第六話「先輩、嫌な予感ってありますよね」
「……え、ええと……それで、横貫さん。結局、『どこ』に行くの……?」
駅のホームに置かれた茶色いベンチに座り。右隣に座った横貫さんに話しかけた。駅の中では、別のホームから出発する電車のベルの音と、『プシュー』という圧縮された空気が抜けるような高い音が響いていた。
右手に握り締めた切符を見てみる。そこには金額だけが書かれていて、どこに向かう切符なのかは分からない。ホームの端に掲げられた路線図に視線を向け、先ほど切符を買うときに聞いた駅名を探してみる。
(……あの間って、山しかなかったよね……?)
かろうじて見知った駅名を見つけ、その間を薄らとした記憶頼りに思いかえしてみても。ただ山に囲まれた景色が思い浮かぶだけだ。わざわざ遠出していくような場所は無かったように記憶している。
「……随分、山間に行くのだな。めぼしい物も無かろうに」
声に釣られて先輩の方を向くと、左側から少し私の方に身を乗り出した先輩が、私の手元の切符を覗き込んでいた。先輩の方に切符を向けると、先輩は御礼を言うように一度頷いて返してくれる。そのまま身を引いた先輩が、横貫さんに向かって確かめるように視線を向けた。
「え、ええ……それは……継実山という場所なのですが……ご存じですか?」
横貫さんが慌てた様子で視線を逸らすように、なんだか随分とゴツゴツとした印象のタッチパネル式の携帯電話を操作しながら答えた。
(ツグミ山……? 聞いた事ないな……)
「……ああ、継身の山か……また随分とマニアックな所に行くのだな?」
「……先輩、知ってるんですか?」
聞いた事の無い名前の山に首を傾げながら聞き返すと、先輩がとても微妙そうな表情で返した。
「ああ。まあな。昔登った事がある」
(……先輩、本当、この辺りどこにでも行ってるよね……)
……思わず、夢の事で相談したときのことを思い出して。先輩の事をまじまじと見つめてしまった。
「……す、すでに、行った事があるのですか……!?」
そんな、何気ない先輩の答えに、横貫さんが俄に焦りを露わにしながら携帯から顔を上げると、私を挟んで先輩の方に身を乗り出した。ぶつかりそうな横貫さんの勢いに、ベンチの背もたれにもたれかかるように身を引いた。その私の代わりのように、横貫さんが左手に握っていた携帯がベンチとぶつかり、『ガンッ』と激しい音を立てた。
「……ん? あ、ああ……もしや……行ったことがあると、なにか不味かったか……?」
先輩が結構な勢いでぶつけた横貫さんの携帯電話の方を、チラチラと気にしながら答えるが、横貫さんは考え込むように黙り込んでしまっている。
全員の間に、微妙な沈黙が流れた。あまりにも動揺している横貫さんの姿に、背もたれにべったりともたれかかったまま、ちらちらと表情を窺った。
(……初めて行く所……なのかな?)
……たとえば横貫さんが、今日はその継実山に初めて行くのだとして。
わざわざ、休みの日にわざわざ出かけるくらいだし、『どういう場所なのか』『どんな事があるのか』きっと楽しみにしていたはずだ。
……それが、すでにもうその場所に行ったことがある人が居て……
(……うん。『推理小説の犯人を知っている人』みたいな感じなのかな……)
そうだとしたら、それは不幸な偶然だと言うしか無い。
……だけど、それは私が呼び込んでしまった不幸に違いなかった。
(……やっぱり、私達ついてきたのは、迷惑だったかなぁ……)
ついつい、勢い任せで横貫さんについてきてしまったが、やっぱりどうしたって『無理矢理ついてきてしまった』という気持ちがずっとつきまとっていた。
……随分横貫さんに悪い事をしてしまったかも知れない。
――私達が無理を言ってついてきてしまったから、横貫さんの楽しみを奪ってしまったかも知れない。
(……先輩は、全然気にしてないみたいだけど……)
隣で、横貫さんの事を窺っている様子の先輩の事を、少し『羨ましい』と思いながら見つめた。
――やっぱり、その辺りは普段からどれだけ人と接してきたかが物をいうのだろう。
先輩は横貫さんとは今日初めて出逢ったはずなのに、さもそれが『当たり前』のように話し込んでいる。声が出なくて、ようやく出ても当たり障りのない会話しか出来ない自分とは大違いだ。
「……いえ。不味いというか……その……以前向かった時に、『神社』には行かれたのですか?」
黙り込んでいた横貫さんの声に振り返ると、『恐る恐る』という様子で、上目遣いに先輩の事を見上げながら、手首から先をぴしっと揃えて。挙手をしかけて途中で止めてしまったような、なんとも言えない微妙な位置で右手を顔の横まで持ちあげていた。
「……神社? いや、それは知らんな。……あそこに有名な神社でもあるのか?」
横貫さんが、先輩の返事を聞いて、ほっとした様子で息を吐き出した。
「……そうですか。それならば良かったのです。実は、この噂を見て、ちょっと行ってみようと思ったのですよ……」
「ほう? 噂?」
先輩が横貫さんの話に興味を引かれたのか、横貫さんがさっきまで操作していた携帯電話の画面を私達の方に向けた。
(そういえば、先輩。こういう話、好きだからな……でも良かった。携帯は無事だったみたい……)
さっきの明らかにまずそうな音を聞いて、壊れてないかと内心気になっていたが、どうやら大丈夫だったらしい。少しほっとしながら、少しぶかぶかの袖口から覗く横貫さんの手に不釣り合いな大きさの携帯電話を、先輩と二人で覗き込んだ。
携帯には真っ黒な背景のどこかのホームページが表示されて、おどろおどろしい書体の文字が表示されている。
(なに……?)
私のすぐ隣で、顔を寄せるように覗き込む先輩の気配を感じながら、視線だけを動かして文字を追っていく。
「「――っ」」
――初めに飛び込んできた文字を見て、息を呑んだ。
「……『存在しない神社』……だと……」
隣で、先輩が呻き声を上げている。向くと、先輩が苦虫をかみつぶしたような渋面を作り、携帯から視線をこちらに向けるところだった。
――きっと、私の顔も同じように強張っているに違いない。
「……ど、どうしたのです!? ……き、昨日、Webを見ていたときに見つけたのですが……」
私達の反応を見た横貫さんが、戸惑った声をあげる。
「あ、電車が……」
その時、丁度ホームに静かに流れ込むように、目の前に鮮やかな色の電車が滑り込んできた。横貫さんは、私達に不安げな視線を向けながらも、怖ず怖ずと椅子から立ち上がり、一度降ろしていたピンク色のリュックサックに手を掛けた。
「よいしょ……っと――やはりもう少し荷物は減らすべきでしたか……」
横貫さんが携帯を仕舞い込み、重そうにリュックを背負い直している。
「……先輩……」
――呼びかける声は、自分でも驚くほどに乾ききっていた。
先輩が同意するように頷く。どうやら、先輩も同じ事を考えたようだ。
――『存在しない神社』
そんな単語で、思い出す物なんて決まっている。
「……見崎神社と……同じ?」
「さてな……そうそう、『あんな神社』があってたまるか。と言いたいところだが……」
戯けるように先輩がいうが、その眉間には深い皺が刻み込まれていた。
(私だって……『そんなこと』って……思うけど……)
……すでに、私達は知ってしまっていた。『そういうこと』がとても身近に存在している事を。『妖魔』という存在が、この世界には存在しているという事を。
……頭の中で、醜悪な白けた肉塊が雄叫びを上げている。
思わずゾクリと背中を抜けた感触に、手に力が籠もった。
――不意に、左手に暖かな熱が触れる。
……気づけば、いつの間にか私は先輩の服の裾を握り締めていたらしい。先輩の服の端を掴み震えていた私の手を、先輩のゴツゴツとした手が、包みこんでいた。
「――お二人とも? 電車が出てしまいますよ?」
(……楽しいお出掛けのはずだったのにな……)
「ああ。すまない」
……思いがけず、行き会ってしまった嫌な予感を胸に。
私は先輩と共に、横貫さんの怪訝そうな声に応えながら、目の前の電車へと乗り込んでいった。
***
「――久しいな。ここに来るのも」
「……そうなんですか?」
……電車に乗り、バスに乗り継ぎ。
そんな事をする間に、いつの間にか先輩はいつも通りの様子を取り戻していた。
今も。継実山の麓から続く、なだらかなハイキング用の階段をすたすたとした足取りで登りながら、周りの自然を楽しむように見回している。
(……先輩、怖く……無いのかな……?)
……未だ、嫌な予感が収まらずに首の後ろがチリチリするような感覚に襲われている私は、先輩のそんな態度に驚きが隠せなかった。ちょっとした周りの木擦れの音に、影に。不意に妖魔が現われるのではないかという妄想が頭を離れない。
しかし、先輩がそんな風に普段通りにしている以上。私だけがいつまでも怖がっている訳には行かない。なんとか、なるべく普段通りに聞こえるように意識しながら先輩に話しかけた。
「ああ。まあな。昔、例のバイトの関係でこの山に調査に来たことがあってな……あの時は、別に何も見つからなかったのだが……まあ、山の名前通り――」
先輩が、そこで不意に突然言葉を切って後ろを振り返った。振り返った先では、私達から少し遅れがちに横貫さんが着いてきている。クラスメイトの中でも身長が小さめな彼女は、あまり体力があるようには見えない。今も下を向きながら階段をせっせと登っているが、息が上がっているのか両肩が上下している。
(……あれ? 横貫さん、なにかしゃべってる?)
低い位置を、軽くうつむきながら登っている横貫さんの口元が、ブツブツと何か話しているように見えた。独り言なのか、口の動きが見えるだけで、何を言っているのかは聞き取れない。
「……大丈夫か?」
心配そうな先輩の問い掛けに、弾かれたように横貫さんは顔を上げ、とろんとした眠そうな視線をこちらに向けた。喉元が、生唾を飲み込む様にごくりと動く。
「――え、ええ……普段、家、から、でない……の、で……単に、日頃の……運動……っ、不足……の、結果……なの……です……」
答える声も、何度も途切れて苦しそうだ。
その姿は丁度あの白い手に追われたとき、全力疾走した後の私を思いだしてしまう。
(……だめっ!恥ずかしい……!)
ついつい、その時の余計な恥ずかしい記憶まで思い出しかけて、慌てて前髪引っ張った。そのまま、思い出しかけた記憶が霧散するように大きく深呼吸をした。
(……よし)
胸に手を当てて鼓動が落ち着くのを確認してもう一度横貫さんに視線を向けた。
……勿論今日は別に、全力疾走したりはしていない。
ただ普通に歩いてここまでの山道を登ってきただけだ。それも、別に『登山』というような大変な道でも無い。良く、テレビのぶらり旅で取り上げられていそうな、ハイキングコースを少しだけ上っただけだ。
――とはいえ……
「……本当に、大丈夫……?」
「……ええ、ええ……なので、どうぞ。おふっ、ふたっ、おふたりは……お気に、なさらず……」
階段を『上り』と『下り』に左右に分けるように設けられた手すりに、もたれ掛かかって手をつきながら。横貫さんは、激しく肩を上下させている。
……正直に言って、誰がどう見ても『大丈夫』だとは思えない。
「――仕方あるまい。その調子ではきついだろう。悪いが、これはこっちで持たせて貰うぞ? もし、困る荷物があれば言いたまえ」
「え……こ、これは、あ、ありがとう……ございます……こ、これでも、靴は、歩きやすい物を選んだり、した、の、ですが……」
トントンと足取り軽く何段か駆け下りた先輩が、横貫さんに手を添えて背中に背負った大きな鞄を持ち上げた。そして、横貫さんの小柄な体からぱっと荷物を引きはがすと、両肩の紐をまとめて右肩に通した。
(……鞄の色、先輩と全然似合わない……っ!)
先輩の気遣いに対して、大変失礼な感想だというのは自覚しているが、横貫さんのピンク色をした女物の鞄を持ち上げた先輩を見て、その姿の違和感になんだか不思議な気分になった。一方で先輩は至って真面目な表情で、背負いあげた鞄を二、三度位置の調整をするように左右に動かしている。
「……これは……また随分と、詰め込んでいるな。――咲夜も、もし荷物が邪魔ならば言いたまえ。君も山に登る準備はしていないだろう? もし、疲れそうならば早めに言うのだぞ?」
「あ、大丈夫です。私はそんな荷物も多くないですから」
先輩が、背負いあげた鞄の重さに呆れたように呟きながら、私に空いていた左手を伸ばした。
……元々、こんな風に遊びに出かける事が無かった私は、そもそも持ち歩く荷物も多くない。というより、その習慣がなかった。
財布とハンカチとティッシュ。
後は、前髪を確かめるための手鏡と櫛。
それらを小さめの鞄ひとつに入れればそれでおしまいだ。
後は、携帯と――今は『影喰』……だけど、それはポケットに十分入ってしまう。
(……あ、今日は鞄にペットボトルとおにぎりも入っているか)
……それも、急遽山に登ることになってコンビニエンスストアで買ったけど、それも本当なら入ってなかったはずの物だ。今まで、本当にそれだけで間に合う程度の範囲しか行動してこなかったのだ。
(……一応、今日の服はお気に入りではあるんだけど……)
……『動きやすい』『ちゃんと顔を隠せる』
そんな基準で、いつの間にかお気に入りになってしまった服だった。
(……もうちょっと、オシャレ……とか、したほうが良いのかな……?)
突然『山を登る』と言われて、問題を感じることさえなかった、普通のスニーカーを履いた足下を見下ろし、履き心地を確かめるようにコンコンと地面にぶつけてみながらついついそんなことを考えた。
「……お待たせしてしまいました。……もう、大丈夫ですので、行きましょう」
横貫さんが、先輩の持った鞄を照れたように見上げ、先輩と目が合って慌てて視線を逸らした。その姿勢はさっきまでより少し元気に伸びているように見える。
(……良かった。これなら、横貫さんも大丈夫そうかな……?)
……ちょっとだけ。さっきから横貫さんの状況を見て、本当にこのまま山を登って大丈夫なのか心配だったけど、今の様子ならなんとかなりそうだ。
ただ、その分、先輩には負担がかかってしまって申し訳ないけれど、先輩が疲れていそうだったら、私が代わりに荷物を持ったっていい。
――そんな。何気ないやり取りをしたからだろうか?
さっきまでの、嫌な予感はいつの間にか随分小さくなっていたのだった。





