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おやゆび姫は眠らせない

「あなたの琴は人を救わない」


今は昔、眠ってばかりいたお姫さまがおられました。

しかし彼女はある夜、藤原高藤の娘の琴の音に惹かれ目が覚めます。

「わたしもこのような琴を弾きたい」

そうして彼女は数年後、春の琴合わせで琴の才能を開花させるのです。


琴を好む天皇は最上の琴を弾くものを正室として迎え入れるため琴合わせを催しておりました。高藤の娘と眠ってばかりいたお姫さまは正室の座をかけ最上の琴を極めていきます。

眠ってばかりいたお姫さまは師を得、琴女たちと共闘し、さまざまな琴を知っていきます。


むかえた冬の琴合わせで彼女は高藤の娘に相対し、最上の琴を練り上げたそのとき、琴の至上とは何かを問うのでございます。


「琴とは一体なんのためにあるのでしょうか。記憶に残る琴とはなんなのでしょうか。」


歴史に名を残さぬ琴の才女〝おやゆび姫〟と琴を極めし少女たちの雅豊かで、熾烈なサクセスストーリー

 今は昔、眠ってばかりいた姫さまがいました。


 姫さまは、

「この世は幻、私は目が覚めていないのよ。夢の中が現実で起きている時よりも幸せなことがたくさんあります。」

 と、言い琴や詩の学を嫌い、春はあけぼのらず、冬はつとめず、夢を彷徨っておりました。


 あるとき、眠ってばかりの姫さまは方違えのため仮住まいに身をやつしたことがありました。


 丑三つ時、月が照り御簾すらも通すほどの光の粒が母屋に舞い込みます。しとやかな風が御簾を揺らし、光の粒を姫さまに降らせます。そこへ風にのってなにやら弦を弾く音が姫さまの耳元を叩きました。姫さまはぱちり、と目を開けました。


「わたしを目覚めさせた、この音はなんでしょう。」


 姫さまはいてもたってもいられなくなり御簾を開けました。かっと月の光を浴びて光の粒とともに流れる音をたぐりよせます。母屋から侍女や牛車もつれず、方違えでありながら姫さまは音のする寝殿に行きつきました。


 そこは琴の才女と名高い藤原高藤の娘の寝殿でした。


 ひっく、と娘の泣き声と琴が弾かれる音が漂ってきます。この琴の音のやんごとなきことこのうえない。音がすんなりと耳に入ってきます。月に雲がかかり陰りしも、物の怪が姫さまをかどわかしそそのかしたのにも気づかず、姫さまは彼女の泣き声と琴が消えゆくまで聞きいっていました。


 日が京を照らしたころに姫さまは、琴の音を耳元に残しながらふらりふらりと母屋に戻り、侍女たちにあの寝殿におわしますお方はどなたか、と問われました。侍女たちは寝ぼけ眼でない姫さまを神妙に思いましたが、姫さまの輝く眼を見ていると何か思うことがあり、あちらにおわしますお方は琴の才女である藤原高藤の娘ですよ、と伝えました。


「わたしも彼女のように琴を弾きたい。」


 姫さまの瞼は開ききりすっかり目が覚めてしまわれていました。



 時は流れて数年後。

 藤原の世におきまして、琴を好む四条天皇という方が開かれました琴合わせがありました。かの天皇は琴を上手に弾かれる姫を正妻としてとるとし、年に数回といったぐあいに琴合わせを催していたのです。今年こそは正妻をお決めになると、そのために大きな琴合わせを開かれるのだと御所では噂になっていました。そのはず、この年の琴合わせは例年よりも少なく春と冬にしぼられ、四条天皇直々にお目見えになることになっていたのです。四条天皇が来られるのは琴合わせで最上とされた二人の姫の決戦のみ。姫さまたちは、四条天皇に一目謁見しようと琴に精をだされていました。


 とりわけ今年は琴に聡明な姫さまたちが参戦することになっていましたので、琴合わせは熾烈を極めておりました。


 ある姫さまは、京随一の詩を読み琴にも妥協を許さない〝完璧な琴〟を弾く女御でありました。またある姫さまは、琴の音を食べるように聞きその琴を自身の琴の音として落とし込むことができる〝食べる琴〟を弾く前天皇の側室の娘でありました。琴を弾くのではなく唄うように奏でる〝唄う琴〟の下位の姫もおり、みな自分の琴の腕だけたよりに、天皇のお側にと春の琴合わせに寄り集まっていました。


 その中でも藤原高藤の娘は一目置かれていました。


「あそこにあらせられるのは、藤原高藤の娘ではありませんか。」

「以前の秋の琴合わせで最上とされた琴を弾かれたとされる、高藤の。」

「あら、私はその前も前の琴合わせもご一緒しましたが、その時の琴合わせも最上の琴と評されましたわ。」

「以前よりお目通りしたいと思っていましたのよ。」


 高藤の娘は、最も天皇のきんに近いとされていました。


 彼女はそんな噂を気にかけたのか琴合わせでも気丈にふるまいます。あらゆる噂をはらいのけ琴を一心に愛しておりました。


 しかし、琴の楽女たちに囲まれて高藤の娘はそっけなく言うのです。


「琴はわたしにとって至上のものではありますが、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。琴とは教養、主上に捧げるものであります。」


 ふわぁあ、とそこへあくびをひとつつく姫さまがおられました。


「なんと卑しい」と琴合わせに集まった姫さまたちは口々に嘲笑うも、彼女はものともしません。


 彼女は、かの眠ってばかりいたお姫さまであらせられました。


「やはり琴以外の現実はすべて幻。琴を弾いて早く眠りにつきたいわ。」


 彼女はふわぁあとこれまた大きなあくびをもうひと噛みしそうになったとき、藤原高藤の娘をみとめました。あの夜の出来事が蘇り、寝ぼけた眼が開かれます。高藤の娘へと視線が伸び、はっと気づいた時にはその手に高藤の娘の手が包まれていました。


「あなたが、高藤の娘ですね。わたしはあなたにかねてからお会いしたく思っていました。数年前の夜、夜更けに琴を弾いていたのを覚えていますか。私はあなたの琴に感銘を受け、琴を習い始めたのです。」


「あの時の琴を……ありがとうございます。」と高藤の娘は苦々しくも笑顔で応えました。


 なにやらいわくありげな高藤の娘に違和感を覚えつつ、


「琴の素晴らしさとはあなたのような音を弾き出すことにある。琴とは自身にとっての至上の喜び。主上の正室になるためにあるものではない、そう思いませんか。」


「知ったような口を。」


 高藤の娘は姫さまの手を振りほどきました。


「あの夜の琴は忘れてください。あれほどひどい琴を弾いたのはあの時くらいです。」


 去っていく高藤の娘の背中は妙に寂しそうで、なぜか姫さまはたいそう悲しくなられました。ご自身の琴のことで何か悩まれているのかしら、とふと思い立ち、それならばあなたが与えてくださったこのわたしの琴をお聞かせ差し上げようと、傷だらけのおやゆびを握りしめました。



 琴合わせの一の琴では、藤原高藤の娘と下位の大臣の娘の琴合わせになりました。噂通り高藤の娘の琴はまこと雅に弦が弾かれます。


「琴とは人を癒すもの。観客を眠らせるくらいがちょうど良いのです。」


 高藤の娘が言った通り、彼女の琴の音はのびやかさと花々のような温かさで観衆を包み込みました。春の琴合わせということもあり、桜が咲きほこっていて、柔らかな日差しが射しています。娘の琴はのどやかさをおびていて、観客の瞼はうつらうつらと閉じかけ、こくりこくりと首をもたげます。ふんわりと落ち着きある弦の弾きはまどろみに浸っているかのよう。天皇の御座の御簾に影がひっそりと座られるのが見えました。ぬくもりある音が途絶えたとき人々は立ち上がり、をかし、と舌鼓を打ちました。


「これが〝癒しの琴〟であるか。」


 御簾越しに天皇が仰られ、高藤の娘は心を浮足だたせます。

 彼女は幼子から遊びに興じず琴に勤しんでいたことを思い返し、これでいいと胸中の痛みを隠しました。


「たいへん美しい琴であった。」


 と、天皇が仰られ、


「ありがたきお言葉を頂戴いたします。」


 高藤の娘はそう申し上げ次の奏者を見ました。


 そこには、なんとさきほど手を振りほどいた姫さまがおられるではありませんか。ふわぁ、と天皇の御前でありながら口を大きくお開けになります。


「すばらしい琴でしたわ。けれど、わたしにはあの夜の演奏よりもひどく退屈なものに聞こえました。琴とは人の心に残るもの。あなたがわたしを目覚めさせてくださったのです。あの夜の琴がわたしにどれだけのものを残したのか。」

「痴れ者が。この琴は主上のものであるのですから、これでいいのです。」

「わたしはそうは思いません。琴は己自身に問いかけるものです。あの夜のあなたの琴のように。見ていてください。あなたの残した素晴らしい琴を。」


 そうして姫さまは琴の前に座り、おやゆびを弦にあてます。あの夜の泣き声を姫さまは思い出します。その背後にある琴の音色に身をゆだね、一気におやゆびに渾身の力を込めて、


 ──ザンッ


 弦を弾きました。


 瞬間、〝完璧な琴〟を弾く女御は耳をふさぎ、〝食らう琴〟を弾く娘は吐き気を催し口を押さえ俯き、〝唄う琴〟を弾く下位の娘はその場で昏倒しました。


 彼女の音は弾かれるたびに観客の頬をひきつらせます。鳥肌をたたせてぴりぴりと痛ませるのです。特におやゆびから弾かれる音は心に刻印をつけるような音色で観客の心を突き刺していきます。しかし、この音は観客の目を冴え冴えとさせ、琴の音を聞き逃すまいと自然と耳を傾けてしまう魅力がありました。


「なんて琴なの。」


 高藤の娘は思わず立ち上がり、演奏する姫さまに押しかけます。そして震えながら、


「おやめなさい。」


 さすれど、集中する姫さまの耳には彼女の声は聞こえておりません。琴を弾くとき、高藤の娘はこれほどまでに集中したことがあったでしょうか。彼女のおやゆびは傷がついており、努力の痕が伺えます。琴自体の音にはまだ稚拙な部分がありますが、目の前の姫さまに得体のしれない大きな才能を見出してしまう。そしてそれはあの夜弾きました〝人を傷つける琴〟の音であるのです。


 高藤の娘は痛みをはらむ音に耐えられなくなり、姫さまの頬をはたいてしまわれました。


「あなたの琴は人を救わない。」


 ──はははは


 金切り声をあげる高藤の娘の声を笑い声が割きます。御簾の向こう側の天皇が肩を震わせながら笑っていました。


「これは〝心に傷をつける琴〟だ。面白い。」


 高藤の娘と姫さまは天皇の御簾に顔を同時に向けました。


「冬の琴合わせが楽しみになってきた。」


 これが、後の平安の世をゆるがせた冬の琴合わせで〝癒しの琴〟を弾いた高藤の娘と、歴史に名を残さない〝おやゆび姫〟と称されることになる琴の才女の出会いでした。

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