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先代聖女(ユーリカ)6

残酷な表現があります。

苦手な方はご注意ください。



「おじさん!」


 ユーリカは血に塗れたザリクを見て悲鳴を上げた。


 急いで癒しの力を使い、魔物との間に結界を張る。

 倒された騎士たちも治癒が間に合ったようで、立ち上がると再び剣を構え直した。

 圧倒的な力の差を見せつけられても、心は折れていない。

 皆、ステインへの怒りに燃えていた。


「・・・嬢ちゃん・・・何故来た・・・」


 戸惑うザリクに、ユーリカはしがみついた。


「おじさんまで居なくなったらやだ!」


 涙声のユーリカの頭を、ザリクは撫でる。

 そうだ。ユーリカを残して死んだら、また彼女を傷つけてしまう。


「悪ぃ、嬢ちゃん。────何としても生きないとなんねぇな」


 力強いザリクの言葉に、ユーリカは顔を上げると強く頷く。

 そんなユーリカを、ステインは驚いた顔で見ていた。


「転移・・・ですか。王しか使えないと思っていましたが・・・弱くても聖女ですね。素晴らしい」


 くつくつと笑うステインに、ユーリカは憎しみの目を向ける。


「さぁ聖女。私の所に来なさい」

「いや」


 端的な拒絶に、ステインが唇を吊り上げる。


「弱いお前など、私に従うしか道はないんだよ。そいつらを殺されたくは無いだろう?」


 ステインの隣で、魔物がまたも咆哮を上げる。

 騎士たちが殺気立つ中、ユーリカは訝しげな顔で、無数の魔物たちを見回した。


「おじさん。この魔物たち、変」


 今まで出会った魔物よりも、遥かに強い怒りと憎しみが感じられるのに、それが表に現れてない。

 無表情の下でもがき苦しんでいるような、痛い感覚を全身で受け、ユーリカは自分の体を無意識に抱きしめた。

 ザリクが苦い顔で答える。


「この魔物たちは、あのクソ野郎が作ったらしい。酷い目に合わせて魔物化させて・・・くそっ!隷属の術を掛けられてあの野郎の言いなりだ」

「酷い・・・」


 聖女となった「あの日」ユーリカは、魔物がどうしたら生まれるのか、本能的に知った。

 痛み、苦しみ、怒り・・・あらゆる負の感情を超えた先の絶望で心が死んだとき、身に巣食う瘴気に食い殺される。だが、あまりにも強い激情が死を超えた時、破壊衝動に狂う魔物として生まれ変わる。

 

 それを人為的に行うなど、どれほどの苦痛を与え、どれほどの瘴気を注いだというのか。

 そして、死して尚縛り付け道具として使役する。なんという醜悪。

 

 自分や両親を嬲ることを楽しんでいたステインたちを思い出す。

 ステインへの怒りが、憎しみが、ユーリカの身の内でどろりと濁っていく。


「あいつの隣にいるのは、人間だったらしい。・・・人までも魔物にするなんて・・・許せねぇ・・・なんでそんなことができるんだよ・・・」


 苦しそうに絞り出すザリクの言葉に、ユーリカは目を見開く。

 巨大で禍々しく、この世のどんな生物にも似つかない魔物と、目が、合った。

 

 様々な感情がユーリカに流れ込んでくる。

 痛み、恐怖、悲しみ、怒り、憎しみ、絶望・・・鮮烈な感情の奥底に、ユーリカは見つけてしまった。

 彼が魔物足りえた記憶。魔物化しても手放せなかった記憶。

 貧しくとも、大切な妹を守り抜くと誓った兄の思い。それを果たせなかった慟哭。

 

 ユーリカの瞳から涙が零れた。


「お前も私と同じなんだね」


 絶望を与えられた男に未だ縛られ、手駒として扱われる彼が悲しい。

 誰よりもその男を引き裂きたいだろうに、男に従うことを強要されて、その身に渦巻く怒りと絶望が、更に彼を魔物として成長させてしまう。


 もう、終わりにしたい。


 ユーリカは一歩を踏み出した。


「嬢ちゃん?」


 ユーリカは振り返らなかった。


「おじさん、ごめんなさい。今まで私を聖女にしてくれてありがとう」


 背中越しに、ザリクに謝罪と感謝を告げる。

 

 ユーリカは気づいた。

 「あの日」両親の心は死に、自分の心は魔物に落ちた。

 それでも、両親は息をしていて、ザリクが気遣ってくれたから、ユーリカは辛うじて聖女をやれた。

 貴族を拒絶したのは、魔物になりたくなかったから。

 魔物になって、ザリクに嫌われたくなかった。

 ザリクを傷つけたくなかった。

 やさしいおじさんは、魔物になった私を討伐することは、きっとできないだろうから。

 

 父が死んで、あとはゆるゆると死ぬだけだと思ってた。

 でも、もう無理。

 もう、心の澱みを抑えることはできない。

 

 どろりとした黒いものが身体を満たしていく。

 

(あぁ、おじさんに魔物になった姿を見られたくないな・・・)


 おじさんには、人であった自分だけを覚えていて欲しい。

 そんな都合の良いことを考えて、自嘲気味に嗤う。

 

 自分が変化していくのを感じながら、ユーリカは魔物に手を差し伸べた。

 まだ、聖女の力を使える内に、彼らを開放しなければ。

 

「聖石。魔物たちの隷属を解呪して」


 ユーリカの言葉に呼応して、魔物たちの下に白い魔方陣が描かれた。

 魔物たちの体に、赤黒い紋章が浮かび上がる。

 それがぐにゃりと歪み、捩じ切れるようにして消えた。

 途端に、怖ろしいほどの咆哮が大気を揺るがし、大地を震わせる。


「な・・・なっ・・・!馬鹿な!こんなこと・・・っ」


 余程自分の術に自信があったのだろう。ステインが唖然とし、取り乱す。

 隷属が消えた今、この中で一番危険なのはステインだ。

 魔物たちの全ての殺意が、この男に向けられている。


「聖女の癒しが、お前如きの術に劣ると思ったか」


 唸るような声が口から絞り出される。

 あぁ、声帯も変化してきている。

 蒼褪め、立ち尽くすステインに、ユーリカは歯を剥きだして笑った。


 この男の事だ。裏切られてもいいように、魔物の隷属化は全てこの男が行ったんだろう。

 それ故に、魔物はステインの言うことしか聞かない。

 数体ならまだしも、これほどの数を率いるのであれば、ステイン自身が先導するしかない。

 男の愚かさに、ユーリカは歓喜する。


「お前たち。この男を殺したいか?」


 魔物たちに問いかければ、是!と叫ぶように魔物たちは吠え、今にも飛び掛からんと全身に力を籠める。

 それを防ぐため、ユーリカは威圧した。

 あまりの圧に、人間たちは腰が抜けてへたりこみ、魔物たちは一歩後ずさる。


「お前たちには悪いが、その男は私の獲物だ。お前たちはこいつ一人にやられたわけじゃないだろう?お前たちを飼育し、痛めつけ、閉じ込めていた場所があるはずだ。そこを壊せ。何もかも全てを、完膚なきまでに叩き潰せ。何一つ逃すな。お前たちの怒りを、あるべき所に叩き返せ!」


 ユーリカの言葉に、鬨の声を上げる魔物たち。

 ユーリカは、魔物たちを次々と転移させていった。

 拠点は幾つもあるらしい。魔物が望む場所に転移させてやる。


 そして、かつて人だった魔物だけが残った。


「君」


 ユーリカは声をかけた。

 魔物は()()()()を向けてきた。どれも黒く濁り、赤黒い瞳だけが煌々と燃えている。

 気の弱い人間なら見るだけで卒倒する程の、怨嗟に満ちた瞳。

 ユーリカのどろりとした昏い感情が呼応する。


「君もこいつを殺したいよね。でも、私に譲って。君はこいつの邸宅に送ってあげる。君は大切な妹をこいつに奪われたね?だから、君の妹がされたように、こいつの家族を好きにしたらいい。まぁ・・・こいつは家族に情なんて無いかもだけど・・・でもこいつはね、公爵という地位には固執している。権力が何より好きなんだ。だから、君が叩き潰せばいい。口にするのも悍ましくなるほどに。匂いを辿ればできるでしょ? 今日でこいつの家も血筋も断絶させて。こいつを止められなかった血統の人間など、君に蹂躙されるに相応しい。公爵家も、関わった貴族家も、その名に呪いを刻み込んで。そして、こいつは公爵家を潰した当主として名を遺すんだ」


 滔々と述べる私に不満げな視線を送っていた『彼』は、次第に楽しそうな色を乗せ、目を細める。

 ぎょろりとステインに目を向け、情けなく震える男に強烈な殺気を浴びせた。


「・・・・・・いい?」


 頷いた『彼』をステインの館に転送する。

 彼は強い。この国で彼の相手ができるものなどいないだろう。

 さて、どこまで暴れられるか。貴族など、全員滅んでしまっても構わない。

 

 にんまりと唇を歪ませ、ユーリカはステインを睥睨した。

 あの、傲岸不遜な男が、今は哀れなほどに小さく震えている。

 

 こんな男に。

 

 カッとなって、ユーリカは腕を振るった。

 右腕が飛んだ。

 

 ひぎぃやぁあああ

 

 みっともない叫び声が上がる。


「これは父様の分」


 こんな奴の腕一本じゃ全然足りないけど。

 ユーリカはもう一度腕を振るった。

 左腕が飛んだ。


 ぐがあぁうああああぁ


 疎ましい声に、ユーリカは顔を顰める。


「これは母様の分」


 全然足りないけど。


「そして私の分──────」


 どこにしようと眺め、怯えた目を見つけてイラっとした。

 私たちを嘲り、嬲り、馬鹿にし続けたこの男が、これしきのことで怯えるなんて。

 それほどに、私達はこいつにとって軽い存在だったのだ。

 

 憎悪が膨れ上がり、長く鋭く伸びた黒い爪を、ステインの目に突き刺した。

 ステインの絶叫を受け、ユーリカは我を失った。

 

 魔物のように咆哮し、その腕を滅茶滅茶に振るう。

 魔物化した腕は力強く、その爪は鋭く、ステインを切り刻み、血飛沫が大地を染めた。

 狂ったように腕を動かす。

 骨の一欠けら、細胞一つ、残すまいと執拗に刻む。

 ユーリカによって大地が抉られ、ステインは完全に世界から消失した。


 あああ、足りない。

 私の怒りは、憎しみは、こんなことでは癒えない。

 あの男を刻んだくらいでは足りない。

 もっと、もっと、憎い、憎い。

 

 膨れ上がる憎悪に、ユーリカは吠えた。

 

 ユーリカを中心に、大地が白く染まった。

 そして、地面から伸びた白銀の鎖がユーリカを絡めとる。

 身を捩り、怒りの叫びを上げるユーリカをものともせず、鎖はユーリカを締め上げる。

 

 があぁ、邪魔だ!邪魔をするな!足りない!こんな程度で怒りは治まらない!もっと!あああ、憎い!憎い憎い憎い!!!

 

「すまん!ユーリカ!!」


 怒りに任せ、鎖を引きちぎろうと暴れるユーリカの耳に、その声は届いた。

 びくりと、ユーリカは止まった。


「すまん!ユーリカ!守ると言ったのに!・・・俺はっ!!」


 悲痛な声がユーリカを打つ。

 ユーリカはゆっくりと振り返った。

 そこには、滔々と流れる涙を拭きもせず、ユーリカを見つめるザリクがいた。

 

「・・・・・ぅぉじ・・さ・・・ん」


 唸るような、潰れた声がユーリカから漏れる。


「ユーリカ、どうしたらいい?どうしたらお前は戻れる? なぁ、もうお前を苛める奴はいなくなった。そうだろ?もう大丈夫だ。俺と暮らそう、ユーリカ。俺の子どもになれ、ユーリカ。な、ユーリカ・・・」


 以前と変わらない優しい目で、ザリクはユーリカに手を伸ばす。

 しかし、聖石が放つ白の陣から先に進めない。


 ユーリカは、ザリクを見て、ゆっくりと首を振った。

 聖石には、事前に頼んでいた。

 魔物となり、我を忘れて暴走し、無差別に攻撃を仕掛けるようになったら、捉えてくれと。

 そして、真の解放をしてほしいと。

 

 魔物は一度死んだもの。

 消しきれぬ思いが留まった、怨念の塊。

 魔物を救うには、もう一度殺すしかない。凝り固まった怨念を、入れ物を壊すことで解放するしかない。

 

「ぅお、じさ・・ん、あ・・りぐぅあ、と」

「ユーリカ!」


 たどたどしく喋るユーリカに、ザリクは手を伸ばす。

 すぐに大丈夫だと抱きしめて、頭を撫でてやりたい。

 

 暴れるのを止めたユーリカが、鎖を纏わせながらザリクに近づいた。


「ぅお、じさ、ん・・ま・・ぅもって・・ぐれ・・た・・・ありぐぅあ、と」


 一生懸命喋るユーリカに、ザリクは涙を流しながら破顔した。


「ユーリカ、俺こそ、ユーリカは娘のようで、一緒に居れて嬉しかった。な、これからは俺と暮らそう。今度こそ側で守るから」


 ユーリカは目の前にいるのに、結界に阻まれたように手が届かない。

 必死で手を伸ばすザリクを見て、ユーリカはくしゃりと顔を歪めた。

 ユーリカの右目はすでに魔物のそれだった。どろりと濁った黒い瞳。

 だが、左目はグレーがかった緑の瞳。ユーリカの色をしていた。

 左目から透明な涙が流れる。

 ユーリカは首を振った

 

「ぅお、じさ・・ん、ぅあり・・ぐぅあ、と。ぐぉめ、ん。ありぐぅあ、と。どぅわ・・いす、き。ありぐぅあ、と」


 ユーリカが鎖に引かれ、白く染まる大地に沈んでいく。


「ユーリカ!!!」

「どぅわい・・す、き。ありぐぅあ、と」


 その言葉を最後に、ユーリカは消えた。

 ザリクは茫然と、大地に座り込んだ。

 涙の雫が大地を黒く染める。

 ザリクの後ろで、騎士団の男たちも泣いていた。



◇◇◇



 王都の貴族街に忽然と現れた、グローリアを襲ったのと同型の魔物は、瞬く間にステイン公爵の館を破壊しつくした。

 ソレは続けて、ステイン公爵の派閥を次々に襲った。

 どの家も、抵抗らしい抵抗もできず、残虐に蹂躙された。

 ただ、いたぶられ、苦しみ藻掻く時間を与えられずに殺されたことは、せめてもの幸せだったかもしれない。

 

 粗方破壊しつくし大きく咆哮した所で、突如魔物の下に白い輝きが生まれ、その魔物を飲み込むと、跡形もなく消え去った。

 残されたのは、倒壊された建物と、ひしゃげた肉の塊。

 

 地方では、ステイン公爵が所有する館が、突如現れた無数の魔物に破壊され、蹂躙されつくした。

 また、公爵に連なる者の館も、同様に魔物に襲われた。

 魔物たちは恐ろしい声を上げながら建物を破壊し、その後、忽然と消えた。

 一体何が起こったのか、生き残った人が一人もいなかったため、誰も何も知ることはできなかった。

 ステイン公爵には黒い噂があった。だから、誰かの恨みを買ったのだろう。

 そんな噂が立ったが、あまりにも凄惨な事件だったため、被害を被るのを皆が恐れ、口にする者もいなかった。

 

 そして、この惨劇の後暫くして新たな聖女が誕生し、国王が王命を発した。

 

『貴族は如何なる理由があれ、聖女と関わることを禁ずる。禁を犯した者は国家反逆罪として国外追放に処する。なお、国外追放時には聖石連合諸国に聖女に仇なす行為を行ったと周知することとする』


 貴族は厳しい内容に驚いたが、聖女が平民ということもあり、反発することなく受け入れた。

 ミルトランド王国が変わるには、もう少し時を有する─────




これで、先代聖女のお話は終わりです。

これをベースに本編を書いていたので、ユーリカに謝りながらも書ききりました。

ふんわりとしたイメージでいたものも、文字に起こすと酷かった。。。


ちなみに、ユーリカの魔物考察は、正しいですが、全てではありません。

瘴気が強いところに居れば、生存本能だけで魔物になったりします。

煮凝りの館では、そんな風に魔物を増産していました。


次は国王のお話です。

ここまでは書こうと思っていたので。

もう、さらりと書き終えたいです。_( _´ω`)_ペショ

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― 新着の感想 ―
[一言] こうして見るとリアを鎖から解き放つ切っ掛けを作った聖眼のナンチャラ本当にいい仕事したなぁ あと魔王が館に貴族招いてトラウマ植え付けてたのもこの辺知ってるから容赦無かったからなのかな
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