異世界作家
愛川歌恋は異世界向けに恋愛小説を書いている小説家のPNで、ヒット作『憧れの先輩に恋の魔法をかけられて』の著者である。
向こうの世界では本と言えば、地形や魔物といった情報が載っているものか、魔法を覚えるために読む魔道書という不思議な本が大多数で、娯楽目的のものはほぼなかった。
そこにこちらの世界の既存の小説を異世界向けにアレンジしたものを各出版社がこぞって販売したのだが、こちらの世界と違い幼少の頃から教育を受けている者は少なく、2~300ページもあり読み応えのあるものや車や電車、スマホやネットといった向こうの世界で馴染みのない単語が頻繁に登場することから、最初のうちは異世界の文化に飛び付く貴族や新しい物好きの商人に多少売れたものの、利益が出たといえるのは童話や絵本を脚色したようなものが多かったがこれらも娯楽を求める客層とは一致せずヒットとまではいかなかった。
そんな中唯一成功したと言っていいのがナロウ出版だ。ナロウ出版は異世界人の声を多く集め、調査し、精査していった。向こうの世界も異世界であるこちらの世界には当然興味がある。が、知らないもの、想像できないものが頻出する物語が楽しめるかと言われればそうではなく、だからと言って完全にそれらを排除したものを求めているわけではない。
要は塩梅が大事なのだ。SF小説にゲーム的レベル要素や学園ハーレム要素をモリモリ詰め込んであってもよくわからないのと一緒で、宇宙船が電車、火星が県外くらいの感覚でこちらの世界の要素を取り入れ、そこに向こうの世界で馴染みのある王侯貴族や魔法といった要素も含ませた100ページくらいの短編小説を出版するとたちまちヒットとなった。
愛川歌恋、本名エリザベート・ユース・ローデンベルクは向こうの世界から日本へやってきた異世界人である。
容姿は金髪縦ロールの髪で青い瞳、豊満なバストに引き締まったウエストに長く健康的な足。ドレスでも着ていたなら物語の登場人物がそのまま飛び出してきたかのようだったのだが、今はカジュアルなレディーススーツに身を包んでおり、正直まったく似合っていない。
そんな彼女は小説というものに触れてそれに魅了され、3年前に留学生として日本にやって来たのだが、卒業後もこうして日本で小説家をしている。
愛川が最初に書いた小説はナロウ出版ではない別の出版社に投稿したのだが、現代日本では箸にも棒にもかからない稚拙なものだった。その後も数社に応募するも結果は同じで、最期にこれでダメなら元の世界に帰ろうと半分諦めて投稿したのがナロウ出版だった。
ナロウ出版で編集者をしているタイナカが愛川の作品を最初に読んだ感想としては、他の出版社同様にあまりに稚拙なものに感じた。しかし、それはこちらの世界で出版するならばという前提だ。
愛川の投稿した小説は現代日本を舞台に魔法などのファンタジー要素を含んだ恋愛物だったのだが、表現は『お車という鉄の塊がすごく早く動いており驚きました』や『お車の側面が割れ不安を感じながら中に入ると、外見からは想像できない柔らかな椅子が設置してあり、走り出すと窓から見える景色が瞬く間に移り変わり興奮しました』といったように異世界人ならではの捕らえ方をしていて、これはきちんと編集が目を通し校正すれば異世界向けの小説として売れるのではないかと目をつけ、初の異世界人作家としてデビューすることとなった。
デビュー作、二作目と異世界向けに出すも、異世界ではネットがないため、商人が仕入れを渋ればそれが普及することは稀なケースで、どうしても今までの作品の印象から手を伸ばす者は少なかった。
しかし少なからず異世界の文化に触れているのがステータスという考えを持つ者はいるため、キシワン商会というそこそこの規模の商会は出版物があれば毎回仕入れていた。
そこの会長の娘は毎回仕入れについて行き、帰りの馬車の中で自ら購入した小説を読むのが趣味だったのだが、そのとき読んだ愛川の三作目『憧れの先輩に恋の魔法をかけられて』を大絶賛。最初は怪訝な顔をしていた会長だったが、娘がその作品のオススメの理由などを書いた異世界初のPOP(販売促進のための広告媒体)を付け並べたところ瞬く間に売り切れ、慌てて追加で仕入れたがこれまた完売とたちまちヒット作となった。
そんな愛川は現在も小説の取材のためにタイナカが運転する車に乗り日本の観光名所を観て回っている。
観光名所では外国人も多く、異世界人である愛川もオフィス街にいるときほど目立たず、外国人観光客と一緒にキャーキャー言いながら写真を撮ったりしている。
愛川は自分を掬い上げてくれたタイナカにとても感謝している。英雄を夢見て田舎から出てきた新米冒険者が、上手くいかずに故郷に戻ろうとしていたところに、自分を鍛えなおし、得意な相手の討伐を斡旋してくれる受付嬢が現れたようなものだ。
愛川がタイナカに好意を抱くのにそれほど時間は掛からなかった。
仕事相手とはいえ誠実な態度のタイナカは、愛川の周りに今までいなかったタイプの人間だ。留学していた学校の男子生徒は愛川と目が合いうとその可憐な容姿のためか顔を赤くするか、鼻の下を伸ばすかだった。
元の世界の周りの男やこちらの世界で顔を合わせるタイナカ以外の仕事相手はもっと下卑た目を向けられることが多い。
タイナカも少しくらいは自分を異性として見て欲しいと思う反面、そんな風に見られていたら好意を抱くことはなかったのではないかというジレンマがある。
だから今は、日本の各地を観て回りたいという異世界作家としての我侭で甘えるのが愛川の出来る精一杯だ。
「タイナカ様、私次はこのスイゾクカンという場所でジンベエザメというお魚を見てみたいですわ!」
愛川が観光雑誌のページを開いてタイナカに見せる。
「ええ、了解しました。沖縄ですと車では行けませんので、飛行機の手配をしておきますね」
スーツ姿に黒髪短髪の好青年のタイナカは爽やかに返事をし、スマホを取り出しチケットと宿の手配をする。
「ヒコウキ、ですの?」
後日初めて飛行機に乗った愛川にしがみ付かれ、その豊満なバストの感触を腕に感じ、脳内でお経を唱え(正しくは知らないのでそれっぽいもの)どうにか自制するタイナカの気持ちを愛川が知るのはもう少し先のお話。