好奇心は猫をも殺す。況や人をや。
908年10月。藤原菅根参議が変死した。
菅原道真の祟りとの噂だが、女官・貴船と検非違使佐・実満はその真相を興味本位で探って密談していた。
どうにも手に余る結果になりそうなのでなかったことにしようとするけれども、実満の上官であり、道真の大親友であった忠平に聞かれてしまい、捜査を命じられてしまう。
ある人の心映えを見てとるための芽は、何を見て、何を聞き、何を知って、何を話すか。
——そして何を黙っているか。
私はそういった人々のクセから本当の性格を判じるのが好きだ。これがなかなか正確らしく、似合いの男女をピタリと当てることができた。
言い寄ってきた男を追い払うべく気の合いそうな別の女房を勧めたら、そのままおしどり夫婦として有名になってしまった、ということが何度も続き、今では縁結びの神になぞらえて「貴船」と呼ばれるほどには評判になっている。
「もし。貴船殿。私です」
「……実満さま、またあなたですか。今日こそ恋のお相手の相談でしょうね」
御簾の向こうにいらっしゃるのは、若くして検非違使佐をしてらっしゃる蔵人・飯高実満さま。
すっきりした容貌に実直な性格。なにより艶やかなお声も相まって、年ごろの姫君のいらっしゃる方々から大人気。
彼がよく私の局に出入りするせいで、「実満さまが恋人を探しているならば、ぜひ娘を紹介してほしい」という声が引きも切らない。
実際、相性が良さそうな姫君は何人かいらっしゃる。うまくくっつけさせることができれば姫君のお家からお礼の品がもらえるはずなので、紹介したいのは山々なのだが。
「まさか。怪事件です」
しかし、実満さまの目的は、似合いの恋人探しではなく、怪事件の真相究明の相談である。
検非違使は京の治安維持をつかさどる。大抵は部下の方に任せているようだけれど、高貴な方々が不審な亡くなられた場合は位の高い実満さまやさらに上の別当さまの出番になる。
「あ゛〜〜〜〜! またですか!? 私を色恋ごとで頼らぬのはあなたくらいですよ! だいたい、こういうことには関わりたくないといつも言っているのに……」
「貴船殿ほど京の噂を正確に把握している方もいらっしゃらないので。それに、文句をつける割に、貴女も楽しんでいるでしょう」
「……はあ。くれぐれも内密にしてくださいよ。あと報酬も」
「もちろんです」
たしかに私は内侍司に出入りしている関係上、殿上人や女同士のドロドロした力関係にも恋愛事情にも耳ざとい自信はある。
むしろ耳ざといからこそ、政争に巻きこまれにくい色恋の手伝いだけをしていると言っていい。
検非違使の捜査に多少なりとも口出しできると知られれば、後ろ暗いところのある方々から金品が届く。賄賂が来たら来たでそのままいただいて、愛人候補を添えた礼状を送ってお茶を濁すつもりではいるけれど、うっかり死体にされないとも限らない。
今のところそういったことはないので、約束通り口をつぐんでくれているらしい。
「それで今度は何ですの? 鬼? 生き霊? 祟り?」
「心にもないことを言いなさる」
「実満さまこそ露ほども信じておりますまいに」
「同じ穴の狢でしょう」
「悪人には友多しと言いますものね」
「おかしい、私が友と頼るのは貴船殿くらいですが」
本題をせっつくと実満さまは人の悪い笑みを浮かべた。
この方も趣味が悪い。お互い、隠されたものは暴いてみたいと思ってしまうタチなのだ。
現に今、はしたないことに、すこしワクワクしている。
どちらともなく御簾ぎりぎりまで顔を寄せた。
「ご存知でしょうが、藤原菅根殿の件です。一昨日、雷雨の夜に悪漢に襲われて亡くなったことになっています」
「悪漢に襲われて亡くなった? 落雷ではなく?」
噂では雷にうたれて亡くなったと聞いていたのだけど。
聞き返すと、さらに声をひそめて菅根さまの惨たらしい死に様を語った。
「このところ雷雨が相次いでいるのはご存知でしょう。雷にうたれて亡くなった者は他にもおりますが、比べてみると菅根殿の体にだけは、植物の根のような火傷がないのですよ。周囲にも焦げたあともないので、雷ではないと思います。
ただ、菅根殿の背には鬼のごとき三爪の痕が走り、衣ごと焼け爛れておりました。
貴船殿にはどのように耳に入れられているのですか」
「道真公の祟りと噂が流れていますわ」
中宮さまと更衣さまの局はずいぶん怯えてらっしゃる方が多い。
祟りなど馬鹿馬鹿しいこと。
藤原菅根さまは高官だ。大方その地位を狙って殺されたのだろう。
そもそも道真さまが亡くなってもう五年。公にしては祟るのが遅い。もちろんそれは言わずに一緒に怖がっておいたけれど。
「……、今、なんとおっしゃいました?」
「道真公の祟りと噂が流れていると言いました」
「噂が流れるのが早すぎる。箝口令を敷いたというのに」
「でもこれで一つわかることがありますわね」
「……道真公にかこつけて、高官を軒並み排除するつもりか」
愕然としたのも一瞬、実満さまはすぐに犯人の狙いを悟った。
怨霊の仕業に仕立てて仕舞えば、捜査は行われず、なんの役にも立たぬ祈祷で事件はうやむやになる。
「噂の出どころは私の方でも探っておきます」
「私も、菅根殿の死に様がどこから流出したのか洗い出しましょう。公卿がたの護衛も手配しなければ」
「次に亡くなるのは左大臣・時平さまかしら」
「おそらくは。最終的には醍醐天皇の失脚を目論んでいる可能性があります」
そこまで言えば、お互いに黒幕を誰と見込んでいるのかはわかった。
「左大臣の弟君、仲平さまか忠平さまのご指示でしょうね」
「隴を得て蜀を望むとは言いますが」
忠平さまと道真さまは肝胆相照らすと例えられたほど。道真さまが太宰府に左遷されたあとも、忠平さまは見舞いの品を何度も送っていらっしゃったし、公の訃報の際はずいぶんと落ちこまれていた。
それなのにもし罪をなすりつけようとしているならば、とんだ大悪人である。今までの評判などを考えると、とてもそういうことをされるとは思えない方だけれど。
「あれだけの栄達を果たした方ですもの、欲が出ても不思議ではありませんわ。いずれにせよ、今回も真相がわかっても闇に隠すことになりそうですわねえ」
「そうですね。進捗があればいつも通りに。ではこれにて失礼……」
捜査を進めばいつも通り文で呼び出すことを約束し、実満さまが辞去しようとしたところで、ぎしりと身を固くし、呻いた。
その視線の先から、品のいい衣に身を包んだ美丈夫が現れる。
「別当殿……!」
つい先ほど話題にあがった兄弟の片割れにして、実満さまの上司、検非違使別当・藤原忠平さまその人。
春宮大夫、左兵衛督をも兼ねる、押しも押されぬ重臣。
悠然と近づいていらっしゃるだけで、どうにも震えが止まらない。見えぬと思えど自然と額ずき、背中には汗が流れた。行きた心地がしなかった。
迂闊だった。推理を聞かれていたのだ。不敬罪と切り捨てられてもおかしくはない。
「そう恐れるでない。私に嫌疑をかけたとて梔子を送りはすまいよ。ただ、私としたことがここまで優秀な者を遊ばせていたことを嘆いている」
おそるおそる顔を上げると、忠平さまは怒っていらっしゃった。口は笑みを作れども、目は熱した鉄のように怒りに燃えていた。
「そなたらには道真の名誉のために働いてもらう。よいな?」
親友に罪を被せようとする黒幕に対して。
親友さえも殺すのではと疑った私たちに対して。
「は」
「承りました」
疑問の形はしていたが、命令でしかなかった。頷かねばどうなるかなど、考えずともわかった。