夢
辺境領の領主であるエリック=シードルからの求婚に戸惑うリディア。
シードル辺境領もエリックという名も彼女は知らなかった。
だと言うのに相手は自分のことを何年も前から知っていて、思いを募らせていたというのだ。
「それってどういう……」
「おっと、これ以上はエリック様に叱責されてしまいますのでご勘弁願いたい」
男は少し空気を緩まそうとしたのかふざけた風を装ってそう言ったあとに真面目な表情になって言った。
「しかし信じてもらいたい。決して我が主は貴方様が聖女の力を持っているから結婚を申し込んだ訳ではないのです」
「……少し、考えさせていただけますか?」
「もちろん、今すぐに結論を出してシードル辺境領へ向かってくれとは言いません」
男はそう言って席を立つと期限を告げる。
「私はしばらく王都で雑事を熟さなければなりません。ですので十日後、また伺わさせていただきますのでその時に結論をお聞かせ頂きますようお願いいたします」
「十日後ですか」
「我が主の長年の思いをどうか受け取って頂きたい。色よい返事を期待しております」
男はそう告げると宿のスイングドアを開き外に出ようとした。
そしてそこで立ち止まると振り返り最後に自らの名を名乗る。
「申し遅れましたが、私の名はガルスシルド。シードル辺境伯領で主君、エリック様の筆頭騎士をしております。以後お見知りおきを」
ガルスシルドと名乗った男はそれだけ口にすると、そのままスイングドアの向こうに姿を消した。
暫くして馬の嘶きと蹄の音が鳴り、遠ざかっていく。
「私が……結婚……」
もちろんリディアも夢見た事はある。
いつか優しい誰かと出会い恋に落ち、そして幸せな家庭を築く夢を。
物心着く前に両親を亡くし、孤児院で育った彼女が一度も経験できなかったその夢を叶えたい。
そんな思いは聖女候補となった後も心の底でくすぶっていた。
だが大聖女になれず。
それどころか一部では先代の大聖女を騙して大聖女になろうとした悪女という噂まで広められ。
彼女はその夢を諦めることにした。
「私なんかが貴族様の元へ嫁ぐなんて……許されることなのかな」
リディアは両手を胸の前で組むと目を閉じ祈った。
きっと天で見守ってくれている先代の大聖女イリアーナへ向けて。
「教えてくださいイリアーナ様……私はどうすれば良いのでしょう」
暫くそうして祈りを捧げていたリディアだったが、やがてゆっくりと目を開いた。
そしてテーブルの上のガルスシルドが届けてくれたエリックからの手紙を彼女は愛おしそうにその手に取る。
「そうですね。決めるのは私自身。何時までもイリアーナ様に頼っていてはいけない」
決意を込めた瞳でそうリディアは呟くと自らがあてがわれた部屋に向かって足を進めるのだった。