第六話「先輩、ちょっと意地悪です」
「――そういえば、宝玉といえばな、見崎町では宝珠に関する伝説があるのだよ」
「そうなんですか? どんな伝説なんです?」
先輩が、思い出したようにそんな事を言い出した。
……見崎町といえばここからさほど距離のない港町だ。バスに乗れば一時間もかからずに着くだろう。
先輩の顔が笑っているところを見ると、さほど真剣な話ではなく、まさしく雑談なのだろう。
――ああ、そういえば、先ほど『妖き語り』を買おうとしているのを先輩に見られたのだった。
先ほどの呪いの話といい、そういう話が好きだと思われているのかも知れない。
(――まあ、好きなのは否定しないけど)
少なくとも、昔からそういう類いの話にうずうずと好奇心が刺激されるのは確かだった。
私が興味深そうに聞いてみると、先輩はますます笑みを深くしながら語り始めた。
「ああ、なんでも、『どんな願いも叶う宝珠』があるらしい。――ほら、見崎は港町だろう? ある日、港に遠く異邦の地から男女が流されてきてな。その頃はさほど裕福でもない村で、自分たちの生活も危ぶまれる状況だったらしいが、村人皆で協力して二人を精一杯もてなしたそうだ。すると、その旅人達がお礼に、『万願成就の宝玉である』といって一つの宝珠を渡したのだそうだ。大きさは三寸ほどで、琥珀色をしていたという。村人達は半信半疑ではあったが、言われたとおり願ってみると、続々と黄金が宝珠からわき出してきて、それ以来村人達が飢えることはなくなったという話だ。 ……それが転じて、願いが叶う宝珠となったそうだな」
「三寸……って、十センチくらいでしたっけ?」
――先輩の語った話に、なぜか一瞬、なにか記憶の奥がちくりと刺激された気がした。
(あれ……なんだろう? 初めて聞くはずなのに……)
……疑問には思うが、いくら考えても思い当たる事は無かった。
しかたなく、思い出すのは諦めて先輩に大きさについて質問した。
「そうだな。大体それくらいだ」
頭の中で先輩が言う宝珠をイメージしてみると、なるほど確かに私の夢に出てくるのと似通っている。先輩が連想して話すのも無理はないだろう。
(願いが叶う宝珠かぁ……)
そんな良いものだったらいいのだけど、今のところ夢の中の宝珠は気味の悪い手を呼び寄せてくるだけだ。
(どうせ毎日嫌でも出てくるのなら、もうちょっと頑張ってくれればいいのに)
やっかいな事しかもたらしてくれない、夢の中の役立たずな宝珠に悪態をつきながら、ふと本当にそんな宝珠があったらと夢想した。
(――でも、もしもそんなのがあったら、お願いしたい願い事は、『みんなと会いたい』かな……)
――お父さんや、お母さん、おばあちゃん。
……もしも、もう一度会えるのなら会いたい人は一杯だ。
「――因みに実はこういう宝珠の話というのは各地にあるのだよ。しかし、私が思うのだが、この見崎の伝説というのは、真珠に関しているのではないかと思うのだよ」
「真珠、ですか?」
私が『宝くじに当たったら何をしたい』という位、意味も無い夢想をしている間に、先輩の話は伝説に関する考察に及んでいた。
「そうだ。見崎町はその規模こそ小さいが昔から良質の真珠が採れると言われているからな。……その希少さは、ダイヤモンドよりも価値があるそうだぞ?」
そういえば、小学校のころ社会の時間にそんな事を習った気がする。
確か、社会の時間だったか、自分の住んでいる土地について学ぶという内容の授業だったはずだ。
「まあ、実際には、真珠の伝説と複数の伝承が混じり合った結果のものだろうが……たとえば、海から異邦人がやってきてもたらされたというのは、見崎におけるマレビト信仰との結びつきによるのではないかとね?」
おもしろそうに先輩は片目を細め、いたずらっぽい笑みを浮かべながら話を続けていく。
「マレビト信仰?」
話の中で、興味を引かれるワードが出てきたので、相づち代わりに質問してみた。
私が興味を持っているのが伝わったのか、先輩が少し嬉しそうな表情を浮かべながら解説する。
「客人と書いてマレビトというのだが、閉鎖的な地域においては、外部からやって来たものを信仰するという文化がある場所があるのだよ。その中に、えびす信仰も含めて、海からやって来るというものも一定数見受けられる。まあ、大体は漂流者を指すのだが……なんにせよ、マレビトは神と同一視されている場合も多いな」
「なるほど。――昔なら、マレビト、つまり外部の人間は新たな技術を持ち込む人材になるのか。なら、神様として崇められても不思議じゃない……んですね」
思わず素で答えかけた私の言葉に、ますます表情を明るくした先輩が、『その通り』という風に人差し指を振り抜いた。
「その通り。後は、血が濃くなりすぎないようにという側面もあったのかも知れんな」
そういって、先輩は真面目な顔のまま、突然片手を振り上げ、歌舞伎役者が見栄をきるような仕草をしてみせた。
「だから、見崎における宝珠伝承は、『こーんなおっきな真珠が採れたんだぜ?』という話と、『いやー最近こんな見慣れないべっぴんさんとオニーサンが海から来てなぁ。おらぁびっくりしたぞ』なんて話が大げさになって合わさった結果なのかもしれんなと」
――突然の先輩の奇行に、危うく口に含んでいた紅茶を吹き出しかけた。
「――なんですかっ……その、下手な物真似――おほっ、ゴホっ……」
(――ちょっと、不意打ちにもほどがある……)
さっきまで、随分真面目な調子で話していたのに、突然声音をおばあちゃんがよく見ていた、Z級映画の吹き替えみたいな、いかにも小物感あふれるものにして、そんな事を言い出すのは卑怯だろう。
思わず、吹き出しそうになって、必死に堪えるのが限界だ。
今日出会ってからの先輩の印象と違いすぎで、紅茶が喉の奥から変な所に流れ込んだらしい。
なんだか胃と肺の裏側がひっくり返ったような、奇妙な発作が出て咳き込んでしまう。
「おや? これは失礼。下手だったかな? 私としては、迫真の演技のつもりだったのだが」
(――絶対嘘だ。先輩、さっきからニヤニヤ顔が笑っている)
「――他にも、見崎の道祖神には特徴があって、地蔵菩薩が如来宝珠を持っていないのだ。如意宝珠とは元来の意味はチンター(意思)マニ(玉)だから、意のままに願いを叶えるという意味を秘めている。そういう意味でも伝承との関連もあるのかも知れんな」
再び真面目な雰囲気に戻った先輩がしれっと話を続けているが、真面目な顔の後ろで、さっきの巫山戯ている先輩の姿がちらついて、笑いそうになるのを堪えるので精一杯でそれどころではない。
その後も先輩は、豊富な知識を持って話してくれるのだが、時々フラッシュバックする笑いの衝動を抑えながら最後まで話し続けることになった。
(――だって、先輩、時々笑わせようとおかしなネタを仕込んでくるんだから、仕方がないじゃないか)
誰にともなく心の中で言い訳しながら話を聞いていたが、そんなおかげで、日が落ち始めて暗くなり始めた店外に出たときには、いつの間にか先輩との距離感がぐっと近くなっているのを感じた。
少なくとも、教室に行ったときに感じていた、年上の先輩に会うという緊張感は微塵も残さず消え去ってしまっている。
――そして、ここの所ずっと感じていた重苦しい気持ちも、いつの間にかどこかに去ってしまっているのにも気がつくのだった。
***
「あ……無くなってる……」
お店で購入した茶葉を鞄に詰めながら喫茶店を出て、隣の書店に戻ってきた私達だったが、目当てにしていた『妖き語り』が一部歯抜けで売れてしまったらしい。
――ちょうど私が読み始めようとした巻が無くなってしまっている。
(……ちょっと、ついてないな)
この短時間で売れてしまうなんて、運の悪い事だ。
ひょっとすると、先ほど出て行くときに元の場所に戻す姿を見て、購入を決めた人がいたのかもしれない。
「――なんだと!? 本当か!? ……それは悪い事をしてしまったな……私が勝手に戻してしまったからだ。買ってから出て行くべきだったな……」
先輩が謝るが、謝ってもらう事なんて全然無い。
確かに、今日読めないのはちょっと残念だけど、他の人が楽しめるのならそれはそれで良いことだ。
入荷を待つ間、先の展開を想像できるということだから、楽しみが増えたって考え方もできる。
(それに、一人で読書してるだけだったら、多分こんなすっきりした気持ちになることはなかっただろうし)
横に立つ先輩の姿を見ながら、感謝を込めるつもりで微笑んだ。
「本当に気にしないでください。――私のせいなんですから」
「――すまない」
重ね重ね申し訳ないと、先輩は随分気にした様子で再び謝罪を口にする。
だが、その途中で先輩が何かに気がついたように、はっとした表情を浮かべた。
「――ん? そうか……買おうとしていたのは、『妖き語り』だけで良かったのか?」
――占いコーナーには居たけど、元々購入するつもりはなかったし、他に何か購入予定の本もない。
真剣な調子で聞いてくる先輩に驚きながらも、私はこくこくと頷いた。
「は、はい」
私の返事を聞いた先輩は、安堵したようにほっと息を吐き出した。
その姿は、ちょうど『自分のミスを挽回できた』と安堵している風に見える。
(どうしたんだろう? なにか、良いアイデアがあったのかな?)
「――なに、何もそれなら購入しなくとも良い。帰り、うちの前を通るのだろう? なら、うちにあるのを一冊ずつ持って行くといい」
「え!?」
思いも寄らない提案に、戸惑いからうわずった声が口から飛び出た。
(あ、でも、そうか。先輩はこの話が好きだって言っていたし、持っていても不思議はないのか)
答えながら、先輩の答えた言葉の意味を推察する。
世の中には、同じ本を複数冊購入するファンがいるらしいとは聞いたことがある。
ひょっとすると、先輩はそんな風に何冊もこのシリーズを購入しているのかも知れない。
……さっきは待つのが楽しみだなんて言ったけど、本当はもう読む頭になってしまっていた。
そのせいで、先輩からもたらされた魅力的な提案に、ぐらりと心が揺れるのを感じた。
――ちょ、ちょっと借りるだけなら……
(ああ……いやっ、駄目だ。流石に、そこまで先輩に甘える訳には行かないよっ!)
一瞬心に魔が差し掛けるが、常識的にそれはないだろうとストップをかけて追い払った。
「……じ、自分の分をちゃんと揃えたいので、借りるんじゃなく買うようにします」
「借りる? ――ああ、違うぞ。貸すのではなく、持って行くと良いと言ったのだ」
「――そ、そんなっ!? それこそ、先輩に悪いです」
「いや、それが、いろいろと事情があってな。その本については各タイトルが五冊ずつほど家にあるのだ……正直、邪魔になってかなわんのだよ。欲しい分については持って行ってくれる方が助かるくらいだ。なんだったら二、三冊持って行って貰っても構わんぞ」
――慌てて断りながら、先輩の言葉にふと我に返った。
……今、なにか聞き捨てならないことを聞いた気がする。
「……五冊!? ――なんでそんなに?」
「……新刊が出る度に、大量に押しつけていく奴がいてな」
(――なんだそのうらやましい環境!?)
なぜか遠い目をしながら、疲れた声の先輩をみて初めに浮かんだのはそんな感想だった。
(で、でも、確かにそれなら……いや、でも……)
押しては返しの葛藤が波のように吹き荒れている。それに合わせて、自分の体まで左右に揺れ動いている気がした。
「売るわけにもいかんのでな。このままではいずれ捨てることになる」
「貰いますっ!」
――負けた。
(何に負けたとは言わないけど……そんなこと言われたら、貰わないわけに行かないじゃないか……)
「――今度なにかお返しします……」
「くっくっく……楽しみにしておこう」
卑しい身に墜ちた気分を味わいながら、せめてものプライドを持って言う私を見て、愉快そうにノドの奥を鳴らして先輩は笑みを浮かべるのだ。
――この先輩、結構怖い人かも知れない。
(――ていうか、いい人だけど……意地悪な人だ)