第四話「先輩、贈り物って嬉しいですね」
「――先輩、ちょっとだけ、ここで待っていて貰っても良いですか?」
「……ん?」
――駅前にある床井の眼鏡屋の前までついたところで、先輩には店の前で待っていて貰うようにお願いした。
(……本当は、お店の前で待っていて貰うのは申し訳ないんだけど……)
春の日差しが柔らかく影を落とすコンクリートの道を背景に、先輩が不思議そうな表情を浮かべるのを見ながら、罪悪感と高揚を先輩に悟られないようにぐっと手を握りしめる。
……この『仕込み』が上手くいくのかは、この一瞬にかかっていた。
「……あ、ああ。分かった。良いだろう」
申し訳ない事だとは理解はしていても。それでも、今日だけはどうしても先輩に一緒に入って欲しくなかったのだ。『もし、理由を聞かれたらどうしよう?』と色々な言い訳を用意していたが、気を遣ってくれたのか、あっけないほど簡単に先輩は納得して、お店の前で色とりどりの眼鏡や時計の並んだガラスのショーケースに背中を向ける。
「――ごめんなさいっ! すぐ戻りますからっ!」
そんな先輩の背中に一度深く頭を下げて。私は大急ぎでお店の中へと入っていった。
『ガランガラン』というカウベルの音が、店内に私が入ってきたことを大きな声で告げる。
ショーケースから漏れるように入ってくる光以外、天井にある蛍光灯だけが灯りだけが頼りの昔ながらの店内は。春の温和な日差しが差し込む外のに比べると、いくらか薄暗く感じた。
「――あら、いらっしゃい。ちゃんと出来てるわよ」
お店の奥からはベルの音につられ老齢の女性が、ひょっこりと顔を出す。
――『床井の奥様』だ。普段は、いつもにこにこと温和な笑みを浮かべている旦那さんと一緒にご夫婦でこの眼鏡屋を営んでいる。ただ、先月旦那さんが庭木の剪定をしようとして足を滑らせて骨折したせいで、この所は一人で店番をしているらしい。
奥様の方はおばあちゃんが仲の良かったせいで、度々私もお世話になっていた。
……いつも掛けている眼鏡も。この奥様が、火傷の跡を必死で隠している私に、少しでも人目が気にならなくなるようにと選んでくれたものだ。
奥様が、ちらりとショウケース越しに先輩に視線を向け、骨折した旦那さんに似た柔らかな笑みを浮かべている。
「床井さん……おはようございます。すみません。ありがとうございます。その、急いで貰って……」
「あら、良いのよ」
……突然のお願いにも関わらず、二つ返事で引き受けてくれた事にお詫びと御礼を口にする。奥様は、ニコッと軽く顎を引くように、どこか不敵に見える笑みを浮かべて手を振った。
そのまま『近くに寄りなさい』という風に手招きすると、カウンターの下から紙袋を取り出した。深い青をしたしっかりとした造りの紙袋だ。
「一応、中の確認して貰えるかしら?」
「はい」
紙袋から、十センチメートル四方位の英字でメーカー名の入った小箱を取り出して、こちらに差し出してくれる。逸る気持ちを抑えながら、小箱を受け取り蓋を上に跳ね上げると……
――きらりとした、銀の輝きが目に入った。
思わず、自分の左手で似た輝きを放つ『モノ』に視線が向かい、口元が緩むのを感じる。
……それは、先輩に貰ったのと同じ海外メーカーの腕時計だった。小さな、布を貼ったような触り心地の良い化粧箱の中で。新品の腕時計が店内の照明を反射してきらきらと重く光り輝いている。
「――ありがとうございますっ! ……ええと、その、大丈夫です」
「……そんなに嬉しそうにしちゃって……神宮さんにも見せてあげたいわね」
そっと時計と一緒に差し出してくれたキメの細かな布を使って、指紋がつかないように気を付けながら時計を確認した私が、御礼を言いながら箱に戻すと、嬉しそうな声が返ってきた。
……おばあちゃんの事が話題に上り、『もしおばあちゃんが今の私を見ていたら』と思うと、嬉しい反面少し気恥ずかしい。
(……御礼を言う声も、ちょっと大きすぎたかも……)
興奮してしまった事を恥ずかしく思いながら、視線を合わせないように少し俯きながら、商品をラッピングしてくれている間に、そそくさとお金を取り出して支払いを済ました。
ラッピングを終えた商品を受け取った私は頭を下げて、早く待たせてしまっている先輩のところに戻ろうと振り返る。
「――わっ!……っ、と……」
振り返ったときに、足下に置いてあった丸いパイプイスに足を引っかけてしまい、慌てて少しズレてしまった椅子の位置を戻した。
「……慌てないの。ちゃんと時間も合わせてあるから、すぐにプレゼントしても大丈夫よ。サイズも、そっちの時計を合わせる前と同じにしてるわ。もし、違ったらいつでもいらっしゃい。タダで調整してあげるから」
「――本当に、ありがとうございますっ!」
……最後にとびきり恥ずかしい所を見られてしまったが、色々と気を利かせてくれたらしい床井の奥様に、もう一度。今度はちゃんと深々と頭を下げると、先輩の待っている外に飛び出した。
「――先輩っ! お待たせしましたっ!」
お店の前に植えられている、早くも緑が混じり始めた街路樹の桜を見つめていた先輩が。私の呼びかけた声に驚いたようにこちらを振り向いた。
「……なんだ? 随分上機嫌だな……一体なにを――」
「――どうぞっ!」
ふっと笑った先輩が、興味深そうに私の手元に持っている袋に視線を向けた瞬間――私は両手で手に持った紙袋を先輩に向かって差し出したっ!
「……な、なんだ?」
先輩の言葉を遮るように突然紙袋を差し出す私に、面食らったように先輩が瞬きの回数を増やしながら、怪訝そうに紙袋と私の顔とを見比べている。
先輩が、確かめるように視線をお店のガラス戸の方へと滑らせた。
(……ああっ、もどかしい!)
……一刻も早く先輩に見せようと思ったせいで、お店の扉に半分体を挟まれているような中途半端な姿勢だった事に気がついた。
這い出るようにしてお店の外に出る。
恥ずかしさのせいなのか。それとも、春の日差しのせいなのか。
はたまた――『訳が分からない』と怪訝そうにしている先輩の姿のせいなのか。
――凄く、体の奥から弾み上がる衝動が、足の先から頭の先までを振り回していた。
先輩の表情に、『ちょっとした悪戯』が成功した事を悟って。
――自分でもすぐに分かるくらいに……口元がにやけた。
「――だから、先輩っ! 御礼……『プレゼント』ですっ!」
「――ん? ――はぁっ!?」
ようやく理解してくれたらしい先輩が、今まで聞いたことが無いような素っ頓狂な声を上げた。新鮮な先輩の反応がおかしくて、にやけた口がそのまま笑い声を上げそうになるのをぐっと我慢する。
「先輩から、時計、貰いましたから。だから、なにかお返しがしたくて……月曜日に注文してたんですっ!」
「……中身は?」
「――時計です」
「時計って――お前、馬鹿っ……お古の時計と新品の時計じゃ釣り合わんだろうっ!?」
『お前』なんて、普段先輩言わないのに。動揺してなのか言葉遣いが若干子供っぽくなっている。『お前』なんて言い方、普通なら嫌な気分がしそうな物だけど。その先輩の言い方に、全然悪意なんて感じられなくて。むしろ、私の悪戯で驚いてくれて居るせいだと思うと……
むしろ――
(……ちょっと……楽しいかも……)
普段、何かというとからかわれている分、少し仕返しが出来た気がして……愉快だ。
「――いいんですっ! 私は、先輩から貰った時計が――大事なんですっ!」
じっと顔を見つめながら紙袋を差し出していると、何か言いたげに先輩の唇が動き――ようやく諦めたように頭に手を当てながら、紙袋を受け取った……
「――あーあー……まったく……またこんな気合い入ったのを準備して……」
紙袋の中を覗き込んだ先輩が、困ったように眉を寄せながら、ため息をついている。そんな先輩に、私は首を振りながら答えた。
「私は、先輩から貰った時計の方が嬉しいです」
「~~っ! ああ、もう……君は、本当に……!」
(……本当、先輩がこんなに慌ててるの、珍しいな……)
言葉が出てこない様子で、私の事をねめつけている先輩を見てその珍しさに感心していると、一度大きく息を吸い込んだ先輩の真剣な瞳が私に向かってくる。
「……あ、いや……すまない。……本来なら、始めに言わなければならない言葉があったな」
(……言わないといけない言葉? なんだろう?)
からかう様子が一切無い先輩の真剣な表情に、『なにか怖いことでも言われるのでは無いか』という不安を覚え、思わず、姿勢を正して先輩に向かって真っ直ぐ対峙する。
――なかなか、先輩から次の言葉が出てこない。僅かに、迷うように先輩の視線が揺れたように見えた。
――緊張のせいで、少しずつ自分の鼓動が早く。時間の感覚が遅くなっていく。生殺しの一瞬がどんどんと引き延ばされて――
「――その、ありがとう。……君から貰ったと思うと――その……とても、嬉しい贈り物だ」
無邪気に笑う先輩の笑顔で、一気に時間の流れが元に戻った。
……いつもの、綺麗な笑みとも違う
……いつもの、不敵な笑みとも違う。
……いつもの、からかうような笑みとも違う。
……今までに見たことのない――笑い方。
「――え、あ……どういたしまして……?」
しかし、御礼を言った瞬間、今の一瞬の笑顔が幻だったのでは無いかと思うほど、あっという間に先輩はいつも通りの何気ない表情に戻った。
(きっと、私が誰かから――先輩から、時計を貰って嬉しいと思う気持ちと、先輩が私なんかから貰って嬉しいと思う気持ちは違うんだろうな……)
気持ちの――質も。大きさも。それぞれ全然違うんだろう。……それでも、先輩が少しでも嬉しいと思ってくれたのならば、それもまた喜ばしいことだった。
(……すくなくとも、『いらない』って、突っぱねられるよりはよっぽど良い)
……私のセンスが悪すぎて、先輩が嫌がるんじゃ無いかなとか、正直今でも不安でいっぱいだ。
(後で箱を開けたとき、どうか先輩の表情が曇りませんように!)
一応、床井の奥様と相談しながら、頑張って決めたからきっと……
(大丈夫……だと、いいな……)
「――ああ、だがな? 流石に、私も貰いっぱなしという訳には行かんからな? しばらくの間、遊びに行く時は、私が費用を持つからな?」
さっきお店の中で確かめた腕時計を思い描いていると、先輩がなにかお返しをと言い出した。
「え? それは――先輩に悪いです」
「少しは、先輩として威厳を保たせてくれたまえ……『時計は貰う』『お返しはしない』では、まるで私が貢がせているようではないか。――とはいえ、この時計はもう返すつもりは無いからな?」
(う……でもそれって、結局先輩に余計な出費を増やしただけなんじゃ……)
先輩が懸念している『貰いっぱなしが悪い』というのも、自分に置き換えてみれば……よく分かる。
……正直、月曜日にこのお店に来たときに思いついて……勢いに任せすぎだったかも知れない。だが、それにしても。私は先輩からドリームキャッチャーだとか、色々なものすでに貰ってしまっているのだ。
(……元々、私が貰ったお返しなんだから、おあいこなんだけど……ううん。むしろ、私が貰った分のほうが大きい位なんだけどな……『しばらく』ってどれくらいの――って、しばらくっ!?)
――はっと気がついた。『しばらく』という言葉は……流石に今日一日では使わないだろう。
だと……すれば……
(……先輩は、今日だけじゃ無くて、他にも遊びに行く前提で考えてくれてる?)
前に『海に行こう』と言ってくれたことがあったけど、その事だろうか?
……でも、それだったら、『今度海に行くとき』と言いそうな気がする。
――本当に、本当に希望的観測だけど……
(……お凜ちゃんが対策を考えてくれるまでの期限とか、何回とか、そういうんじゃなくて、ずっと遊びに行ったりしようって言ってくれてるの……かな……?)
……だったら……すごく、嬉しい。『時計の分』なんていう、お金の問題じゃ無く。そっちの方がずっと、ずっと……嬉しかった。
だけど――同時にそんな形のない希望的観測はやっぱり不安で。
(――もし、先輩がお返しの回数分は確実に遊びに行こうなんて言ってくれるなら。なるべく長く引き延ばせば――)
――『魔が差した』というのだろうか?
そんなちょっと見苦しい考えが脳裏をよぎり。
「――じゃ、じゃあ、先輩――遊びに行くたびにお米一粒プレゼントしてください!」
「――全部返すのに何年かけるつもりだ!?」
――思わず、そんな馬鹿なことを口走ってしまった。先輩も思わず咄嗟に返したのか、間髪入れずに律儀な答えを返してくれた。先輩の勢いに気圧されながらも、頭の中で大急ぎで計算をする。
(え、ええと……お米って、十キロ五千円くらいだっけ……? お茶碗一杯六十五グラムで、米粒の数が――)
「……千八百年から二千七百年と少し……?」
「……その頃主食は米なのか……? 」
「――い、稲作文化は偉大なんですよっ!」
言葉のままのどんぶり勘定の、あまりに幅のある計算に呆れたように返されて、思わず自分でも意味の分からない抗弁をすると、ついに先輩は我慢出来ない様子で吹き出した。
「――そもそもそれでは、二千年ほど毎日遊び倒して居ることになるだろう……とんだ不良娘も居たものだな!?」
「う……ごめんなさい……」
「いやいや、なに。冗談だ。別に謝る必要はないとも。……ただまあ、米粒一つは極端にしても、一度に支払うより回数を分けて欲しいというのだな? 分かった」
そういって、先輩は少し体をかがませ私と視線を合わせる。私の左頬にそっと右手を沿えて微笑んだ。正面に先輩の笑いを含んだ顔が見える。
「……まったく、そんな口実を用意しなくても、遊びに行くらい、普通に誘えば良いだろうに……」
(あ……ばれてた……お見通しだったっ!?)
――どうやら、私が言った『お米一粒』の意味は、きっちりと。ばっちり、先輩に伝わってしまっていたらしい。婉曲な言い回しをしたつもりで調子に乗っていた分、顔に血が上るのが分かった。
「――まあ、これからも、『長い付き合い』になるのだ。よろしく頼むよ。――咲夜」
「……はい」
――『お前』ではなく『咲夜』
(……やっぱり、先輩から呼ばれるのはこっちが良いな)
内心でそんな事を考えながら、優しく微笑む先輩に、私は小さく答える。
「……でも、だったら、ドリームキャッチャーと写真の分……後、本の分。引いておいて下さいね」
「……細かいな」
『承知した』と、くしゃりと笑う先輩の笑顔が――そしてそんな事を言える関係が。私にとっては一番の贈り物だった。頬の辺りをくすぐったい感触が撫でて、思わず顔が緩んでしまう。
(ああ……やっぱり、『いい』なぁ……)
そんな事を思い、先輩を見つめていると――先輩が急に顔を上げて私の後ろをじっと見つめた。
「――ん……? あれは……」
微かに目を細めた先輩が、なにかに気づいたように疑問混じりの声を上げた。視線は――やっぱり私の後ろに向けられている。
「どうしたんですか?」
私が疑問を口にすると、かがんでいた先輩がすっと身を起こした。そして、背筋を伸ばし、私よりだいぶ高い身長を生かして私の後ろの少し離れた位置をぐっと覗き込んだ。思い悩むように微かに首を傾げながら、怪訝そうに口を開く。
「……アレは、咲夜の言っていた……横貫君とやらではないのか……?」
更新遅くなってすみません。身内の不幸事などが重なり、遅くなりました。
また、本業が現在かなり立て込んでいるため、2週間に一度くらいの更新になるかも知れません。





