新上学園超常現象研究会(仮) part4
//ユースケの部屋
ブーッ、ブーッ。
ユースケ
「んがーっ。すぴーっ」
ブーッ、ブーッ。
ユースケ
「んが……!? ん……?」
枕元で激しい振動を感じる。
ブーッ、ブーッ。
ユースケ
「んー……。……ん、電話……?」
ブーッ、ブーッ。
振動し続けるスマホは着信を知らせているようだ。
ユースケ
「誰だよ……こんな朝っぱらから……」
俺はあくびをしながらスマホに手を伸ばし、仰向けのままで受話ボタンを押す。
ユースケ
「ふぁい、もしもし――」
リオ
「遅い!!」
ユースケ
「え!? えっ!?」
電話越しに、ガツンと殴られるような衝撃を食らった。
寝起きの頭蓋骨内に、グワングワンと反響する。
リオ
「なにやってんの!? 早く出てよ!」
ユースケ
「えー……? あのー、どちら様で――」
リオ
「寝ぼけないで!! あたしよ、リオよ!」
ユースケ
「あ!? ……あぁ、はいはい、リオか。
……んだよ、朝っぱらから」
リオ
「大変なの!! 早く出てきて!!」
ユースケ
「えー、まだ7時前じゃんか。今じゃなきゃダメ……?」
俺は壁掛け時計を見ながら言った。
早朝の電話に異変を感じながらも、睡魔には勝てない。
リオ
「今じゃなきゃダメ!! すぐ出てきて、礼拝堂!!」
切実な響きが伝わる。やはり何かあったようだ。
ユースケ
「わかった、すぐ行くよ。ただ……」
リオ
「ただ?」
ユースケ
「今、パンツ履いてないけど大丈夫?」
リオ
「それは履いてきなさい!!」
ブツリ、と通話が切れた。
俺は全裸じゃないと眠れない性質なのだ。
眠いがしょうがない、行ってやるか。
俺はベッドを出て着替えると、すぐ礼拝堂へ向かった。
//礼拝堂
入口に正対した講壇の周囲には、まだ七時過ぎだというのに軽い人だかりができている。
その中に、迷惑なモーニングコールをかけてきた張本人を見つけた。
ユースケ
「リオ、どうしたんだ?」
俺の姿を見つけたリオは険しい顔で手招きをする。
リオ
「……ちょっと、こっち」
ユースケ
「どうしたんだよ……。
――ちょっと、ごめんよー」
俺は人だかりをかき分けながら、奥へ進んだ。
すると、足元に――
ユースケ
「うわっ、松永!?」
変わり果てた男性教師の遺体だった。
目を見開き、舌が伸びきっている。
首にはロープが巻きつけられ、そのロープの先端は輪っかになっていた。
微かに排泄物のアンモニア臭もする。
それは、典型的な首吊り自殺の死体だった。
固まりきった苦悶の表情は、硬直してから時間が経っていることを示している。
夜のうちに亡くなったのだろうか?
男子生徒A
「これガチで死んでんの?」
男子生徒B
「マジかよ、オエーッ」
人だかりは松永の遺体を眺めるためにできていた。
一定の距離を置き、半円状に群れている。
女子生徒A
「あたしも気持ち悪くなってきた」
女子生徒B
「これ、どうすんの……? 警察とか?」
ユースケ
「……電話はこのことか?」
俺が訊ねると、リオは無言でうなずいた。
リオ
「最初に吉坂先生とあたしがここに来てね。
そしたら先生がもう……」
思いつめた表情、リオはショックを隠し切れない様子だ。
俺たちが死体を目にするのは、これが初めてではない。
だけど、多少の耐性がついていたって、慣れることは決してないだろう。
レミカ
「ほら、もう帰った帰った!」
人だかりを荒々しく散らす、長身の女子生徒の声で、
野次馬は次々に礼拝堂を去っていった。
散らしたのは、ゴム手袋を嵌めているレミカだった。
その脇には、まだ眠そうに目をこするユズハがいた。
ユースケ
「全員集合か」
リオ
「うん、やっぱ二人も呼ばなきゃな、って思って」
ユズハ
「松永先生……」
ユズハは遺体を見ると、真っ先に手を合わせた。
レミカ
「黙ってられないよ、目の前でこんなことが起きたら」
レミカも悲痛な表情で遺体を見つめる。
リオ
「吉坂先生もショックで腰抜かしちゃってね。
真っ青になって、さっき警察呼びに行ってくれたの」
ユースケ
「でも時間かかるだろうな、車でも15分はかかるだろ」
この学園は町から離れた山奥にある。
最寄りのコンビニに行く程度の外出でも、けっこうな時間がかかる。
ユースケ
「そもそも、リオと吉坂が最初に見つけたんだっけ」
リオは静かに頷く。
リオ
「うん、15分くらい前かな。
今朝走り終わったあとなんだけど、吉坂先生がそこのドアをガチャガチャ乱暴に揺すっててね」
リオはジャージの袖をまくった腕で、礼拝堂の入り口を指さす。
早朝に学園の周囲をランニングするのがリオの日課だった。
リオ
「どうしたんですか、って訊いたら先生が『ここ開かないのよ、中からカギもかかってるし』って。
吉坂先生が開ける当番だったんだけど、職員室のキーボックスに礼拝堂のカギも入ってなくて、
どうも変だったらしいの」
ユズハ
「えっ、じゃあ誰も中に入れないよね?」
レミカ
「密室か……」
校舎の一階隅に位置する、小さな礼拝堂。
窓はなく、人が出入りできるのは、カギがかかっていたという観音開きの大扉だけだ。
2メートルほど高さがある、大きなものだ。
リオ
「あたしも開けようとしたけど、確かにカギがかかってて。
しょうがないから、思いっきり蹴ってみたら開いたの」
ユースケ
「どんなキック力だよ……」
リオ
「うっさい。仕方ないでしょ、非常事態なんだから」
ユズハ
「すごい、かっこいい……!」
顔を赤らめるリオを、ユズハはキラキラした羨望の眼差しで見つめた。
レミカ
「それで入ったら、すでに松永先生がこの状態で倒れてた、ってこと?
ロープを首に巻き付けた、いかにも、な首吊りで」
レミカはゴム手袋をした手で、遺体を指さす。
顎のすぐ下には、痛々しい索状痕が残っている。
リオ
「そう。けど、ロープを引っ掛けられそうな場所は、十字架しかないよね……」
俺たちは、壁面に備え付けられ、浮き出ている十字架を見上げた。
ちょうど、扉の対面に位置している十字架は、地上3~4メートルほどの高さにある。
礼拝堂としては天井が低いために、十字架の位置も低い。
上に突き出た部分にロープを引っ掛けたのだろうか?
ユースケ
「とりあえず、本人に訊くのが手っ取り早いか。
ユズハ、……やってくれるか?」
ユズハ
「わかってる。やってみるよ」
ユズハはネックレスを握りしめ、目を閉じる。
これまでは、死人の霊に勝手に憑依させられてしまっていたユズハ。
ネックレスを使って、憑依をコントロールできるようになったのは、
俺たちと知り合ってからだった。
ユズハの身体が一度、ガクリと崩れ落ちる。
レミカ
「おっと……」
レミカがそれを抱きかかえて支えた。
腕の中で、ユズハはゆっくりと目を開ける。
どうやら、松永の憑依に成功したようだ。
ユースケ
「……松永か?」
ユズハ
「三住か、なんだ呼び捨てにしやがって」
普段のかん高い声ではなく、野太く低い声と冷たい口調。
穏やかなユズハの表情は、眉間にしわが寄った、年齢を感じさせる険しい顔つきになっている。
ユースケ
「自殺か?」
松永
「あ、あぁ……そうか……。
……すまなかった」
松永はたどたどしく言う。
ユースケ
「謝罪はいい。どうしたんだよ? 何かあったのか」
松永
「その、仕事に行き詰って、だな。将来が不安で、というか」
ユースケ
「そうか、大変なんだな、教師も」
理由はどうあれ、死には多大な苦痛が伴う。
まずは労わりの気持ちを見せること。少ない経験の中で、俺が学んだことの一つ。
ユースケ
「トラブルでもあったのか? よかったら聞かせてくれないか。
俺たちでよければ、何か力になれるかも――」
松永
「すまない――」
それだけ言うと、ユズハの表情が和らいでいく。
憑依が解けた?
ユズハ
「んっ、うーん……」
ユズハの目が開いていく。声も元に戻っていく。
ユズハ
「どうだった?」
無邪気にユズハは俺たちに問う。憑依中は、ユズハの意識は完全に眠ってしまう。
だから、必ず他者がその様子を見ていなければいけない。
ユースケ
「すぐ逃げられちまった。別にやましいことなんかないだろうに……。
ワリィ、何の収穫もなくて」
リオ
「いや、収穫はあったよ」
ユズハ・レミカ・ユースケ
「えっ!?」
リオ
「最初の質問、『自殺か?』って訊いたでしょ。
正直に答えてないよ、あれ。
間違いなく他殺」
リオは質問に対しての返答を、嘘かどうか見抜ける能力を持っている。
ただし、「はい」「いいえ」で答えられる、
クローズドクエスチョンでなければいけない。
「誰が殺した」「いつ、どこで殺された」など、
具体的な答えを求めるオープンクエスチョンに、リオの能力は使えない。
ユースケ
「本当は殺されたってことか……?」
レミカ
「自殺に見せかけた犯人の意図を汲んでいる、犯人を庇おうとしている……
ユズハの憑依から逃げたのもそれが理由ってことね」
ユズハ
「ねぇ、レミカちゃん……。
もう、離しても大丈夫だよ?」
レミカ
「あっ、ごめん! つい……」
ユズハを抱いたまま難しい顔で考え込んでいたレミカは、
顔を赤らめて霊媒を手放した。
ユースケ
「もう一回、松永呼べないかな?」
レミカ
「いや、答えてくれないだろうね。
それにユズハの負担も少なくないよ、自分が思った以上に疲れてるはず」
ユズハ
「私は大丈夫だよ……?」
気遣って笑顔を見せるユズハだったが、少し疲労の色が見てとれた。
ユースケ
「そうだな、ごめん。
地道に証拠や関係者を探してみるか」
リオ
「よし、じゃあとりあえず、十字架に変な点はないか調べてみよう。
ユースケ、踏み台になって」
リオは壁面を指さして言った。
ユースケ
「は!? なんでだよ? 脚立使えばいいだろ」
リオ
「あったらそうしてるよ。
見つからないから言ってんじゃん」
俺は壁を見つめる。
こりゃ、踏み台になったくらいじゃ届かんぞ……。
ユースケ
「お嬢さん、ちょいと失礼!」
リオ
「きゃっ!? 何すんの!!」
俺はリオの股下に潜り込むと、ひざを抱えて持ち上げる。
肩車なら届くだろう。
ユースケ
「早くしろ、十字架調べるんだろ!?」
リオ
「あ~もう、しょうがない。
……ちょっと低い、もう少し伸びて」
ユースケ
「えっ、どこだよ?」
リオ
「バカ! やめて、頭動かさないで!」
ユースケ
「いて! 何すんだ!」
壁を見上げようと、太ももの間で頭を動かすとリオに思い切りひっぱたかれる。
どうなっているのかわからない。
リオ
「十字架の上の方が見えない! 届かないの!
もう少し背伸び!」
ユースケ
「できるかんなもん!」
俺は精一杯つま先立ちをしていたが、それでも届かないようだ。
リオ
「恥ずかしいんだから、もう少しがんばってよ!」
ペシペシとリオは俺の頭を叩いてくる。
ユースケ
「俺だって、こんな重たいの持ち上げて――」
リオ
「誰が重たいって!?」
ベシッ、渾身の一撃だった。
ユースケ
「ぐへぇ1?」
リオ
「きゃあっ!?」
どしーん。
俺はバランスを崩し、リオともども倒れこんだ。
リオ・ユースケ
「いてて……」
リオ
「何すんのよ!?」
ユースケ
「お前が余計なことばっか言うからだろ!?」
レミカ
「はいはい、私が触ればいいんでしょ?」
リオ
「そうか、レミカにやってもらえばよかったんだ……」
リオは、はっと気づいたように言った。
レミカ
「ユースケ、もう一回」
ユースケ
「えー、しょうがねぇなぁ……」
しぶしぶ、俺はレミカを肩車する。
レミカは暴れることなく、すんなり俺の肩に乗る。
片方のゴム手袋が脱がれ、俺の頭の上に置かれるのがわかった。
レミカ
「もういいよ、何もなかった」
2秒ほどで終わり、すぐに降ろした。
レミカ
「何も見えない。十字架にロープは引っ掛けられてないよ」
十字架に、直に触れてわかったようだ。
レミカは素手で触れた物の残留思念を読み取ることができる。
なんでもかんでも読み取ってしまうからうっとうしい、ということで
常に手袋をはめているのだった。
リオ
「レミカが言うんなら間違いないね……」
ユースケ
「この礼拝堂には他に首吊りに適した高さのものはないな、
床や椅子にも、どこにも暴れまわったような形跡もない、綺麗なままだ」
レミカ
「どこか別の場所で殺されて、それから運ばれてきたんじゃないかな」
ユズハ
「扉に細工でもして、鍵をかけたってこと?」
その時、ガタリ、と乱暴に大扉が開けられた。
警察官
「おい、お前ら! 子供が入っちゃイカン!
危ないから早く出なさい!」
麓町の警察署からゾロゾロと捜査員がやってきたのだった。
しぶしぶ、俺たちは礼拝堂を立ち去る。
出ていった直後、入口には〝立入禁止〟の黄色いテープがビッチリと貼られた。
ユースケ
「あーあ、俺たちにも警部クラスとコネがあったらなぁ。
捜査にも不自由しないんだけど」
ユズハ
「金〇一やコ〇ンみたいに、簡単にはいかないよ」
レミカ
「とにかく現場の状況はつかめたんだ、それだけでもよかったんじゃない?」
リオ
「そうだよ、まだ私たちにできることはあるよ!」
三人の意欲は衰えていない。
ユースケ
「そうだな、それじゃ次は――
最後に松永と接触した人間を探してみるか」
リオ
「そうだね、手分けしてあたってみようか」
ユースケ
「これから授業だけど、休み時間や昼休みの間で訊いて回れば誰かしら出てくるはずだ。
もう一度、放課後に食堂で集まろう」
リオ・ユズハ・レミカ
「うん!」
そうして、一旦解散となった。
朝のHRで、松永について担任から説明があった。
事故でケガを負ったため病院で治療を受けている、
念のため警察の捜査を依頼した、
と、かなり誤魔化された説明だった。
早朝の礼拝堂で起こったため、実際見た生徒が少ないこともあり、
配慮されたのだろう。
おそらく近日中に、『治療中の松永先生は亡くなった』と、
続報という形で生徒には公表されるのだ、
少しでもショックを和らげるために。
だが、実際に見た俺たちや数十人の生徒には死体として見つかっている。
だから、〝松永が死んだ〟ことは噂という形で、
HR前には全校生徒に知れ渡っていた。
俺は時間を見ながら、あちこちに訊いて回った。
すると、ある野球部員からはこんな情報が上がってきた。
野球部員A
「帰る時に松永見たぜ、俺」
ユースケ
「マジか!! いつ、どこで!?」
野球部員A
「夜の七時半くらいかな、練習終わった後なんだけど。
教室に宿題忘れちまってさ、取りに戻った時にちょうど松永と会ったよ」
ユースケ
「松永は何してたんだ、様子はどうだった?」
野球部員A
「別に、普通だったよ。教室に鍵かけて回って歩いてた。
『もう閉めるぞ、早く帰って寝ろよ!』ってそれだけ」
ユースケ
「焦ってたり落ち込んでたり、変な言動は?」
野球部員A
「だから、なんもなかったよ。
俺も普通に帰ったし。松永は二階に上がっていったけど」
ユースケ
「そうか……。
とりあえず、サンキュな」
俺が訊いた中では、この野球部員の証言がもっとも有力だった。
松永は七時半頃までは確実に生きていて、なおかつ校舎内にいたことになる。
時刻は午後三時半を回り、わがエス研メンバーは食堂に集まった。
//食堂
レミカ
「まず私からいいかな?」
最後にやってきたリオが席に着くなり、アイスバーをかじっていたレミカが口を開いた。
レミカ
「礼拝堂の辺りをウロウロして警察の話を盗み聞きしたんだけどね。
死亡推定時刻は昨夜の八時頃、死因は首のロープによる絞殺で間違いない。
けど後頭部に固いもので殴られたような痕があった。
先生が身につけていたスラックスのポケットからは、礼拝堂の鍵が見つかってる。
現場に鍵がかかってた状況から見て、自殺ってことで片付けられそうだよ。
内側から自分で鍵をかけて、壁からせり出した十字架にロープをひっかけて自殺。
後頭部の痕は、十字架から落ちた時についたもの。
いろいろと不審な点は残ってるけど、大まかにそう見えてるから、それで解決。
大したことないね、警察も。
お粗末な仕事ぶりだよ」
レミカは苛立ちながら、ガリッ、とバーをかじった。
ユースケ
「こんな田舎の警察じゃ、捜査も大したことないしな。
事件性がなさそうだし、とっとと自殺で処理したほうが手っ取り早いんだろう」
リオ
「だからこそ、あたしたちで本当のことを調べなきゃね。
――さっきまで、警察に訊かれてたんだけどね、第一発見者の一人として」
代わってリオが話し始める。
「朝あったことをそっくりそのまま警察にも説明したんだけど、興味もなさそうだったよ。
本当、ただ手順に沿って、お決まりの質問をされただけって感じがした。
一応、訊いてみたの。
「生徒や他の先生に犯人はいるとお考えですか?』って。
『考えてないよ』って言われて、実際そう思ってることもわかった。
警察は完全に自殺で処理する方向だよ、無理ないけどね」
ユズハ
「誰が見ても、そう考える状況だよね……」
リオ
「それから、吉坂先生とも少し話をして。
『松永先生が自殺なんて考えられない、あんなに元気そうだったのに』って泣いてた。
一番ショックを受けてたのはきっと吉坂先生だよ。
先生方の間でも、若いのに仕事できて頼りになるって好かれていて、
恨まれるようなこともなかったって」
リオの言うとおりだと俺は思った。
松永はまだ二十代半ばの若い男性教師だ。
爽やかで女子からの人気も高く、嫌われているような噂も立っていない。
リオ
「昨夜、校舎内の施錠をする係は松永先生だったの。
だから、自殺を決行するには絶好のタイミングだったんだって……」
ユズハ
「同じクラスの美術部員の子も泣いてた。
まさか先生が、信じられない、って……」
ユースケ
「松永は美術部の顧問だったよな。
部活でも評判は良かったのか?」
ユズハ
「うん。美大や美術部の出身ではなくて、芸術のことはよくわからなかったらしいんだけど。
それでも親身になって理解しようとしてくれてたから人気だったみたい。
いろんな活動も熱心に応援してくれてたし、美術室に遅くまで残って手伝ってくれることもよくあったんだって」
ユースケ
「そうか、全然悪い噂が出ないなぁ」
リオ
「全然そんなの聞かないよ、松永先生は。
むしろみんな、『石山が死ねばよかったのに』って言ってるくらい」
レミカ
「ププッ!」
思わずレミカが噴き出した。
バーコード頭で加齢臭を漂わせる学年主任の石山は常に評判が悪い。
何かにつけて、粗探しをして注意をしなければ気が済まない性格だからだ。
その点、松永はポジティブに褒めることが多く、人気が高いのも頷ける。
ユズハ
「私も石山先生は苦手だな。
中間テストの結果が出た時、石山先生には、
『数学だけ低すぎるぞ、手抜いてんじゃないのか』って怒られたんだけど松永先生は、
『現代文と英語、よくがんばったな、
これだけできるなら数学もまだ伸びるぞ』って褒めてくれたし」
レミカ
「数学何点だっけ?」
ユズハ
「42点」
レミカ
「赤点ギリギリじゃん!
むしろ甘いくらいじゃない?」
ユズハ
「えー!?」
ユズハは泣きそうな顔になった。
レミカ
「てか、遅くまで美術室に残ることも珍しくないんでしょ?
昨日の夜も立ち寄ったりしてないのかな」
ユースケ
「そうだな、もしかしたら美術室に手がかりがあるかも。
行ってみるか」
三人が頷き、俺たちは美術室へ向かった。
//美術室
ユースケ
「ごめんくださーい……」
明かりのついていた美術室を開けたが、中には誰もいなかった。
礼拝堂のちょうど真上にあたるこの部屋は、広さも礼拝堂とほぼ同じだ。
入口から見て、左半分は机が並んでいる。左壁面には黒板があるので、
授業を受けたり話し合ったりするスペースだ。
教室の右半分には、イーゼルに立てられた制作中の作品がいくつも置かれている。
ユズハ
「すごーい! 絵がたくさんある!」
ユズハは室内をキョロキョロと見回す。
イーゼルに立てられている分だけでなく、壁中に絵が立てかけられている。
レミカ
「毎年、誰かしら県の美術展で入選者が出てたよね。
これだけ力入れてるんだ、そりゃ強豪だよ」
レミカも感心している様子だ。
リオ
「すごいなぁあれ! なんだろう?」
リオは一体の立体作品に目を奪われ、そちらに近づく。
入口からちょうど対面の壁際に置かれていたそれは、男性の胴体部を模した像だった。
胸から上がユラユラと揺れている。
50cm四方はある台座の上に載せられた巨大な胴体は腕や首がないものだったが、
見る者には充分に迫力を感じさせる。
リオ
「へぇー、リアルだなぁ! これ粘土かな……?」
リオが何気なく像に手を伸ばすと、
城島
「触んないで!!」
ピシャリと叱りつけられたリオの動きが固まった。
振り向くと、入口には二人の女子生徒が立っていた。
美術部の部長と副部長だった。
リオ
「ご、ごめんなさい!」
副部長の城島は謝るリオを無視して、その脇をすり抜ける。
近づいて胴体のあちこちをチェックし始めた。
湯上谷
「リオ、気をつけなよ~。
うちの副部長怒らせると怖いんだから」
部長の湯上谷は軽い口調で言う。どうやら作品は副部長のものだったようだ。
湯上谷
「てかオカ研が勢ぞろいでどうしたわけ?」
ユースケ
「オカ研言うな、超常現象研究会だ。エスパー研究会でも可」
湯上谷
「どうでもいいよ、そんなの」
俺はムッとして訂正するが、湯上谷は軽くあしらう。
我が研究会に対する生徒の認識は、まだまだ不足しているようだ。
湯上谷
「今日は見学? 入部希望なら大歓迎だよ」
ユースケ
「まぁ、そんなところだな。
――顧問があんなことになって、活動は大丈夫か?」
俺が問うと、湯上谷の表情は一気に暗くなった。
普段はおちゃらけていることが多い美術部部長だが、さすがに堪えたようだ。
湯上谷
「今さ、職員室で話があって、しばらく活動は停止。
だからハルカと、これからどうしよっかって。ねぇ、ハルカ」
湯上谷が胸像に目を向けると、そばにかがみこんでいた副部長が立ち上がった。
城島
「うん。けど制作は一人でもできるから。
私はとにかく、今はこれを作りたい」
リオ
「あの……。ごめんなさい、大丈夫でした?」
リオがおずおずと訊ねると、城島は微笑んでみせた。
城島
「大丈夫よ。こちらこそ、怒鳴ってごめんなさい。
まだ粘土を張りつけたばかりだから、崩れやすいの」
ユズハ
「立体の彫刻しちゃうなんて、城島さんすごいなぁ……。
ひゃっ!?」
作品と制作者を交互に見つめて、ほれぼれとしているユズハに
湯上谷が肩を組もうと腕を回した。
湯上谷
「すごいでしょ、うちのハルカは。
これはね、これから粘土の上から石膏を固めて石膏像にしていくの。
県内の高校生でも、こんな大規模な石膏像作れる子なんていないんだから。
他にも、絵画や彫刻だけじゃなくて映像作品撮ってる子もいるし、
自由に制作できるの。
ユズちゃんもやってみない? やりたくなってきたでしょ? ね?」
ユズハ
「い、いやぁ……、ちょっと……はは……」
熱烈な勧誘をユズハは苦笑いでごまかそうとする。
レミカ
「うちの学園は私立だから比較的自由だけど、ここまで本格的な美術部は珍しいよね。
小さな美大くらいの設備はありそう」
腕組みで感心するレミカに、湯上谷は言う。
湯上谷
「それも松永先生のおかげだったんだよ。
先生は自分から、『俺は芸術のことはわからん、自由にやってくれ』って言ってたんだけどさ。
校長先生とか、いろんな人にかけあって美術部の予算増やしてくれたり、大会に参加させてくれたりしたの。
普段からいつも、絵を褒めてくれたしね。
『おっ、いいな! よくわからんけど!』って」
ユースケ
「それ褒めてんのか?」
湯上谷
「下手にあーだこーだ口出されるよりは、そういってくれた方が嬉しいものなの。
特にハルカは一番お世話になってたんじゃない?
石膏も、頼んだらすぐ始めさせてくれたし」
城島
「うん」
湯上谷
「美術部出身じゃないけど、あんないい先生はいなかったよね~」
城島
「そうだね、早く治るといいね」
城島の応答から察するに、この二人は松永が治療中だと信じているようだ。
俺はお決まりの質問を二人にぶつけることにした。
ユースケ
「そういや、昨日の夜の七時半頃って何してた?」
湯上谷
「え? あたしたちは部屋にいたけど。
ハルカはお風呂だったよね、珍しく長風呂で。
八時半に上がってきたから……一時間くらい?」
この二人は相部屋のようだ。
ユースケ
「ほっほう、長風呂とな!
ハルカちゃんは、ぬゎ~にをしてたのかなぁ~、ぐっへっへ」
俺が下卑た笑いを浮かべると、城島は苦々しい顔つきをする。
城島
「三住キモイ!
少し寝てただけだし!」
幸いにも、アリバイを探っていることは気取られなかったようだ。
レミカ
「そういえば、この像、首と両腕がないみたいだけど。
これから付け足すの?」
精悍な肉体の粘土像を見ながら、レミカが城島に訊ねる。
城島
「これはこれでいいの。
始めから首と両腕は見つかってないから。
『《ディアドゥメノス》型のトルソ』という、古代ギリシアで作られた銅像を再現しようと思って。
本物の銅像はパリのルーヴル美術館にあるんだけどね」
ユズハ・レミカ・ユースケ
「へぇー」
なるほど、引き締まった筋肉は逞しさと同時に美しさも持ち合わせているようだ。
実物を見たことはないが、その表現力は確かであると素人目にもよくわかる。
俺は粘土像の下半分に目がいった。
へそ下にぶら下がる、皮を被ったごく小さなソレは、控えめな存在感がある。
俺の方が2倍近くは大きい。しかも、俺はムケてる。
ユースケ
「ちっちぇーなぁ、コイツ。
筋肉もだけど、こんなのまでハッキリ作っちゃうなんて、
城島って相当ムッツリなんじゃねぇの!?」
何気なく口をついて出た。その瞬間、
ユースケ
「いでっ!?」
頭を突かれた痛み。シャーペンが床に落ちた。
城島
「三住殺すよ!?」
振り向くと、城島が怒りで目を血走らせていた。
ユースケ
「ひぃっ!? ご、ごめんなちゃい……」
湯上谷
「三住、サイテー。
よくいるんだよね、こういう男。芸術ってもんを全っ然わかろうとしない」
湯上谷の、ゴミを見るような冷めきった視線が俺を突き刺す。
レミカ
「城島さん、もっとやっちゃって。次はカッターで」
ユズハ
「カッターはダメだよ、作品が傷つくから」
ユースケ
「ひぃっ、裏切り者!」
湯上谷
「いやぁ、レミカとユズちゃんはなかなかセンスがいいよ。
どう、美術部? もちろんオカ研と掛け持ちでいいから」
レミカ
「手が汚れるから、パス」
ユズハ
「あたしも見るのはいいけど、描くのはちょっと……」
湯上谷
「いやいや! 誰でも最初は初心者だから!」
返答を濁したユズハに、熱を帯びた湯上谷はペンを押し付ける。
どうやら押し切れそうだ、と踏んだようだ。
「ちょっとだけ描いてみよう! ほら、ユズちゃん、ペン持って!
ほら、まずはこの紙に、ちょっとだからね、体験してみようよ!
体験、体験!!」
ユズハ
「え、ええ……、何を……? リンゴとか?」
湯上谷
「まずは名前。名前をこの欄に――」
ユズハ
「名前ですね――
ってこれ入部届じゃないですか!? 活動停止なんでしょう!?」
//廊下
俺たちが美術室を後にし、食堂へ戻る途中で口を開いたのはリオだった。
リオ
「嘘ついてるよ、あの子」
ユズハ・レミカ・ユースケ
「えっ!?」
思わず俺たちは目を見開いた。
ユースケ
「どっちだ!?」
リオ
「城島さん。
いきなりだったからあたしもビックリしちゃったよ」
全然ビックリしてなさそうな、深刻な表情でリオは言う。
レミカ
「でも、いつ嘘ついたの?
『YES』『NO』で答えられる質問なんてしたっけ?」
リオ
「あたしたちじゃない、湯上谷さんだよ。
ほら、松永先生のことを二人で話してたでしょ。
『先生にはお世話になったよね』『あんないい先生はいないよね』って、
湯上谷さんが城島さんに同意を求めたとき。
城島さんはどちらにも『うん』って頷いたけど、それが嘘」
ユズハ
「えー……どういうことだろう?」
ユースケ
「単純に考えると、
『松永には世話になっていない』『松永以外にもいい先生はいる』
と、城島は考えてるのか……?」
レミカ
「密かに嫌悪感を抱いていたのかもね。
部長や他の部員は松永先生に好意を抱いているようだけど、
副部長だけはそうではなかった」
リオ
「だけど湯上谷さんの目からは、城島さんが一番先生にお世話になっていた、
一番親しかったと見えているんだよね。
二人だけの間に何かあったのかな……?」
ユースケ
「いずれにしろ、城島が何か隠してるってことだな。
――そうだっ」
俺はあることを思い出し、思わず声が出た。
三人が一斉に俺に注目する。
リオ
「どうしたの?」
ユースケ
「もう一度美術室に行こう、確かめたいことがある」
レミカ
「あの二人に何か訊くの?」
ユースケ
「そうじゃない、むしろ二人がいると都合が悪い……。
そうだ、ユズハに頼みたい。
美術部に入部してくれ、今すぐ」
ユズハ
「えぇ!! なんで!?」
ユズハは怯えるように目を丸くした。
ユースケ
「それで二人を外に連れ出してほしいんだ、
『風景画を教えてほしい』とかなんとか口実をつけて。
校庭がいいだろう。
そうだ、リオも一緒に行った方がいいかもしれないな。
城島に『さっきの申し訳ついでに、もっと彫刻のこと教えてくれ』とか
言って頼めば怪しまれないだろう」
リオ
「ちょっと気が引けるなぁ……」
ユズハ
「二人に悪いよぉ……、わざわざ入部するなんて。
だいたい、活動停止中だよ?」
ためらう二人に俺は、
ユースケ
「体験入部でもなんでもいい。とにかく校庭に引き付ければそれでいいんだ。
間違いなく城島は何か隠してるんだぞ、警察はもう捜査を打ち切るんだ。
もしかしたら次は美術部員、でなきゃ湯上谷に何か起きるかもしれない」
リオ・ユズハ
「……うん」
力説すると、しぶしぶ承諾を得ることができた。
ユースケ
「その間、俺とレミカで美術室を探る。
レミカ、〝読み取り〟を頼む」
レミカ
「いいけど、物とか作品とかたくさん置いてあったじゃない?
あれ全部読み取るの? かなり時間かかるよ?」
ユースケ
「いや、そんなかからないはずだ。
見立てはついてる、5分もあれば充分」
レミカ
「なら心配ないか」
ユースケ
「俺とレミカがまず、美術室から死角になる場所に潜む。
リオとユズハが美術室に入り、二人を外に誘い出す。
退出を確認後、俺とレミカで室内を探る。
終わったら合図をするから、それまでは引き延ばしてくれ。
合図は――リオに電話で、一度着信をする」
リオ
「わかった。ワン切りが合図ね」
ユースケ
「湯上谷なら熱心に教えようとするだろうから、ユズハは難しくないだろう。
だけど良心が痛むよな、すまない」
ユズハ
「いいよ。松永先生のためになるなら」
作戦が決まり、俺たちはさっそく決行に取りかかる。
//美術室前
ユズハ
「あ、あの……絵の描き方を教えてほしいんですけど……」
湯上谷
「おおユズちゃん、よくその気になってくれた!
それにリオちゃんまで!」
ユズハの申し出に狂喜する湯上谷の声が耳に入ってくる。
たまたま空いていた隣の教室から、俺とレミカはその様子を聞いていた。
湯上谷
「いやぁ、いいね、いいよ!
それでユズちゃんは何を描きたいの?」
ユズハ
「あの、風景を……」
湯上谷
「おお! モネか、ルソーか、はたまた北斎?
風景は私も得意分野だからね、さっそく校庭に行こうか!
――ハルカも来る?」
城島
「いや、私はいいよ。トルソの方、続けたいから」
クソ、城島は離れないようとしない。
リオ
「あの、私は彫刻のことを教えてほしくて……。
城島さんのを見たら、おもしろそうだなって」
湯上谷
「だって、ハルカ」
城島
「そう、それじゃ坂崎さんは残ってもらって、私と一緒に……」
リオ
「あっ! でも、風景画もおもしろそうだなぁ!」
湯上谷
「だって、ハルカ。
せっかくなんだからみんなで外出ようよ、いい気分転換になるよ。
ずっと籠って、粘土と石膏ばっか触ってるのもよくないよ?」
城島
「……わかった。片付けるからちょっと待って」
リオ、湯上谷、ナイス!
やがて、ガタガタという四人の足音が室外に出ていくのがわかった。
ガヤガヤと話しながら、複数の足音が階段を降りていきながら遠のき、
消えていく。
念のため数分待ち、引き返してこないかを確かめた。
ユースケ
「――いくぞ」
レミカは手袋を脱ぎながらコクリと頷く。
立ち上がり、美術室のドアを開け、侵入。
ユースケ
「アレを〝読んで〟くれ」
俺は、目に飛び込んだそれを指さすと、レミカが素早く近づいて触れる。
レミカ
「――そうだったんだ……!」
レミカの声は驚きで上ずっていた。
//美術室
翌日の放課後、俺たちは再び美術室の前に立っていた。
全ての真実を知るためだ。
俺たちに足りないのは動機だけだった。
それを知るために、俺は引き戸を掴み、
開けた。
湯上谷
「おお! これはこれは」
湯上谷はおちゃらけながら、笑顔で俺たちを出迎える。
湯上谷
「またまた4人揃ってどうしたの?
今日はみんなで描くかい?」
嬉しそうに筆を握る仕草をする湯上谷にとって、これからの出来事は残酷だ。
そう思うと胸が締め付けられ、痛んだ。
ユースケ
「……教えてほしいんだ」
湯上谷
「いいよ、基本の技術でも美術史でも、
この部長様にお任せあれ」
ユースケ
「ワリィ、湯上谷。お前じゃなくて、
――城島、来てくれ」
入口に背を向けて、粘土像に集中していた副部長が手を止めた。
城島
「ちょうどよかった。オカ研に訊きたいことがあったの。
――昨日、触らなかった?」
城島は眉をひそめ、語気を強めた。
リオ
「えっ!? 私触ってないよ!!」
城島
「わかってる、坂崎さんじゃなくて、あの後」
目を丸くするリオを制したのは、ゴム手袋を嵌めた右手だった。
レミカ
「私が触ったの。ほんの少し触れただけだから、崩したつもりはなかったけど」
城島
「なんとなくわかるの、若干バランス崩れてるなぁって。
他の人が触ったなぁ、って。
なんで?」
ユースケ
「さすが芸術家は違うな。
ずいぶんと繊細な感覚をお持ちだね」
城島
「アンタの指示?」
城島の視線は俺一人に向けられる。
ユースケ
「そうだ。確かめたかったからな」
城島
「何を?」
ユースケ
「……湯上谷、一旦外に出てくれないか」
湯上谷
「えっ、なになに!? どうなってんの!?」
湯上谷は無邪気に、俺と城島の顔を見比べる。
城島
「――何が言いたいの?」
ユースケ
「湯上谷、俺たちは城島に用があってきたんだ。
頼む、一旦外で待っててほしい」
湯上谷
「……わかった」
察してくれたのか、部長の顔から笑顔は無くなった。
湯上谷が横をすれ違う瞬間、ユズハが申し訳ない、とばかりに頭を下げる。
ユズハの頭を、湯上谷は一度撫でてから退出した。
ピシャリ、と扉が閉まるのを確認し、俺は一度息を吸った。
ユースケ
「松永を殺ったのはお前だよな」
城島
「……」
城島は答えない。
唇をかみしめるだけだった。
ユースケ
「……どうしてなんだ?」
城島
「……証拠は? 私がやったっていう証拠でもあるの?」
城島は努めて冷静さを保とうとしていた。
だが、声は震えていた。
ユースケ
「証拠はあるじゃないか。
ずっと前から、そこに」
俺は壁際に屹立するそれを指さす。
城島の制作した、粘土の胴体像。
城島
「……!」
表情を歪めた城島は、頭を抱えてうずくまった。
怒り、悔しさ、悲しさ、負の感情すべてを内包した少女は、
次第に、四つん這いになり、
城島
「あああああっ!!」
嗚咽をあげながら、拳を床にたたきつけ始めた。
ダスン、ダスン。
少女がぶつける負のエネルギーは、リノリウム張りの床に鈍い音を響かせる。
それを聞きながら俺はトルソに近づき、
不安定な胸部に触れる。
湯上谷
「ハルカ、どうしたんだ!?」
異変に気付いた湯上谷が城島に駆け寄る。
城島
「あぁ……あ……」
湯上谷
「ハルカ大丈夫だよ、大丈夫……」
湯上谷は城島の背中を優しくさする。
湯上谷
「三住ィ!! ハルカに何したァ!!」
湯上谷の激昂は俺に向かって放たれる。
だが、俺は意外なほど動じていなかった。
ユースケ
「何した、って……?
『した』のは、城島の方なんだ」
俺はトルソの胸部を取り外した。
湯上谷の怒りは消え去り、
代わりに、目も口も開ききって唖然とした。
そこに逞しい胸筋や両肩はなかった。
腹筋の直上には、滑車が上向きに取り付けられていた。
俺は掴んでいた胸部を床に捨てた。
ユースケ
「見ての通り、これは芸術作品なんかじゃない。
殺人兵器なんだ」
目を見開いていたのは湯上谷だけではない。
リオも、ユズハもだ。
ユズハ
「え……本当にこんな……」
リオ
「こんなすごい作品が……」
レミカ
「……私も最初、信じられなかったよ、こんなものが隠されてるなんて。
私の〝読み取り〟が間違ってるんじゃないか、そう思ったくらいだよ」
ユースケ
「城島は本当に素晴らしい才能を持った芸術家だったよ。
完璧な粘土像の中に、完璧にこんな仕込みができるなんて。
……初めて見たとき、トルソは少しだけ揺れていた。そういうものなのだと納得しかけていた。
だけど湯上谷は言った、
『粘土の上から石膏を貼り付けて固めていく』と。
粘土像は、石膏を貼り付ける土台ということだ、
なのに、その土台がグラグラと不安定では土台足りえないだろう?」
湯上谷
「……トルソに滑車が仕込んであった、それが一体何になるんだよ……?」
湯上谷はわずかに残っている怒りを振り絞るように、
敵意を表しながら問う。
ユースケ
「トルソに滑車を仕込んだことより、『この場所に台座を置いて制作していた』、
こっちの方が重要だった」
俺は、腹筋から下がついたままの台座を引っ張って動かし、壁際から離す。
台座が置かれていた場所、壁と床の間に右手を差し入れる。
すんなりと指が入っていく。
ユズハ・リオ・レミカ・湯上谷
「えっ……?」
右手を持ち上げると、床板は簡単に外れた。
〝畳返し〟の要領で簡単に持ち上がった。
俺は外れた床板を、開いた大穴にずらして置く。
隙間からは礼拝堂が見えた。
ユースケ
「おっと……」
重いものを持ったり離したりしたせいでバランスを崩す。
一歩間違えば簡単に穴に落ちてしまう。
約50センチ四方の台座より一回りも大きい、四角い穴だ。
ユースケ
「こっちに近づくなよ、落ちるぞ」
リオ
「本当に穴が開いた……」
ユースケ
「台座も床板も、見た目よりはずっと軽かったよ。
女の力でも楽々動かせる」
ユズハ
「信じられない……」
ユースケ
「こんな大穴が開くなんて、本来あってはならない。
設計ミスか、手抜き工事か、その原因はわからない。
そして城島は、なぜかこのことを知っていた」
城島は床に額をつけたまま顔をあげない。
湯上谷は、その背中をさすりながら俺を睨む。
ユースケ
「この場所に台座を置き、制作をしていれば、
ここには誰も近づかない。床穴のことも知られない。
作品にベタベタ触れるような不届き者でもない限り、
穴の秘密を知る者はいないのだろう。
一昨日の夜、城島はここに松永を呼び出した。
自分は風呂に入るといいながら、浴室の窓から抜け出し、
松永は校舎の見回りと施錠のついでに立ち寄った。
松永の後頭部を殴り、動きを止めた後、
台座を動かし、穴を露わにする。
殴った武器は何でもいいが、美術室の中には工具だって揃ってる、
詳しく調べればわかるだろう。
松永の首にロープを括り付け、ロープの中ほどを
滑車に乗せて滑らせるようにする。
滑車は〝てこ〟でいう支点の役割を果たすから、
城島の腕力でも、松永の身体を支え切れるようになる。
松永の身体を穴から落とせば当然、重力で首は絞まる。
プラプラと松永の身体は宙に浮く。
その状態で、10分ほどロープを握るなり固定するなりで待つだけだ。
勝手に松永はくたばってくれる。
ロープを離せば、松永は勝手に落ちてくれる。
後は床板とトルソを元の場所に戻すだけ、
穴の存在は誰にもわからない。
そして松永の落ちた先は、そう」
俺は五人の顔を一度見回す。
口を真一文字に結ぶ者、今にも泣きそうな者、
唇をかみしめる者、目を見開いて固まる者、
髪を振り乱して嗚咽する者。
ユースケ
「礼拝堂の講壇の上、十字架のふもと。
あたかも、自殺したように見える、ということだ」
沈黙が流れる。
再び俺は口を開く。
ユースケ
「この学園の礼拝堂は天井が低い。
近隣の結婚式場のチャペルの方がずっと高いだろう。
もしかしたら設計段階ではこの美術室は存在しておらず、
急遽、礼拝堂の上に付け加えられたか。
そのせいで床板も外れやすくなっているのか。
事情はわからないけどな――」
湯上谷
「なんで……」
湯上谷の声は震える。
湯上谷
「なんで、ハルカがそんなこと……」
ユースケ
「それを俺たちは確かめに――」
ユズハ
「あ、あのねっ」
ユズハが割り込んできた。
ユズハ
「実は、松永先生が私にね、話しかけてきてるの、今。
『また身体を貸してほしい、城島と湯上谷に伝えたいことがある』って」
湯上谷
「私とハルカに? どういうこと?」
ユースケ
「城島は……大丈夫か?」
城島は顔を上げない。湯上谷は眉をひそめる。
湯上谷
「何のつもり?」
ユースケ
「これからユズハの身体に松永が乗り移る――
いや、違うな。――そうだ、
これからユズハが独り言を喋る。
別に聞いても聞き流しても構わない。
――ユズハ、頼む」
この三人の能力は多くの生徒には知られていないのだ、
知っている者でも、イタズラや冗談と捉えている。
こちらから無理に信じさせる必要があるわけではないか、
俺はそう考えた。
これからユズハ(松永)が語ることを、どう捉えるかは二人次第だ。
ユズハ
「えっ? ……うん、わかった」
腑に落ちない様子ながらも、ユズハはネックレスを握る。
崩れるユズハの身体をレミカが支えると、
野太い低音で語り始めた。
松永
「城島を責めないでくれ、すべて俺の責任なんだ、
城島は何も悪くないんだ」
第一声がそれだった。
加害者が城島であることを、被害者が認めた。
松永
「あの時からだったよな、城島。本当にすまない。
深く、深く傷つけていたこと、『今』になってようやくわかった。
本当に遅すぎた」
ユースケ
「どういうことだ?」
松永
「城島がそのトルソを形作っていた時、
ギリシア彫刻の作品集を見ながら、粘土を触っていた時だ。
俺は何気なく、城島の肩を叩きながら、軽く笑いながら言ったんだ、
『なんだお前、こんなマッチョが好きなのか。どうせなら先生が脱いでやろうか?
実物を見た方がわかりやすいだろ』といった具合で」
俺と同じ反応じゃないか。松永も城島を茶化していたのか。
松永
「その時は城島も軽く笑っていた。
けど、今になってわかる。目の奥はそうではなかった。
俺の不用意な言動で、致命的な、取り返しのつかない傷をつけてしまった。
本当に申し訳ない」
レミカの腕の中、[ユズハ/松永]は深々と頭を下げる仕草をした。
えっ、それだけのことで……?
これが俺の率直な思いだった。
松永
「許してくれ、などとは思わない。
ただ、城島、俺は――」
城島
「もうやめて!!!!」
突然、城島はガバリと起き上がり、湯上谷を突き飛ばし、台座に突進した。
湯上谷
「ハルカ!?」
城島はトルソだった物を、穴に向かって突き落とした。
台座が床の下へ消えていく。穴の上にずらして置いていたままの、床板の間をすり抜けて落ちた。
城島
「もう嫌!!」
リオ
「危ない!!」
穴へと突っ込み、落ちかけた城島の腕を、飛び出していたリオが掴んだ。
城島
「離して! もう全部嫌だ! 聞きたくない!」
ユースケ
「城島どうし――」
リオ
「ユースケは来ないで!」
二人を助けようと近づくと、リオの怒号が飛び、思わず固まってしまう。
どういうことだ!?
湯上谷
「ハルカ落ち着いて!」
湯上谷は穴と城島の間に入りこみ、懸命に止めようとする。
城島
「どいて! 離して!!」
城島は二人の制止を振り切ろうとする。
松永
「城島、落ち着――」
レミカ
「先生、やめて。あなたの言葉は届かない、
黙って消えてくれ」
レミカが冷たく突き放すと、腕の中のユズハが目覚めようとする。
穴へとつんのめる城島を、湯上谷は押し戻そうとする。
錯乱する城島の右腕を、リオは必死に引っ張る。
湯上谷
「ハルカ、落ち着くんだ」
城島
「どいて! 私はもう――」
湯上谷の左足が、穴の縁で滑った。
湯上谷
「ハルカ――」
まるで吸い込まれるように、湯上谷の身体が穴の中へ消えていった。
城島
「ゆーちゃん――?」
リオ
「湯上谷さん!!」
リオの叫びが虚しく響く。
ドスンッ、
講壇に激突したその音が、衝撃の強さを示していた。
城島
「ウソ……?」
城島は力が抜けたのか、その場にへたり込む。
ユースケ
「リオは城島を! ユズハとレミカは助けを呼んでくれ、救急車だっ!!」
俺は叫びながら、礼拝堂へ向かって駆けだした。
//病院
医師の診察を受けると、もう帰っても大丈夫、
と許しが出たそうだ。
なので、付き添った俺たちと帰ることになった。
バスが来るまで食堂で時間をつぶすことにした。
総合病院の食堂には白衣のまま食事をとる姿が見受けられる、
医者なのだろうか。
リオ
「本当にもう大丈夫なの?」
湯上谷
「うん、全然平気! どこも異常なし!!」
湯上谷は笑顔でガッツポーズをしてみせた。
レミカ
「あんな高さから落ちて無傷とはね……」
湯上谷
「粘土がうまく下敷きになってくれたみたい、
ハルカが先に台座を落としてくれたおかげだよ」
ユズハ
「不幸中の幸いだったね……」
ユースケ
「城島の方も落ち着いてるんだろ?」
湯上谷
「うん、今は眠ってる。そろそろお母さんもお見舞いに来るはず。
ただ、2,3日入院するって言ってた。
ハルカって敏感というか、ナイーヴすぎるところがあるから。
しばらく病院で休んで、落ち着いた方がハルカにもいいと思う」
ユースケ
「繊細過ぎる、天才肌なんだな」
リオ
「あのさ、城島さんってやっぱり、その――」
リオは訊きにくそうにしながらも切り出す。
リオ
「すごく、苦手なんでしょう? 湯上谷さんも知ってたの?」
湯上谷も慎重に、言葉を選ぶようだった。
湯上谷
「……まぁ、うすうすはね。
けど、こんなにひどいとは思ってなかったよ、
ハルカの男性恐怖症」
ユズハ・ユースケ
「男性恐怖症?」
レミカ
「異性に対する恐怖症は珍しいものじゃないよ。
触れられたり、話しかけられたり、人によっては
同じ場所にいるだけでもダメな場合がある。
どうしても不安感や嫌悪感が沸き上がって抑えられないんだ、理由もなくね」
湯上谷
「ハルカもそういう部分があったの。
少し男の人が苦手で、とぼかしてはいたんだけどね。
ちょっと男子から話しかけられたり、エッチな話題を振られたりするだけでも、
トイレに駆け込むことがあったりして。辛そうだったよ。
それでも、独りで克服しようとしてたんだ」
ユースケ
「待ってくれ、ムッキムキのギリシア彫刻を精巧に再現してたじゃないか、
男性恐怖なんだろ?」
湯上谷
「それも克服するための一環だったんだよ。
ハルカが言ってた、あえて男らしい肉体を自分で彫ることで、
少しは苦手が薄れるかもって。
芸術の中の肉体美は平気だったんだよ、むしろ好んでいたくらいで。
だから余計、不思議なくらいで」
レミカ
「芸術に耽溺しすぎるあまり、現実の男性に失望していたのかもね」
ユズハ
「松永先生の言葉も、何気ない冗談や激励だったのかもしれないけど、
それが動機……」
湯上谷
「ハルカも決して先生を嫌っていたわけじゃない。
だけど、苦しんでいたと思う。
許したい、サラリと流したい自分と、許せない、どうしても耐えられない自分とで」
リオ
「ジレンマが増幅して、強くなりすぎた、
城島さんの中で爆発してしまった……」
女性たちは口々に言う。
俺も同じだった、松永と。
シャーペンを投げつけられた時の、あの目。
男である俺には、何もできないのだろうか。
やがてバスが来た。
病院に城島を残したまま、俺たちは乗り込んだ。