1-9 ミクル(2024.9.14修正)
王の客人の羞恥を晒すわけにはいかず、ラックの件を知る数名の者には箝口令が敷かれた。
だが、また同じ事になっては次は族間問題になるかもしれない。ラックはカムイの監視下におかれる事になり、レイクはカムイの母である女王の側使えとして王室で生活するようになった。
兄の失態に2週間かけて過食で太った身体は、2度目のショックにより1週間で元の体型になった。可哀想にと女王と他の側使えのお姉様達に大層可愛がられ、レイクも気持ちが落ち着いてきているらしい。
ラックは元々、白族と地族の合同研究を中心に滞在していたらしく。そちらに専念するよう指示を受けたそうで、塾は残念ながら閉鎖となった。
生徒全員、就職先は決定してはいたが。先生の中身はともかく、とても良い塾だったので寂しい気持ちになる。
過去を振り返っていても仕方ない。とにかく先に進まなくては。
新品の兵士の制服に袖を通し気合いを入れた。今日から新たな場所で頑張ろう。
ーーー
30歳になった私は、目まぐるしい日々を過ごしていた。
仕事は順調でやり甲斐もあり。若いが優秀とされ隊長補佐にまで上り詰めた時は、もっと上を目指してやると息巻いていた。私は求められている人材なのだから、評価されて当然だ。
私生活では同僚と結婚し、人生を謳歌していると自信をもって言える。
だけど、旦那より出世した辺りから家庭の雰囲気が悪くなったと感じる。避けられているというより、憎まれているというか。
その日。無断欠勤をしていると、夫の所属する隊から連絡があり急いで自宅に駆けつけると。夫は部屋で大量の酒に溺れていた。
私に気がつくと、から笑いをする。他の同僚から女に飼われていると揶揄され、避けられているそうだ。あんな所、やっていけるかと愚痴る。
赤い顔をして、憎しみの籠った目で私を貫いてくる夫。いつから変わってしまったのだろう。
私が文句を言ってやると言うと、余計惨めな思いをさせるのかと手にしていた瓶を投げつけられた。私が悪いのか?言葉に詰まっていると、彼はフラフラと家を出て行った。投げつけられた瓶が床に転がる。
もしかしたら、頭を冷やして戻ってくるかもしれない。部屋の掃除をして、温かいスープを作って待つが。いつまで経っても帰って来ない。このまま家に居ても気が休まらないから、少し外の空気を吸いに出よう。
家を出れば、外はもう陽が落ちていた。隊長補佐になったからと、直ぐに駆けつけられるようにと夫と2人で借りた城下町の部屋。彼は私の出世を喜び応援してくれていた筈なのに、どうしてこうなった。
悲しみより、怒りが渦巻く。私より弱いなら、弱いなりに尽くすか出世すれば良いのに。酒に溺れるとは、なんと情けない男だ。自分の見る目の無さに落胆する。
冷めたスープは捨てよう。ついでに夫も。私の生活を邪魔するだけなら、必要ない。
頭の中でこれからを整理しながら歩いていると、ワッフル屋の前で立ち食いする白いポツンとした存在が目に入る。レイクだ。
この色では目立つからと、いつも食事を買いに出るのは陽が落ちてから。周囲の視線をいつも気にする彼女は、今は目の前のクレープに夢中のようだ。
パリパリの生地にたっぷりクリーム、溶けたチョコレートが相まって最高だ!そんな顔をして、幸せそうな顔で頬張る姿は最初に会った時と何も変わらない。
レイクを見ていると、私の結婚式の出来事を思い出す。指輪交換の立会人をお願いすると、驚きつつも喜んでと笑った顔。
大勢の人々の前に立つのは緊張すると言っていたけれど。私の花嫁姿に綺麗だと、これからもっと沢山幸せになってねと笑う顔が忘れられない。幸せだった。白い妖精のような彼女に祝福してもらえて嬉しかった。
そう、私は幸せだった。でも何がいけなかったのだろう。やるせない気持ちより、怒りを感じる。握りしめた拳をどこかに叩きつけたい気分だ。
いや、それだと私の評価が下がる。気持ちを落ち着けようと路地裏の壁にもたれかかり、しゃがみ込む。
「ミクルちゃんどこか痛いの?泣いてるよ。」
苦しさに耐えていたら、小さな暖かさが頬を包む感触で現実に引き戻される。レイクが私の頬を両手で包んでくれていた。
「泣いてないよ。」
「うそ。痛いって泣いてるよ。」
私を心配する彼女の綺麗な瞳は変わらない。変わったのは、そこに映る私だ。
「あっ!待ってミクルちゃん!」
耐えられなくなり、その手を振り切って走り出す。後ろから聞こえる声に振り向けなかった。
ーーー
やはり大人気無かったと、レイクに会って謝罪しようと思えたのは3日後だった。
研究室にいるはずだから休憩時間に少し顔を出そうと寄ると、昨日から暫く休みだと言われる。
何か知っているかとラックを探して城内の一般地区を歩いていると、ブーゲンビリアの花束を抱えて歩いているのを見つけた。この男も昔から見た目が全く変わりない。外面だけは良い。
「ラック先生。」
「ミクル。久しぶりだな。」
「レイクに会おうと思ったんですが、休みと聞きまして。体調崩されたんですか?」
「そうか、残念だけど暫くは会えない。2日前から成長してきているんだ。」
白族は一生の内、何度かに分けて身体が成長するらしい。凄まじく体力を消費する為、最低1か月は絶対安静だそうだ。我々含め他の部族は年齢と共に少しずつ成長するので、随分と変わった部族だと思う。
「俺が側に居たいが、女王が看ているから仕事をするよう言われているんだ。」
悲しむラックだが、女王の判断は正しい。この男は何を仕出かすかわかったもんじゃない。
「次にレイクに会った時は地族でいうなら20歳前後位の姿になっていると思う。また仲良くしてやってくれ。」
面会の時間は限られているからと去っていくラックに、かける言葉が見つからなかった。誰からも大切にされているレイクに対し、嫉妬と怒りの感情が混ざるのを感じる。
この気持ちは、どこにぶつければ良い?
ーーー
成長が終わったレイクに会えたのは、2ヶ月後だった。彼女を見た時、私はあまりの美しさに言葉を失う。ちいさな妖精が、大人の妖精になった。
真っ直ぐ腰まで伸びる艶やかな乳白色の髪、陶器のような白い肌、パッチリした目に宝石のようなアクアマリンの瞳。精巧な人形のようだ。
ラックに手を取られ歩く姿は一つの絵画のようだ。初めて見る、本物の美。触れたら壊れてしまいそうな程に、危ういような。壊してしまいたくなる衝動に駆られる。
「ミクルちゃん!会いたかった。」
声は鈴の音のように心に響く。私は今、何を考えていたのだろう。
「お…お久しぶりです。」
「何で畏っているの?ねえ。これだけ身長が伸びたから、ミクルちゃんの顔が近くなったよ。嬉しいな。」
彼女の無邪気に喜ぶ姿に、胸がモヤモヤしてくる。苦しさに肺が圧迫されそうだ。
「ミクルちゃん疲れた顔してるよ。ちゃんと休んでる?」
手を触られそうになって、思わず身を引く。謝罪しようと思っていたのに、この怒りは抑えられそうにもない。
「何でもありません……仕事がありますので、失礼します。」
この暗くモヤモヤした怒りの感情が私を支配しはじめていく。何故かわからないが、自分で自分を押さえられそうにない。耐えられない。苦しい。……苦しみの中に、綺麗な白い妖精が頭を過ぎる。レイクを思うと苦しくて堪らない。
必死に感情を抑えながら家に帰ると、旦那と呼ぶべきか今はわからなくなった人が荷物を纏めていた。除隊したから婚姻も破棄すると書類を投げられる。これで話すのも最後になるかもしれない。私は彼に感情をぶつける。
「私は仕事も家庭も守っていた。何が気に入らない!?」
彼は一言重い口調で言い放ち、家を出て行った。
『お前がレイクみたいに守りたい存在だったら、良かった。』
私の中の何かが黒く吹き出した。もう、止められない。