館にて1
「話に聞いていたけれど、本当に不思議な館ね」
感心するのは、只今絶賛渦中の人の、元聖女アリア。
ソファにちょこんと座り、きょろきょろと視線を巡らせる。
白い空間に、壁らしきものは無い。かといって、どこまでも広い感じもしない。
解放的でもなく、閉鎖的でもなく、境界が曖昧な感じが落ち着くような、落ち着かないような。
良く分からない感じに考えるのをやめて、アリアは館の主であり、師匠と崇める男を眺めた。
視線の先には、ゆったりとした服を纏った背の高い美丈夫が、優美に手を動かして作業をしている。
左手でゆるりと何もない空間を撫でると、そこが黒く変わった。
右掌から四角い箱を生み出し、無造作に黒い空間に放り込む。
あっという間に箱を4つ、黒い空間に収納すると、男はゆっくりと振り返った。
床に届く程に長い黒髪が、さらりと揺れる。
白い肌に怜悧な美貌。黄金色に輝く瞳が、冴え冴えとした光を湛えてアリアを捉える。
この世ならざる者の気配を濃厚に醸し出す男は、その顔に表情を乗せることなく口を開いた。
「部屋を4つ作った。お前の方はどうだ」
艶のある低音ボイスが部屋の空気を震わせる。
アリアは男の質問に、こてりと首を傾げた。
「えっと、転移陣を止めたまま、4つに分けたよ。でも、転移先の指定が分からないから書き換えはしていない」
アリアの答えに、男は鷹揚に頷いた。
「ならば、良い。書き換えはこちらで行う。どちらにせよ、一人ずつエンドポイントを指定しなければ事故はおこるだろうしな」
ふぅと物憂げな溜息を吐いて、男はアリアに手を差し出した。
アリアは男に金色の光の束を差し出す。
男はそれを受け取ると、無造作に箱の中に突っ込んだ。
◇◇◇
数千人もの人の転移先をこの館に設定したから、受け入れよろしくと、突然アリアがやってきた。
この女は、相変わらず無茶苦茶で面白い。
構わぬが、そんな大雑把な指定では、転移先で何が起こるか分からんが良いのかと聞いてやれば、不思議そうに首を傾げる。
面白いから、可能性の幾つかを挙げてやれば、それはダメだと頭を抱えて唸りだした。
その大袈裟な反応が、また興をそそる。
しかし、アリアは勘が良い。
転移術式を起動させつつも、途中で止めて、俺の下にやってきた。
そのまま躊躇いもなく、術式を最後まで完了させていたら・・・随分と面白いものが見られたやも知れぬ。
俺は、アリアに告げた『可能性』を思い描く。
曰く、同一座標に飛ばされた者が融合し、キメラになる。
曰く、融合に失敗し、爆発が起こる。
曰く、一方もしくは双方が弾かれ、測定不能な場所に飛ばされる。
他にも色々あるだろうが、可能性が高いのはこの辺りだ。
事象しか知らぬ者が「やらかし」を回避しただけでも称賛すべきかもしれない。
俺は目を細めて、困ったように師匠と呼んでくるアリアを眺めた。
この世から、原理を知り、理を導く者は絶えて久しい。
教える者が怠慢だったのか、学ぶ者の理解が及ばなかったのか。
どちらにしろ、事象だけが残った。
多くの者にとって、結果が望むものであれば理屈を問うことはない。
そうして、魔法は術式という枷を嵌められ、道具となった。
まぁ、下手に原理に触れると世界が壊れることもある。かつて賢者と呼ばれた者達は、蒙昧な者共に危機感を覚え、理への道を閉ざしたのかもしれない。
さて、この事態をどう治めたものか。
元の場所に戻させるのが手間がかからないかと考えつつ、眉尻を下げるアリアを見て、目を見張った。
・・・紐が外れている!
国を統べるシステムの紐付きだったアリアから、その紐が消えていた。
かなり強固なシステムで、アレから逃れるのは無理だろうと踏んでいたのだが、一体何をどうしたのか。
俄然興味が湧いてきて、口角が自然と上がった。
「仕方がない。面倒だが受け入れられるように整えてやる。お前は転移の束を・・・4等分に分けろ」
これから行うことを、簡単にアリアに説明する。
多層空間にワークスペースを作り、その中に生成したオブジェクトを配置して部屋を作り、そこを転移先に指定する。
やってみるかと振ってみるが、全力で辞退された。
全く理解が及ばないらしい。それもそうか。
面倒な部分はシステム化してあるから、そんなに大変な作業でもないのだが。
さらっと場所を作り、アリアから渡された転移陣のエンドポイントを機械的に振っていく。
「これが『部屋』?」
不思議そうに作業を眺めるアリアに、俺は頷いた。
「エンドポイントは1メートル以上離してセットした。部屋毎に転移を完了させれば、接触事故も起きないだろう」
俺の言葉に、アリアは破顔した。
「じゃ、繋げるね!」
元気よく宣言すると、止めていた転移陣に魔力を流し、転移先へと道を繋ぐ。
すると、出口となる部屋に次々と人が現れた。
「大丈夫だ。今のところ問題ない。ただ、急激にリソースが消費されたから、安定するまで時間を置いた方が良いだろう。その間に通信環境でも作っておくか」
部屋の様子をモニターしていたが、問題となるような現象は起こっていない。
アリアはほっとしたように息を吐いていた。
「ありがとう。やっぱり師匠は凄い!」
素直な賛辞に、俺は片眉を上げた。
「これしきの事、何ということもない。かつて真面目に魔王をしていた時を思えばな」
「そういえば、師匠って、魔王様だったんだよね」
「遥か昔に、そんなこともしていた程度だ」
物憂げに答え、アリアの横に座るとティーセットを乗せたローテーブルを出した。
アリアに勧めつつ、カップに口をつける。
「お前が元聖女なら、俺は元魔王だな。今更魔王をやるつもりも無いし、適当にのんびりできればそれで良い」
この引きこもり生活には概ね満足している。
自分で動くのは面倒なので、館を全自動化して悠々自適生活だ。
「俺は適当に過ごすし、そちらには干渉しないから、この屋敷は好きに使うといい。ただ、永続契約で呪いのアイテムが集まってくるから、時々浄化してやってくれ。それが屋敷を使う条件といった所だ。・・・さて、そろそろ落ち着いた頃合だ。拉致してきた者共に言うことがあるのだろう?」
にやりと笑みを向けると、アリアはアハハとばつが悪そうに笑った。
俺は箱を配置した空間を指差した。その前に光が集まり、踊るように煌めいている。
「あの光の中に入れば、全ての部屋に声を伝えることができる。特定の部屋と交信して、他の部屋を止めておくこともできる。やってみれば、何となく分かるだろう」
あとは好きにしろと言い残し、ソファに寝転がった。
そんな俺を見て、アリアは嘆息する。
「師匠って凄いけど、ものすごく面倒くさがりだよねー」
ここまでお膳立てしてやったのだ。とやかく言われる筋合いはない。
それはアリアも理解しているのだろう。それ以上ぼやくことなく光に向かった。
「じゃ、良く分からないけど、やってみますか!」
アリアは躊躇なく、光の中に足を踏み入れた。
俺はだらけた姿勢で、一人ティータイムを楽しむことにした。
アリアさん、まさかの術式デバッグ実行疑惑・・・?