第六章「神や悪魔にも上手くいかない事はあるのです」
ミーちゃんと崇拝子ちゃんは、特別な家柄に生まれた訳ではありませんでした。
由緒ある血統だった訳でもなく、いわくある先祖伝来のアーティファクトを所有していた訳でもなく、命尽きようとしている魔法使いが、その能力を心正しき若者に継承させたとか、そういったバックボーンを一切持たない、普通の子供でした。
名字が神野でありますが、これはただの名字であり、人と神の繋がりを示すものではございません。巫女という名前も、親が面白半分でつけたものであり、実は神社の家系だとか、そういう事ではありません。むしろその名前が、幼少の頃には虐めの原因になった事もありますので、本人は巫女と呼ばれる事を嫌っておりました。
いつの間にかミーちゃんと呼ばれる事が普通になり、その愛称に慣れ親しんだとしても、人はなかなか嫌な記憶というものは払拭できないものです。ミーちゃんはいつも無意識に「神なんか嫌いだ」と思っていました。
もしかしたら、その負の想念が神の興味を引いたのかもしれませんが、詳しい事は不明です。ただ一つ確かなのは、ミーちゃんは「神に依り代として選ばれ」て、その肉体は神のものとなり「その際に人格は消滅する予定」だったという事だけです。
不幸にも「神に目をつけられた」というだけの子供でした。
高次元存在である「神と呼ばれるもの」が、更なる低次元へと侵攻しやすくする為に活動用の肉体を欲したのですが、これを一から構築するよりは「既に出来上がっている肉体を乗っ取った方が早い」という、それだけの理由で、意識も薄弱で抵抗力の弱い子供が狙われました。それがミーちゃんです。
しかし、本人に選択権も与えず一方的に肉体を奪おうとする行為に対し、悪魔王様は正義感から行動を起こされ、これを阻みました。
その際に生じた大きな力の衝突は空間を歪め、町を一つ飲み込み、一時的に異次元に隔離してしまう程でした。
その現象が起きたのはごく短時間でありましたので、住人の生命、ライフラインを含めて被害らしい被害は無く、後に神魔合同で行われた記憶改ざんにより人間には記録されていない事件であります。物理的な損壊も全て修復されました。
ですがこの時、二人の女の子が大変な目に会いました。
神としても、一度は所有を試みた肉体でありますので、これを諦めるというのは自尊心が許さなかったのでしょう。悪魔王様が介入された時点で手を引けば、後々の処理においても損害を抑える事が出来た筈ですが、神はミーちゃんの肉体に固執しました。
その時、ミーちゃんのそばにはお姉ちゃんがいました。
ミーちゃんと同じ美しい金髪をした女の子。アニメや漫画が大好きな普通の女の子です。
その女の子は何がどういう理屈で起こっているのかまるで理解できていませんでしたが、何か恐ろしいものが妹の体に害をなそうとしている事を直感で悟りました。
なにせ見た目から異常なのです。ミーちゃんの周囲からごうごうとも聞こえるような、しゅわしゅわとも聞こえるような音が発せられ、髪が風に吹かれているように逆立ち、全身から揺らめく炎のような淡い光を放っているのですから。
「まるでスーパーサイ…」
おっとそれ以上は言ってはいけません。
しかし異常事態である事が分かったとしても、ただの普通の人間で、特技もある訳ではなく、豊富な知識がある訳でもなく、そもそも子供である自分に、何が出来るものかと絶望しました。
その時です。
(力が欲しいか)
と、頭の中に直接響くような、心にそのまま入ってくるような、空気を震わせない声が聞こえたのです。
(答えるがいい。力が欲しいか。ならばくれてやろう。契約を交わせ。さすれば汝には、あらゆる難敵を討ち滅ぼす力が与えられる)
「…それで『あれ』を何とか出来るの?」
(無論である。さあ望むがいい。銃か、砲か、汝がこれと思う物を思い浮かべるがいい。それにはあのおぞましいものを滅ぼす力が備わっている。世界を脅かすあの敵を滅ぼす力が)
その声は悪魔王様のお声でした。
悪魔王様は人間の脳が焼き切れないギリギリの情報量を見極めて、断片的ではあるものの、神魔戦争や現象の推移について少女に判断材料を与えました。
少女は決意します。契約の証として人間であった頃の名を捨て、新たに悪魔王様に命名され、悪魔の眷属として生きる誓いを立てました。
それが崇拝子ちゃんです。
美しい金髪は緑になり、肉体の成長は止まり、猫の耳と尻尾がはえて、悪魔の僕として生きる事になり、ミーちゃんの今後の生活費やその他、諸々を保障してもらう代わりに神と戦う責任を負い、神とも戦える力を手にした魔女の誕生です。
(ゆけい崇拝子! 契約は為された。お前の魂が持つ輝き、それを我が力に変える!)
「悪魔! ランチャー!! っっっにゃあああああ!!!」
悪魔ランチャーは生殺自在。そして悪魔力の塊を放ちます。ミーちゃんの肉体を一切傷つけずに神の干渉を阻害しました。
そうして生じた一瞬の隙を突き、悪魔王様はミーちゃんに術を施し、神の手の届かぬ遠方へ転移させたのです。
こうして、崇拝子ちゃんは最愛の妹であるミーちゃんを守り抜き、人々の神への信仰を挫く為の長い旅が始まったのです。
さて、それらとほぼ時を同じくして、ミーちゃんに語り掛ける声がありました。
皆様もうお気づきですね。ええそうです。それこそは神の声。
崇拝子ちゃんが悪魔王様と契約を交わしたように、ミーちゃんもまた神と契約を交わしていたのです。
その時ミーちゃんは不思議な体験をしました。
地に膝をつき、荒く息をする主観の視点と、その情景を上から見下ろすような、魂だけの存在となって俯瞰しているような客観的視点が混在して認識できていたのです。
見下ろすミーちゃんは焦りました。ただ一人の姉、最愛の姉が、悪魔と何かの取引をしようとしていました。
少し前からずっと耳元で鳴る、ごうごうとした音のせいで会話の内容が分からないのですが、姉に近寄っている存在が悪魔である事が直感で理解できました。
まあ直感と言いますか、誰だって牛の頭蓋骨が空中に浮いていたら、何か良からぬものだと思ってしまうでしょう。
さすがは神に選ばれた少女です。既に神通力の片鱗を発揮して神や悪魔を識別できるようになっていたのです。
ミーちゃんは悪魔と姉を引きはなそうと試みますが、魂のような側のミーちゃんは相手に触れられないらしく、肉体の側のミーちゃんは疲労によって身動きできません。
よくわからないものに対する恐怖が彼女から冷静な思考を奪います。
きっとあのおぞましいものが、この現象の元凶だ。原因だ。きっと殺される。姉ともども殺される。といった想像がぐるぐると展開され、強く、誰か助けてと願いました。
その時です。
(力が欲しいか)
その声はミーちゃんの心に直接聞こえました。
まるで頭の中に響いてくるような、空気を震わせない声が聞こえたのです。
(答えるがいい。力が欲しいか。ならばくれてやろう。契約を交わせ。さすれば汝には、あらゆる難敵を討ち滅ぼす力が与えられる)
「…それで『あれ』を何とか出来るの?」
(無論である。さあ望むがいい。剣か、槍か、汝がこれと思う物を思い浮かべるがいい。それにはあのおぞましいものを滅ぼす力が備わっている。世界を脅かすあの敵を滅ぼす力が)
ミーちゃんは決意します。思考だけで了承の答えを神に告げました。契約は為されたのです。
魂のようなミーちゃんの意識は肉体に溶け込むようなイメージで一体となりました。
震える足に無理やり力を込めて立ち、呼吸のしすぎで痛い背中を伸ばして前を見据えます。
手に持つ武器は神剣。契約と同時に記憶に反映された知識によれば、触れるだけであらゆる悪魔を斬殺せしめる神の気が宿った剣なのだとか。
「必ず、助ける」
しかし、目の前にいた姉はランチャーをこちらに向けて構えていました。
「……」
当然ですが、剣で切りかかるよりも早く砲弾は飛んでくると予想できます。
「ちょ、卑怯……」
ミーちゃんは抗議しようとしましたが、それは間に合わず、悪魔力の塊の直撃を受けます。
その戦いは悪魔王様と崇拝子ちゃんの勝利に見えましたが、実は神とミーちゃんの契約はその後も有効だったのです。契約が書かれた紙を戸棚にしまって、そのまま忘れたとしても契約が破棄された訳ではないのと同じ理屈です。戦いは決着したのではなく、先延ばしになっていただけだったのです。
悪魔王様の施された術により神の声が聞こえなくなり、記憶は改ざんされ、悪魔王様の用意されたかりそめの父母のもとで生活していたミーちゃんですが、偶然にも神との接触を望む機会が訪れたのです。
人間の生命など所詮は長くて百年。独立して生活できるようになるのにせいぜい二十年。悪魔側としてもそこまで面倒を見て成長を確認すれば充分だろうと考えておりました。仮に、ミーちゃんが将来的に世の中のごく一般的な価値観に照らし合わせてクズと称されるニートのような存在になったとしても、悪魔王様より潤沢な資金が用意されていますので、保護する責任期間が長いだけでそれほど苦労する事はないだろうと楽観的にとらえておりました。
まさか、悪魔の陣営に英才教育を施された人間がトナカイ教団なんぞという意味不明な宗教に傾倒し、敬虔なる信徒になろうと誰に予測できたでしょう。ミーちゃんのかりそめの父母はどこで教育を間違えたのか真剣に悩み、母親は鬱になりました。父親はミーちゃんと真摯に向き合い、何か不満があったのか質問し、問題解決の為に努力しましたが、それでも成果は上がりませんでした。子育てとは、かくも難しいものなのです。
ミーちゃんの潜在意識の中に深く刻み込まれた「姉」という存在を渇望する気持ちが、もしかしたら心正しき子供に贈り物をするというセントクロースというワードに強く反応したのかもしれません。これが妹を渇望しているのであれば父母にもどうにか出来たかもしれませんが、姉はどうにもできませんでした。
当時のミーちゃんは十七歳。
いつも「地獄の炎に焼かれたくなくば…」だとか、「く、胸の刻印に封印された邪竜が騒ぐ…」だとか言って楽しそうに「ごっこ遊び」をする「普通の子供」でしたが、学校の授業の一環で参加したボランティア活動でトナカイ教団の団員と知り合い、音楽やお笑いの趣味で意気投合し、そのまま体験入団してしかる後、宗教的洗脳を施されたのです。
これは神にとっても悪魔王様にとっても完全に予想外でした。
神はすぐに行動しました。
その後、信者を順調に獲得していった事で、聖獣トナカイという概念上の崇拝対象は神としての形を得、高次元存在の神との繋がりができたのです。その繋がりを辿り、ミーちゃん自身が神を強く意識する機会を待ち、ついに宿願は果たされました。
悪魔王様の術は解体され、ミーちゃんには改ざん前の記憶が蘇ります。
幸いにして、記憶が蘇った事が影響したのかトナカイ教団の洗脳は無効化されたようでした。
悪魔王様への部下からの報告が遅れたのには三つの事情がありました。
一つは、この国には宗教の自由が保障されている為、その自由の範疇で行動している事を非常事態として扱うべきか判断に迷ったというもの。
もう一つは、鬱になった母親の世話や、ミーちゃんの説得に忙殺される父親が通常の判断力を発揮できず、取り返しのきかないギリギリまで結論を先延ばしにしてしまった事です。
そして、ごっこ遊びをする為にマジックで描く刻印を、定番の腕や額ではなく胸に描くという、学校の先生に見つかりにくい工夫をこらすくらい「頭のいい」ミーちゃんが、一度、両親の説得に応じて宗教活動をやめたフリをしたのでした。
そして今、ミーちゃんは十九歳。
ついに神の尖兵として覚醒したミーちゃんは様々な事を知りました。
大好きな姉が、あれからずっと悪魔の手先として自分の生活費を稼ぐために働いていた事。
それは人を異世界に転移させて経過観察をしなければならないような長期間の労働をする場合もあるという事。それを終えたら、「転移した時と同時刻にこの世界に戻り、再び働くのだ」という事です。
つまり、ミーちゃんの主観ではほんの十年程度の時間であっても、姉は何十年分も生きているらしいという事です。
しかも、悪魔の眷属となった事で不老不死となり、神魔戦争の終結まで自然に死ぬ事もないのだという事実を知りました。もしかしたら永遠に終結しないかもしれないのに、それまで死ねないのです。永遠に働き続けるのです。不老不死ですから定年退職もありません。ミーちゃんの死後もそれはずっと続くのだと聞かされました。
ミーちゃんはとても悲しい気持ちになりました。とても悔しい気持ちになりました。
前の戦いの時の記憶が朧気だけれど、その時の自分がもっと上手くやれていたら、姉にそんな苦労をさせなくてすんだだろうにと、強く自分を責めました。
やがてミーちゃんは、姉の苦しみを自分の手で終わらせようと決めるのです。
すなわち。「お姉ちゃんをこの手で殺す」と決めたのでした。あらゆる悪魔を斬殺せしめる神剣であればそれが可能だと思い至ったのです。
神は、初志貫徹してミーちゃんの肉体をそのまま奪ってもよかったのですが、あの憎き悪魔王と崇拝子を、この神の力を十全にふるえるよう覚醒したミーちゃんで葬るのも一興と思い、崇拝子ちゃんのいる場所まで転移させました。
さあ、次回では姉妹と神魔の因縁の対決です。
後にこれらの真相を知り、悪魔王様はたいそう心を痛められました。
(許して欲しい。我は王。手中にある力の殆どは臣下と国民の為にあるものだ。我が自由にふるえる力の範囲では、あそこまでが限界であった。あれ以上は何者かとの契約を果たし、その魂を用いる以外に方法がなかった。その判断が誤りだったとは思わぬが、崇拝子とミーちゃん、そしてかりそめの父母として派遣した部下への配慮が不足していた事も事実。深く反省する)