聖眼の王太子と真なる聖女
ミルトランド王国の王太子レオパルドと新たな聖女となった侯爵令嬢ミラルダは、卒業パーティを楽しんでいた。
周囲の喧騒も、窓の外で乱舞する光も、彼らにはどうでも良いことだ。
今、二人で語らうこの時が何よりも大切。
完全であった二人の世界は、しかし、突然の轟音により壊された。
爆音、次いで破壊音。会場が揺れ、テーブルに配膳されていた軽食が音を立てて落ちる。
「何事だ!」
レオパルドが焦って声を上げるが、誰かが答える前に突風が会場を襲う。
ビリビリと鳴るガラスが圧力に耐えきれず、砕け散った。頭上からガラス片が人々に降り注ぐ。
「うわっ」
咄嗟にレオパルドはシールドを張った。何かあったとき、これで身を守るようにと何度も練習させられていたのだ。
慌てて、魔力制御なしにシールド魔法を発動したおかげで、会場全体に展開され、幸いにも怪我人を出すことはなかった。
これでも王族。魔力はあるのだ。
「ありがとうございます。殿下」
「助かりました」
口々に感謝され、普段なら悦に入る所だが、今はそんな余裕はない。
「何が起きているのだ」
蒼褪めて、周囲の者に詰問するが、答えられるものはいない。
震えるミラルダを抱きしめ、荒れた会場を見渡すと、入り口の扉が乱暴に開かれた。
「いらっしゃったぞ!」
「こっちだ!」
豪奢な貴族服を着た男たちがこちらに走ってくる。
一目で見て分かる、高位貴族の者たちだ。
自分を守りに来たのだと確信し、レオパルドは前に出た。
「大儀である!何が起きているのか説明せよ!」
しかし、貴族たちはレオパルドには目もくれず、その背後にいるミラルダを囲んだ。
「この方だな」
「ああ、間違いない。『真なる聖女』殿だ」
貴族たちは確認し、頷き合う。
「おい、お前たち何を!?俺は王太・・・」
レオパルドの声に被せるように、男たちはミラルダ、いや『真なる聖女』に詰め寄った。
「聖女様。早く結界を張ってください!魔物が侵入してきました!!」
「これ以上奴らに暴れられたら、王城も貴族街も壊滅します!」
「早く結界を!魔物を弱体化させてください!すでに被害は甚大です!!」
必死の形相で口々に捲し立てられ、ミラルダは今にも気を失いそうになっている。
「魔物だと!?何を言っている!ここ何百年も王都が魔物に侵入されたことなどないんだぞ!」
不敬な態度にレオパルドが切れる。詰め寄る男たちを押しのけ、恋人のミラルダを守るように腕に抱きこんだ。
男たちの矛先はレオパルドに向かう。
「あなたが聖女を断罪し、追放したからだろうがっ!」
「聖女は我らを見放して国を去った!平民だけを守ると言って、王城も貴族街もすでに結界は消えている!」
「お前、自分で『真なる聖女』と名乗っていただろう!聖女なら早く結界を張れ!役目を果たせ!!」
口々に喚きたてる男たちの迫力に、誰も口が挿めない。
「貴様ら、何を言っている。俺は王太子だぞ・・・」
腰が引けながらも、何とか口答えをしようとしたが、更なる破壊音にかき消された。
ガリガリと引っ掻く音に目を向けると、天井が崩され空いた穴から巨大な目が現れた。
黒く染まった眼球に紅い瞳が禍々しい。
「ひぃっ!魔物・・・!」
「うわあぁぁああ!」
高圧的だった男達は、情けない声を上げて逃げ出した。
レオパルドは初めて見る魔物を前に、腰を抜かす。
「ば、ばかな・・・魔物・・だと・・・」
目の前の光景が信じられない。
これは悪夢だ・・・と現実逃避したくとも、建物を破壊していく鋭い爪、耳障りな鳴き声、不快な匂い、そして怒りと狂気に染まった瞳に縫い留められて、圧倒的な現実から目を逸らせない。
建物が半壊し、魔物の全貌が露わになった。
竜種が一つ、魔物化したワイバーン。だが、温室育ちの貴族の子息が知るわけもない。
あまりにも巨大で圧倒的な暴力を前に、抵抗という考えにも及ばない。
ポカンとした顔で、初めての魔物を前にへたり込む卒業生たち。
思考が完全にマヒし、逃げることすら忘れた哀れな獲物を蹂躙すべく、魔物が一歩踏み出す。
そこに力強い男たちの声が分け入った。
「おい!こっちだ!!」
「急げ!!」
「飛ばれたら厄介だ。拘束できるか?」
「やってみる!足止め程度にしかならんかもしれんが」
「十分だ!こっちにはアリア様から頂いた魔剣がある!」
「えっマジで?後で見せて!」
「おぅ!あいつを殺ったら、じっくり触らせてやる!」
「よっしゃあ!やる気出たぁ!!」
賑やかに、緊張感もなく、現れた男たちは魔物を囲んだ。
「んじゃ、いっちょ行くぜ!」
「術式展開!捕縛!!」
一人の魔術師が紙に描いた術式に魔力を込めると、黄色い光が幾本も飛び出し、鞭のように魔物に絡みついた。
翼や手足に絡みつく魔縄に、魔物がグルグルと唸り声を上げて身を捩る。
「すまん、さすがにあのデカブツは引き倒せねぇ」
「大丈夫だ!俺をあの首元まで飛ばしてくれ!」
言い交わしている内に、別の魔術師が魔剣を手にした男に身体強化を施す。
戦い慣れた男たちに、戸惑いはない。
「おし。飛ばしてくれ!」
男の合図と共に、足元に光の模様が描かれる。ふわりと騎士服が揺らいだ瞬間、男は勢いよく飛び上がった。一直線に、拘束された魔物の首筋に飛ぶ。
「あらよっと」
飛翔した勢いのまま、魔剣を振るう。硬質な音が響き渡る。
魔物を飛び越した男の後ろで、魔物の首がずれ、ゆっくりと地面に落下した。
「お・・・おぉ!」
「やっ・・・やったのか!」
「魔物を・・・倒した!!」
手も足も出ない恐ろしい魔物が倒されたと悟り、貴族たちは歓声を上げた。
「お前たち!良くぞこの大事に駆けつけてくれた!どんな褒美でも取・・・」
「はいじゃま。どいて」
満面の笑みを浮かべて近寄るレオパルドを、”平民の”騎士たちは無造作に押しのけた。
「っ!!貴様ら、知らんのか!俺は・・・」
「はいはい、『聖眼の王太子』殿下だろ?平民が倒せる魔物の前で、手も足も出ないで震えていた平民無用の高貴なお方だったな。別に、俺たちはアンタを助けに来たわけじゃねーから、褒美なんていらねーよ」
他人にぞんざいな扱いをされたことなどないレオパルドは、屈辱に震えた。
やはり平民など、知能の低い愚物だ。俺に敬意を払えない不敬な輩は処分を─────
不穏な考えをするレオパルドに、男は剣を突き付けた。
「いいのかい?俺たちは魔物だって殺せる騎士だ。加えてあんたらが追い出した聖女様から加護も頂いている。分かってるか?あんたらは俺たちを切り捨てた。逆に、俺たちだってあんたらを切り捨てられるんだぜ」
酷薄な笑みを浮かべる男から、喉元に剣を突き付けられて、レオパルドはへなへなと崩れ落ちた。
死線を幾度も潜り抜けた男と、温室育ちで暴力など無縁の男。
対峙したらどちらに軍配が上がるのか、考えるまでもない。
レオパルドの力は権力による力。彼の望みを叶える手足があってこそ。
今、この時、その手足は己の命を守るために必死で、レオパルドに忠義を示す者などいない。
蒼褪め、震えるレオパルドを横目に、男は叫んだ。
「おーい、見つかったかぁ」
王太子とのマウントの取り合いをしている背後では、ちょっとしたドラマが展開していた。




