辺境の大聖女
町の大通りを馬車が進み出す。
病から解放されただけで無く体中の痛みから解放された老人と、周囲の人たちからの感謝の中、ガルスシルドに支えられるように馬車に戻ったリディアは、久々に聖女の力を使ったせいもあって、そのまま眠ってしまった。
涙の跡がのこる顔を、揺れる馬車の中でガルスシルドは持っていたハンカチで優しく拭く。
「エリック様の話は大げさだと思っていましたが、むしろそれ以上だとは」
気持ちよさそうに眠るリディアの顔は、年齢よりも若く見えて、まるで童女のようにも思える。
ガルスシルドは自らの上着を脱ぐと、そっと目を覚まさせないように注意しながら、眠るリディアの上に掛ける。
御者にはなるべくゆっくりと走るように命じてある。
そして最初は付いてこようとしていた領民たちにも、彼女の眠りを妨げないでくれと頭を下げた。
領主の騎士であるガルスシルドのことは領民なら誰もが知っていた。
その強さも気高さも誠実さも優しさも。
だから領民たちは、そんな彼の頭を下げてまでの頼みごとを無下にすることは無かった。
馬車の車輪が石畳を走る音だけが響く。
静かなのはガルスシルドが頼み込んだおかげだけでは無い。
彼の頼みを聞いていた民は既に遙か後方に去っている。
街に活気が無いのも、音が少ないのも全てこの領地が今死にかけているからだ。
そう死にかけている。
「リディア様にはお伝えしておかねば不義理というもの……か」
馬車のカーテンの隙間から外を見て、馬車の現在地を確認する。
そうやらあと少しで領主の館に到着するようだ。
遮る通行者も馬車もほとんど居ない大通り。
人が歩くようなゆっくりとした速度でも何の遅延も無く着いてしまう。
ガルスシルドは一つ大きく息を吸い込んで吐き出すと、その鍛錬を続け強靱になった腕を伸ばした。
そしてその腕からは想像も出来ないほど優しく、壊れ物を扱うように眠っているリディアの肩を揺らす。
「……リディア様」
「――ん、んーん。あれ? 私、眠ってましたか?」
「聖女の力をお使いになったので疲れが出たのでしょう。本当ならもう少しお休みしていただきたかったのですが」
ガルスシルドは馬車の前方を指さし「もうすぐお屋敷に到着いたしますので」と告げ、先ほどとは別の真新しいハンカチと手鏡をリディアに差し出す。
「どうぞ」
「えっ……あっ、私泣いて……」
自分が意識を失う前に涙で顔をぐちゃぐちゃにしていたことを思い出したのだろう。
リディアは一瞬で顔を真っ赤にするとガルスシルドへ「私、自分の物がありますので」と断りを入れた。
「そうですか。余計なことをしてしまいました」
「い、いえ。そんなことは」
そして暫く。
リディアが化粧直しを終えるまでの間、馬車の中に写真の音だけが響く。
そしてリディアはかつて自分が救った、今は領主となったかつて救った青年に再会し、結ばれた。
自分を見出してくれた大聖女様の言いつけを守り、愛する人と愛する場所のためだけに聖女の力を開放したリディア。
彼女の力と若き領主の力で辺境領はかつてない繁栄の時を迎えた。
一方、真なる大聖女を偽物と断罪し追放した王国は衰退の一途をたどり――
横暴な王国から独立した辺境領が新たに建国したリシディス王国によって、やがて吸収されてしまうのだった。
だが、元王国の民はそれによって救われたのである。
かつて、偽聖女と呼ばれた少女は『辺境の大聖女』となり、幸せに暮らしたと言い伝えられている。