第一章「あれから随分と経った未来。日本にて」
「にゃー。…また失敗しちゃったにゃー」
わりと最近の、ある所に、とても愛らしい女の子が住んでいました。
緑色の髪を短いツーテールにした、猫耳と猫しっぽがぴょこぴょこ揺れるのがとっても可愛い女の子。
「やっぱり人間は悪魔よりも恐ろしいのにゃー」
肩をおとしてとぼとぼ歩く姿すら愛おしい。口をあけて半眼でいてすら絵になる少女。
彼女の名は悪魔崇拝子ちゃん。
悪魔が名字で、崇拝子が名前なので、悪魔、で一度区切り、崇拝子と呼んでください。
実は悪魔の眷属なのでとっても長く生きているのですが、見た目は13歳くらいなので映画を安く見られる悪魔的な女の子です。場合によっては子供料金でバスに乗っても運転手さんに見逃してもらえるほどです。全く邪気を感じさせない綺麗な瞳と、元気で明るい様子も相まって、お年寄りから乳幼児まで幅広い層に人気があるのが密かな自慢です。
「もう嫌にゃ。早く帰ってご飯食べて寝たいにゃ。こういう時は寝るに限るのにゃ」
あらあら、普段は活発な崇拝子ちゃん。今日はなんだか落ち込んでいるようです。
きっとお仕事で失敗したのですね。「よくある事」です。でも大丈夫ですよ。そういう失敗を繰り返していく中で反省や学びが得られるのです。失敗を失敗とも思わないでごまかすような人間よりはよほど健全です。自らの至らなさを自覚できるあなたは、きっといつか誰にも負けない素敵なお仕事が出来るようになるでしょう。
崇拝子ちゃんのお仕事は悪魔崇拝を広める事です。
神への信仰を挫き、悪魔の素晴らしさを認知させる事で成果となり、口座にお金が振り込まれます。なんと、人の願いを叶えて契約し、対価として魂を得る事に成功すればボーナスも出るのです。
でも崇拝子ちゃんは悪魔崇拝を広める才能がちょっと、…少し、…いやかなり無いようで、いつも上手くいかないのだそうです。成果がなかなか上がらないので、生活費を捻出する為には普段はアルバイトに勤しむ「新人声優みたいな生活」をしています。
いつかブレイクできるといいですね。にっこり。
ところで崇拝子ちゃんの頭の上に視点を移してみましょう。
その場所には牛の頭骨が浮いておりました。本来はただの穴である筈の眼窩には、ぼんやりとした光を宿し、たまに、けたけたと笑うような仕草をします。
(大体な、崇拝子。お前は人間どもの欲望というものへの関心と配慮が足りんのだ)
崇拝子ちゃんの頭に直接響く声により、そのお言葉は伝えられました。
皆様、もうお察しですね。ええ、そうです。この牛頭骨のお姿で崇拝子ちゃんの頭の上に鎮座されているお方こそ「悪魔王様」なのです。本来のお姿はもっと荘厳で美しい立派なお方のですが、悪魔召喚の才能が乏しい崇拝子ちゃんと契約した副作用なのか、普段はこの不完全なお姿で崇拝子ちゃんと行動を共にされています。もちろん、このまま普通の人間に見られてしまっては騒がれてしまいますから、今は崇拝子ちゃんにしか見えないステルスモードでいらっしゃいます。
「だってだって悪魔王様。あの男の人は異世界に行って知識無双したいって望んでいましたにゃー。うまくいけば悪魔崇拝に開眼して崇め奉ってくれるはずでしたにゃ」
(それで知識無双する為の知識が無いまま異世界に飛ばされたら悲劇でしかないではないか。言語どころか文化的背景すら完全に異質な国に突然置かれたらそりゃあ秒で逮捕されて処刑が当然。良くて追放であろうよ。我がすんでの所で救ったがな)
崇拝子ちゃんはなかなか罪深い欲望の叶え方をしてしまったようです。
「でも、二人目の、魔法チートで無双する願いの人は良い線いってたと思うのですにゃ」
(転移先の森で戦闘能力に慢心してうかつに動物を殺し、解体して火をおこして焼いて食ったところまでは良かったが、そもそも素人に完全な血抜きや解体が出来る訳もなく、食中毒に苦しみ、食べ残しの肉に群がってきた肉食獣の数に対応しきれず、ついでにそこかしこでわいた虫から伝染病をもらって大変であったな。我が薬を処方し、夢として記憶を改ざんしなければ現世に戻ってもしばらくトラウマに苦しんだであろう)
崇拝子ちゃんはかなり罪深い欲望の叶え方をしてしまったようです。
「おおっと、お待ちくださいにゃ。最後の一人の、貴族に異世界転生して特に何の努力もせずに労働者から搾取して生きるという欲望はかなり良い線いってたと思うのですにゃ」
(うむ。あれは確かに良い線を行っていた。だがワインの味を良くするからと言われて鉛の食器で飲み食いした結果、鉛中毒にかかるとかアホすぎるだろ。中世以前の貴族に憧れるくせに過去にどのような迷信が広がって人を殺したか勉強していないとはな。クライアントの背景について確認を怠ったお前の責任だ)
「ふっふっふ、大丈夫ですにゃ。実は悪魔王様に全部つっこまれて失敗の事実を突きつけられて再確認させられる所までよんでいましたにゃ。うえーん」
崇拝子ちゃんは泣き出してしまいました。
もちろんウソ泣きです。
このお話に補足しますと、崇拝子ちゃんは目いっぱい頑張って人間の欲望を叶えようとしたのですが悪魔王様の解説にあった通りに失敗してしまい、殆どの場合で「騙された」とか「酷い目に会った。慰謝料を払え」だとかそれはもう酷い剣幕で罵倒をされてしまったのです。
なお、異世界に人を送るのも、時間移動も、全て悪魔王様が崇拝子ちゃんに貸し与えるお力、悪魔力によってなされます。
(ええい全く。経過観察してまた戻ってきてを繰り返す悪魔力もばかにならんのだぞ。明日からはきちんと反省を活かして取り組むがいい)
「ぶう。そんなに言うなら悪魔王様が毎回指示してくれたらいいと思うのですにゃ」
崇拝子ちゃんは頬を膨らませ、唇を尖らせていいました。
(ぶうたれるでない。それではお前の教育にならんではないか。小言を言われるのが嫌なら、一刻も早く一人前になり我を安心させるがいい)
悪魔王様のお言葉はいつだって的確です。それでも崇拝子ちゃんが一人でもお仕事を完遂できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうでした。
その時です。コンビニエンスストアの前を通りかかった際に、悪魔王様は教材として使えそうな人間を発見しました。
(ほう、ちょうどいい。崇拝子。あれを見よ)
悪魔王様が顎をしゃくって見せた先には、50代前後と思しき女性がおりました。
「オバサンなんか見つめても面白くないですにゃ」
崇拝子ちゃんはジト目で言います。
(それには同意するが、何も「ちょっと面白いもの見つけたからお前も見てみろよ」みたいなノリで言っている訳ではない。あの女の手元を観察するがいい)
その女性の手には半透明のビニール袋がぶら下げられており、その中に魚の食べ残しや卵のカラ等の生ごみ、開封された缶詰がうっすらと見えました。
女性はそれをコンビニの外に設置されているゴミ箱に入れたのです。
もちろん、そのゴミ箱には「家庭ゴミの持ち込みは固くお断りします」と注意書きがされていました。
「凄いですにゃ!? なんて悪どい事ができる人なんですにゃ!」
その手際は見事の一言につきました。
歩く速度を一切落とすことなく、構えるような予備動作すら必要とせずに、悪魔王様に促されて注視していなければ、ただ通り過ぎたようにしか見えなかったでしょう。
並みの練度ではこうはいきません。恐らくは何度も繰り返し練習した成果です。
「なるほど、さすがは悪魔王様ですにゃ。あちきにもあのオバサンみたいに羞恥心のかけらもないふてぶてしい心を持てという事ですにゃ」
(お前にしては深い考察だが違う)
「え、では、人間の欲望とは、ああいった他人の迷惑とワンセットで成り立つもので、個人の気持ちだけを考えていてはいけないという事ですにゃ?」
(お前にしては頭を使ったが、もちろん違う)
「にゃー。それでは分らないですにゃ」
(分らないならば考えるのだ崇拝子。そもそもあの人間は何故コンビニにゴミを持ちこんだと思う?)
「それは、…ゴミを捨てたかったからではないのですにゃ?」
(人間どもの社会には、その人間どもの手によって作られたルールがある。ただゴミを捨てたかったのなら、そのルールに基づいて朝にゴミ捨て場を利用すればいい。あの人間は何故それに外れたのだと思う?)
「うむむ。もしかしたら朝に忙しい仕事をしている人で、収集時間に間に合わなかったのかもしれないですにゃ」
(その仮説が正しいのなら、きちんとゴミは分別されていなければつじつまが合わぬな。朝が忙しいのなら夜のうちにでも捨てればいい。それはそれでルール違反になるのかもしれんが、事情を説明すれば集積所の管理者にも通じないという事はあるまい。そして、集積所のゴミ出しのルールには従うのに、コンビニの注意書きを無視するのでは論理が破綻している。あの動きは常習犯のものだ。初犯という事はあるまい。注意書きをうっかり見逃していたとは考えられない。つまり「あの人間はゴミ出しのルールに従うつもりは無い」のだ。だがそうなると別の疑問が浮上する。ルールに従うつもりが無いのなら、それこそ朝も夜も関係なしにゴミを捨てればいい。わざわざコンビニまで出向かなくても最寄りの集積所に投棄すれば解決する話だ。あの人間がわざわざコンビニを選んだ理由を考察する事が、この問題を解く糸口になる)
「うむむむ。もしかしたら最寄りの集積所には監視カメラがあって、不法投棄すると住所が特定されて罰金を払わせられるのかもしれないですにゃ」
(エクセレントだ崇拝子。その回答は実に理にかなっている。集積所の厳しい防犯対策を警戒したのだと仮定すれば「ゴミ出しのルールに従わないまま生活する為にコンビニを利用した」可能背は高いな)
「やったにゃ。悪魔王様にほめられたにゃ」
(ではもう少し踏み込んで考えてみよう。そもそもあの人間は「何故ゴミ出しのルールに従うつもりがない」のか)
「え、面倒だからではないのですにゃ?」
(面倒と言うのなら、不法投棄が店にばれて人相を記録され警察に通報されて事件が成立したならば、懲役刑か罰金、またはその両方が課せられる。監視カメラのないコンビニなぞむしろ希少であるし、ゴミ箱のゴミを管理しているのは店員で、日夜怒りに燃えているだろう。安い賃金で働かされてゴミのような人間にも笑顔で相対しなければならない店員の負担を考えれば、むしろその店員の怒りを買う行為こそリスキーであり、面倒だ。ああだがな崇拝子。お前の発想は全く的外れではないぞ。あの人間は確かに意識の表層では面倒だからと思って自分すら騙して言い訳をしている事だろう。だがそれは真実ではない。もっと踏み込んで考えるのだ。そうするとあの人間の魂の輪郭が見えてくる。その形を把握する事が、あの人間が真に望んでいる事を理解する事につながるのだ)
悪魔王様はどうやらあの人間の欲望を把握するという課題を崇拝子ちゃんに解かせる事で、彼女に自信をつけさせようとしているようです。上司の鏡ですね。
「つまりあれですにゃ。あの人間はゴミ出しのルールを守らないとむしろ自分にとって不利だと知らないのではないですかにゃ?」
(うむ。知らないというのは余りにも罪深いな。だが知らないなりにあの人間は「コンビニなら捨てても問題ない」と判断して行動している。その判断の土台は何だと思う)
「え!? 無知だからでは解決しないのですにゃ!?」
(集積所に監視カメラがあって、犯罪者とされるのが恐ろしいというお前の仮説が正しいのなら、あの人間は少なくとも他人の目線は気にしていなければおかしい。他人の目線を気にしないのならとんでもない愚か者である。だが我々は誇り高い悪魔だ。大切な契約者となるかもしれない人間を相手に、最初から愚か者と決めつけて行動してはならない。わかるな? さあ考えるのだ崇拝子。あの人間のゴミ投棄の技術はむしろ芸術的ですらあった。可能な限り人目につかず、素早く事を成し、ルールに従わず生きるという事に熱い情熱を燃やして努力した事は明白。そう、あの人間は確実にルールを把握している。コンビニに家庭ゴミを捨ててはならないというルールを把握していながらそれに逸脱し、一流の技術を獲得しながらも、なお人目をはばかる事から他者に目撃される事を警戒する心理から、それが人に嫌われる行為だと知りつつ行動している事が読み取れる。これが重要だ。いいか崇拝子。あの人間は、あれが人に嫌われる行為だと知りつつ行動している。もしかしたら個人の善悪の基準では、あの人間にとってはやってもかまわん事だとしている可能性もあるが、少なくとも世間一般的に考えて、推奨されない行為である事は確実に把握している)
「そんな!? 世間から酷く言われたり見られたりする事をわざわざやるというのですにゃ!?」
(いいぞ崇拝子。少しずつ理解が深まっているようではないか。それが成長だ)
「悪魔王様。あちきはなんだか楽しくなってきましたにゃ」
(ではまとめに入ろう。あの人間はなぜ、ルールに従うつもりがないのか)
「ふっふっふ。あちきは閃きましたにゃ。この問題、実はルールを守らないという行為に、性善説的な、あるいは性悪説的な思考に固執してはいけなかったのですにゃ」
(ほう、そのこころは?)
「そもそもサッカーをやるのに野球のルールブックを持ってくるほうがおかしいのですにゃ。日本に住んでいるのに外国の常識をもってきて話をするのと同じですにゃ。人間の作ったルールに従わないという事は『あの人間は実は人間ではない可能性が』ありますのにゃ。最初から人間ではないのなら、人間のルールに従わないのはむしろ自然。ただ経験的に『どうやらこういう事をすると人間が騒ぐので面倒だ。ふうやれやれ』という心境であの行為に至っていると考えれば全てのつじつまが合いますのにゃ」
(面白い仮説だ。続けるがいい崇拝子)
崇拝子ちゃんは今日一番のドヤ顔をしながら言いました。
「あのオバサンは実は神様だから! 人間のルールとかどうでもいいのですにゃ!」
(その通りだ崇拝子!)
そうなのですか!?
(日本にはこういう言葉がある「お客様は神様」だと。基本的に日本でしか見る事のない労働者への異常な差別意識だ。この言葉が最初に記録された時は全然違う意味の言葉であったが、いつの間にか言葉の印象が独り歩きして今では労働者を蔑視する目的の意味で定着している。本来、金銭を対価に物品を提供する者と、物品を受け取る者は対等な立場であるが、この国では金を支払う側が上の存在であり、発生する取引価値以上のサービスを要求されるなぞ日常茶飯事だ。そう、あの者は自らを神と誤解している。経営者側もその常識を前提として社内規則を作成しており、現場に一切の落ち度が無いクレームであっても現場に謝罪を含む対応をさせ、酷い時には賠償まで行わせる。それゆえに店舗側も客との衝突は避けようとする傾向が生まれる。それは労働者にも影響する。コンビニエンスストアを例にあげれば、店外のゴミ箱は、店で買った食品等をすぐに食べる等してゴミが発生してもお客様に不便が無いようにと配慮して設置されたものである。断じてゴミ集積所の代替として用意されたものではない。もしゴミ集積所と同等の価値を提供する事が目的だったのなら、どう考えても容量が足りないからだ。せいぜい45リットルから70リットル程度しか収納できんゴミ箱に、周辺地域の家庭ごみを一手に引き受ける事なぞ期待できん。だからこそ家庭ごみの持ち込みはしないようにと注意書きがされている。だが、これは人間の都合だ。当然『神には関係が無い』のはお前が言った通りである。あの「神を自称する輩」を仮にバッハと呼ぶとして、あのバッハなる者はきっと店員に対してこう思っている事だろう。「神たるバッハがこの店をわざわざ利用してやっているのだから無償のサービス提供はあって当然。お前たちがゴミの投棄を見逃したという絶好の言い訳まで用意してやっているのだからおとなしくゴミを受け入れるべきだ。金が無いと困るのだろう? 収入減を断たれたくはないだろう? この神たるバッハにたてつくような事をすればすぐに経営本部に電話するぞ! お前を必ずクビにするように厳しく言ってやる。お前がクビになった事を確認するまで何度でも電話してやる。お前が善いか悪いかの問題ではなく、いつ、どうやったらこの問題が解決するかと本部が考えて、そのように行動するまで何度でもだ。ああ、だが私も鬼ではない。神だからな。このゴミ投棄を見逃し、私に極上の笑顔で感謝の意を表すならば、貴様らの収入に少しは貢献してやろう。缶コーヒーとタバコを一箱買ってやる。大体500円だな。この一回でお前の時給の半分の利益をこの神たるバッハが店に落としてやる感謝しろ」と)
「悪魔王様―。それで本当に店員の給料の半分になるのですにゃ?」
(いや、その買い物だと商品にもよるが利益はだいたい100円から150円だな。タバコの代金は殆どが税金で利益率は低い。その神を自称する存在を10回は接客せねば一時間分の時給にはならない。それどころか、20や30回と接客せねば店舗を経営する為の電気代や水道代、トイレットペーパー等の備品、税金といった各種経費をまかなえない。ゴミの収集業者の手配や、各種手数料、交通費支給、他にも金が必要になる場面はある。どこのコンビニエンスストアもいつだって経営難だし、経営難だと悟られないように清掃作業はきっちりやって、商品棚に空間を作らないようにびっしり物を入荷させ、手入れをせねばならん。大変な仕事である)
「そんな大変な人間たちに余計な負担を与えてわずかな金を払ってふんぞり返るとは、神とはなんて恐ろしい存在なのですにゃ」
(勘違いするな崇拝子。あのバッハは神ではない。どこにでもいる矮小な認知の歪んだ人間である)
「あ、そういえばそうでしたにゃ」
(つまりはそういう事だ。あの人間はコンビニを相手にする分にはどのような横暴を働こうとも自分の方が強いと信じている。信仰を持つ者は手強いぞ。神の加護や祝福を受けたと信じているだけの人間ですら殺人に対するブレーキが消える。自らを神と信じる人間であればどれほどにタガが外れるか予想できん。絶対に相手にしてはいけない部類の人間だ。むしろ店員が怒りを押し殺してゴミの投棄を許し続けるのは、無意識に絶対に相手にしてはいけない人間だと直感で理解しているからかもな。実に利口である)
「あれ? でもそうすると悪魔王様。あの人間はすでに神としての万能感を得ているのですから、願いを叶える余地はないという事ですかにゃ?」
(よくぞその点に気づいた。珍しく冴えているではないか崇拝子)
「えへへー。また褒められましたにゃー」
崇拝子ちゃんは嬉しそうです。
(その部分こそが核心である。あの人間は実は自らを神だとは思っていない!)
「なんですってですにゃ!?」
そうなのですか!?
(だが神だと思い込んではいる。言うなれば神を演じる「ごっこ遊び」だ。あの人間は想像の中では自らを神だとしているが、深層の意識では凡庸なる人間だと理解している。なぜなら、あの人間もまた労働者であるからだ)
「そんな、悪魔王様、自分も労働者なのに、あの人間は別の労働者に対してあんなにも不誠実を行えるのですかにゃ」
(これもまた信仰の恐ろしさだ崇拝子。自分もそうであるから他人もそうであるという思い込みが人を差別へと誘導するのだ。「生まれによって差別されるのが当たり前という文化の中で育った人間が、世界中の人間を生まれによって差別するのが正しいとする」のと同じで、あの人間はきっと普段から納得のいかない仕事を漫然とこなし、給与を得る為に仕方なくという姿勢で労働に勤しんでいるのであろう。そうして自分も我慢して仕事をしているのだから、他人もまた我慢して仕事をしているべきだと思っているのだ)
「だ、誰も幸せにならない歪んだ思想ですにゃー」
(そうだ。自分が最下層の人間ではない為の根拠として、より下の人間を作り出し、事実と異なる思い込みの中で生きていても何も好転しない。「自分は普段は労働者だが、今は客であり、ここにいる労働者より上の存在だ」なぞという思い込みは自分だって幸せにできないのに、いつまでもそれを繰り返すのだからいっそ哀れである。だがようやく、あの人間の魂の輪郭を把握できたな崇拝子)
「魂の輪郭ですにゃ?」
(我々は人の願いを叶え、その対価として魂を得る。その魂を悪魔力というエネルギーに変換して生きている。したがって、どのような魂を得るかは非常に重要だ。願いを叶えた際の魂の純度に影響するから、どのように願いを叶えるかも重要だ。お前はそのへんが弱いからいかんのだ)
「ごめんなさいですにゃー」
(あの人間は何も、ゴミを自由自在に捨てられる環境が欲しい訳ではなく、神としてちやほやされたい訳でもない、なんと、億万長者になりたいとさえ願ってはいない)
「神としてちやほやされたい訳でもないのに、神のようにふるまうのですにゃ!?」
(ふははは。信じられぬか? ならばあの人間をもう少し観察してみよう。観察し、きっちり理解すれば信じるも信じないもない。「それが現実」だ)
時刻は夕暮れ。はたからみれば、視線を頭の上に移したりオバサンを見つめてぶつぶつ喋ったりしている挙動不審な女の子がコンビニに入っていきます。
言葉の内容まではわからないものの、その様子は店内からもはっきり見えていて、レジカウンターで接客体制をとって待機していた男性店員は少々「怖いな」と思っていましたが、その緑の髪の女の子が店に入店するや「いらっしゃいませー!」と、元気な声で挨拶しました。このお店の店員はよく教育が行き届いているようです。
悪魔王様が仮称としてバッハと名付けられた女性は、ちょうどレジカウンターで何かを注文しようとしています。崇拝子ちゃんは困りました。近づきすぎればバッハに気づかれるかもしれないし、遠すぎては観察に支障が出るからです。
(今回はお前の教育であるから、必要な分の悪魔力は我が用意しよう。…ぬうん! 悪魔時空!!)
悪魔王様がそのお声を発すると、人物やその周囲の物だけはそのままに、風景がとたんに暗転しました。
「悪魔王様!? これは」
(お前もアニメ等で見た事が無いか? 実際の動作としては一瞬であるのに、登場人物の思考や台詞内容が異様に長いと感じた事が。そしてそういう時に限ってよく使われる演出として、背景が真っ黒になったり、集中線が過剰だったり、動きがスローモーションになったり、軽く分身したりするのを見た事がないか)
「めちゃめちゃありますにゃ」
(悪魔時空はそれを可能とする権能である。我が限定したこの空間においては、あのバッハめと店員の声を聞き逃す事は無いし視界もクリアになる。悪魔の力は万能だ)
悪魔王様のお力により、万難排し、バッハの観察に集中できるようになった崇拝子ちゃん。この後とんでもない風景を目撃します。
バッハは店員に、こう注文しました。
「ホットレギュラー」
これに対し店員は答えました。
「ホットコーヒーのレギュラーサイズでよろしいですね」
そういってカップを用意し、カウンターに置きます。昨今ではエスプレッソマシンを導入したコンビニ店が増え、缶コーヒーよりも割安感を演出する販売方式をよく目にするようになりました。読者様におかれましても、一度くらいは購入した事があるのではないでしょうか。
悪魔王様は缶コーヒーと予想しましたが、バッハはエスプレッソコーヒーを注文してしまいました。おしいですね。しかしさすがは悪魔王様です。その予想は殆ど当たっていました。
バッハはカップを受け取るとお金を払わずにエスプレッソマシンまで持っていき、なれた手つきでカップを設置、ボタンを押すと抽出が始まりました。この店のマシンは約40秒で一杯分のコーヒーを用意できるようです。
そうするとバッハはレジに戻り、タバコを注文します。「こちらで宜しいでしょうか」と店員が取り出したタバコをひったくるように手に取り、ようやくお金を払い、レシートは受け取らずにマシンに戻ってコーヒーを取り出します。
(…ほう。崇拝子。レジカウンターの端にある、あのエスプレッソマシンに記載のメニューを読み上げてみろ)
「ホットコーヒーレギュラー。ホットコーヒーラージ。あと、ホットカフェラテのレギュラーとラージ。それぞれアイスでも販売してるみたいですにゃ。あとココアとか抹茶ラテとか、これはサイズ表記がなくて、…は!?」
(気づいたか崇拝子。そう、ホットレギュラーではコーヒーなのかカフェラテなのか判断が出来ん。こうなれば店員は客に注文の確認を取らねばならん。今のようにな。恐らくあのバッハはこの店の常連で、幾度となく同様の注文を繰り返しているのだろう。あの店員の、バッハが入店した時からの迷惑そうな表情が物語っている。だがそうなるとおかしいな。ホットレギュラーという注文の仕方では店員が確認を取らねばならなくなるのだから、その分だけ時間を使う。だがコーヒーの抽出中にレジに戻ってタバコを注文して会計を済ませた所作を見るに、無駄な時間を嫌う、あるいは効率的に物事をこなす事をカッコいいと思っている節がある。だがバッハはわざわざ無駄な時間を使って買い物を行った。明確な矛盾だ。少なくとも合理的ではない。常連客を気取って注文を略したのだとしてもやはりおかしい。常連客ならばなおの事、明確でない注文をしては店員が確認を取る時間が発生する事を知っていなければおかしい。見ろ、あの汚い笑顔を。おかしい事だらけだが、あの者はあれで満足しているようだぞ)
「うむむむむむ。きっとあの人間は、常連として扱われたいのではないですかにゃ。店員としてはいい迷惑だけど、大した買い物をする訳でもないけど、人に好かれる振る舞いをする訳でもないけど、誰かの模範になるような訳でもないけど、面倒な注文の仕方をしても許されるし、金を払わないままコーヒーを入れ始めても後で金を払うと店員に分かってもらえているし、店員が商品を用意して確認を求めてきても応じなくてもいいし、他のちゃんとした買い物をしている客の前でそれをすれば『どうよ、俺、うらやましいだろ』とほくそ笑んで良い気持ちになれる、そういうラインの常連客として扱われる事に喜びを見出している、のではないですかにゃ?」
(珍しく今日は冴えているな崇拝子。その調子をなぜ普段からだせんのだ)
どうやら悪王様は満足されたようです。
(その通り、暗黙の了解とはいえ、文化として定着した「注文を発し、それにこたえてもらう」というのは文明社会を生きる存在の最低限の良識である。それが出来ないのは原始社会以前まで教育レベルが退行していると言わざるを得ない。子供でさえ、お菓子をカウンターに置いて「これ下さい」くらいは言えるであろう。「これ下さい」の文言が不要なものではあっても、コミュニケーションが大切だと本能で理解しているのだ。大人がこれを出来ないというのは非常に恥ずかしい事だ。ましてや、金を払わずに商品を持って行っていいと思うなぞ言語道断であるし、後で金を払えばいいのだろうなぞと言うのなら非常に暴力的だ。店員に理解されているのではなく、店員に「この客はとにかく面倒だからもう刺激しないように適当に扱って素早く退散していただこう」と思われている事にすら気づかないのではもう処置のしようがない。ああすまん、少し話が脱線したな。さて崇拝子。お前が先程言った内容を、もう少し短くまとめよう。実はな、あのバッハのような人間は昨今の日本ではさして珍しいものではないのだ)
「ええ!? あんなのがもっといるんですにゃ!」
(あの者は、とどのつまり、ようするに「他人に存在を肯定されたい」のだ)
なるほど、他人に存在を肯定されたい人間だったのですね。
「…ごめんなさいですにゃ。ちょっと意味が分かんないですにゃ」
崇拝子ちゃんには少し難しいお話だったようです。
(現代日本人の大多数は自己肯定感が非常に低い。その自己肯定感の低さから、ますます他人とのコミュニケーションが取れなくなり、一人でいる時間が増え、誰にも相談できない時間が常態化してネガティブな状態が平常となる。すると、人間の「群れで生きる本能」が働きかけ、どうにかして他者と関わろうとする。だが、この人間は他者とどう関われば円満なコミュニケーションがとれるのか、経験が無いゆえに分らないのだ)
「え? 普通にしてればいいのではないですにゃ?」
(その「普通のコミュニケーションを取った経験がないから分らん」のだよ。子供の頃に喧嘩をした経験や、大人にきちんとしかられた経験を持つ者は、その経験から「どうすると人を怒らせるのか」という事や「人を怒らせると面倒だ」という知見を得るが、そうでない人間は十代の終わりと共に、その貴重な経験を得る機会をほぼ永久に失う)
「どうしてですにゃ?」
(それはさっきまでのバッハと店員のやり取りを見れば分かるであろう。どんなに失礼な客だったとしても店員は基本的に「そんな事は無視して手早く業務を遂行する」し、「そんな変な人間と深く関わろうとしない」のだからな。社会に出ると、パワーハラスメントやモラルハラスメントの被害率が上昇するが「正当に人に怒られる機会は失われる」のだ。つまり、円滑なコミュニケーションを取るにあたって必要な「他者の心理をおもんぱかる経験」が不足する。だから「たやすく人に迷惑をかけられる」のだ。しかも、どれだけ人に迷惑をかけても文句を言われる事は稀だ。すると奴らは「これはやっても許される事だ」と認識する。満員電車の中で、音漏れしまくりで音楽を聴くようなやからが分かりやすいかな。だが実際には「ただ無視されている」だけなのだから、コミュニケーションを取ろうとする最初の目的はいつまでも達成されない。そこで行動がエスカレートする。後はその繰り返しだ。他者に関わろうとすればするほどに、より強固に無視されるようになるのだから、いつまでも状況は好転しない)
「ほわあ。悪魔王様はものしりですにゃー。あれ? でもでも悪魔王様。それだと店員にはどんどん嫌われていきますし、実際にあの店員は凄い迷惑そうな顔でバッハを見ていましたにゃ。さすがにバッハも自分が迷惑だって気づくのではないですかにゃ?」
(素晴らしい気づきだ崇拝子。ではあのバッハの立ち去る姿をよく見るがいい)
「…凄く気持ち悪い顔でにやけてますにゃ」
(あれが認知が歪んだ人間の最終フェーズだ。他者に嫌われるのが平時である奴にとっては「嫌われる」は「肯定と同義」なのだ。そもそも普段から人に無視されているのだから「嫌われるという形でも明確に認識される」事は喜ばしい事なのだよ)
「…悪魔王様。あちきたちはどうすれば、あのバッハみたいな人間と、その周囲の人を幸せに出来るのですかにゃ?」
(残念だが崇拝子。それはできない)
「できないのですにゃ!?」
そうなのですか!?
(すでに会話の途中で不覚にも言ってしまったのでもう答えを言うが、あの者は他者に肯定されたいと願っている。だがあの者は、その手段として他者に迷惑をかける事を選び取った。実際には無視されているだけだが、他者に迷惑行為を許容されていると誤解したまま行動し、学習する気持ちも反省する気持ちもない。その上、他者に気持ち悪いと思われていてもむしろそれが喜びとなれば、あの者の幸福は嫌われまくった先にしかない)
「嫌われまくった先にしか幸福がないのですにゃ!?」
(そうなると、最終的には嫌われまくったあげくに誰かに殺されたり、騙されたり、友人を失い、孤独に死を迎えるような未来しか用意できない。さらに言えば、あの者は表層の意識では神の万能感を得ているのだから、悪魔たる我らが出ていっても聞く耳を持つまい。そして…)
「…そして……」
崇拝子ちゃんは唾を飲み込みました。ごくり。
(そもそもこの授業の趣旨を覚えているか崇拝子。これは人間の魂の輪郭の、把握の仕方を教えるのが目的だ。あの者の魂はすでに矯正が不可能な程に歪み、淀んでいる。これを契約で手に入れても、我らにはメリットがない。故に、悪魔としては契約する事ができない)
「あの人間の魂は、得るメリットがないのですにゃ!?」
(今回は良い勉強になったな。この調子で人間観察に励み、より良い魂の把握に注力せよ。その繰り返しの中で、お前の眼力は鍛えられ、人の選別にも反映されるだろう)
「わかりましたにゃー!」
崇拝子ちゃんが元気よく返事をすると、悪魔王様は悪魔時空を解除しました。風景はいつも見ている通りに戻り、店内放送の音楽が聞こえるようになります。
(ああ、そうだ、言い忘れた)
「にゃ?」
(なお、あのバッハめに関する全ての考察は、その行動を観察し、得られた可能性に合理的な推論を当てはめたものである。もちろん、それらが外れている可能性もある。だが、もし外れたのだとしたら「それは、これほどの言葉を尽くして考察しても理解できない存在」という事だ。そのような理解不能な人間に対して、うかつに願いを叶えますなぞと言ってはならん。大体の場合で失敗するからだ。それを踏まえて、今後も人間観察に励むのだぞ。崇拝子)
「わかりましたにゃ」
崇拝子ちゃんはコンビニ入ったついでに買い物をしようと店内をまわりはじめました。
この後、コンビニ強盗が押し入り、刃物を使って店員を脅し、なんやかんやで犯人の身の上話が始まって、事件の解決に崇拝子ちゃんが関わるのですが、それはまた別のお話。