聖眼の王太子と真なる聖女2
存在感の薄い殿下のお話です。
「ミラルダ、大丈夫だよ。ここには君を怖がらせるものはいないから安心して」
レオパルドは憔悴した顔でベッドに横たわるミラルダの髪を撫でた。
美しく光を弾いていた髪も、手入れをする者がいなくなり艶を失ってしまった。
「私に力が無いばかりに傷つけてしまってすまない。もう、あのようなことはさせないと誓う。君を守るよ」
枕元に座り、血の気を失った青白い頬を、レオパルドは優しく撫でる。
ミラルダの睫毛が震える。
何も喋らないミラルダを、レオパルドは上掛けの上から包み込むように抱きしめ、こめかみにキスを落とした。
「愛しているよ、ミラルダ。誰が何と言おうとも、君は私の聖女なんだ」
閉じられた瞳から、ほろりと雫が零れた。それは睫毛を濡らして枕に染みを作る。
瞳は開かず、レオパルドを映すこともない。
それでもレオパルドは語り掛ける。優しく、心に届くように願いながら。
「愛しているよ。私の聖女」
髪に口づけながら囁かれた言葉は、空気に溶けた。
◇◇◇
あの時からミラルダは何も話さなくなってしまった。
心が酷く傷つくことで言葉が出なくなる病らしい。
食欲もなく、ほとんど臥せっている。
痛ましい・・・
ミラルダのような深窓の令嬢が、大きな男に囲まれて大声で怒鳴られて、どれほど恐ろしかっただろう。
そして、魔物。
初めて見た魔物は恐ろしく大きく、禍々しく、男の私でさえ恐怖に動けなかった。
平民の騎士が倒してくれなければ、今頃どうなっていたことか。
不敬な態度は許せないが、ミラルダを守ってくれたことは感謝している。
本当なら私が守りたかった。
認めたくないが、男として完全に負けていたと思う。悔しい。
私は、魔物から国を守り続けた英雄王の息子だというのに。
愛する女一人守れなくて、何をやっているんだ。悔しい。
両手に顔を埋め、唇を噛み締めた。
私は何か間違ったのだろうか。
無能な聖女を断罪して、ミラルダを新しい聖女にすれば、聖女の権威も復活するはずだったのに。
教師たちは教えてくれた。
聖女として生まれながら、その力を目覚めさせることのなかった先々代の聖女。
目覚めた力はあまりにも弱く、その僅かな力すら数年で使えなくなった先代聖女。
弱体化した聖女のせいで、国は魔物に蹂躙され、多くの人々が殺され、町や村は消え、ミルトランドは滅亡寸前に陥った。
そんな状態の国を支え、守り抜いたのが、私の父上だ。
英雄王たる父上は、ずっと聖女の尻拭いをしていた。
大いなる魔力で魔物を倒し続け、魔物を撃滅した後は国の復興に飛び回り、城に帰ってくることはほとんどなかった。
私は父上と会うことなく育った。姿を見たことも、言葉を交わしたことも、数えるほどもない。
父のことは誇りに思っている。私の憧れだ。
だが、私から父上を遠ざけた聖女は、厭わしい存在でしかない。
あの平民の聖女も無能なのでは無かったのか?
この平和は父上が築き上げたものだろう?
教師たちは今代聖女のことを何も語らなかった。
それは何もしていないから、話すことも無い。そうではないのか?
力なく横たわるミラルダを見つめる。
どうしたら、以前のような美しい笑顔を取り戻せるのだろう。
柔らかな声で、私の名を呼んで欲しい。
あの頃のように───────
◇◇◇
私とミラルダが出会ったのは、学園に通い始めて3年目の春だった。
父上が魔物の侵攻を退け、国の復興に力を注いでいる時で、私は少しでも父上の力になりたいと、護衛の目を盗んでは魔法の練習をしていた。
その日も護衛を巻いて、森の中で攻撃の範囲魔法を試していた。
無能な聖女のせいで、何時また国が襲われるかも分からない。その時は父上の隣で私も魔物を倒すのだ。
そんな高揚感のままに魔法を発動しようとして────体内で魔法が弾けた。
強烈な衝撃と痛みで、身体が崩れ落ちる。
激痛に、声どころか指一本動かせない。全身の骨が砕けたのか、どこにも力が入らない。
私はここで死ぬのか?
恐ろしい考えに支配される。
父上に一度も褒められないまま死ぬのか?
死んでなお父上にガッカリされるのか?
無能な聖女のように、無能な王子と蔑まれるのか?
嫌だ。助けて父上。
誰か、誰かいないのか? 助けてくれ・・・
恐怖と絶望で涙が止まらない。
大地に倒れ伏してどれほど経っただろう? パキリと枝を踏む音がした。
人か? 獣だったらどうしよう。このまま生きながら餌になるのだろうか。
姿を現したのは、上質なドレスを着た可愛らしい少女だった。
「何をしているの? 寝ているの?」
そっと、伺うように近付いてきた少女は、僕が目を開けているのを見て息を飲んだ。
「動けないの? 怪我をしてるの?」
少女は私に触れ、低く呻いた私を見て顔色を変えた。
「たいへん! 少し待ってね」
そう言うと、少女は懸命に魔法を練り上げて魔法陣を描いた。
彼女の魔力が身体に入ると、痛みが消えた。ぐにゃぐにゃだった身体に力が入るようになり、温かな魔力が消えるころには起き上がれるようになった。
「すごい。回復魔法・・・」
思わず呟くと、少女は嬉しそうに笑った。
「おじいさまが教えてくれたの。私は回復魔法が上手だって褒められたのよ!」
少し得意げに胸を張る少女に、温かな感情が沸き上がる。
「うん。本当にすごいよ。私はここで死ぬのかなって思っていたんだ。君は命の恩人だよ」
跪き、そっと小さな手を掬い取り、指先に感謝のキスを贈った。
見る間に少女の顔が赤く染まる。
「私の名前は、レオパルド・リジェール・レ・ロイエンハルト。君の名は?」
「レオパルド・リジェール・レ・ロイエンハルト・・・殿下!?」
驚きの悲鳴を上げて、少女は後ずさった。
私は少女を逃がさないように、繋いだ手に力を籠める。
「お願い。教えて? 君の名を知りたい」
「私は、ミラルダ・フォン・オーグストです・・・」
恥ずかしそうに答える少女は、オーグスト侯爵家の令嬢だった。
「ミラルダ嬢。是非今日のお礼をしたい」
「いえ、そんな・・・お礼なんて・・・当たり前のことをしただけですから・・・」
消え入りそうな声で遠慮する少女が愛おしい。
「あぁ、君は優しくて謙虚なんだね。大丈夫。大事にはしないよ? 私だって叱られたくないからね」
片目をつむっておどけたように言うと、ミラルダはくすくす笑った。
どうしよう。めちゃめちゃ可愛い。
「じゃあ、また会って私と話をしてくれるかな。親しい友人がいなくて寂しいんだ」
「えっ・・・と、はい。私でよろしければ・・・」
目を伏せて寂しげな声を出せば、思った通りミラルダは了承してくれた。
ああ、やっぱり優しい。
それから私とミラルダは、示し合わせて共に過ごすようになった。
ミラルダは時々森を散策し、傷ついた鳥や小動物を癒していたのだそうだ。
あの日もそのつもりで森に入り、私を見つけて救ってくれたのだ。
少し引っ込み思案でとても可憐な少女だったミラルダは、次第に美しい淑女へと成長していった。気高く気品に満ちた彼女は皆の憧れの的になった。
しかし心の優しさは変わらず、彼女の側にいると癒され、心が落ち着いた。
私は、ミラルダこそが真の聖女なのだと思うようになった。
無能な聖女は排し、真なる聖女となったミラルダと共に国を治める。
そして父の後を継ぎ、立派な国王になるのだ。
あの日、君が助けてくれたように、今度は私が君を助けるよ。
怖いものは近付けない。癒えるまで側にいるよ。
だから目を開けて、私を見て?
あの日の笑顔をもう一度見せて?
私は祈りを籠めて、ミラルダの頬にキスをした。




