花盗人の魔剣
『この国は薔薇と運命を共にする。一年に一度、神託が示す乙女を薔薇として捧げよ』
神との古い契約の下、ローゼ王国は乙女を薔薇として神へ捧げ、繁栄を続けてきた。次なる薔薇に選ばれしは若き騎士、ベル・ソルンの恋人リーリエ。愛する者を救うため、騎士は全てを捨てて王国へ牙を剥く。
汝、茨の道を征く花盗人なり。その想いを貫かんとするならば、黒き覚悟の下に剣を執るべし。六輪の英雄を斬り伏せ、神の薔薇を盗み出せ。
「ベル。私ね、薔薇に選ばれたの」
燃えるような夕焼けの中で、アイツはそう告白した。
『この国は薔薇と運命を共にする』――ローゼ王国民なら誰でも知っているだろう。【契約の薔薇伝説】の一節だ。
この王国は遥か神話の時代、一柱の神の力を借りて成立したとされている。神はこの地に住まう悪魔を殺すと、王国の守護と引き換えに始まりの王へ告げた。
『一年に一度、神託が示す乙女を薔薇として捧げよ。薔薇が捧げられる限り、私はこの国の繁栄を約束する。だがもしも途絶えたのなら、この国は滅びるだろう』
かくして契約は結ばれ、今日に至るまで破られることはなかった。歴代の王は一年たりとも欠かすことなく乙女を神へ捧げ、ローゼ王国は繁栄を続けてきた。
そして次の薔薇に選ばれたのが、俺の恋人であるリーリエだった。
「私ね、嬉しいんだ」
リーリエは空を見上げた。太陽は西へ沈み、夜の群青は地平の向こうまでその手を伸ばし始めている。
「ベルはこの国に仕える騎士。幼馴染が薔薇に選ばれたなんて、これ以上に名誉なことはないでしょ? 騎士団で大出世すること、間違いなしだよ」
俺達の頭上に瞬く銀の星屑のように、アイツの瞳はきらきらと輝いていた。
「何をやっても駄目な私だけど、やっと君の役に立てる。それがとっても誇らしいの」
いつも通り爛漫に、リーリエは笑う。春に咲く花のような満開の笑顔だった。
――けどな、リーリエ。
俺は知ってるんだ、小さい頃からずっと一緒だったから。お前は嘘を吐く時、目を合わせない癖がある。悲しい時ほど、それを隠すようによく笑う。だから――。
「私はへーき。だからベル、そんなに悲しそうな顔をしないで?」
――それがお前の本心じゃないことくらい、俺には分かるんだよ。
リーリエが村を発ったのは、その翌日のことだった。村の連中は別れを惜しみながらも、暖かく見送った。アイツの浮かべた笑顔が今にも壊れそうなことは、誰も気づいちゃいなかった。
「……ふざけるな」
食いしばった歯の隙間から怨嗟を絞り出す。ドス黒い怒りが、腹の底で煮えたぎっていた。
薔薇なんて小奇麗な言葉で飾り立てているが、俺に言わせればただの生贄だ。一年に一度の聖祭の日、乙女は秘術によってその魂を薔薇に変え、現れた神はそれを摘み取る。全てが終わった後に残るのは、空っぽの体だけ。何を言うことも、何を想うこともなく、植物のように生き続ける――それがリーリエに待つ未来。半年後に迫った聖祭の日、アイツは生きながらにして死を迎える。
「ふざけるなッ!」
認めない。そんな未来、俺は断じて認めない!
丘の向こうへと消えていくアイツの背に、俺は誓った。騎士の名誉もこの国の繁栄も、知ったことか。どんな手を使おうと必ず奪い返す――リーリエの未来を、笑顔を、こんなところで枯らしてなるものか。
アイツのためならば俺は、悪魔にだって魂を売ろう。
※※※
「ベル・ソルンだな」
リーリエが王都へ発ってから五か月、ローゼ王国の北の最果てにて。現れた一人の騎士が、俺に呼びかけた。
男顔負けの屈強な肉体に銀の鎧を纏った、重装の女騎士である。精悍を絵に描いたようなその顔に、俺は見覚えがあった――いや、一度でも騎士団に所属したことがある奴なら、コイツを知らないわけがない。
「驚いたな、まさか聖薔騎士が直々にお出ましとは」
――アクライ・ブランケンハイム。
建国より王家に仕える名門ブランケンハイム家の頭首にして、二十万人からなるローゼ王国騎士団を率いる大将軍の一人。そして――この国が誇る六輪の最高戦力、聖薔騎士が一輪。単騎で城も攻め落とすと謳われる、無双の女傑。そんなバケモノが、王国の刺客として俺の前に立っていた。
「これまでの追手を尽く返り討ちにした、貴様の実力を考えてのことだ」
「……そいつはどうも」
そう返した俺の頬を、冷や汗が伝う。聖薔騎士の名は伊達じゃない。この女、これまでの追手とはモノが違う。少しでも隙を見せれば、俺はその次の瞬間に死体に早変わりだろう。
「ベル・ソルン。貴様が死ぬ前に、一つ提案をしよう」
どうやら奴の中で、俺が死ぬことは確定事項らしい。アクライは冷静かつ傲慢に語り掛けた。
「騎士団からの脱走、貴様の行いは言うまでもなく大罪だ。ましてそれが契約の薔薇を奪い、この国の繁栄に牙剥くためとなればな。だがその才、ここで摘むにはあまりに惜しい。故に一度だけ、温情をかける」
奴の双眸が俺を射抜く。もしも視線が物理的な力を持っていたら、きっと俺の体には穴が空いていただろう。
「投降せよ、そうすればこれまでの罪は全て不問にしてやる。貴様の実力ならば、いずれ聖薔騎士の栄誉を賜るだろう。届かぬものへ手を伸ばすのは止め、この国の未来のために尽くせ」
「断る」
その申し出を、俺は間断なく斬って捨てる。何を言うかと思えば、くだらない。
「リーリエのいない未来に尽くす? 寝言は寝て言え、アイツを見捨てるくらいなら、俺はこの場で腹を掻っ捌いて死んでやる」
「……もう少し利口だと思ったのだがな」
だがよかろう、と。アクライは嘆息交じりに呟く。
「それが貴様の答えならば、全力を以て叩き潰すまでのこと」
アクライは手中の大槍を構えた。真昼の陽光を受けてギラリと輝く穂先は、猛牛の角か荒鷲の嘴を彷彿とさせる。一突きで竜の鱗さえ貫きそうなそれを俺へと突きつけ、奴は口を開く。
「私は貴様を弱者と断じる」
その瞬間大気が震え、大地が哭いた。
烈風が巻き起こり、無数の燐光の花弁が宙を舞う。幻想と爆発。その爆心に立つ聖薔騎士は全身に眩い白光を纏い、高らかに諳んじる。自らが行使する祝福の名を。
「 繚 乱 法 ・ 聖 薔 死 棘 」
ぞわり。
悪寒が走ったその時、目の前に槍が生えた。ものの例えではない。文字通り何もない空中から、光の槍が生えたのだ――俺の頭を貫く軌道で。
「う、おッ!?」
状況を理解するよりも早く、俺は反射的に上体を逸らしていた。閃光の穂先は俺の鼻先を掠め、ほんの数秒前まで頭があった空間を裂く。あと一瞬、反応が遅れていたら……あり得たかもしれない未来の自分の姿を幻視し、俺は肝を冷やす。
「よくかわしたものだ。だが、頭上ばかり気を付けていていいのか?」
アクライが言い終えるや否や、今度は地面から無数の光の棘が飛び出し、槍の筵となって俺へ殺到した。咄嗟に飛び退くことで串刺しだけは免れるが、全てを避けるなど不可能。槍の尖端は次々と肉を抉り、俺は攻撃が止む頃には血だるまになっていた。
「我らの繚乱法は神の絶技。貴様では届くまいよ」
「ハァっ……勝手に、決めんな……!」
苦し紛れに言い返すが、奴の言葉には何の嘘も誤りもない。聖薔騎士が行使する繚乱法は、神によって与えられた祝福の力。強力無比にして理不尽極まりないその力は、到底人間に太刀打ちできる類のものではない。
「これ以上苦しめるのも酷というもの。とどめだ、ベル・ソルン」
聖薔騎士が呟くと同時、大槍が幾億もの光を纏う……見るからに大技といった様相だ。次の一撃、まともに食らえば死ぬだろう。
「愛に囚われ、己が未来を閉ざした愚者よ――消し飛ぶがいい」
そして奴は、槍を俺へ向けて振り下ろす。途端、槍を中心に渦巻いていた光が、一条の大光線となって俺へと放たれる。その軌道上に存在するものを全て破壊しながら、空を裂いて光の奔流が押し寄せる。そして世界は白光に眩み――
「我が想いに全て朽ち褪せよ」
俺はそれを、真っ二つに引き裂いた。
「なッ!?」
光が晴れた後、最初に俺の目に映ったのは驚愕に染まるアクライの顔だった。いい眺めだ――そのすまし顔、ようやく崩しやがったな。ここまで散々好き放題言ってくれた意趣返しとばかり、俺はとびっきりの笑顔を奴に向けてやる。
「破ってやったぞ、テメーの絶技」
「っ、馬鹿な……!?」
我に返ったアクライは、ギロリと俺を睨む。
「片鱗とはいえ神の力だぞ!? 人の身で破れるものではない!」
「ああ、人間にはな。だから――」
そう言って俺は、右手の武器を掲げて見せた。
「――悪魔の力を借りた」
それは漆黒の刀身を持つ一対の双剣にして、その二振りが接合して象った巨大な鋏。刃先の一筋から禍々しい瘴気を吐くこの武器こそ、先ほど繚乱法を断ち切ったものの正体。
――伝説において、神は悪魔を殺す際に剣を使った。
しかし悪魔の血を浴びたことで剣は穢れ、あらゆるものを斬り裂く魔剣となった。自らをも傷つけかねない力を恐れた神は、北の最果てにその剣を封印したという。
その在り処を突き止めたまではよかったが、手に入れるのは骨が折れた。襲い来る追手や魔物を相手にしながら、未開の地の探索だ。昼も夜もなく駆け回り、ようやく手に入れる頃には五か月も経っていたが……その甲斐はあった。
全能たる神さえも恐れる、災厄の剣。その名は――
「――【剪定の魔剣】。この世で唯一繚乱法に対抗しうる、呪われた剣だ」