表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/19

第八章「日本人がよくかかる病」

 悪魔王様がトナカイ九天使と激闘を繰り広げているさなか、短い間ですが崇拝子ちゃんは夢を見ていました。

 悪魔崇拝を広めるノルマが達成できず、その来月の生活費を捻出する為に家庭教師のアルバイトをしていた頃を夢に見たのです。

 多くの人が誤解しているのですが、家庭教師や塾講師を務めるにあたり、教員免許などの資格は必要ありません。子供の成績が上がらない事に腹を立てて「それでもお前らはプロなのか」などとクレームをつける親御さんがよくいらっしゃるのですが「そもそもプロではない」ので、そのような事を言うと「なるほど。遺伝なのか。何がとは言わんが」という感想を持たれてしまいますので注意が必要です。子供に勉強を教える能力さえあれば、大学を卒業している必要もありません。ただ「家庭教師のなにがし」のような、会社に登録して生徒を紹介してもらうような形態だと、その会社が要求する基準を満たしているかテストされる場合があります。自分で生徒を探して自分で報酬を設定する個人事業として働くのであれば、かなり自由度の高い仕事ですので、興味がある方は一度検討してみてはいかがでしょう。

 特に珍しくもない二階建てのお家を訪れ、特に珍しくもない中流家庭なのだなと感想を抱いた崇拝子ちゃんが、生徒のお母様に案内されて、中学二年生だという生徒さんと初めて対面した時の事はとても印象的でした。

「やあ初めまして。僕は大天使軍、人類救済使節団所属、階級は少尉、今は日本人の子供として潜伏しているが、これでも前世では不死身の鳳凰フェニックスと呼ばれ恐れられたものだ。以後お見知りおきを。ふ。実は昨日も悪魔の使徒を討伐したばかりでね。その時の話を聞きたいかい?」

「大天使軍人類救済使節団所属の少尉さんですにゃ!?」

(落ち着け崇拝子。人類救済使節団なのに、基本的に人類救済の実行力を伴わない日本人の子供として行動する意味が見つからんし、前世と言いながら不死身だと言っているし、そもそもフェニックスなのだから不死身で当然、合わせて名乗る事に教養を感じない。というかフェニックスと鳳凰は全く別の存在だぞ。ついでにツッコむが、「使徒」はキリスト教の称号である。悪魔の使徒では意味がわからんな)

「な!? なんだ、頭の中に直接声が聞こえる」

「さすがは悪魔王様。素晴らしい洞察力ですにゃー」

「悪魔だと!? お前は悪魔の使徒なのか」

(だから「使徒は」キリスト教の称号だと言っているだろう。知識は速やかに自らのものとしなさい。社会にでたら学校教育なぞ比べ物にならない量の知識を詰め込まねばならんのだぞ。今からきっちり訓練していこう。な!)

 悪魔王様は、つい勢いに任せて少年にも声を届けてしまった事を失敗したなと感じつつも、こうなれば崇拝子ちゃんと一緒になって教育するのが効率もいいかと半ば諦め、当初の予定にはありませんでしたが姿を現して正体を明かしました。

 少年は最初こそ驚いていましたが、神や悪魔が実在している事に感動し、崇拝子ちゃんと悪魔王様から話を聞きたがりました。お母様が様子を見に部屋を訪れた時には机に向かい、ノートに教科書の内容を全て書き写す作業をして勉強している様子を偽装しました。頭は悪くないようです。

(ふむ。汝、その様子を見るに、成績がそう落ちるような人間とも思えんが、学校の勉強に身が入らない事情でもあるのかね?)

「学校の勉強なんて下らないよ。僕は今、もっと崇高で大切な事を学ぶべきだと判断しているだけだ」

(ほう。若いのに感心な事だ)

「そう思ってくれるのかい!」

(もちろんだ。若人は多くの事に興味を持ち、経験を積んで自らの個性を育むべきである。後でいくらでも復習できる事柄よりも、今にしか学べない題材があるのならそれを学ぶべきだ)

 悪魔王様のお言葉に少年はとても感動しました。彼の両親や教師や友人たちは、誰もかれも少年の言動に呆れる様子を見せるばかりで、真剣に取り合ってくれる人がいないそうなのです。

 初対面の人に「大天使軍」などというワードを用いて挨拶をする様子から、崇拝子ちゃんは少年が何故に周囲からそのような扱いを受けるのか察しましたが、悪魔王様のお言葉を遮ってはいけないと思い、まずは静観の構えを取りました。

「僕は今、哲学を学んでいてね。学べば学ぶほど奥が深いと感動している」

(ほう。素晴らしい。現代人類が最も学ぶべき事だな)

「さすがは悪魔の王。そこいらの凡夫とは理解力が違う。実は環境問題についても勉強していて、とりわけ、海洋汚染や大気汚染、森林の減少問題、希少生物の乱獲について学んでいる」

(うむ。励むがいい。どれも若い世代が声をあげて取り組むべき問題だ)

「それらを統合して僕独自の結論を出したのだが、人類は非常に罪深い生き物だなと、そう思うのだ」

(…うん?)

 何だか雲行きが怪しくなってきました。

「人類はあまりにも罪深い生き物だ。自分達の都合で地球環境を汚染し、多くの動植物を絶滅に追いやった。それに比べて人類の発展は余りにも遅い。むしろ退化しているとさえ言える。差別はなくならない。貧困もなくならない。利権にしがみついて弱者を苦しめる権力者もなくならない。弱者は弱者で、強い者にこびへつらい、機嫌を取って他より優位に立つのに必死で見苦しい。こんな醜い生物は滅びたほうが良いのではないかとさえ思える。今はまだ能力(ちから)が覚醒していないが、いずれは人類を根絶やしにしようと考えているのだ。これこそ真の救済だ。全ての人を天国へ導き、あらゆる不幸のない楽園で暮らすんだよ」

「悪魔王様。これはかなり痛いですにゃ」

(深刻だな)

 もう見ていられません。「能力」という字に「ちから」というルビをふっている段階で、もう見ていられません。

(ふむ。しかも極わずかに若干の真実を含むものだから対応が難しいな。そこいらの教師ではどうする事もできまい)

 彼はまだはっきりと自覚していませんでしたが、この大天使軍少尉のフェニックスを名乗る少年は、学校でも教師やクラスメイトを相手にこのような弁論を繰り広げており、最初の頃は教師も生暖かい目で見ていましたが、少年が飽きる様子もなくいつまでも戯言をのたまう事に辟易し、次第に見放されていったのです。今では注意や助言をしてくれる人は友人の中にさえいなくなり、彼の迷走はとどまる事を知らないのでした。

 崇拝子ちゃんはうんざりした顔で話を聞いているのですが、それに構わず少年の話は熱を帯びて続き、ついにキメ顔で次のように言ったのです。

「ああ、悪魔王。僕にはもう分らなくなったよ。人類を生かす意味や、殺してはいけない理由が」

「…悪魔王様。この子はだいぶ迷走してるですにゃ」

(ふむ。これは周囲の人間も困っただろうな)

「は? 僕が迷走してるだって? なら君達には答えられるのかい。人を殺してはいけない合理的な理由が言えるのかい。言えはしないさ。生物学的にも、倫理学的にも、感情論で答えても、どんな答え方をしようとも必ず矛盾が生まれてしまう。だが僕は諦めない。考え続ける事にきっと意味がるんだ。それが人を導く良き力となるんだよ!」

 もうわからない、などと諦めた風な事を言いながらも次の瞬間には諦めない事が大事だというような事を言っています。更には人類を根絶やしにしようと言っているのに次の瞬間には人を導くと言っています。あなたの周囲にもこんな人間いませんか?

 どうにもこの少年、「なんとなくカッコいい感じの言葉を繋げる」事に酔っている節がありますね。

 本来ならこういった児童に対しては強く刺激せず、思想や考えについては触れずに接し、世の中には様々な通念というものがあり、それに外れて行動すると不便だからとりあえず覚えておきなさいと言ってマナー等を教え、それを通して社会と摩擦をおこさずに関わる(すべ)を身に着けさせるのが常道なのですが、悪魔王様は容赦なさいませんでした。

 悪魔王様の超わかりやすい授業が始まります。

(うーむ、まず大前提となっている「地球環境の汚染」だが、具体的には汝はそれの何が気に入らなくて、どうなって欲しいと思っているのだ?)

「え? えーっと…。そうだな。このまま大気や海の汚染が進み、緑地が減れば、生物が住めない星になってしまう。人間がそれで滅ぶのは自業自得だが、それに他の生命を巻き込むのは許しがたいと思うのだ。人類叡知を結集させ、今こそ団結し、環境汚染を食い止めて自然をコントロールし、それを恒久的に続けていけるようにマニュアルを作り、後世に伝えていく義務を、我々、今を生きる人類は自覚するべきなんだよ」

 先程まで大天使軍のフェニックスを自称していた少年は自分の事を人類と言いました。

(ふむ。きちんと質問すればきちんと回答できるあたり、致命的に頭が悪い訳ではないのだな。では、今の回答を踏まえて更に聞くが、この地球はどうせ50億年後くらいには太陽に飲み込まれて消えるのだが、なすすべなく消えていく未来が決まり切っているこの地球環境や生命を、それでも後世に残す意味とはなんだね? 例えば今から百年後くらいに生命が滅びてしまえば「生まれて苦しんで生きて死ぬ生命の数が『少なくて済む』よ」と、もし我がそのように言ったら、汝はどう答える)

「な、ん、だ、と…!?」

 さすがは悪魔王様です。

 しかしこの少年、意外とねばりました。

「い、いや、それで諦めるのは早いぞ悪魔王。もしかしたら百年後くらいには恒星間航行可能な宇宙船を建造し、ノアの箱舟伝説のように地球の種を宇宙に脱出させる事も出来るかもしれない。それまで健全な状態の環境保護をするべきなんだよ」

(つまり、汝は人類を根絶やしにはできないな。宇宙船を作るという大義がある。恒久的に地球生命を継続させたいのが目的なら人類を滅ぼせない。それが「人を殺してはいけない理由」だ。汝は答えが見つからないのではなく、迷走を楽しんでおったのだ。「目的」と「手段」と「結果の想定」を縦に並べて考えれば簡単に出る答えなのに、汝はいつまでも脇道にそれておったのだろうな。おめでとう。これで学校の勉強に集中できるな)

 ああ何と残酷なのでしょう。さすがは悪魔王様です。このフェニックスを名乗る少年の青春をかけた地球環境への思索は、この日、完全に答えを得た事で終了してしまいました。

「ま、まて悪魔王」

(まだ何か疑問なのかね)

「そんな簡単に言ってくれるが、このまま人類が勝手を続ければ、いずれレアメタルや燃料資源が底をつき、宇宙船どころではなくなってしまうかもしれない。そうなればいよいよ人類なんかただの害虫だ。やはり滅んだほうが良い。そして新たな知的生命体の誕生に期待して、その時の為にも、地球を綺麗なまま残すべきだ」

 フェニックスは、どうあっても人類を滅ぼしたいようです。

(なるほど。確かに一千万年ほどかければ、現存する生命から進化して、現行人類並みの文明をおこす存在も現れるやも知れぬな)

 フェニックスは、してやったり、という顔をしました。

(だが、宇宙への脱出を期待するのなら、やはりその生命は現行人類とよく似た歴史を歩まねばならないし、よく似た歴史を歩むがゆえに、やはり環境汚染はするだろうな。間違いなく)

「なぜそんな事が言い切れるんだ!」

(なぜって、ロケットで飛ぶ実験をする為にはどうあがいても化石燃料の発見と利用は避けて通れんし、石油や石炭がよく燃える事を発見した人類はそれをエネルギーの基盤にして経済を発展させてきたのだ。やがてそれら熱エネルギーを電気に変換して遠方に送ったり、蓄えたりする技術を獲得し、もはやそのエネルギーなしには生活できない程に人類は依存しているね。夜道を照らし、肉を焼き、電波を飛ばして、冷蔵庫を稼働させるのに、電気はとても便利だからな。「それが環境破壊につながると知らなかった君達の祖先」は、便利なものを沢山作って生活を豊かにしたのだ。君達が今、そうやって食事について不安になる事も無く勉強や趣味に専念できるのは、ひとえに、そうした経済基盤を先人が築いてくれたからだ。当然だが、電気なしには電車は動かんし、燃料なしには車も動かない。運搬する能力の低下はそのまま経済の衰退を意味する。北海道産のジャガイモを東京で食べられるのは、トラクターなどの機械を駆使して広大な農地を耕し、それを運んでくれる人たちがいるからなのだぞ。これらを全部、人力でやろうとしたらコストがかかりすぎて価格が高騰し、貧乏人へは行き渡らなくなる。この構造が確立しているから、それぞれの土地に向いた作物を大量に作り、不足している所へ運ぶことができるのだ。食糧事情の解決は、すなわち人類生存の要である。これをないがしろにしては科学の発展もまたありえない。科学を発展させるのはまさに人類であり、その人類を長期的に存続させなければ、汝が先程言ったような、生命の宇宙脱出も叶いようがないな)

「ぐ、ぐぬぬぬぬぬ」

「す、凄いですにゃ悪魔王様。迷走しているたわごとを、次々と修正してまっすぐにしていきますにゃ」

「い、いやまだだ。現行人類の知恵を、そのデータを後世に残し、一度滅び、一千万年程後に再び芽生えた知的生命に警告を促しつつ、今ある技術を継承させる事が出来れば、危険を回避しつつ文明を発展させる事ができる筈だ!」

(あまりお勧めしないな)

「なぜだ!」

(そもそも現在の技術をどうやって一千万年後まで残すのだ。電子的なデータなぞ、常に充電されていなければ数十年で消え去るぞ。紙媒体にしてもやがてバクテリアに分解される。プラスチックだって、時間がかかるというだけで分解はされるのだ。そもそも大自然の中でしぶとく生き残り、文化を形成し、文字や言語という物を獲得していなければデータを残しても理解できないな。つまり、そのデータを受け取るのは文化的存在である事が大前提だ。そして、すでに文化が発生しているのなら「やはり現行人類と同じような支配構造」を構築しているだろう。そのデータが、心正しき裕福な人の手に渡ればいいが、今の世界におけるごく一般的な認識におけるいわゆるそのへんの政治家の手に渡れば「国民の完全支配」が完成し、目も当てられない惨劇を生み出すかもしれん)

「いや、なんの!」

(だがしかし)

「そもさん!」

(せっぱ!!)」

 などとなどと、エトセトラエトセトラ。

 悪魔王様と自称フェニックスの討論は長く続きました。

 あくまで地球環境の為に人類を滅ぼし、魂を天国へもたらすべきだと主張するフェニックスに対し、悪魔王様は極めて論理的(ろんりてき)に、それがいかにナンセンスなものであるかを説いて聞かせました。

 再び様子を見に来た母親が、誰も何も返事をしないのに会話をしているように次々と言葉を繰り出す息子を見て酷く動揺しました。

 崇拝子ちゃんは母親に「息子さんはどうにもカルト的なものに傾倒してこうなってしまったようですにゃ」と説明し、今こそ悪魔崇拝を行い、ショック療法的に変な宗教的思想を取り払うのですにゃ、と勧めましたが、むしろ逆効果だったようで、悪魔崇拝なんか勧めてきたから息子がおかしくなったのではと誤解されました。

 やがて、フェニックスと悪魔王様の討論に決着がつきます。

(さて、ではそろそろ潮時のようであるからまとめに入ろうか)

「ま、まとめだと」

フェニックスは疲れすぎて頭がうまく働かないという様子を主張するように元気のない声で言いました。

(汝は、我の先程の問いに対し「このまま大気や海の汚染が進み、緑地が減れば、生物が住めない星になってしまう。人間がそれで滅ぶのは自業自得だが、それに他の生命を巻き込むのは許しがたいと思うのだ。人類叡知を結集させ、今こそ団結し、環境汚染を食い止めて自然をコントロールし、それを恒久的に続けていけるようにマニュアルを作り、後世に伝えていく義務を、我々、今を生きる人類は自覚するべきなんだ」と答えたな)

「それがどうかしたのか」

(それで止まっておればよかったのだ)

「…は?」

 フェニックスは意味が分らないと言う風に返事をしました。

(このままでは生命が住むのに不便になるから、今からでも環境問題を見直して、自然と文明が共存できる道を模索するべきであり、国家、あるいは国際的なプロジェクトとして計画を立てるべきだ、と。そのように言って、自ら計画書を作成して大学にでも持ち込むのなら我は応援しただろう)

「ぼ、僕は最初からちゃんとそう言っていたじゃないか!」

(ちゃんと言った後で「人類を滅ぼす」だとか「新たなる知的生命」だとか、「問題の解決に一切関係しない言葉」を持ってくるから思考が迷走するのだ。今こそ言うが、そもそも人類を滅ぼす実行力を持たない汝が、人類は滅ぶべきだ、なぞと声高に言ったところで滑稽なだけであるぞ)

「僕は大天使軍の…!」

(神と!)

「ひ!?」

 悪魔王様の突然の大声に、フェニックスは思わず悲鳴を漏らします。

「…神と悪魔で立場が違うが、それでも共通している部分が一つある」

「神と悪魔で共通する部分だと」

(それは人類が滅亡しては困る、という事だ。神の配下である天使軍が、人類を滅ぼすなぞありえん。悪魔の王たる我の前では、それは通じんよ)

「悪魔でも人間が滅ぶと困るのか? なんか悪い事ばかりしてるイメージがあるんだが」

(はっはっはっは。誤解であるな。神は人間を働かせるばかりで危なっかしいが、悪魔にとって人間は大切なビジネスパートナーである。魂のエネルギーを得られなくなると我々も困るのだよ。人間が電気を使えなくなると困るようにな。だから、少ない人数からでも効率的にエネルギーを得られるように色々と工夫している。願いを叶えて魂を得る、という形が定着しているのはその為だ)

 こうして、この日の崇拝子ちゃんの「家庭教師のアルバイト」は失敗しました。母親の目には、元々おかしかった息子の様子が更におかしくなったようにしか見えなかったのですから当然と言えましょう。

 崇拝子ちゃんはその場で契約を打ち切られ、また新しい仕事を探さなくてならなくなりました。

 とぼとぼとした足取りで帰る道すがら、崇拝子ちゃんは悪魔王様に尋ねます。

「ねえねえ悪魔王様―。悪魔王様でしたら、もっと上手に少年の間違いを説き伏せて、素早く勉強できる状況にもっていけたのではないのですにゃ?」

(すまん崇拝子。正直、ちょっと遊んじゃったなあという気持ちはある)

「やっぱり遊んでいたんですにゃ!?」

(ああいう、人類を滅ぼすとか、罪深い、とか言うのを見ると、どうしてもな。「若かりし頃の我自身を見ているようで」つい、話を長引かせてしまった)

「ああもう。今回あちきは何も悪くないのに失敗だけ積み重ねてしまったですにゃー。家庭教師のお仕事だから今日はきっちりスーツを着て、伊達メガネまで用意したのに、この準備が全部無駄になってしまったですにゃ」

 あらあら、それは残念でしたね崇拝子ちゃん。服装が話の筋に全く関係がなかったので描写されなかったのですね。可哀そうに。

(いや、しかしな崇拝子。スーツは分かるがメガネは必要か?)

「気分を出すのはとっても大事ですにゃ。賢い雰囲気の女教師に教わったほうが男の子は勉強の能率が上がりますにゃ。多分」

 さて、先述しました通りこれは夢であります。崇拝子ちゃんの過去の出来事です。

 崇拝子ちゃんはこの失敗から一つの事を学びました。

 他人から見たら明らかに迷走しているのに、自分の言い分や考えの正しさを絶対的なものであるとして信じ、疑わない人間に対し、婉曲な言葉を使って、高度な言い回しをして、そして間違いの一つ一つを訂正していくような話し方をしていると、その都度、相手からの反発が必ず発生し、それに対して答えなければならないようになり、問題の解決までとても時間がかかる、という事です。ああいう手合いには意見のぶつけあいをしてはいけないのです。

 少しの間ですが眠り、夢を見て、かつての反省の記憶が呼び覚まされた事により、崇拝子ちゃんは冷静さを取り戻しました。やはり悪魔王様の判断は正しかったのです。冷静でない人間は一度だまらせるに限ります。

 崇拝子ちゃんは目覚めました。

 まだ視界がはっきりしないのですが、それでもすぐ傍にミーちゃんがいるのが分かりました。

 崇拝子ちゃんは考えます。ミーちゃんの言動など、これまでに与えられた情報を総動員して思考し、ミーちゃんがなぜ自分を殺そうという結論に至ったのかを考えました。

 封印されし邪竜がどうの、と言ってごっこ遊びをするミーちゃんと、かつての生徒であるフェニックスが重なり「どうやら属性は違えど同じようなものだ」と判断し、今どきの日本の教育環境はどうなっているのだろうと少し疑問に思い、しかしまあ、こうした思考の迷走があるのも迷走できるだけの余裕があるという事なので、それはそれで平和の証なのかもしれないと思い、平和であるからこそ、死生観というものと縁遠くなり、それがゆえに、すぐに命がどうだとか言い出すようになるのかなと予想しました。

 崇拝子ちゃんは考えます。冷静に考えます。ミーちゃんは神剣を崇拝子ちゃんに向けていますから、ここでかける言葉を間違うと殺されてしまいます。悪魔王様の加護があるとはいえ、攻撃してくるのは神の力なのです。

「…ミーちゃん」

「…長かったよね。辛かったよね。今、終わらせてあげるからね。お姉ちゃん」

 これはいけません。何とかして、簡潔に、かつ具体的に、説得力のある言葉を使わなくてはミーちゃんを止められません。

 かくして、崇拝子ちゃんは次のように言ったのです。

「ミーちゃん。あちきは今、結構辛い仕事をしているし、辞めたいと思った事もあるけれど、『死にたいと思っている訳ではないし、人生終わりたいと思っている訳でもない』ですにゃ」

 これが聞こえる範囲にいた全ての人物の動きが止まりました。ピタ。という擬音さえ見える錯覚を抱くような、見事な同時急停止です。

 そしてザワザワと焦ったように話し合いが始まりました。

「おいマジか」

「これは予想外だな」

「これではただの集団リンチではないか」

「あれ? 最初に崇拝子ちゃんを殺そうって言ったのは誰でしたっけ?」

「え、誰ってそりゃあ」

 全員が一斉にミーちゃんを見ました。

 実はトナカイ九天使の面々も、一方的な情報しか与えられていなかったのです。

 彼らはてっきり、崇拝子ちゃんがミーちゃんを人質に取られているような立場なのだと思っていました。悪魔王様によって無理やり仕事に従事させられている崇拝子ちゃんは、ミーちゃんが真の記憶を取り戻し、神の力をふるえるようになった今、もはや従う理由は無く、残る問題は悪魔力による不死の呪縛のみであり、その呪いから解放する事が崇拝子ちゃんの為になると考えていたのですが、崇拝子ちゃん自身の口から「死にたくない」と聞いた事により情報の確度が薄れました。

 崇拝子ちゃんの判断は正しかったようです。素直な気持ちを、一切の脚色なく伝え、相手の行動や発言が自身の権利を侵害しているという事を過不足なく情報共有する事はとても大切です。

 かつてのフェニックスに対しても、「そもそも地球生命が全滅するような環境破壊が起きれば、その全滅の前に確実に人類が滅ぶのだから、その時点で環境破壊は止まり、汚染なども生物希釈で百年もすれば解決する。原爆を落とされた長崎と広島も十数年で復興している。心配はいらない。『人類が先に滅ぶんだから君は何もしなくても目的は達成できる』のだとすぐさま伝えていれば、あんなにも長話にならなかった」のではと思っていたので、いつか、誰かが思考の仕方を間違えて、変な判断をして行動していたら、その判断の間違いの大元をぶった切るというやり方は、常々考えていたのでした。

 さて、ミーちゃんは困りました。崇拝子ちゃんの一言によって、自身が正しいと信じて疑わなかったものが根元から断たれてしまったのです。かなり気まずい思いをしています。

 しばらく九天使で話し合いが行われ、その話し合いも次第に言葉数が少なくなり、ついに結論がでないまま皆、黙り込んでしまいました。

 あたりが静まり返ります。

 その静寂を破ったのは、誰あろう、悪魔王様です。

「うむ。どうやら諸君らの根底に大きな誤解があり、その誤解ゆえに考えの行き違いがおきていたようだな。どうだろう。ここは一度、問題を持ち帰って考え、後日また改めて議論するというのは」

 さすがは悪魔の王です。見事な解決策を提案してくれました。

 九天使を代表して奇跡のキューピッドが名乗りを上げ、悪魔王様と連絡先を交換し、電話していい時間や曜日の都合を確認します。

 九天使はそれぞれ帰宅する事になり、その場にはミーちゃんと悪魔王様、崇拝子ちゃんが残されました。

「……」

「……」

「……」

 三者とも、さすがにどう切り出せばいいのか迷いました。

 そして、崇拝子ちゃんが静かにミーちゃんに歩み寄り、手を出してこう言ったのです。

「ミーちゃん。会えて嬉しいにゃ」

 ミーちゃんはその一言がとても嬉しくて、急激に感情が高ぶり、涙を流します。

「……うん」

「もう少し歩いたら、あちきのお(うち)があるから、そこまでこないにゃ? あんまり贅沢できないけど、晩御飯をごちそうするにゃ」

「……うん!」

 とても長い旅路の果てに、ついに姉妹が再開しました。

 片方は泣いており、もう片方は実に対照的に、明るい笑顔でした。

 それを見守る悪魔王様もわずかに笑みを浮かべております。

 では次回をお楽しみに。崇拝子ちゃんの買ってきたもやしとキムチが大活躍する予定です。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ