辺境領へ
十日後。
リディアは馬車の中にいた。
ガルスシルドが来た翌日。
リディアはお世話になった宿の主人とその家族に事の次第を話した。
宿の主人は悪名を気にせず笑い飛ばして彼女を雇ってくれ。
それどころか彼女のことを悪し様に言う客は怒鳴って追い返してくれるほど大切にしていた。
なのに突然止めて辺境へ向かうと告げた彼女のことを彼は責めず。
それどころか「何を謝ることがあるのか」と共に彼女の門出を喜んでくれたのだ。
「主人。これは我が主から預かった迷惑料だ。受け取って欲しい」
約束の日。
訪れたガルスシルドは迷惑料だと言って金貨袋を差し出した。
だが、主人は「この子の嫁入りに使ってくれ」とまで言って受け取らなかった。
「いつか……いつか必ずこのご恩はお返しいたします」
「はっ、俺がお前を雇ったのは恩を売るためじゃねぇよ。気にすんな」
「めでたい門出だってのに泣くんじゃ無いよ」
「お姉ちゃん、またね」
宿の主人一家と別れ、リディアはガルスシルドの用意した馬車に乗り込む。
シードル辺境伯領までは片道で六日ほどの旅となる。
途中、数カ所の町を経由していくのだが、進めば進むほど活気の無い町が増えていく。
それもそのはずで、リディアがこれから目指すシードル辺境伯領は、現在度重なる不作が続いていた。
さらにシードル伯爵の急死による混乱。。
しかも王国はそんな領地であるにもかかわらず減税や税の免除などは一切認めなかった。
隣国との国境に接した防衛の要だったシードル辺境伯領。
かつてこの地は王国の重要拠点の一つで何度も侵攻を防いできた恩を忘れて。
「大噴火……ですか? 私が生まれる少し前のことですよね」
シードル辺境伯領に入って二つ目の町の宿屋。
リディアはガルスシルドから領地の現状について話を聞かされていた。
「はい。その大噴火によって長年隣国が幾度も攻め込んできた進軍路が、砦の向こうから先が全て溶岩に覆い尽くされたのです」
未だ熱を発する溶岩流。
その存在が、奇しくもこの辺境領への隣国からの軍事侵攻という脅威を無くした。
だけど、その代わり待っていたのは火山灰による土地の汚染。
そして王国からの優遇措置の撤廃であった。
隣国と接し、防衛の要であったからこそ国は辺境伯領をないがしろにするわけにはいかなかった。
だがその心配が無くなった途端に恩知らずにも手のひらを返したのだ。
それまで派遣されていた聖女も別の地へ去り、そこからはまさに辺境伯領にとっては冬の時代が訪れた。
噴火の被害がなるべく少ない土地を探しては開墾し食料を作る。
それで領民全てを賄えるわけも無く、民はどんどんこの地を捨てて別の土地へ移るしか無く。
それでも必至に辺境伯は武器をクワに持ち替え、自ら先陣を切って働いた。
だが――
「心身共に疲れ果てていたのでしょう。三年前、突然伯爵様は執務の最中に倒れてそのまま……」
回復の力が使える聖女がこの地にいたのなら、もしかしたら助かったのかも知れない。
だけど、その聖女は既にこの地を見限り別の地へ去ってしまった後で。
医者も必死になって辺境伯の意識を取り戻そうとしたが、結局そのまま意識も戻らず辺境伯は亡くなったという。
長年この国を守り続けた男の最後に、王国は弔辞を送って来ただけだった。
しかし突然のことに様々な引き継ぎや職務を行わねばならなかった跡継ぎのエリックは、そんなことに憤っている暇すら無く。
当時二十歳になったばかりの彼は、それでも生前から辺境伯を手伝っていたおかげでなんとか領地の混乱を最小限に留めることに成功した。
そんな彼がやっと一息ついたのは今年になってからであった。
「そんな時でした。王都からリディア様の噂話がシードル領に届いたのです」
「良い噂……な訳はないでしょうね」
「……私の口からはなんとも言えません。ですが、その話を聞いたエリック様はすぐに行動を起されました」
噂の真相を確かめるために王都の知人や商人たちから話を聞き出し、リディアの居場所を突き止めた彼は、自分が一番信頼を置いている騎士であるガルスシルドに全てを託して送り出した。
そしてガルスシルドはその主の期待を裏切ることなくリディアをシードル領まで連れてくることが出来たのである。
「明日、領都ファシードルへ昼過ぎに到着する予定です。そしてそのまま我が主であるエリック様が待つ館へ向かいます」
「なんだか緊張してきました」
「そうでしょうな。ですが今日はちゃんとお休みになってください。明日目の下にクマを作ってエリック様に会いたくないのなら」
旅の間にガルスシルドとリディアの仲も随分打ち解けたようで。
そう言って笑い合ってからガルスシルドはリディアを部屋に送り届けたのだった。