになりたい。
ファッションデザイナーを目指す専門学生の主人公は、卒業制作に必要な資金をアルバイトで稼いでいた。
授業と制作とアルバイトに追われて多忙な日々に、主人公は過労で倒れてしまう。
目を覚ますとそこは病室ではなく、視界が真っ白に染まるくらいの激しい吹雪の中で、なぜか主人公の体は骨だけになっていた。
時計の針がチクタクと鳴るだけのワンルームの一室で僕は何時間も座ったままでいた。
机の上に紙を広げて何をするでもなく、僕はただそれを眺めて唸っているだけだった。
「なんだか、どれもしっくりこないなあ」
僕は服飾の専門学校に通っていて、今月から卒業制作を始めたところだ。
これまで学んできたすべてを以て、自分の中に潜んでいるイメージを具現化することができるのかが試される場だ。生徒は皆、心血を注いで取り組んでいる。僕にとっては、これから立ち上げるブランドのファーストコレクションも兼ねているので、より一層気合が入っていた。
僕が掲げる理想は、性別にとらわれず誰が着ていても"オシャレ"でいられる。そんなジェンダーレスなデザインだ。
机の上の紙には僕が考案したデザインが描かれていて、それらが理想を体現できているのか案じていたのだ。
ファーストコレクションはブランドの方向性を決める重要なものだ。しかし、大事であればこそ容易には決められず、現時点で没になったデザインもたくさんある。
「……まあ実際に作ってみなきゃわかんないんだけど」
いくら紙を眺めていようと答えは出ないので、いくつか良いと思ったデザインは実際に作ってみることにした。
思ったようにできなければ一から作り直しで、材料だって無限にあるわけではない。その制作費は自費だから、お金はどれだけあっても足りないくらいだ。
なので、僕は学校に通いながらコンビニエンスストアでアルバイトをしている。スマートフォンのアラームが鳴って、出発の時間を知らせる。
「もう出なきゃ……!」
僕はろくな準備もせずに慌てて家を出た。
デザイナーの卵だから、いつだってオシャレでいたい。それでもコンビニでのアルバイトを始めて、僕は諦めるしかなかった。
初めて勤務したときは就業規則を考慮しつつも、普段と同じような格好をしていったが、仕事が終わって店を出ると自分に油の臭いが染み付いていることに気がついた。つまりは僕が着ている服も臭くなっているということだ。
それがあまりに嫌で、その足でファストファッションの店に駆け込んだ。適当なTシャツに黒いスラックス。どうせ仕事中は制服を着るのだから、コンビニで働くにはこれが一番いい。
常に好きな服を身につけていることは諦めた。だが、どのような格好をしていようとも洋服好きな心は変わらない。
今日は仕事の前に行くべき場所があった。急いで家を出たのもそのためだ。
そこはオシャレの聖地、原宿。それぞれの自分らしさを表現するべく多感な若者たちが集い、激しく流れるファッションの最前線がある街だ。
冷たい風が吹くようになって冬の気配はもうすぐそこだ。
11月になればファッション業界では冬向けの新作が出る。僕はお気に入りのブランドのショップを見に来たのだ。
このブランドは僕がデザイナーを目指したきっかけで、店内は僕の好きなものばかりで入っただけで満たされた気持ちになる。いつもと同じように歩いているつもりなのに、どこか跳ねているようにも感じる。まだ見ぬ出会いに期待を馳せているのだ。
出会うべき洋服は雄弁に魅力を語りかけてくる。
例えばそれを着たマネキンが動きだして見えたり、自らハンガーから外れて目の前で浮かんでいたり。というような超常現象は起こるはずもないから、実際には僕が手に取っているだけなのだが、そう錯覚するような奇跡の出会いなのだ。
それは店に訪れるたびにあるような都合の良いものではない。その感覚があるかどうかで新調するかどうかが決まる。でなければ、既に持っている洋服でまたワンシーズンを過ごすだけだ。
そうして店内を回っていると、目の前で黒いコートを着た紳士のマネキンが動いた。
彼は僕の手を取って近くに寄せると、肩から下げていた鞄を取る。そして自らが着ている黒いコートと同じものをすぐ横のハンガーラックから取り出して僕に着せた。上質な生地が体を優しく包み、体の緊張をほぐすような温かさが全身を巡った。
しかし、冬用のコートは昨年に買ったばかりだ。毎年新調するような物でもないし、何よりコートは高い。これから制作費が嵩んでいくことを考えると、今日買ってしまうのは躊躇われる。
僕はコートをハンガーに掛けて戻した。結局、他のものを見てもあのマネキンのコート以上に惹きつけられるものはなく、何も手に取ることのないまま店を出た。
今日は20時から翌朝6時までの10時間勤務で、しかも0時からはワンオペだ。日中に比べて客数が少ないとはいえ、レジをしながら商品の品出し、ファストフード什器や店内の清掃など仕事は尽きない。深夜手当ての割り増しを加味してもその時給に見合った内容と言えるのかどうか僕にはわからない。疲労に眩んだ目を瞑って、深くため息を吐いた。
コンビニバイトにボーッとしている余裕はない。ヒールで歩く音が小気味よく鳴って、どんどんと近づいてきたのですぐに目を開けた。
その女性はとても綺麗な人だった。思わず仕事を忘れて見惚れてしまった。
「あのー、レジお願いします」
「あ、いらっしゃいませ」
声をかけてもらわなければずっと見ていたかもしれない。
白く清潔なニットのカーディガンにハイウエストのデニムパンツと流行りを抑えたファッションに、ワンポイントで個性を主張する真っ赤に光るハイヒール。とても素敵なコーディネートだ。
なによりそのヒールパンプスが僕の目を引いた。
僕が単体のアイテムで惹かれるのはウィメンズがほとんどで、デザインに凝った魅力的なものが多い。けれど、それは女性が身につけるから美しいのであって、男性の体で着ても台無しだ。僕には手に取る勇気さえなかった。
もしも肩幅がなくて、腰にくびれがあって、胸があったなら、彼女のように堂々とハイヒールを突き刺して、背筋を伸ばして立つことができただろうか。
僕の容姿に対する劣等感は性別に限らず広範囲に至る。
思えば、そうやって諦めてきた洋服は数知れず、僕のクローゼットに収まるものは無意識の妥協というフィルターに漉されたものでもある。
それに比べると、今日のコートとの出会いはもっとシンプルで、手に取りやすいものだった。やはり購入するべきだったかと後悔が芽生えてきた。
「ありがとうございました」
なんて考えていたら、気がつけばその後にもお客さんが並んでいた。もちろん接客はきちんとしていたのだが、なぜかお客さんは同じくタイミングでレジに来る。待っているくらいなら、もう少し商品を見てから来たらいいとも思う。口には出さないけど。
それからは何も考える暇なく、怒涛の作業に追われた。レジの合間に品出しをして、客足が落ち着いたところで冷蔵庫の裏に入ってドリンクの補充をしている。ワンオペになるまでに終わらせないといけないことの一つだ。
もちろん店が混んできて、接客をしている従業員が呼び出しのブザーを鳴らしたら、すぐに対応に行かなければいけない。
焦って手元が緩み、持っていた缶を落としてしまった。
「やばっ、へこんだか!?」
慌てて拾って缶の側面を見ると、案の定そのまま販売してはいけないであろう凹みがあった。そして追い討ちをかけるように、素早く二回ブザーが鳴る。
「あぁ、はいはい。今行きまーす」
深くため息を吐いて思い切り立ち上がった。
「あれ?」
すると、目の前がチカっと白く光った。かかっていた重力が足元から抜けていき、全身が浮遊しているような錯覚に陥る。痛みも再び缶が落ちた音もなかったが錯覚などではなく、実際に僕の体は宙を舞って地面に落ちていた。
ブザーの音と冷蔵庫の轟音だけは鳴り止まない。早く行かなければと思うが、立ち上がることができない。まるで遭難した雪山で吹雪く風が体中の熱を奪っていくようだ。そのような経験はないがきっとそうだ。
次第に意識は遠ざかり、頭にあったのは先の後悔が一つだけだった。
「あのコート買っておけばよかったな」
僕はコンビニの冷蔵庫の中で倒れた。そのまま意識を取り戻すことなどなく、きっとこれで人生の幕が下りるのだと思っていた。
――おい、大丈夫か?
誰かに声をかけられて気がついた。あまりに静かで真っ白な空間にいたので病院にでも運ばれたのだろう。
そうして体を起こそうとすると、全身が酷く重くて金縛りに遭っているみたいだった。よく見れば視界は真っ白すぎて物の輪郭がなく、病室らしきものは何もないように見える。
「うお、スケルトンじゃねえか。危ねぇ踏み潰すところだった」
先程と同じ声が頭上で聞こえた。なんとか顔だけをそちらに向けると、その人は僕の顔を覗き込んできた。その男は顔を覆うくらいの髭を蓄えて、熊の毛皮を被るという奇妙な格好をしていた。
その現実感のなさに目を疑い、夢でも見ているのかと思って頬をつねろうとすると、僕の手は何も掴むことができずに堅い感触だけがあった。
よく見れば、視界に映った僕の手は筋肉どころか皮すらなくて。そう、正に彼が言うようなスケルトン。骸骨の腕だった。
どうやら僕はおかしくなってしまったらしい……。