4話
絢が彼の声聞けた日から数日たったが、あいも変わらず話すチャンスが全く無かった。バイバイっと言われた次の日に沙紀を促してさりげなく放課後残ってみたが、彼が残る事は無く帰って行く後ろ姿を見ただけて前回までがたまたまだったのかと絢は落ち込んでいた。
ちなみにこんな風に考えている今でも、彼が好きだというのは絢自身まだはっきりとは思えていない。
はっきりしない自分の思いも、もう一度彼と向かい合えたら何かが分かるかもしれないっという思いと、いやただ単に彼と話したいだけかもしれないだけなのかもしれない。だが、もう一度少しでも話せたらなっという気持ちがあるのは確かだった。
そんなもんもんとした気持ちを今日も朝食を食べながら絢は持て余していた。そんな元気がない絢の様子に、毎週水曜は出向先に車で出勤する父が、ついでに車で送ってくれると提案して来た。さりげなく「絢は最近どうなんだ?」と探りを入れて来るのを感じながらも、思春期担った今でも父親と仲がいい流石の絢でも"気になる人がいる"っという話は出来ず「う〜ん、特に何もないかな」と曖昧に誤摩化しながら笑うだけだった。
そんな訳でいつもより早く家を出た事と朝のラッシュに引っかからずに済んだ事で、絢は思ったより早く学校に着いてしまった。
ーーうーん、朝の空気は気持ちいいな。
絢は朝の清々しい空気を肺一杯に吸い込みながらも、放課後とはひと味違うまだ静かな校舎内を歩く。静かとは言いながらも外からは一番乗りで朝練している運動部の声が聞こえて来たり、人の気配を心地よく感じる学校に絢は足取り軽く、誰もいないであろう教室に「おはよう」言いながら入るくらいにご機嫌だった。
ご機嫌な彼女がぴしっと一瞬にして固まらせる光景が目の前にあった。誰もいないと思っていた教室に彼女の頭を悩ませていた張本人である橋津がいたのだ。
彼自身も静かな空間を楽しんでいたのか寝ていたのか机に伏せていたが、彼女が立てた物音に驚いたようにむくっと起き上がる。
ーーもしかして寝ていたのを邪魔しちゃったかな?そもそも誰もいないはずの教室に挨拶する何て変なやつに思われたよね……
パニックに陥った絢はさっきまでの上機嫌が嘘のように、顔を青くして少し涙ぐみ出したのだったが。
「おはよー」
そんな彼女の様子を橋津本人は気にしてないようで、極めて平坦な声で少し気怠げに返事をしたのだった。
絢は返事してくれた事に先ほどまで自分の失態に青くなっていた顔を、今度は恥ずかしさと嬉しさで真っ赤に染め直す。そんな色変わり激しい彼女の百面相が面白いのか、返事をした後も橋津の目は彼女に固定されたままだった。
ーー人をじっと見つめる人なんだな橋津くんって、でも気まずい何か話した方がいいのかな? ねむいのかな? でも再び寝ないという事はいいのか?しかも今は音楽も聴いてに無いし、これってもしや話す絶好のチャンス?
未だに彼女から視線を外さない彼の様子に少しパニックになりなり、考えが上手くまとまらないままの絢ではあったが思考が纏まらないまま彼女の口は勝手に動き出していたのだった。
「あの橋津君てどんな音楽聴いてるの?ああたし放送委員なんだけど音楽詳しくなくて、今色々と勉強してて…」勝手に開いた口からでる言葉を自分で聞いているうちに、絢は言い訳がましい自分の言葉に気付き尻窄みに言葉をつむぐ。
そんな彼女の言葉に何言っているんだこいつはっとでも思ったのか、黙ってしまう彼に彼女の頭は更にパニック状態に陥ってしまいそうだった。
橋津はしばしの沈黙の後に、これから聞く予定だったであろうトレードマークの赤いイヤフォンをとりだし「聴いてみる?」と言ったのだった。
ーーえっ嘘…
言われた言葉を頭で処理するのに数秒かかってしまい、「うん!」っとタイムラグがあった返事を絢は返しながらも彼と話せている事に嬉しさが隠せない。
「うん」とイヤフォンを差し出して動かない橋津に、そっちに来いっと言う事かと体中に鳴り響く自分の鼓動がが聞こえませんようにっと祈りながら机を挟んだ彼の後ろの席に座った。
貸してくれたイヤフォンを耳につけると、橋津がケータイいじりながらある絢の知らない洋楽のアーティストのアルバムを開き「この3番目おすすめ」と言葉が少ないながらも、絢の質問に答えて彼のオススメの音楽を教えてくれる。
赤いイヤフォンから流れて来たのはクラスの皆が予想していたようなバリバリのロックでも、穴場のメタルでも無く、朝にピッタリの明るめなカフェで流れてくるようなボサノバ調の曲だった。
朝の朗らかな雰囲気とあいまって暖かく包み込むような曲調に先ほどまで、彼にまで聞こえてしまいそうだったうるさかった鼓動が少しずつ正常運転を始め出す。
曲が終わると絢の気持ちも嘘のように落ち着きを取り戻していて、「良い曲だね。このアーティストは好きなの?」という質問が今度は緊張すること無くするりと出て来た。
それに少し驚いたのか目を数回瞬かせた彼は、やはり好きなアーティストなのだろう少し頬を緩めて「うん」と答えたのだった。
ーー橋津くんが、笑った。
ほんのかすかであったが彼の笑顔のような表情に、絢の心がきゅっと少し締め付けられた。
そして彼のそんな表情が見れた事に絢も知らずのうちに満面の笑みになり「私もすきだな」っと答えていたのだった。
そんな絢の様子に「そう」素っ気なく返しながらも、律儀に「これが好きならこれもいいい」と違うオススメもしてくれた橋津だった。
聞き終わり良い曲だなっと余韻に浸っていた絢に「好き?」っと聞いきた彼に、「うん、この曲も好き」っと答えると再び良く見ないと分からないくらいに橋津は頬を緩めたのだった。
ーーこの表情好きだな。
そんな彼の様子に、彼女の心がコトリっと音を立てたのだった。
朝の一時ではあるが和やかな時間も後少し、そろそろ早く投稿してくる生徒が出始める時間だ。
ーーこの時間を終わりか。何時もは話さない彼と2人でいるっと変に思われるだろうし、そして2人だけのこの時間を誰かに邪魔されるのも嫌だな。
「橋津くん、おすすめしてくれてありがとう!自分でもダウンロードしてみるね」っと会話を切り上げて立ち上がろうとする絢に、「CDあるけど……」と彼が呟く声が聞こえた。「えっ?」と彼の顔を見た彼女に「貸す?」と返した彼に、絢は思わず反射的に「うん、ありがとう」返していた。
ーーえっっ、これってお話できる機会がまたあるのかな。
もしかしてもう一回彼と話す機会が少しあるかもしれないっと緩んでしまう頬を絢は片手で擦りながら、「何時も早く来てるの?」と、CDを貸してもらえる時を決めるついでに絢は聞いていた。
「うん、だからその時CD貸す」という彼に、つまりは今度絢が早く来た時にCDを貸してくれると言う事だろうかっと絢は「じゃあ来週の水曜日でも大丈夫?」と尋ねる。
「うん」っとうなずく彼に、絢は本当に次の約束が出来たのだと今度は嬉しさを隠しておけずに満面の笑みを浮かべていた。
廊下から人の気配がし始めたのでさっと自分の席に戻り、嬉しさとドキドキで彼をこれ以上見る事はできずに持って来た本に顔を埋める。投稿してきた生徒の気配を感じながらも、絢は来週の朝の事を考えては今から待ち遠しくって仕方が無かった。